チャレンジャー (アンサイクロペディア)
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テンプレートとフォント弄りに頼り気味で安易な感じがします。事故をネタにするならチャレンジャー号爆発事故の内幕を明かした「困ります、ファインマンさん」ISBN 4-00-603029-0を読んでからにしてください。 |
チャレンジャー(チャレンジャー号とも)とは、アメリカのNASAによって開発されたスペースシャトルである(最後のミッションの際に密かに花火に改造されていた)。
概要[編集]
1970年代後半、NASAはスペースシャトル・コロンビアの開発とほぼ同時進行でチャレンジャーの開発を進めていた。順番上チャレンジャーは2番目、つまりコロンビアの後継機種とされているが、実際はチャレンジャーの方が早い時期に制作されていた。チャレンジャーはコロンビアとは違い、後々花火として転用するための特殊な機構を備えていたため、制作に倍以上の時間がかかったのである。
ミッション[編集]
チャレンジャーは数々のミッションをこなしていった。世界初のスペースシャトルからの宇宙遊泳も、命綱なしの宇宙遊泳も、全てこの機体から行われていた。アメリカ人初の女性宇宙飛行士が搭乗したのもこの機体である。最後のミッションも含めるとその数10。39ものミッションを遂行したディスカバリーや、他の機種に比べればまだまだ少ないが、それでも十分な数の重大ミッションを遂行したと言えるだろう。そして何より、誰も最後のミッションがあんな盛大な物になろうとは想像できなかっただろう。
最終ミッション-花火打ち上げ[編集]
1985年12月、NASAは幹部クラスの人間と従業員を工場に集め、極秘にスペースシャトルの改造を施工した。従業員達は外部燃料タンク内側の上部に巨大なスペースを作成し、その中に30tにもなる大量のマグネシウム粉末を流し込み、チャレンジャーを前代未聞の超巨大花火に改造した。
最後のミッションの目的は「スペースシャトルの強度のテスト」そして「人体は宇宙服を着ていれば爆発に耐えられるかどうかの実験」というNASAの好奇心からくる破茶滅茶な物であった。国民には「重大ミッション」としか伝えられず、クルー達にも本当の目的は教えられなかった。
1986年1月28日、乗員7名を乗せたチャレンジャー号は空へと打ち上げられた。宇宙ではなく、空に。
打ち上げから58秒後、遠隔操作により燃料タンクの一部が爆破され、穴が開けられた。同時にマグネシウムのタンクの一部も爆破された為、マグネシウムが燃料と混ざり穴から噴出した。乗員はこの時点でシャトルの異常に気付いたが、時すでに遅し、もはや脱出する術は無かった。運命の時は刻々と迫っていく。管制官も花火開花までのカウントダウンを始める。
3...2...1... 開花!
打ち上げから73秒後、漏れ出した燃料がエンジンからの炎により発火、外部燃料タンクが大爆発を起こした。爆発の炎は外部燃料タンク内のマグネシウム粉末にも着火し、真っ白な煙と美しい白色の炎があがった。開花直後は生きていた乗員乗客も海に叩きつけられて全員死亡、管制官達が余りの喜びに湧き上がる中、国民は開いて固まった口を閉じようとするのに精一杯だった。
死亡確認 | |||
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ごめんなさい。ごめんなさい。 | |||
この時代ではお伝えできない事実が含まれていたため、投稿者は消去しました。 |
実験の成果[編集]
前述の通り、この打ち上げの趣旨は「スペースシャトルの強度のテスト」と「人体は宇宙服を着ていれば爆発に耐えられるかどうかの実験」である。結果として、シャトルは粉砕され、唯一頑丈だった乗務室にいたクルー達もシャトルの残骸諸共海に放り投げられ、宇宙服が爆風に耐え切ったかどうかは一切分からなくなった。海に叩きつけられた時のクルー達に掛かった負荷は200Gとも言われている。そりゃまあ、宇宙服も粉々になるわけだ。ただ、花火としては管制官を喜ばせられる位に綺麗だった。そして国民を絶望させられる位に悍ましかったとも言える。