スバル・サンバー

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スバル・サンバー(すばる・さんばー)とは、富士重工業がかつて開発・発売していた軽自動車であり、世界で最も農道を速く走る車として有名である。なお今後はダイハツ・ハイゼットベースのパチ物が販売されることになっており、2012年4月2日からスバルディーラーで販売されている。

概要

最早このオナラターボでなければ農道でサンバーに追いつくのは無理である(写真は開発過程を撮影したものである)。

1961年に初代が発売され、1999年発売の最終型は6代目である。車体のプラットフォームはスバル・インプレッサ共通で、とにかく走りが軽自動車ってレベルじゃねぇぞ!だからあとで後述するとおりギネスで「世界で最も農道を速く走る車」に認定されている。しかし、調子こいて筆頭株主になったトヨタ自動車に脅されの意向でスバルの軽自動車はすべてダイハツ製になることが決まっており、サンバーはダイハツ製のつまらない軽トラベースになってしまうこととなった。その為、トヨタの本社と工場で暴動が発生してしまった(詳細については後述)。

様々なメカニズム

サンバーの軽トラってレベルじゃない走りを支えるメカニズムである。

EN型直列四気筒エンジン
5代目以後のエンジン。スムーズに吹け上がる。これぞスバルの軽自動車のエンジンであり、スーパーチャージャーをつけたモデルは、農道での速さは世界一を誇る。しかし、シリンダーの間隔が狭すぎて違法アップロードが出来ないのが弱点である。
EK型直列二気筒エンジン
4代目以前のエンジン。悲鳴を上げるように吹き上がる。世代によって二輪車だったり四輪車だったり色々である[1]。二輪車も四輪車も海外に輸出された大排気量エンジンがあり、そこから部品を転用する禁則事項ですが行えたのが公然の秘密であった。しかし、諸般の事情により現存数はそれ程多くない。
スーパーチャージャー
5代目以降に登場した装備で、通称「瓢箪」。文字通りヒョウタンが内蔵されており、これを高速で回す事でENエンジンに大量の空気を送り込み、そしてズダーンさせる。サンバートラックは軽トラック市場唯一の過給機搭載車であった時期が長く続いたが、他メーカーとの紳士協定により、中間冷却器(訳:戸田奈津子)は最後まで搭載されなかった。
四輪独立サスペンション
スバル車の常識であり、これのおかげで世界一農道を速く走れる。フロントはストラット、リアはハコスカGT-Rと同じ形である。
RRレイアウト
初代から一貫してエンジンはリアオーバーハングに搭載され、後輪を駆動する方式である。因みに、ポルシェ911と同じ方式であり、ここから「農道のポルシェ」と呼ばれている。
パートタイム4WD
3代目に初登場。一般道では後輪だけ、悪路では4輪をドライバー自身が選択して駆動する方式だが、この駆動方式のおかげで世界一農道を速く走れる。5代目以降はオプション装備としてデフロックとフリーハブを備えたものもあり、更にスーパーチャージャー、EL付5MTを備えたサンバーは歴戦のスバリストをしてオニオンシリーズフル装備のたまねぎ剣士と称され、「これで勝つる!」と言わしめる程である。
フルタイム4WD
4代目で初登場。一般道では後輪だけ、悪路では4輪を駆動する方式で、切り替えはビスマスカップリングを用いて自動的に行う。この駆動方式のおかげで雨の高速道路でもスポーツカー顔負けの速度で走れる。5代目初期まではコナミコマンドを入力すると強制的に2WDに切り換えられる裏技が存在した。
EL付き5速マニュアルミッション
4WD車のいくつかのグレードに設定されている。1速の下にもう1速下段のギアがある為、実際には6速MTのようなもんである。このMTを積んだ4WD車は林道でも新生日本陸軍ジャンビー顔負けの走破性を発揮する。
デフロック
5代目以降のパートタイム4WD車でもダンプカーなどのごく一部の車体にしか搭載されてないレアアイテム。このレア装備の前には耕したての畑や豪雪地帯の中でもナチス版トヨタ雲丹と土竜を足して2で割ったような四駆に打ち勝てる為、スバリストの中でもさらに重度のオフロードマニア物欲センサー全開でこれを探し求める程である。
ECVT
5代目のみの装備。中にハムスターが入っており、全力でハムスターホイールを回してエンジン回転を変換しながら輪ゴムで車輪に駆動力を伝える事で動力をロス無く伝達できる…はずだったのだが、肝心のハムスターの持久力が今ひとつだった為[2]、後に6代目では鈴木修の3速ATに置き換えられた。
ドミンゴ
4代目と5代目の改造車。これを選択すると漏れなくスバル普通車部門謹製のEF型直列三気筒エンジン(2連装鉛筆付き)と、リアエアコンや三列シート等の多数の専用装備がおまけとして付いてくる。これは軽自動車ではねぇというツッコミは決して入れてはいけない。あと、サンバーのオマケみたいな事言われるけど、七人乗りミニバンというジャンルを最初に開拓した先行者であり、後継車がいきなり月面走行車に進化するという、意外にまじパネェ車だったりするんだお。


歴史

初代(1961年-1966年)

2代目(1966年-1973年)

  • 1966年登場。通称「ニューサンバー」だが、少し経ったら「ニュー」ではなくなるのに何故かそのまま「ニュー」が付いている(その後、禁則事項ですにより屋根にサイドフラッシャーが追加される)。後に親にも殴られた事のないゆとり世代が「愛機の名前をパクるな」とスバルに抗議した。そんなの知るか。
  • 1970年にマイナーチェンジ。通称「ババーンサンバー」に進化し、新たにダミーグリルが装備される。何が「ババーン」なのかさっぱり意味が不明で、詳細も全く不明である(もちろん、真相も闇のまま)。後にボウケンブラックこと伊能真墨が「剣型プレシャスの名前をもじるな」とスバルに抗議した。そんなのも知るか。
  • さらに1972年に再度マイナーチェンジを受けてダミーグリルがズダーンと大型化。このモデルは通称「すとろんぐサンバー」と呼ばれるが、整形手術に失敗したため人気が一気に落ちてしまった。後に猪木にジャーマンで負けた人が「人のリングネームをパクるな」とスバルに抗議した。うるせー馬鹿!
  • 顔や名前、装備はともかくとして、1970年にはR2-D2からフィードバックされた高出力化技術により、空冷2ストロークエンジンは30馬力にパワーうp、ラルフ・ネーダーに叩かれすぎた悲惨な車ナチス製おにぎり程度であれば軽々撃破できる程度に成長した。
  • その頃、スバルの普通車部門は大川周明が訳したコーランにより市場でのちょっとした挫折を経験していたが、メッカに礼拝中のスバリスト達は気にも留めなかった

3代目(1973年-1982年)

1973年登場の3代目。通称「剛力サンバー」。
途中からドアミラーが合成樹脂製に変わった。
  • 通称「剛力サンバー」だが、何処がどう「剛力」だか分からない(もちろん、これも真相は謎のまま)。後にキツネ目の女が「こんなブサイクに私の名字を名乗らせないで!」とスバルに抗議した。ぽまえの顔よりマシだ。
  • 1973年の初期モデルは水冷化という大手術が施され、32馬力となった2ストロークエンジンを搭載。既に2ストの世界では北欧の飛行機屋のやっつけ仕事扇風機付ディーゼルエンジンですら農道では敵わない存在となっており、2スト自動車で農道でサンバーより速く走る車はない状況となっていた[5]。農道上では米国製マッスルカーや伊国製超音速カー、欧州製スーパーカーをもロックオン可能な様相を見せていたが、好事魔多し。2ストサンバーの農道での余りの速さにドリフト世界一選手権の親玉は驚き、日本の運輸省に圧力を掛け、レギュレーションで2ストエンジンの新車への搭載を全面禁止にしてしまう。車をつまらなくする元凶の始まりであった。
  • 1976年、2ストエンジンを奪われたサンバーは仕方なく360ccのまま水冷4ストロークSOHCエンジンへの換装を行う。2気筒であった為に振動対策としてとある技術の鉛筆会社リコール隠しをバラスぞと圧力を掛け協力を求め、2連装鉛筆の技術提供を受ける事となった。4ストへの転換、他社からの技術供与、共にカリフの教えを引っ繰り返すレベルの、スバル史上三位一体の否定にも等しい方針転換であり、実際にかつての撃墜済み車種に農道での優位を脅かされる程の出力ダウンを伴うものでもあったが、サンバー信者を始めとする軽自動車のスバリスト達はこの決定を割と柔軟に受け入れた。OHCは当時非常にモダンな技術であり、サンバー信者達はGTOで東関東自動車道で140キロ位でマジでR34GTRを抜いた男にも似た優越感に浸る事が出来たからである。一方、グルの教義を墨守し、割り箸で動くエンジンを搭載したジャッキーとマイケル・ホイが乗ったパートタイム4WD車営林署とかから位しか新規顧客が開拓できなかったそこそこの支持を取り付けていた普通車部門とその信者達は、こうした軽自動車部門の狂喜乱舞を「あな恐ろしや。釈迦に背きし提婆達多の如き愚者共也。」と冷ややかに見つめていた。
  • しかしいくらなんでも4スト360ccでは、やはり外車陣には全く勝負にならないと言う事で、サンバー開発陣は水冷4ストエンジンの排気量アップを実施する。76年5月に500ccに換装、『大戦隊サンバー5』を名乗るもテレビ朝日東映のお叱りを受けた為仕方なく、77年には550ccへ泥縄のような矢継ぎ早な進化をしたので、農道でポルシェを追い回すまでは行かないが、とりあえずは赤いお●ェラ豚を農道でズダーンと追い回せるようになった(フェラーリは悪路をまともに走れないから当然だが)。
  • 1980年にレオーネからパクったパートタイム4WDを追加したため、何とか農道でポルシェを追い回せるまでに進化した。この時も普通車部門とその信者達は、「水は高い所から低い所へ流れる物だ」と内心侮蔑の眼差しを向けていた。
  • この世代の戦闘力アップに注目したのが、後に赤いICBMの異名を取る事となる某運送会社であった。この運送会社はスバルの本社に検閲により削除もとい、協力を要請。スバル本社もサンバーの水冷4ストエンジンの耐久性を大幅に増大させる為の改良を行い、赤帽に提供した。これによりサンバーはその戦闘フィールドを農道から高速道路に広げていき、赤い特攻隊の搭乗員達も、輸出用部品を組み込んで排気量を違検閲により削除させる自助努力を怠らなかった事で、腕利きの搭乗員であれば国産のエマニエル夫人豊田四姉妹の長女四女程度なら鼻歌混じりに撃墜できる程の活躍を見せた。
  • そのため、イマイからスーパーカーシリーズの一種としてこの型の550ハイルーフが1/24スケールのプラモデルとして発売された。


4代目(1982年-1990年)

5代目(1990年-1998年)

6代目(1999年-2012年)

その後

  • 2012年3月16日グンマー県太田市・・・。かつてサンバーの生産拠点として活況を催していたスバル工場のとある製造ラインで、新たなクルマが産声を上げた。そう、そのクルマこそまさにル・マンからも逃げたチキン野朗との共同合作、スバル・BRZである。
  • 農道最速でありながら税金も安く、作物の積載能力にも秀でていたサンバーと違い、BRZは実用性ガン無視クーペである。・・・敢えて言おう、大人のおもちゃであると。したがって設計思想はまるで対照的である。何せエンジンのレイアウトまで真逆なんだからそう言われてもしゃあないわ。
  • こうしたサンバーの栄光を踏みにじるような非情かつ理不尽な製造ラインの配置も、BRZがF1からも逃げたチキン野朗との提携で設計されたクルマであることを考慮するとすべて説明できる。トヨタはサンバーを恐れているのだ。もはや農道では誰一人として―たとえそれが赤べこ軍団であったとしても―サンバーを止めることはできない。自動車業界において、最も恐るべきこの事実を封印するためにのみ、トヨタが造りだした最強の切り札こそが86・BRZ兄弟だったのだ。
  • 数年の歳月と莫大な資金を費やしたこの計画は成功裏に終わり、トヨタのもくろみ通りこれ以上新しいサンバーが製造されることは永久に無くなった。しかしそれはサンバーの歴史に終止符を打ったこととは断じてイコールではない。『伝説は、そこに農家が存在する限り走り続ける。あの乾いたエキゾースト・ノートを、田んぼに響かせながら…。』
  • 2013年4月、なんとアオシマから、ヘビーフレイト/ミドルフレイトシリーズの技術を流用した。6代目、2012年モデルの1/24のプラモデルが発売される事が決定した。まさに恐ろしい時代になったもんである。

天空に輝く六連星

脚注

  1. 実際、初代のエンジンは元々はバニーガールのエンジン製造ラインでスクーター用エンジンの部品を寄せ集めて作られた物だった。
  2. というのは表向きの理由で、 レース界のホーキング博士ドリフト世界一決定戦向けのマシンに冗談半分にこれを搭載したところ、ファステストラップを乱発して賭けレースが成立しなくなってしまい、ほどなく搭載を禁止された事が直接の原因と言われる。
  3. ベース車の360の方が車重が軽く、空力がよいのでそちらの方が速いと思うだろうが、そこは気にしない気にしない
  4. 当時のポルシェ博士の欠陥品ですらも2000cc、ジャイアント馬場並みのでかさアメリカ車に至っては、7000cc以上の排気量であった。
  5. ツインキャブ35馬力の安達祐実主演の映画の方が速いと思うだろうが、そこも気にしない気にしない
  6. 大和龍門はこの時期の普通車部門の迷走について、簡潔に「ホームラン級のバカ」とのみ記している。
  7. 後にこのチームはドリフト世界一決定戦史上最大の黒歴史及びドリフト世界一決定戦史上最悪の一戦へと繋がっていく。
  8. 大東亜戦争で例えるなら、補給が途絶えて全滅寸前の海軍陸戦隊が陸軍暁部隊のまるゆの補給に救われた挙げ句、大本営発表でパレンバンデー並みのドヤ顔放送をされたようなもんである。
  9. おにぎり基地外のレース活動のせいで、爆発すると音速を超えられるものおにぎり三連装車の現存が異常に少ないのと同じ理屈である。
  10. 鉛筆がクランクの2倍の速度で回る構造上、ピストンやシリンダーより先に、オイルポンプやウォーターポンプのハウジングに悪魔の爪痕が付いて逝かれる物が多かったそうで…。
  11. 単に鉛筆会社経由の技術のダメダメさに嫌気が差した為とも、レアンドロ・ドミンゲスBOOWYの名曲で既に実績のあったEF型3気筒の格下げに普通車部門が頑として首を縦に振らなかった為とも言われる。
  12. EN型のお披露目の際、軽自動車部門内では万歳三唱の蔭で「賽は投げられた!匙も投げられた!!」という呟きが飛び交ったとか…。
  13. スバルらしさを全開にした故に無かった事にされている可哀想な車も若干存在するが。
  14. 尊師様の教義を強く受けた正大師、正悟師格の古参技術者や関連子会社を軒並みお察し下さいという大ナタを振るった。
  15. トヨタが58年ぶりの赤字に転落したのは、不況よりこの一連の事件の損害が大きかったからだと言われている。また、参加者の中には派遣切りに遭い、この騒ぎに乗じてトヨタに対して復讐をしたという元トヨタの派遣社員もいた。
  16. この当時、サンバーバンにグレードとしての「ディアス」が復活した為、店頭では顧客にバンディアスを奨めてディアスDQNを露骨にdisっていたディーラーマンも多かったという。
  17. 10万キロを超えても容易にヘコたれない鋳鉄製エンジンブロック、ロングストロークでシフトフィールには欠けるがやはりシンクロが頑丈なMTなど。
  18. つか、修の隠し子とか、大村昆Mk-IIとか、農道の縦グロとか他に入れるもん山ほどあるだろ。
  19. あれ?六連星なのになんで七つあるんだ?と思うだろうが、聖闘士星矢のプレイアデス姉妹は元々七人だし、プレアデス星団自体も姉妹の両親であるアトラスプレイオネも含めて10個以上は軽くあるので、そんなの気にしたら負けだ。

関連項目

Bouncywikilogo.gif ウィキペディアにも、この項目「スバル・サンバー」が執筆されています。ぜひこちらも読んでみてください。