八阪丸

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八阪丸(やさかまる)は、日本郵船が所有していた貨客船。1914年に竣工し、欧州定期航路に就航した。第一次世界大戦中の1915年地中海魚雷攻撃を受け、沈没した。

建造[編集]

  • 1911年9月に欧州航路用の大型・高速船として建造が計画・発注され、神戸川崎造船所が建造、1914年に竣工した[1]

船主・船名[編集]

  • 日本郵船による新造船[2]
  • 船名は八坂神社に因んで付けられた[3]

性能[編集]

船種
客船[4]
総トン数
10,932トン[5]

航路[編集]

  • 欧州定期航路に就航した[2]

八阪丸事件[編集]

  • 1915年12月21日に、地中海のポートサイドの手前でドイツの潜水艦による魚雷攻撃を受け、沈没した[6]。沈没まで1時間足らずだったが、乗員乗客は迅速に批難して被害者はなく、乗組員の適切な処置が賞賛を受けた[7]

金貨の引揚げ[編集]

  • 沈没の際、船には横浜正金銀行ロンドン支店が本店に送った1ポンド金貨20箱(10万枚)が積まれており、事故により横浜正金銀行には東京海上保険から保険金100万円が支払われ、金貨の所有権は同社に移った[8]
  • 1925年東京商船学校出身の片岡弓八は、金貨の引揚げを計画し、同年5月2日に門司を出発して同年6月2日にポートサイドに到着、同月4日から捜索を開始し、同年7月8日に本船の残骸を確認した。片岡は同年8月8日までに金貨99,991枚を回収して捜索を終了し、円貨換算額の8割にあたる938,412円を成功報酬として受け取った。捜索の模様は連日、新聞各紙で報道された。[8]

姉妹船[編集]

香取丸型
1911年に建造が発注された、1万トン級の性能を持つ、神社に因んだ船名の5隻の貨客船[2]
香取丸 - 鹿島丸 - 諏訪丸 - 八阪丸 - 伏見丸

参考文献[編集]

  • 野間(2008) 野間恒『増補 豪華客船の文化史』NTT出版、2008年、ISBN 9784757141889
  • 松井(2006) 松井邦夫『日本商船・船名考』海文堂出版、2006年、ISBN 4303123307
  • 日本郵船(2005) 日本郵船歴史博物館(編)『日本郵船歴史博物館 常設展示解説書』日本郵船、2005年
  • 日本郵船(2004) 日本郵船株式会社広報グループ『航跡 日本郵船創業120周年記念』日本郵船、2004年

関連文献[編集]

  • 宇野素水『八阪丸の最期』旭堂、1916年、NDLJP:948346

脚注[編集]

  1. 松井(2006)p.34。松井(2006)p.7では、大正元年(1912年)後半に完成した、としている。
  2. 2.0 2.1 2.2 松井(2006)p.7
  3. 松井(2006)p.7。漢字表記に揺れがあり、松井(2006)pp.7,34、日本郵船(2005)p.41および宇野素水『八阪丸の最期』では「八阪丸」、日本郵船(2004)p.59では「八坂丸」と記している。八坂神社に因んでいることからすると「八坂」の方が正しい可能性もあるが、用例の多い「八阪」によった。
  4. 野間(2008)p.135
  5. 松井(2006)p.34
  6. 日本郵船(2005)p.41、日本郵船(2004)p.59
  7. 日本郵船(2005)p.41
  8. 8.0 8.1 日本郵船(2004)p.59