トヨタ・マッシーダイナ

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トヨタ・マッシーダイナ(Toyta Massy Dyna)は、日本自動車メーカートヨタ自動車1969年から1977年(推定)まで製造・販売した中型4トンクラストラックである。

概要[編集]

1969年9月、当時3t積みまで用意されていたダイナと、5t積み以上の大型トラックDA/FA115C系とのギャップを埋めるモデルとして追加された。当時は4tクラスのキャブオーバー型トラック市場の成長期で、ライバルには既に傘下に収めていた日野自動車レンジャーKL型、後にいすゞ・フォワードに発展するセミキャブオーバー型のいすゞ・TY型、三菱ふそうT620型、日産自動車のSC/QC80型など強力なライバルが揃っていたが、やはり同年東洋工業も同じく4トンクラスのマツダ・ボクサーでこのクラスに新規参入している。

名称上はダイナの姉妹車のようであるが、当時のU10系ダイナとは外観・構造的に共通点は少なく、むしろDA/FA115C系の縮小版という印象が強い。例えばギアシフトもダイナは3t積でもフルシンクロ4速コラムシフトであったが、マッシーダイナは1速ノンシンクロの5速フロアシフトとなっており、プロのトラックドライバー向けの設計であった。

搭載エンジンによって形式名は異なり、F型3878cc・130PSガソリンエンジン車はFC10レンジャーKL型と同じ、日野自動車製DQ100型4507cc・105psディーゼルエンジン車はQC10と呼ばれた。この時期になっても燃料費の面で競争力を失っていたガソリン車を用意しているのは、トヨタが長年ガソリンエンジンの大型トラックを得意としており、消防車や特殊車両、商店や工場での自社使用など、燃料費をあまり問題としない根強いガソリン車需要層の支持を得ていたためである。

変遷[編集]

日本最大の自動車メーカーの製品でありながら、マッシーダイナの販売台数は日野・三菱ふそう・いすゞの4t車と比較すると非常に少なく、街で見かける機会は多くなく、そのままの姿で数年間継続生産された。1975年3月になってEC20型にモデルチェンジされ、「マッシーダイナ・カーゴ」に改称された。新しいエンジンはやはり日野自動車製EH100型5871cc・145PSディーゼルエンジンで、この新エンジンによって最大積載量は4500kgに増強された。車体デザインはほとんど変化なかったが、従来黒く塗られていたフロントグリル周辺が白塗りに変わり、DA/FA115C系に一層良く似たイメージとなったが、逆に10系より年式が古い車のようにも見えた。

この変更によっても販売は伸びず、1976年秋に発行された「自動車ガイドブック」23巻からはマッシーダイナの記載は無くなった[1]。1977~78年(推定)をもってトヨタは4t級以上トラックの国内向け生産から撤退し、この分野は日野自動車の担当に一本化された。同期に日産自動車もこのクラスから撤退し、日産ディーゼル(当時、現「UDトラックス」)の「コンドル」に集約化している。

脚注[編集]

  1. ただし、1977年発行のトヨタ設立40周年記念社史『トヨタのあゆみ』にはDA型トラックと共に記載されていた。

参考図書[編集]

  • 『自動車ガイドブック 16巻・22巻・23巻』日本自動車工業会 編
  • TOYOTA FAN

関連項目[編集]