のび太国
(乃比太社會主義人民興產業大帝國)
公用語 | 日本語 |
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首都 | 芒ヶ原 |
最大の都市 | 野比市 |
皇帝 | 野比のび太 |
首相 | 剛田武 |
面積 - 総計 - 水面積率 |
世界第172位 [[3250km2m²|]]km² 82km2 |
人口 - 総計(2014年年) - 人口密度 |
世界第4位 [[2億8255万3246人|]]人 1,155人/km² |
政府 | 不明 |
国民的な英雄 | 不明 |
建国不明 | 1855年3月6日 (月暦)/1976年2月11日 |
通貨 | のび太円 (NBY) |
時間帯 | UTC UTC+9,UTC+9.5 (DST: 無し) |
国歌 | のび太君0点 |
宗教 | のび太神道、仏教、創価学会、ドナルド教、葱神教、ぽぽぽぽーん教、ヴェルタース教、鉄道教、オウム真理教 |
国際電話番号 | +888 |
のび太国(のびたこく)とは、剛田武首相により統治されている人民産業社会帝国立憲資本主義制国家である。
概要[編集]
こののび太国は、名目上現存する唯一ののび太国である。元首は、未だに野比のび太氏であるが、現在元首に主権はなく、首相の剛田武氏に主権がある為、事実上は「剛田国・ジャイアン国」となっている。領土は、関東地方より東にある島々と、練馬区付近から銚子付近まで建設された地底シェルターと、東京都練馬区内にある地上領土であり、これらを統括し、約3000平方キロメートルの領土を有する。
のび太国は、2代目のび太国の消滅に伴い、当時前皇帝が崩御し後継がいなくなった状態で消滅寸前だった新日本帝国に亡命した事により誕生した。当初は、国民の意向から、のび太氏は皇帝ではなく、首相となったが、1981年に出木杉英才氏が首相になると、のび太氏は、皇帝となった。この時、のび太国憲法が改正され、主権を皇帝から首相に移した。
1979年には、練馬区薄ヶ原にあるいつもの空き地とのび太の家付近を自国領土とし、2代目のび太国が事実上復活し、首都は練馬区芒ヶ原に置かれた。しかし、首都と最大の都市がある諸島群が離れており、陸移動するには、日本の領土を経由する必要があった。更に、出国せずに移動するには、練馬空港〜野比空港間をのび太航空で移動するか、或いは田奈川にある。西芒田奈川桟橋から船で野比港大桟橋まで水運で行く必要があり、交通が非常に不便だった他、自動車での移動が不可能だった。これが原因で、後々地下シェルターの建設に至った。
地下シェルターの建設[編集]
1982年、当時の出木杉政権は、のび太諸島〜帝都芒ヶ原間の移動があまりにも不便かつ、発展の上で問題があるとして、今後5年以内にシェルターを建設・整備する事を発表、1983年に、着工し、1985年には池袋シェルター〜鎌ヶ谷シェルターが完成、22世紀の技術により、地下なのにお察し下さいなレベルの明るさを実現し、さらには、夜になると、暗くなるようになった。これに使用しているのは、太陽光苔である。1987年には、成田シェルター〜銚子シェルターが完成、その後1989年に鎌ヶ谷シェルター〜成田シェルター間が完結し、シェルターが全て完成した。その後も、急激な人口増加に伴い、現在でも増改築を繰り返している。
なお、地下シェルターの深さは、地底1000メートル〜地底300メートルである。
歴代首相[編集]
新日本帝国時代[編集]
- 初代 宮田 大一 (1894~1906)
- 2代 浅沼 秀章 (1906~1931)
- 3代 佐藤 健三郎 (1931~1945)
- 4代 稲垣 博 (1945~1959)
- 5代 新堀 高浩 (1959~1971)
- 6代 増山 浩次 (1971~1975)
~~以降 1978年3代のび太国発足まで首相無し~~
のび太国以降[編集]
- 7代/のび太国初代 野比のび太 (1978~1981)
- 8代/のび太国2代 出木杉英才 (1981~1985)
- 9代/のび太国3代 剛田武 (1985~1998)
- 10代/のび太国4代 矢尾 俊光 (1998~2000)
- 11代/のび太国5代 長田 弘 (2000~2003)
- 12代/のび太国6代 中川 圭一 (大中川帝国 皇太子) (2003~2005)
- 13代/のび太国7代 武石 佼成 (2005~2006)
- 14代/のび太国8代 野比のび太 (2006~2008)
- 15代/のび太国9代 後藤 忠 (2008~2011)
- 16代/のび太国10代 剛田武 (2011~ 現職)