キンタロー。

提供: Yourpedia
2013年8月29日 (木) 21:53時点におけるFromm (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「キンタロー。 キンタロー。 '''キンタロー。'''(1981年[[10月24...」)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索
キンタロー。
キンタロー。

キンタロー。1981年10月24日 - )は、日本の女性お笑いタレントものまねタレント。本名、田中 志保(たなか しほ)。

愛知県岡崎市出身。松竹芸能株式会社所属。

キャッチフレーズは「良い子、強い子、可愛い子」。

来歴

愛知県岡崎市の家庭に長女として生まれる。5歳年下の妹がいる。子供の頃からお笑い好きで、タレントではコロッケなどが好きだった。当時から、モノマネの芸などを母親ら相手に披露していたことがあった。ただ、中学生時代はそのお笑いの度が過ぎたのか、仲良し達に嫌がられることもあったという。

岡崎市立三島小学校岡崎市立竜海中学校卒業。人間環境大学岡崎学園高等学校卒業後、関西外国語大学短期大学部卒業。高校1年生の夏休みのときにカナダホームステイに行った他、高校生時代までに何度か外国へ短期留学の経験がある。「スピーディでキレのあるダンスに一目惚れして」、大学生時代から競技ダンス部で活動し、学生当時に同学年の男子と組んで出場した。その大学在学中に吉本興業新喜劇「金の卵」オーディションに合格したが、当時競技ダンス部内で好きだった人に「お笑いかダンス、どっちかにしろ!」と言われ、ダンスの活動に専念するとしてその合格を辞退した。そのダンス部での活動経験を生かし、かつては名古屋市瑞穂区のダンススタジオで社交ダンスの講師をしていたが、2007年2月に母親が急死。さらにその頃、大きくなった頭が原因とされるヘルニアを首に抱え、ダンスを断念。その後は不動産会社に事務員として勤務していた。

その後、結婚式の余興の場で大学の先輩から一喝されたり、「もうお笑い界に入ってると思ってた」などと言われたのをきっかけに、29歳にして「天国にいるお母さんのために、頑張っている姿を見せたい。そうすることで、お母さんも笑ってくれるし、家族も元気になるに違いない」「やっぱりお笑いの世界へ進もう」と思うようになる。

2010年4月にはZIP-FMナビゲーター&ナレータースクールに第1期生として在籍。トークの基礎を学び、同年9月には、愛知県丹羽郡大口町で行われた「第9回やろまい大祭」のイベント「第1回ビッグマウスコンテスト大口町の中心で大口を叩く!」で、「世界中の人を笑顔にしたい!」と叫んで優勝。

その後宣言どおり芸人を目指す為、会社を辞め上京。「ネットで検索したら画面の一番上に出たので決めた」という松竹芸能タレントスクールに20期生として2011年4月に入り、お笑いタレントに転身。タレントスクールでは、オーディションで授業料免除を勝ち取り、在籍していた。かつては東塚菜実子とのコンビ「シンプルズ」で活動していたこともあった。

芸名はお笑い芸人になると決めてから名古屋西区を歩いているとキンタローという看板が目に入ったためであったが、TKOの木本がキンタロー。の思いをまとめたところ的を射ていると思い、「男の子のように強くたくましくなるように」「男ばかりのお笑い界の中で、負けないように」ということにしている。なお、句点(。)はネットで画数診断を調べた上で付け足したという。

人物

ネタは一人コントの他、モノマネを演じることも多い。自分で自分を「負けず嫌いの努力家」と評している。

顔が大きいことから、小学6年生当時は“しょくぱんまん”と呼ばれていたことがあった。ただし、小学1年生当時は顔はあまり大きくなく、“愛知の安達祐実”と呼ばれていたことがあったという。

2012年4月放送の日本テレビものまねグランプリ 最強のコラボレーション&本人が選んだテッパンネタ祭り!!』では、大久保佳代子の顔マネをした梅小鉢の小森麻由と組んで、オアシズのモノマネをしていた。デビューした当時は光浦のモノマネを中心にやっていたが、上京前の時にアルバイト先の喫茶店で客から似ていることを指摘されて前田敦子のモノマネも始めたという。デビュー前、結婚式などの余興をしていた当時はドナルドダック石黒賢の物真似もしていたことがあった。

衣装はキンタロー。自身の手作りである。前田の雰囲気により近付けるため、頭にかつらをつけ、目にはカラーコンタクトレンズを入れている。

2012年11月11日にファイナルステージが行われた、東京新宿のモノマネショーパブ「そっくり館キサラ」主催の「ものまね王に俺はなる!」にて初代グランプリ受賞。

2012年12月26日放送の日本テレビ『有吉反省会』において、前田敦子に扮して出演していたが、出演者の指示で、他の芸人と一緒にカメラに向かってお尻を突き出し、その後「お尻を出しても、嫌いにならないでください!」と叫んだため、AKB48のファンによってブログ炎上。さらに、翌日27日放送のフジテレビとんねるずのみなさんのおかげでした』の「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」において初出場で優勝したが、再びブログが荒らされた。この二番組をきっかけに、翌2013年ブレイクした。

前田敦子のモノマネについては、2012年12月26日放送のバラエティ番組『有吉反省会』の中で、「面白いので続けて下さい」(有吉弘行)、「あまり見ないようにして声だけ聞いてると、本当にあっちゃんと喋っているんじゃないかなってドキドキもあって‥いいんじゃない?」(山里亮太)などと評価されている。また、2012年12月27日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』収録後、石橋貴明からは「君は絶対に売れる」と絶賛を受けた。

しかしこのモノマネはネット上のAKB48ファンからは賛否両論であり、「(前田敦子の)ファンだけど頑張って下さい。逆に嬉しいです。」との声が寄せられる一方で、モノマネに否定的な人間から「謝れ」「バカにしすぎだろ」と批判を受ける。これに対し本人は、前田敦子のことは尊敬しており、バカにしているものではないとブログ上で説明した。

そして2013年1月22日、TBSの『火曜曲!』スペシャルでAKB48本人と初共演。持ちネタのフライングゲットを本人とともに披露した。

1月26日、東京ドームシティホールで行われた『AKB48 リクエストアワー セットリストベスト100』の3日目でMC途中に峯岸みなみの顔芸でおなじみの八幡カオルとともに登場し、大島優子らAKB48本人から公認を得た。その前田も、2013年3月16日から放送されているソフトバンクモバイルCMで逆モノマネを行い、2013年3月24日にこれについて初コメントし、物真似されていることに「すごく嬉しい。ダンスも私よりうまい」と話し、これにキンタロー。も自分のツイッターで「嬉し過ぎます」と話した。

2013年2月、それまでの11大会で過去最多の3684名が参加したR-1ぐらんぷり2013年大会において、芸歴1年目ながらファイナリスト12名に勝ち残り、生放送で行われた決勝大会に出場を果たした。

一部雑誌で記述された「愛知県岡崎市の"裕福"な家庭に長女として生まれる」との一文について「裕福ではない。勝手に書かれた。指摘するつもりだったが、事務所からR-1が終わるまで止められていた」と明かしている。

父親には自分の芸能活動を内緒にしていたが、ある日、その芸能活動のことについて打ち明けるために愛知県の実家に帰省したところ、父親はすでに誰かからそのことを聞いていて知っており「テレビで娘を視るのが楽しみになった」「心配はいらないから頑張れ」と言われたという。キンタロー。自身はこれについて「父親からも“公認”フライングゲット」としている。

2013年7月12日には神宮球場で行われたヤクルト広島戦の始球式を務め、「トルネード投法をした」と話していたが、そのフォームは野茂英雄が好きで、よく真似していたことから出来たという。

前述で、子供の頃から好きだったというコロッケとの共演も果たしているが、その時コロッケに「久しぶりにふざけた子が出てきた」と言われて嬉しかったという。

レパートリー

出演

テレビ番組

レギュラー
準レギュラー

ラジオ放送

ミュージック・ビデオ

アニメ

イベント

雑誌

関連項目

外部リンク

テンプレート:R-1ぐらんぷり2013