ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ

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ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ(Heinrich Cornelius Agrippa von Nettesheim、1486年-1535年)は中世を代表するドイツ魔術師。またカバラの熟達者でもあった。

通常アグリッパと略される。フルネームはハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ・フォン・ネッテスハイム

略歴[編集]

1486年にドイツのケルンで誕生。若くから才能を発揮し、ケルン大学では法律、医学、哲学(新プラトン派)、各種の外国語を学んだ。この時期にイタリアピコ・デッラ・ミランドーラの影響を受けてカバラの研究を始めた。

卒業後の1501年からは当時の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世に軍人として仕え、1507年からはフランスドール大学聖書学を講義した。

しかしヨハン・ロイヒリンの説を支持した事から追放され、ロンドンに逃れる。その後1518年にイタリアのパヴィア神学を講じた後、フランスのメッスにて弁護士を開業した。

ここでは魔女として告発された百姓女を熱弁を振るって救ったが、これが元でドミニコ修道会に攻撃され、1520年にケルンへ戻る。以降は各地を放浪し、1535年にグルノーブルで死亡した。

思想的な面においてはトリテミウスにその教えを伝え、新プラトン派にも影響を与えた。また、エラスムスメランヒトンとも親交があった。

著作[編集]

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