新しい歴史教科書をつくる会
テンプレート:Infobox 組織 新しい歴史教科書をつくる会(あたらしいれきしきょうかしょをつくるかい)とは、1996年に結成された日本の社会運動団体である。従来の歴史教科書が「自虐史観」の影響を強く受けているとして、従来の「大東亜戦争肯定史観」にも「東京裁判史観」ないし「コミンテルン史観」にも与しない立場から新たな歴史教科書をつくろうという運動を進める団体である。政界や地方議会の一部勢力からも支持・賛同され2度にわたり中学生対象の教科書を出版し、採択しようとする運動を進めていた。その一方で一部の歴史家や市民団体からは「歴史修正主義」的であるとの批判や、特定アジア(中国・韓国・北朝鮮)の政府や民間人からは反動分子もしくはそれに近いとみなされることがある[1]。またヨーロッパ・アメリカの学者からも批判を受けたことがある[2]。
目次
つくる会の概要
従来の教科書に対する批判
湾岸戦争以前までは日本共産党員であった藤岡信勝(現つくる会会長)は、冷戦終結後の新しい日本近代史観確立の必要性を感じ、保守論客に転進すると共に、旧来の左右双方のどちらにも組しない独自の自由主義史観の構築を提唱した。藤岡らの提唱は大きな反響を呼ぶことなり、。1996年12月に西尾幹二ら有志と「新しい歴史教科書をつくる会」(略称:つくる会)を結成。同会の『教科書が教えない歴史』は全4巻で120万部を超えるベストセラーとなった。
つくる会は、既存の歴史教科書(特に中学校社会科の歴史的分野の教科用図書)は、必要以上に日本をおとしめる自虐史観に毒されていると批判し、それに代わる「“東京裁判史観”や“社会主義幻想史観”を克服するとし、その双方の呪縛から解放されたという自由主義史観に基づく、子供たちが日本人としての自信と責任を持つことのできるような教科書」の作成と普及を目的として結成され運営されている。
つくる会の教科書は中学歴史用の歴史分野と公民分野のものが2001年版と2005年版が出版(いずれも扶桑社刊)されたほか、2009年版は自由社から出版される予定である。本部のほか全国17箇所に地方支部が設置[3]されている。新しい歴史教科書をつくる会の執筆した『新しい歴史教科書』は、2001年に初版が出された。文部科学省によって137か所の検定意見が付けられたが、同時に執筆した『新しい公民教科書』とともに、ほかの出版社の歴史教科書と同様に教科用図書検定に合格している。
つくる会の組織概要と支持者
つくる会は、日本全国から集まる会費と関連本の印税収入を財源として活動している。2007年5月には、7代目会長につくる会が発足するきっかけを作った藤岡信勝が就任した[4]。つくる会の地域支部のほか、地元財界や旧軍関係者による採択支援運動が行われている。その一方、現場の教員から、歴史教科書としての魅力に欠けるとの指摘もあった[5]。栃木県下都賀地区の場合、採択の動きが表面化すると、「つくる会」を支持する政治家や教育行政担当者と「つくる会」の歴史認識に反発する歴史学者および現場教員と保護者の一部が採択をめぐり激しく対立したとの報道[6]もあった。2001年8月16日時点で日本国内の採択区542地域のうち、つくる会の教科書を採択した国立及び公立中学校は皆無で、後述のように東京都および愛媛県の養護学校と病院内設置分教室と私立学校で採択されたのみであった[7]。
教科書採択の権限は任命制教育委員会にゆだねられ、現場の教師と保護者の意向を無視できるとの問題を指摘するものもいた[8]。2007年までには、東京都杉並区など公立学校でも採択されるなど徐々に増えていった。しかし2007年5月につくる会の教科書を出版してきた扶桑社から関係の解消を通告された。つくる会は「なぜ、『新しい歴史教科書』を絶版にし、別のグループに書かせるのか」と尋ねたところ、扶桑社は「現行の『新しい歴史教科書』に対する各地の教育委員会の評価は低く、内容が右寄り過ぎて採択がとれない」と回答している[9]。
平沼赳夫や萩生田光一といった会の主張と同じくする保守政治家から強く支持されている[10]ほか、保守団体とされる日本会議も支援している。また、藤岡信勝によれば、つくる会の事務所に電話をかけ「よくぞ立ち上がってくれた。これで安心してあの世に逝ける」と電話口で泣き崩れるお年寄りもいたという[11]。
保守の政治家のほか、ブログや掲示板等のネットにおいても支持している者の姿がよく見られる。山野車輪著の『マンガ 嫌韓流』は、その思想的背景にはつくる会の影響が強いと指摘されており[12]、『マンガ嫌韓流 公式ガイドブック反日妄言撃退マニュアル』を執筆した桜井誠は、つくる会のメンバーが関与している南京大虐殺否定論に立脚した映画「南京の真実」[13]の賛同者でもある。彼はネットから有名になっていった一人である[14] 。なお、桜井は自身のブログで『支那や朝鮮の価値観は決して相容れるものではないことを私たちは認識しなければなりません』[15]と主張しているほか、ウィキペディアにおける本人の記述に対し『誤解のないように一点だけ注意しておくなら、同項目の「その他活動や言動」には>まるで朝鮮人・中国人が本質的に非倫理的な文化を持っていると主張するかのような発言を行った。と書かれていますが、私は「主張するかのような発言を行った」のではなく「主張している」のです』としており、一方でウィキペディア投稿者に対し「左翼思想で頭がおかしくなっている輩には「支那人や朝鮮人は天使のような存在」に映っているのかもしれません」 [16]と主張している。
賛同者の一部には東亜細亜問題研究会といった活動や、在日特権を許さない市民の会や、西村修平率いる「河野談話の白紙撤回を求める市民の会」などの政治活動にも参加している者もいる。さらにつくる会東京支部のホームページに、直後に公職選挙法違反(選挙期間中にインターネットを利用した選挙活動を行うことが出来ないとの法務省見解)との指摘を受け削除されたが、つくる会の運動に共鳴している保守論客の東條由布子が第21回参議院議員通常選挙の東京選挙区に出馬(落選)した際に同候補を応援する主張をしていた。またつくる会として、アメリカ合衆国下院が日本政府に対し従軍慰安婦問題への謝罪を迫ったアメリカ合衆国下院121号決議に対して、彼らと一緒に強い反発を表明[17]しているほか、沖縄県で保革関係なく要求された沖縄地上戦に関する歴史教科書問題についても批判的な立場[18]を取っているが、そのなかで「沖縄戦の犠牲に対する感謝と共感の念をはぐくむよう記述すること」という教科書改善の会(つくる会の運動から離れた有志による同様の社会運動団体)の要望を、日本の歴史教科書を「自虐的」たらしめた「近隣諸国条項」と同様に「沖縄条項」を取り入れるものであるとして批判している。そのため「つくる会」の自由主義史観による批判の対象はいうまでもないといえる。
つくる会の主な主張
新しい歴史教科書をつくる会は、中学校社会科の歴史的分野における教科書そのものや、つくる会が執筆した『新しい歴史教科書』を取り巻く環境について主に次のような主張をしている(この主張に対する反対意見・賛成意見などについては、後述の不採択活動、世間の評価を参照のこと)。
まず1997年に発表されたつくる会の趣意書では、次のように主張していた[19]
- 日本の戦後の歴史教育は、日本人が受けつぐべき文化と伝統を忘れ、日本人の誇りを失わせるものであった。特に近現代史では、日本人は子々孫々まで謝罪し続けることを運命づけられた罪人の如くにあつかわれている。
- 冷戦終結後は自虐的傾向が強まり、現行の歴史教科書は従軍慰安婦のような旧敵国のプロパガンダを事実として記述している。
- つくる会は、世界史的視野の中で、日本国と日本人の自画像を、品格とバランスをもって活写することで、祖先の活躍に心踊らせ、失敗の歴史にも目を向け、その苦楽を追体験できる、日本人の物語を語りあえる教科書をつくる。
- そのことが、子供たちが、日本人としての自信と責任を持ち、世界の平和と繁栄に献身できるようになる。
2005年5月10日に、つくる会が外国特派員協会で開催された記者会見において『新しい歴史教科書』の近現代史の英訳版を配布するとともに、欧米のプレスとの質疑応答で次のように主張した[20]:
- 『従軍慰安婦や強制連行、南京事件を削除し、創氏改名を正当化することが正しい教科書なのか』の質問に対しては、『1996年以前の韓国の教科書にも従軍慰安婦は記述されていなかった。また2005年4月12日付の朝日新聞の記事によると、全社の教科書が従軍慰安婦を削除している。それは証拠によってサポートされていない』と回答した。ただし他の問については回答を避けた。
- 扶桑社の教科書が学校で使われないのは、日本にある2大教職員組合がマルクス・レーニン主義を信奉しているため、国民との意識に大きなギャップがあるにもかかわらず、(教科書)採択に大きな影響力を持っているためである[21]。
- 『日本軍の虐殺や強制連行や南京事件を書いていない。日本は戦前に戻るのではないかと心配になる』との指摘に対しては『町村外務大臣(当時)も検定を合格した教科書の中で、戦争を美化している教科書はないと言っている』として、『歴史の事実が明らかになればそのような誤解もとける』と主張していた。
つくる会の教科書や他社発行の歴史教科書に対する主張から以下のような事柄を主張している。
- 近代日本を悪逆非道に描き出す「自虐史観」を克服し、次世代の子供たちに誇りある日本の歴史の真の姿を伝えるべきである。この教科書は「階級闘争史観」や「自虐史観」の拘束から自由になり、世界史的視野のなかで日本国と日本人の自画像を品格とバランスをもって論述している。そのため面白く、通読に耐える唯一の歴史教科書である[22]。
- 「南京大虐殺30万人」と誇大記述されている中学校社会科の歴史教科書があるが、いまだにはっきりとした人数はおろか、存否も分かっておらず、論争中の問題である。義務教育が行われる学校で使用する教科書には、旧敵国のプロパガンダと疑われる事件は記述すべき内容でない。
- 「従軍慰安婦」という用語は、第二次世界大戦前には使われていない。慰安婦とするために日本の国家政策として強制連行をしたと証明できる公文書は発見されていない。「強制連行」という言葉も自虐主義者による創作語にすぎない。また戦争中、慰安婦は、世界中の軍隊に存在したもので、ことさら日本を訴え続ける外国訴訟団ばかりを取り上げる教科書には偏りがある。
- 中国大陸・朝鮮半島などの被支配者が善、日本のような支配者が悪、ほかにも一揆・反乱・打ちこわしなどの指導者が善で、朝廷・幕府・行政・国家などが悪のように描かれている傾向が強い。これらはまさに左翼が主張する「階級闘争史観」を引きずっている。そのため帝国主義時代の歴史がそのように単純な善悪二元論で説明できるのか疑問である。
- 広島市に原子爆弾を落とされたのは「軍都」であったから仕方ないとして、「そのような過ちをくり返さないことが大切」などとアメリカなど連合国の責任は追及せず原因のすべてが日本にあるように記述[23]されている教科書には問題がある。人類史上最悪の大虐殺の1つである。
- 伊藤博文は、日本の近代化を進めた初代内閣総理大臣というよりも朝鮮半島侵略の張本人であると強調され、暗殺されても仕方がないというようにテロリスト安重根を英雄視する大韓民国に迎合し、朝鮮半島や中国大陸の観点から描かれている日本の功労者が多いのは懸念されるべきことである。
- 扶桑社教科書を批判する自虐史観主義者の組織的妨害は非常に残念[24]。である。彼らの行っている批判は、歴史の真実とは無関係でもあり、韓国や中国の教科書にこそ該当するもので、お門違いの批判でもある。
- 教科用図書検定基準(文部科学省告示)にある近隣諸国条項を誤解することなく、日本のマスメディアや行政は、中華人民共和国や大韓民国にもっと強い態度で歴史の真実に臨むべきである。
- 東京裁判を是とする自虐史観主義から脱却し、誇るべき伝統と文化を継承してきた日本の歴史を正負両面から事実を綴った歴史教科書を作るべきである。
つくる会の活動概要
役員
2007年9月9日の第10回定期総会で承認された現在の役員は以下の通り[25]。
- 会長
- 副会長
- 理事
- 監事
- 顧問
- 事務局長
なお、離合集散を繰り返すなど役員の入れ替わりが頻繁であるため、後節も参照のこと。
つくる会運動の離合集散
つくる会は幾度と無く路線対立等が原因で内紛を繰り返して来た。
1998年2月、理事会は「事務局員との確執」を理由に初代事務局長の草野隆光を解任する。後釜として大月隆寛が2代目の事務局長になったが、その大月も自律神経失調症から病み上がったばかりの1999年9月15日に、当時の西尾幹二会長から手紙で解任を勧告される。
1999年7月29日、理事会は当時の藤岡信勝副会長と濤川栄太副会長を解任する。藤岡は理事に留まったが、濤川は理事も退任。背景には藤岡と濤川の権力争いや、濤川の女性問題があった。
2002年2月、小林よしのりと西部邁が退会。反米保守であった小林、西部と、親米保守であった他の理事達の対立が原因。
2006年1月16日、西尾幹二が名誉会長を辞任して退会し、更に遠藤浩一、工藤美代子、福田逸が副会長を辞任する。西尾等が以前から敵視していた宮崎正治事務局長を解任しようとしたが、八木等の日本会議系のグループから抵抗を受けて辞任に追い込まれたと言われる。ところが同年3月1日に藤岡は会長補佐に就任して復権し、同年2月27日に理事会は八木秀次会長、藤岡信勝副会長、宮崎正治事務局長を解任させ、宮崎は退職に追い込まれた。八木等を解任した表向きの理由は、2005年12月に理事会の許可を取らず中国へ赴き、現地の知識人と論争していた事とされる。しかし、当の解任された八木は藤岡に追放されたと主張している。この泥沼の内部抗争の原因は、肝心の公民、歴史教科書の採択率が軒並み1パーセントにも満たない事だと言われている。
後任の会長は種子島経になったが、地方支部と支援団体から反対意見が相次いだ為、2006年3月28日の理事会で八木秀次を副会長に選任して内紛の収拾が図られた。八木は同年7月に予定されている総会までに会長に復帰すると見られていたが、6月に別団体を設立し完全離脱。更にはやはり会員であったが離脱した屋山太郎も八木に同調して「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(教科書改善の会)を設立。12月には、八木の命令で藤岡を誹謗中傷する怪文書を作ったと藤岡からブログ名指し批判された産経新聞記者が名誉毀損で藤岡を刑事告訴。これには地方支部から2007年4月に“分派行動であり相容れない”として、会長・小林の引責辞任を求める文書が提出され、これを受けて本部は小林を5月末で解任。関係解消を申し入れられた為、扶桑社とも手を切った。扶桑社は「教科書改善の会」と共に次回検定に向けて教科書編纂を行なうという。
一方、産経新聞が八木秀次の副会長選任に関する報道で「理事会では西尾幹二の影響力を排除する事を確認した」「宮崎正治の事務局復帰も検討されている」と言う記事を掲載した事に対し、つくる会と西尾幹二が抗議する。また、名誉会長を辞した西尾は自身のブログに於いて「脅迫を目的とした匿名メールが出回っている」と述べた上で、公安のイヌに成り下がった八木の犯行だと主張している。2007年7月、藤岡は八木を名誉毀損で提訴。さらに9月には八木及び産経新聞の記者らを業務妨害で刑事告訴した。
また、2005年4月、教科書検定受検前のサンプル版(白表紙本)が出版元の扶桑社から規則に違反して、一般に頒布・閲覧の用に供されていた事が発覚し、同社は文部科学省の指導を受けた。このサンプル版序文において「歴史は科学ではない」と言明し歴史は物語であるとしている点が、歴史学のディシプリンを根底から否定するものとして問題視され、多くの歴史家から反発を招いた。これには執筆者に歴史学者を擁していないことの影響も指摘されている。採択反対派は、この事実に加えて、つくる会の教科書と比較して他社の教科書を貶めるような宣伝(他社教科書の内容を中傷する小冊子を制作配布)をしているとし、採用を後押ししている産経新聞も含めた三者を公正取引委員会に独占禁止法違反で申告した。
これまで、つくる会の教科書は扶桑社から出されていたが、2007年2月26日に扶桑社はつくる会に対し「現行の『新しい歴史教科書』に対する各地の教育委員会の評価は低く、内容が右寄り過ぎて採択がとれない」である[26]として、採択率を上げるためのテコ入れ案として、路線対立から「つくる会」から脱退した「教科書改善の会」との協力ないし、一部執筆者の変更や扶桑社から教科書出版部門の別会社への転籍を提案したが、しかしつくる会が容認しなかったため、2007年5月に扶桑社から関係解消を通告された[27]。
つくる会は、扶桑社に代わる新たに教科書出版を引き受ける出版社を公募したうえで[28]、今後は東京都の自由社から出版される事が決定した。ただし自由社の石原萠記社長は著名な社会民主主義者でもあり、その思想傾向がつくる会の主張と合わないのではないかとの指摘もある(詳細についてはリンク先参照のこと)。しかしながら、西尾幹二は自身のホームページ[29]のなかで石原の『戦後日本知識人の発言軌跡』を引用した上で、「自由社の『自由』は『諸君!』『正論』の母胎なのです」と、あくまで保守系であると主張している。
またつくる会によれば扶桑社から版権の移動について相談するとしていたが[30]、扶桑社は採択した中学校のために2010年度まで使用されている『新しい歴史教科書』については、継続して扶桑社版が供給することになった。また扶桑社の教科書事業子会社としてフジテレビが3億円を出資して「育鵬社」を設立(社長は扶桑社の片桐松樹社長が兼任)し、そこから教科書改善の会が編纂する教科書を発行することになった[31]。
この扶桑社の態度に対し作る会は、弁護士を通じて2007年6月13日付けで、著作権は執筆者にあり扶桑社にはない、現行版の配給修了をもって著作権使用許諾を打ち切ることを通告する文書を発信した[32]また、かつての同志であった屋山太郎が代表世話人をつとめ、多くの会員と支持者を引き抜いていった「教科書改善の会」を「特定出版社の応援団として知識人たちの運動団体」であり「つくる会がその教科書を失って消滅することを大前提にしてつくられるもの」として強く非難[33]した。そのため、従来つくる会の運動を支援してきたフジサンケイグループに対し事実上の絶縁状をたたきつけることとなった。
つくる会の沿革
- 1996年8月 西尾幹二と藤岡信勝が出会い各界有志に呼びかけ、つくる会創立の下準備をする。
- 1996年10月 現行の歴史教科書を辛らつに批判した西尾、藤岡共著『国民の油断』が刊行。
- 1996年12月2日 創立記者会見。
- 1997年1月30日 創立総会を開き、初代会長・西尾幹二、副会長・藤岡信勝とする。
- 1997年1月30日 西尾他6人が小杉隆文部大臣に教科書から従軍慰安婦記述の項目の削除を申し入れる。
- 1997年1月31日 つくる会は賛同者として王貞治・ダイエーホークス監督の名前を発表する。西尾もテレビで王貞治がつくる会の賛同者であると発言した。(王本人はこの事を否定)
- 1997年2月 会長・西尾他、テレビ朝日「朝まで生テレビ!―従軍慰安婦問題と歴史教育」に出演し、問題提起する。
- 1997年3月 第1回シンポ「『自虐史観』を超えて」開催。
- 1997年5月 会報『史』創刊。
- 1997年12月 会員数が6000人を突破する。
- 1999年1月 神奈川支部設立。
- 1999年5月 教科書採択戦略会議を設立し、議長に理事・高橋史朗を置く。
- 1999年7月 つくる会副会長に高橋を選出。
- 1999年10月 47都道府県に48支部を設立する。(2004年8月現在は51支部にまで拡張)
- 1999年10月 西尾幹二著、つくる会編の『国民の歴史』出版。(2002年12月現在の発行部数72万部)
- 2000年4月 扶桑社、『新しい歴史教科書』、『新しい公民教科書』を文部省に検定申請し、それぞれ137箇所、99箇所に検定意見が付く。
- 2000年6月 宮城県議会で教科書制度の改善を求める請願を初採択。以降33道県議会で採択
- 2000年10月 検定審議官による『新しい歴史教科書』への検定不合格への働きかけが明らかになる。
- 2001年4月 扶桑社版『新しい歴史教科書』、『新しい公民教科書』が検定意見箇所を修正し、検定に合格。
- 2001年5月 『新しい歴史教科書』の検定合格に対し韓国や中国は激しく抗議し、再修正を日本側に要求。
- 2001年5月8日 韓国政府は、検定済みの中学校歴史教科書8種類すべてに対し、日本政府に修正を強く要求。
- 2001年6月 市販本『新しい歴史教科書』、『新しい公民教科書』発刊。(あわせて76万部のベストセラー)
- 2001年7月 一旦採択が決定していた栃木県下都賀地区の教育委員会の委員に脅迫が行われるなどの事件が起きる。
- 2001年8月7日 新左翼・革労協木元派革命軍が、つくる会事務所に放火し、犯行声明を出した。
- 2001年8月15日 中学校教科書の採択結果発表。歴史の採択率は0.039%、公民は0.055%。
- 2001年9月 つくる会新会長に理事・田中英道、新副会長に高橋、種子島経、藤岡の各理事。
- 2001年9月 西尾は名誉会長に就任し、理事に八木秀次が就任する。
- 2002年7月 第5回定期総会を開催。遠藤浩一、九里幾久雄、中西輝政、新田均の4人が理事に就任。
- 2002年7月 愛媛県教育委員会の“適正かつ公正な教科書採択を求める”署名運動。愛媛県で16万人、県外から25万人、計41万人の署名を愛媛県教育委員会へ提出。
- 2002年8月15日 2003年春開校の愛媛県立中高一貫教育校3校で『新しい歴史教科書』を採択。
- 2002年9月 第21回シンポ『日韓歴史認識の共有は可能か』開催。
- 2002年12月 公安調査庁は2001年版「内外情勢の回顧と展望」において、「つくる会」教科書の採択反対運動への過激派の関与を指摘。「内外の労組、市民団体や、在日韓国人団体などと共闘し、全国各地で教育委員会や地方議会に対して、不採択とするよう要求する陳情・要請活動を展開した」と記述。また、不採択運動に対する抗議に右翼団体の関与も指摘した。
- 2004年8月26日 2005年4月開校の都立中高一貫教育校で『新しい歴史教科書』を採択。
- 2004年11月10日 高橋、埼玉県教育委員への指名を受け退会。(“埼玉県での採択率を上げるための偽装退会だ”として就任反対運動が起き、また、高橋は教科書の監修に関与していながら教育委員に就任した事も発覚する。地方教育行政法違反の疑いとの指摘もある)
- 2005年4月 扶桑社、検定規則(省令)に違反し、検定通過前の白表紙本を教職員に配布していた事が発覚。管理の徹底と回収を三度に渡って文科省から指導されていた事も明らかになる[34]。
- 2005年4月21日 ホームページの「賛同者」リストを、ページを残して削除。(財界中心に撤回者が相次いだ為と見られる)
- 2005年8月1日 2005年版の市販本『新しい歴史教科書』、『新しい公民教科書』発刊。
- 2005年8月4日 東京都杉並区にて『新しい歴史教科書』採択の可能性が出てきたことに対し、この日の教育委員会審議に合わせて反対派団体による抗議行動が行われた。更にはこの団体に対して抗議する集団も1500人ほど集結した。この際、抗議行動をビデオ撮影していた男性に暴行を加えたとの容疑で、抗議行動に参加しようとしていた男性1名が逮捕された。警察はこの人物を中核派活動家であると発表した。この出来事については、その2日後に裁判所が勾留を認めず釈放され、後に不起訴処分になっている要出典。
- 2005年8月8日 つくる会、杉並区教育委員の一人を批判する内容の「公開質問状」を他の各委員・教委事務局・報道各社宛て送付、また送達前に内容を公表。
- 2005年8月12日 杉並区教育委員会、『新しい歴史教科書』を採択。区立中学校23校で2006年度から4年間使用されることとなった。著者である藤岡が採択審査を傍聴した事が反対派から問題視される。
- 2005年12月 警察庁は2005年の「治安の回顧と展望」において中核派について「『つくる会の教科書採択に反対する杉並親の会』と共闘して、市民運動を装いながら、杉並区役所の包囲行動、同区教育委員会への抗議・申し入れ、傍聴等に取り組んだ」と記述。また、公安調査庁の「内外情勢の回顧と展望」では「教労(教育労働者)決戦の一環として、教職員組合や市民団体に対し、同派系大衆団体を前面に立てて共同行動を呼びかけた」としており、つくる会への反対運動における中核派の関与を指摘した。ただし、2001年度版にあった右翼系団体に関する記述は削除されている。
- 2005年12月5日 「地域の伝統行事」の一例としてアイヌの写真を無断で掲載しアイヌ民族関連団体から抗議され、扶桑社は、市販本『新しい公民教科書』の市場出回り分残部(約一万冊)の回収を決定。
- 2006年1月17日、西尾幹二名誉会長辞任。院政も噂されたが(産経新聞)、本人がきっぱり否定。自身のインターネットサイト上で会とは無関係と宣言する。代りに八木秀次が会長に就任。
- 2006年2月27日、無断での中国旅行などを咎められ、八木秀次が会長職を辞任。種子島経が、会長職就任。
- 2006年3月28日 八木理事が副会長に就任。7月での評議会で会長就任説流れる。(産経新聞要出典)
- 2006年4月30日 種子島経会長、八木秀次副会長、揃って辞任。「つくる会」も離れることを発表。同時に、新田均事、内田智理事、勝岡寛次理事、松浦光修理事辞任。会を離れる。
- 同日、高池勝彦が会長職に就任。藤岡信勝、福地惇が副会長に就任。小川義男、小川正、石井昌弘、上杉千年、濱野晃吉が理事に就任。
- 2006年5月22日 中西輝政理事が辞任。評議会で承認される。
- 2006年5月26日 梅沢昇平が理事に就任。
- 2006年6月12日 工藤美代子、田久保忠衛両理事が辞任。代りに杉原誠四郎理事が就任。
- 2006年6月30日 八木、つくる会と袂を分かつ形で「日本教育再生機構」を設立。
- 2007年4月27日 つくる会東京都支部が茨城・東京三多摩の支部と連名で、“本部の混乱”(八木の「再生機構」設立を含むと思われる)について意見・提案書を公表、本部宛て提出。
- 2007年5月31日 つくる会、扶桑社から関係解消を通告される。「機構」に参加した小林正を解任。後任は副会長だった藤岡。扶桑社は今後はつくる会と袂を分けた元同志が結集した「再生機構」と提携することになった。そのためつくる会は事実上分裂。なお扶桑社は教科書出版子会社として「育鵬社」を設立。
- 2007年6月13日 つくる会の理事会は、版元となる出版社の選定を行う事を決定し、「歴史」は藤岡信勝、「公民」は小山常実が担当することが承認された[35]。また理事会では、渡辺眞が理事に選出され、小田村四郎顧問の辞任が承認された。
- 2007年9月9日 つくる会の第10回定期総会において、新たな教科書の版元として『伝統ある保守系の出版社』の「自由社」(石原萠記社長)と提携することが承認された[36]。
つくる会の教科書採択運動をめぐる動き
つくる会の採択に反対する勢力は、つくる会側が「反日的」「左翼的」と批判する陣営であるとされており、「歴史修正主義の教科書だ」、「戦前の軍国日本の肯定」などとして現場の教員、PTA、教育委員、歴史学者、市民団体、左翼団体などがおり、採択の可能性のある学校の周囲にて反対のビラを撒いたり、採択会場に乱入したり、「採択すると市民を殺す」等の脅迫電話を役所にかけたり[37]、時には暴力的行為[38]等を行っている。つくる会ではこうした脅迫めいた反対運動が採択が進まない一つの原因であるとしている。
インターネット上でも、一定の人々が採択を支援しようと活動している様子が見られる。実際に杉並区で採択が検討された時にはネットで多くの若者が集った。その際、反対運動した者の中には、中核派も紛れ込んでおり、賛成する市民に暴力をふるって逮捕される事件も起こっている[39] 。
採択運動
運動に賛同する教育委員(茨城県大洗町)[40]や教育長(東京都、当時)や元文部省官僚の加戸守行愛媛県知事[41]が直接関わって採択しようとした動きもあった。実際に愛媛県の県立中学校である養護学校では知事の意向が反映され採択(2001年)された。また県立の中高一貫校でも2004年に採択された。
このような中で、採択賛成派を狙った脅迫・放火といった事件もいくつか起こっている。実際に作る会の事務所が時限発火装置で放火されドアが焼け落ちる被害にあった。そのため、扶桑社の『新しい歴史教科書』に対する反対派もまた、一部ではあるとはいえ反社会的であるとして非難されている。またネット上では採択反対派ないし、その同調者とみなすものに対する誹謗中傷(後述の山本弘の場合など[42])が繰り広げられたという。また現在では削除され閲覧できないが、2001年から2002年にかけてYahoo!掲示板の教育板では「つくる会」の教科書についてのスレッドが立ち上げられ、賛成・反対の双方の書き込みがあったという。
2005年版の教科書については、東京都杉並区では、最も激しい反対運動が繰り広げられたが賛成多数により可決され採択された。この反対運動については反対活動をする市民団体に中核派がいたとの報道があり(2005年8月4日読売新聞,2005年12月27日産経新聞)、公安調査庁もそのように発表した。またこの際、インターネットにより集まった賛成者も一定数見られた。
不採択運動
2001年4月に、扶桑社の『新しい歴史教科書』、『新しい公民教科書』が文部省の検定に合格してから、「過去の日本の侵略行為の否認ばかりでなく、美化している」などと採択に反対する立場の労働組合、左翼的な市民団体、在日コリアン団体、一部の歴史学会などによる、日本全国の教育委員会や地方議会に対して不採択にするよう要求する請願・要請活動や、採択関係者の職場だけでなく自宅などにも電話やファクスで集中的に抗議、批判するなど反対運動が活発となっていった。また、その年の8月には新左翼・革労協木元派を名乗る者に「つくる会」本部を放火されるなどのテロ事件も発生した。
また、ある市民団体は都立の中高一貫校で『新しい歴史教科書』が採択されたことに、「日本全体の右傾化が進んでいる中、採択されたことは重大な事態である」などと反対声明を発表している。
2004年には、その年の8月までに東京都教育委員会に寄せられた意見の99%が扶桑社の教科書採択に反対するものだったが、「その反対意見の99%が同じ文言であった」と委員国分正明(元文部省事務次官)が明らかにするなど、扶桑社教科書の採択反対者に懐疑的な見方がされている。また国分正明は「『新しい歴史教科書』は日中戦争について批判的に書いているし、戦争の悲惨さについても書かれてある。何故、これが戦争に導いていると言えるのか分からない。採択に反対している人は、しっかりこの教科書を読んだことがあるのだろうか」と疑問の声も残している。
大韓民国政府と中華人民共和国政府は、1982年に発生した教科書検定問題の時と同じく対日友好関係から日本政府に採用しないよう要求要出典、また両国の市民団体からもこの教科書が候補になっている事を懸念する声が上がっているが要出典、日本政府は採択については各教育委員会の裁量の範囲であり、国が関わる問題ではないとしている。韓国の報道機関のなかには「つくる会」を『日本の教科書わい曲団体「つくる会」』といった表現[43]をしている。日本国内では、両国政府のこの要求は内政干渉であるとして反発する意見もある要出典。また在日韓国人組織である「在日本大韓民国中央本部」が、つくる会の運動を、超党派議員で構成された「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」がバックアップしており、そこでの活動が「韓日関係の熱気を凍らせるもの」として不快感を表明し採択反対運動を行う主張[44]をしていた。
つくる会の教科書の市販本には、『本書は公正取引委員会の規定により、2005年8月31日まで、無料ないし安価で中学校教科書の採択関係者(教育委員、教育委員会事務職員、社会科教員)に配布することが禁じられています。』という警告文が書かれていたが、実際には相当数が事前にこれらの関係者に流出していたとみられる。
- 市販本以外にも本来非公開の白表紙本(白紙標本)がどこからか流出し、それを元にしてか賛成批判の報道が行なわれていた。白表紙本とは教科書検定で、白紙で検定に出された標本のこと。白表紙本は他社のものも含まれており、流出元は然る機関(行政か関連発行社)の報道機関の内通者からであると思われる。(教科書準拠教材の著作権侵害及び教科書検定における「白表紙本」流出への対処に関する質問主意書(参議院))。[45]
- その一方では、前述の読売新聞の報道によれば、扶桑社側が採択運動推進のために配った白表紙本といった資料が大量であったため、これがリークの一因であるとの指摘もある。
つくる会作成の教科書の概要
教科書著作関係者
2001年4月検定合格版(扶桑社刊)
- 『中学社会 新しい歴史教科書』
2005年4月検定合格版(扶桑社刊)
2009年4月検定合格版(自由社刊)
- 『新編 新しい歴史教科書』
市販本
2001年4月検定合格版
- 『市販本 新しい歴史教科書』 ISBN 4594031552
- 『市販本 新しい公民教科書』 ISBN 4594031560
- 発行:2001年6月10日、扶桑社
- 定価:933円(税別)
2005年4月検定合格版
- 『市販本 新しい歴史教科書 改訂版』 ISBN 4594050093
- 『市販本 新しい公民教科書 新訂版』 ISBN 4594050107
- 発行:2005年8月10日、扶桑社
- 定価:1143円(税別)
2009年4月検定合格版
- 『日本人の歴史教科書』 ISBN 4915237508
- 発行:2009年5月30日、自由社
- 定価:1429円(税別)
つくる会教科書の教師用指導書と生徒用ドリル
- 教科書には、現場の教師のために教師用指導書が必ず製作されているが、2005年版のそれも作成されているが、一般向けには市販されていないため、内容については不明である。なお価格は歴史教科書は税込12600円、公民教科書は税込11500円(CD-ROM付)である。また生徒用のドリルも出されているが、こちらも一般向けには市販されていない。いずれも学校を通じて購入[46]できるという。
扶桑社版使用校
- 2001年8月採択(全国一斉)
- 2002年8月採択
- 愛媛県立中高一貫校3校(今治東、松山西、宇和島南) - 歴史のみ
- 2004年8月採択
- 東京都立中高一貫校1校 - 歴史のみ
- 2005年
- 東京都杉並区
- 都立中高一貫校新たに3校
つくる会の教科書に対する反応
世間の評価
一般には、前述の経緯から彼ら「つくる会」が反日分子であると主張する不採択運動を推し進める左派勢力が反対しているとされている[47]。しかし保守論客かつ文芸評論家で書誌学者かつ天皇崇拝者である谷沢永一が、産経新聞においてその歴史認識を批判するなど、右派論客からの反発もあった。谷沢は2001年に反論書『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』(ビジネス社刊)を出版し、同書のなかで最初は期待していたが、メンバーの歴史的知識の欠如が著しく、結局のところ「つくる会」も従来の自虐史観と一緒であるとして、このような教科書は世に出すべきではなかったと主張し、最後は「国は歴史教育から手を引け」と言う山崎正和の理論で締めくくっている。
歴史学に政治的対立を持ち込んだとする批判も存在している。これは日本史関係の書籍を数多く出版している新人物往来社は、山田洋次、広瀬隆のほか、歴史専攻の大学教員が参加し、「新しい歴史教科書」の誤りを歴史研究の方法論も含めて具体的に指摘し反論をまとめた『別冊歴史読本』の特集号(安田常雄、吉村武彦編集、特集『歴史教科書大論争: テーマ別検証』、『別冊歴史読本』87巻、2001年)のなかで複数の在来の日本史学者から指摘されており、出筆者のなかには「つくる会」を従来の理想を追求する教条右翼ではなく、自著の販売促進のための「商業右翼」と批判している。
また、ネット上では「つくる会」を支持するネットワーカーによって、様々な支持をするホームページやスレットが作られていた。
一例としてSF作家でと学会会長である山本弘によれば『トンデモ本の世界R』のなかで、小林よしのりの『戦争論』を取り上げたところネット上で『ウヨクを批判する奴はサヨク』という論理で誹謗中傷や虚偽の書き込みをされたという[48]。そのひとつに山本が2001年の第10回日本トンデモ本大賞のなかで『新しい歴史教科書』を貶したというものがあった。これは真実ではなく山本によれば「『戦争論』を批判する人間はサヨクだから『新しい歴史教科書』を憎んでいるはず」という妄想で書かれたものであるとしている。なお山本はニフティサーブにアップした文章では『新しい歴史教科書』に対して些細な歴史的間違いをいくつか指摘しているだけであるが、思想的側面はまったく批判しておらず、騒ぐほうが著者達を利することになるとしている。そのため虚偽の情報を捏造されたことに対し、つくる会を擁護する側を批判していた。
つくる会の教科書への賛同意見
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- 扶桑社の属する企業グループである産経新聞社は、好意的な記事を度々掲載しており、他社の教科書と比べ優れているとする記事を掲載していた。批判する言論に対して反日的ないし不公正であるとして反発していた。なお前述の経緯を経て2008年現在、サンケイグループと距離を取っている。
- 石原慎太郎といったタカ派色が強い保守政治家から強く支持された。たとえば2004年6月14日に憲政記念館で開催された「つくる会」支持者のシンポジウムでは、次のような政治家(以下の肩書きは当時)がつくる会の活動をたたえる発言が行われた。
- 日本教育再生機構の広報誌「教育再生」の平成20年如月号によれば、自民党所属の国会議員の中川昭一と中山成彬と八木秀次理事長の鼎談の中で、八木に対し中川、中山が明確に育鵬社・教科書改善の会への支持を表明しているという[49]。そのため、つくる会に対する上記の政治家の支持の現状は不明である。
- 歴史の真実を正負両面から伝えている要出典。真実を教えない教科書は捏造文書になる。
- 日本史を中心に記述しているため、歴史分野において、新学習指導要領に盛り込まれている《基礎基本の徹底》が行われている。
- 今までの教科書の視点と異なり、興味深い記述や資料が掲載されていて要出典、「個性的」な教科書である。
- 記述量が多く要出典、高度な学習が進められる。特に中高一貫教育に適している。
- 他国では、たとえば中国や韓国、北朝鮮の国定教科書の歴史教科書は自国の歴史を殊更肯定する偏った内容になっているが、その点新しい歴史教科書はバランスの取れた内容要出典となっている。
- 日本が東アジアに進出したことで欧米の植民地解放が早まったことは結果的に事実である。日本は結果的に敗れはしたが、それまで教育と縁の無かった地域に学校を建設するなど教育やインフラ建設に貢献もした。(パラオ共和国:ナカムラ前大統領要出典)
- 歴史を現在の価値基準で解釈することは道義に反するとの根本的認識論の立場から、歴史記述については、争う余地のない事実のみを記述することに限定し、論争のある問題については記述しないことを徹底している。
- 人間の尊厳や人権擁護を表面的に掲げる左翼陣営が主張する教科書のあるべき姿は、現実には、自国の悪い側面に即した事実のみを寄せ集め、それを日本国全体の意志として記述するが、これは全体主義思想がよくやる過ちであり、むしろ尊厳や人権を疎んじている。本教科書は、これまでの全体主義的思想に基づいた自虐史観を、純粋無垢な子供達に植え付ける不道義を指弾し、人間の良心に基づく誇りある「日本人」としての尊厳や人権を、《真の意味で擁護》しようとするものである。
- スターリンによる粛清や文化大革命を、社会主義体制の悪として糾弾した画期的な初めての歴史啓蒙書であり、将来の日本の若者が誇りを持って《日本国史》を研究することができる状況を作るであろう。社会主義、共産主義がおかした過ち・罪が、いかに多いかを認識できる教科書であり、これまでの教科書にはない斬新かつ広大なパースペクティブを含んでいる。
- もっとも基本的なことではあるが、他国が別の他国の教科書の記述について、政治問題化することはあってはならない。教科書とは、自国民が考える純粋無欠の正史であり、他国から干渉されるべきではない。この点で、本教科書は、韓国や中国に毅然とした態度をとりつつ、独自の歴史観に立脚した由緒ある日本国の歴史をありのまま記述している。
この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。後は適当に頑張って下さい。 |
反対意見
2001年版に対する反対意見が特に有名である。谷沢永一は『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』(ビジネス社刊)において古代から近代に至るまで、ほぼ全編を徹底的に批判した。他にも『歴史教科書大論争: テーマ別検証』『別冊歴史読本』87巻(2001年人物往来社)などでも、イデオロギー以外の内容の間違いを以下のように指摘している。また、2005年版の改訂版も内容がかなりソフトになり他社の教科書に比べても違和感がないものに仕上がっていたが、逆にその結果、親米教科書だとして改訂版に対して小林よしのり・西尾幹二らが反対の声をあげた[50]。
著者達が日本近現代史と日本建国神話に熱意を持って記述している一方で、それ以外の項目が疎かになっていた。たとえば他の歴史教科書では必ず登場する卑弥呼の邪馬台国や山上憶良の貧窮問答歌といった項目が欠如しているほか、日本史上はじめての勅撰和歌集を「万葉集」(正しくは古今和歌集)としたことや、大坂夏の陣を「大阪夏の陣」[51]としたこと、明治時代の国是である「富国強兵」が出ていなかったり、「富岡製糸場など紡績業」(ただしくは製糸業だという[52])戦後最大の労働争議であった「2・1ゼネスト」を1946年(実際は1947年)とするなど、初歩的な歴史的事実の錯誤が文部科学省検定を受けてもなお残されていた為、執筆者の歴史的知識に対する疑問も数多く指摘されている。
歴史教科書への反対意見
- 日本神話の記述について問題になったものに天岩戸の物語がある。アメノウズメの命が天照大神を引き出すために踊ったくだりが「胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った」という性的描写があった。原典に忠実な現代語訳ではあるが、教科書でここまで表現する必要性はなく、思春期の生徒に対して不適切であるとの指摘があった[53]。2005年版では「おもしろおかしく踊った」と常識的な表現に修正された。
- 徳川綱吉による生類憐れみの令を「綱吉の時代にはまだ残っていた戦国時代の荒々しい風潮を一掃することであった」と好意的に記載している。これは山室恭子が提唱した見直し論が根拠であるが、古来より「天下の悪法」とみなされている事情は記述されていない。
- アメリカ合衆国のセオドア・ルーズベルト大統領が軍事力誇示のために行った、海軍艦隊による白船艦隊事件のように一般的でない事件が取り上げられている(2001年版)。
- 第一次世界大戦では、日本海軍は地中海に船団護衛のために巡洋艦および駆逐艦を派遣した(詳細は第一次世界大戦下の日本を参照のこと)が、2001年版244頁と245頁に「地中海での作戦中、ドイツ潜水艦から魚雷が発射された。その魚雷の発見が一瞬、遅れたときに、日本駆逐艦は連合国船舶の前に全速で突進して盾となり、撃沈されて責務を果たした。犠牲になった日本海軍将校の霊は、今もマルタ島の墓地に眠っている」とのエピソードが紹介されているが、事実誤認ばかりである。このエピソードは樺型駆逐艦「榊」の事であると思われるが、「榊」は1917年6月11日にオーストリア=ハンガリー帝国海軍の潜水艦U27から雷撃され艦首切断、戦死者59名負傷者16名を出す被害を受けている。日本海軍で大破したのは「榊」だけであり、修理に8か月を要したが撃沈されたわけではなく、現役復帰し1932年に除籍されるまで活躍していた。そのうえ榊が雷撃されたのは護衛任務からの帰途であり、盾になった事実はない。つくる会が日本海軍の活躍を取り混ぜて「盾になった、沈没した」と創作した話と批判[54]された。なお、この記述で真実なのはマルタ島の墓地に日本海軍将校が埋葬されたことだけという。
- 南京大虐殺を史実として扱っていない[55]。2001年版教科書270頁では「このとき、日本軍によって民衆にも多数の死傷者が出た」として、南京市内の犠牲が出たことを認めてはいるが、戦争被害を出来るだけ軽視する記述との批判[56]もある。また271頁では中国共産党が「政権をうばう戦略として、日本との戦争の長期化を方針としていた」記述しているが、根拠薄弱とな事実を強調しているとの批判[57]のほか、当時の中国の指導者蒋介石中華民国大総統(中国国民党主席)に関する記載が乏しくなっている。
- 昭和天皇について「国民とともに歩まれた生涯」として人物コラムで2頁にわたり記述されているほか、終戦の聖断などマッカーサーの回想録を基に記述している。それらの記述は「昭和天皇神話」を作り出すものと批評[58]されるほど、記述が充実している。その反面明治天皇は五箇条の誓文と大日本帝国憲法授与の主語のみ、大正天皇は登場しないなど、近代日本の天皇の記述が少なくなっている。
- 2001年版では銀輪部隊の活躍(同276頁)を写真付きで取り上げているが、この銀輪部隊は米英の機械化部隊に少しでもおいつこうとして、南部仏印(ベトナム)で現地徴発した自転車で急遽「制式採用」したものであり、戦時中の日本の宣伝そのままで、紹介したものであり、決して自慢できるものではないと指摘[59]された。
- 2005年版ではながら改訂版では戦艦大和の記述を削ったり、プリンス・オブ・ウェールズの写真を掲載(2005年版204頁、「沈没するイギリス東洋艦隊の主力戦艦プリンス・オブ・ウェールズ(1941年12月10日)」というキャプションはあるが、どこで撃沈したかの記載はない)しながらマレー沖海戦に触れないなど、基準が一貫していない要出典。
- 与謝野晶子が日露戦争の際に発表した『君死にたまふことなかれ』(旅順攻囲戦に加わっていた弟を嘆いて作られた詩とされる)を、つくる会の教科書では、家の存続を願って跡取りである弟の無事を願ったにすぎないとして、与謝野の思想は「家や家族を重んじる着実なものであった」として、非戦の真意はないとした。しかしながら、与謝野は同時代の大町桂月の批判を「国粋主義者」と批判していることや、与謝野の反良妻賢母主義の生涯は従来の家制度的道徳に反するもので[60]であり、大家族の母親の役割を果たしたという側面のみ強調していると批評された。
- 歴史教科書は、国際的な視点で書かれるべきであり、日本的な視点のみで記述するのは望ましくない[61]。
- 新しい歴史教科書の記述には、誤って事実と異なっている部分があり、教科書としての正確性の検証が足りない[62]。
- 日本を擁護している割には、日本の正当性に関して綿密な記述が少なく、極東国際軍事裁判を基調とするいわゆる自虐史観を語り口によって情緒的に否定しようとする傾向がある。このような記述では、歴史を総合的に考察させることを妨げ、誤解を生じさせてしまう恐れがある[63]。また治安維持法についての説明なしに廃止のみ記載するなど不親切な面もある。
- 教育については、「教育勅語」の全文を掲載して注釈まで付けているのに対して、「教育基本法」については「教育基本法が制定されて民主主義教育の原則がうたわれ」としか記述がなく、戦前から戦後にかけての教育の変化(特に戦後の教育)を理解することが難しい[64]。
- 日本の歴史上の人物を安易に称賛するだけでは、外国の人物を考察することが不可能になる{[65]。
- 広島・長崎の原子爆弾投下については、その必要性があったことが説明されることもあるが、原子爆弾の被害などについても触れられ、そのほかの教科書が一概に日本だけを悪とする記述にはなっているわけではない[66]。
- 中央権力以外の歴史・文化に殆ど無関心で、とても「日本の歴史」教科書と言えるものになっていない[67]。
- 古代の倭人と日本人を同一視するあまり、古代日本人の全体像を押さえていない[68]。
- 全体的に日本の多様な歴史や文化を一部の政治史に閉じ込めて、矮小化している[69]。
- つくる会の2001年版では、日米関係史に「反米」と現状肯定が奇妙に共存していると指摘[70]されている。それによると、ペリー来航時の白旗書簡(現在は偽書とされる)を根拠に「砲艦外交」と批判して尊皇攘夷を正当化したのを初め、日英同盟の廃止をアメリカの強い意思でもたらされたものであり、日米開戦に至ったのもアメリカに問題があると主張しているうえに、アメリカによる占領政策が「自国の戦争に対する罪悪感をつかす」と反米的主張が繰り広げられている反面、1960年の日米安全保障条約改定を「これにより日米両国は、より対等の関係になった」と現状を肯定的に評価することで、相反する歴史観が叙述されているという。改訂版ではポツダム宣言は日本を破滅から救ったという親米的な記述が登場しているが、この記述についてあまりにもアメリカへ媚びていると元同志の小林よしのりに批判された[71]。
- 2005年版口絵では、イラン・イラク戦争中の1985年に発生した、在イラン邦人救出にトルコ航空が協力したのは明治時代に発生したエルトゥールル号遭難事件の恩返しであるというコラムが14頁に記述されており、歴史のロールプレイの例として挙げられている。この事実を取り上げることは問題ないが、トルコ航空機の写真が1985年の時点では就航していなかったエアバスA340になっており、歴史考察が充分になっていない(A340(4発エンジン)の初飛行は1991年で、救出事件当時にトルコ航空は導入していなかった。実際に参加したのはトルコ航空のDC-10(3発エンジン)であり、外観を間違えるはずがない)。
公民教科書への反対意見
- つくる会の公民教科書(2001年版)の最終章では「核兵器で日本を武装しよう」という過激な主張が展開していた[72]という。日本の国是である非核三原則に反する為、検定意見が付いたが、修正したことで今度は逆の論調になったという。
つくる会の組織に対する批判
- 会のメンバー内に歴史学者が稀少であり、教科書執筆者にも歴史学者がほとんどいない。しいていえば、公立中学校の現役教諭2名はいるが、日本近代史以前の日本史専攻の大学教員はいない[73]。この点について、つくる会元会長の田中英道は著書『新しい日本史観の確立』(文芸館)の中で、日本近代史にのみ熱意を燃やす「つくる会」の運動に疑問を呈し、もっと幅広い歴史観の見直しの必要性があると指摘している。
- 前述のように、既存の歴史学をつくる会は「自虐史観」と非難しているが、つくる会関係者に幅広い歴史学的視野を持つ学者がいたわけではなかった。そのためつくる会は「歴史は科学ではない」と言明している[74]ため、従来の歴史学を全面否定する立場をとっていた。この立場は西尾幹二初代会長の著書『国民の歴史』の第二章「時代区分について」の冒頭で表明されていた。この立場は、社会科学であるはずの歴史学のディシプリンを否定するものとして批判された。
- 『新しい歴史教科書』が2001年検定の白表紙本の内容が漏洩・報道されたが、その白表紙本の序文「歴史を学ぶとは」の冒頭において、再び「歴史は科学ではない」と宣していたこと判明した[75]。そのため、強い批判にさらされ、従来つくる会に対し好意的であった多くの歴史学者からすら支持を失う決定打となった[76]。なお一連の記述は、文部科学省の意見がつけられ検定合格本から全面削除されている。
- 『新しい歴史教科書』を2002年度に採択したのは、私立中学校20校と公立学校6校であったが、公立学校でこの時採択されたのがいずれも養護学校であったため、障害者団体から政治的理由によるものとして批判の声が上がった[77]という。
- 上杉聰(日本の戦争責任資料センター事務局長)が、2005年発刊の共著『使ったら危険「つくる会」歴史・公民教科書』(明石書店)の中で、扶桑社の営業赤字の原因を一連のつくる会の教科書問題のためとして、近い将来扶桑社が教科書発行から手を引く可能性を指摘した。現実には前述のようにつくる会との関係を解消したうえに別会社に移管することになった。
- 佐藤学東京大学大学院教授は、つくる会を「一般に言われているような右翼団体ではない。ナショナリズムを掲げた愛国主義者ではない」として「政治組織にして企業組織」と主張[78]しており、それによれば、「大東亜戦争は日本の自衛戦争であり、アジア解放の戦争であった」と主張する言論は特定の層にとって商品価値があり、「南京事件や従軍慰安婦は幻だった」と主張する出版し、それらを販売するであるとしている。そのためつくる会との論争は会の自説をもっともらしく宣伝する恰好の手段である。そのため、たとえ虚妄の歴史観であっても「正史」とする欲望に捉われているため、つくる会との相互の認識を深めることはできないとしている。
そのほか
韓国の保守派民間団体「教科書フォーラム」が、現行の韓国の歴史教科書の左傾化を是正するとして、独自に記述を見直した『代案教科書 韓国近・現代史』を出版したが、従軍慰安婦を「従軍慰安婦が強制ではなく、大金を稼げるという言葉にだまされたものだ」とした記述に対し、韓国MBCテレビは2008年3月29日放送の報道番組「ニュース・フー」(News Who)に「ニューライト教科書、韓国版扶桑社?」と表現し批判的報道をしたという。その意味では韓国では「韓国版扶桑社(歴史教科書)」保守派教科書のレッテルとして使われているといえる。
引用および注釈
- ↑ 韓国語版では日本の右翼団体として紹介されている
- ↑ Japanese Textbooks, Koizumi, Sex Slaves, & the Nightmare of Nanking
- ↑ つくる会日本がつながるリンク
- ↑ つくる会WEBニュース 2007年5月31日
- ↑ 『歴史教科書大論争: テーマ別検証』の複数の現役中学校教師の投稿より
- ↑ 朝日新聞やNHKの報道および、『使ったら危険「つくる会」歴史・公民教科書』(明石書店)の前書きより
- ↑ 産経新聞2001年8月16日
- ↑ 「歴史教科書大論争」10頁
- ↑ つくる会WEBニュース平成19(2007)年6月22日
- ↑ つくる会WEBニュース平成19(2007)11月30日を参照のこと
- ↑ つくる会WEBニュース平成19(2007)年5月31日の藤岡の論述から引用、実際には旧軍関係者が結成した戦友会でも志願兵と徴兵兵では温度差がある
- ↑ 太田 修 (著), 朴 一 (著, 原著)『「マンガ嫌韓流」のここがデタラメ』(コモンズ、ISBN 4861870232) の指摘
- ↑ つくる会WEBニュース平成19年(2007年)1月24日
- ↑ 桜井が主催する東亜細亜問題研究会編『マンガでわかる中国100の悪行』晋遊舎ムックを参照のこと
- ↑ Doronpaの独り言2007年4月20日
- ↑ [1]
- ↑ 米国下院が「慰安婦対日非難決議」を採択「つくる会」は「河野談話」破棄を求める声明を発表つくる会WEBニュース 2007年8月1日
- ↑ http://www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/news_222.htm
- ↑ つくる会の主張から抜粋
- ↑ つくる会WEBニュース2005年5月12日から抜粋
- ↑ 2005年当時の町村外務大臣も「マルクス・レーニン主義の教職員組合がおり、その思想を出して教えようとするため、国との意見の相違があり、近現代史についてはあまり教科書に載せられないできた」と述べている(2005年8月15日NHK「日本のこれから」)
- ↑ つくる会WEBニュース 平成19(2007)年5月31日より引用
- ↑ 産経新聞社2005年8月7日付け主張(社説)も「占領史観」として批判している。この「過ちをくりかえさない」との主張は広島の原爆慰霊碑が原点である。「原爆慰霊碑碑文論争を参照のこと。
- ↑ 教科書の採択率が低迷したため、実際に作る会のメンバーが会見で朝日新聞社とNHK(教科書問題の報道を「扶桑社の歴史教科書」と企業名を挙げて報道した)を名指して非難した
- ↑ 「つくる会」Webニュース204号(2007年9月10日付)
- ↑ つくる会WEBニュース平成19(2007)年6月22日
- ↑ 産経新聞2007年6月1日朝刊
- ↑ 朝日新聞2007年6月1日朝刊
- ↑ 西尾幹二のインターネット日録「自由社の『自由』について」2007年9月9日
- ↑ つくる会WEBニュース平成19(2007)年5月25日
- ↑ つくる会WEBニュース平成19(2007)年6月22日
- ↑ つくる会WEBニュース平成19(2007)年6月22日
- ↑ つくる会WEBニュース平成19(2007)年6月22日
- ↑ 「つくる会」教科書 扶桑社側が漏らす 読売オンライン2005年4月7日より、当初ネット上では採択反対派が白表紙本を盗難したという主張(内容に対する反論をしていたため)をしていたが、主張自体が虚偽にすぎない陰謀説であった
- ↑ つくる会WEBニュース2007年6月15日
- ↑ つくる会WEBニュース2007年9月10日
- ↑ 2005年7月13日産経新聞
- ↑ 「中核派の関係者が暴行」2005年8月4日読売新聞/「つくる会本部へ反対派が放火ゲリラ」2002年8月9日産経新聞
- ↑ 2005年8月4日読売新聞および2005年12月27日産経新聞
- ↑ 産経新聞2005年7月19日の報道では、大洗町の教育委員長と教育長が、「つくる会」教科書採用を却下した地区教科書採択協議会の決定に反発して、再協議を要求したうえ容れられない場合は決定とは別に町独自の判断で購入・使用する予定であるとした。ただし教育長は「そのような議論はしていないし、独自購入は教科書の無償配布を定めた特別措置法に違反する」と否定しており、実際に町独自で使われることもなかったので、産経の報道自体が捏造の疑いがあると批判する記事が読売新聞2005年7月25日の紙面に掲載された
- ↑ 知事は「扶桑社版がベスト」と発言したため。県教育委員会が扶桑社版を採用(県立中学校)した。当時の県教育長も知事の意向を汲んだとの発言をした、そのため知事の教育への介入ではないかと議論を呼んだ。しかしながら、愛媛県内の他の市町村教育委員会は追随しなかった。
- ↑ http://homepage3.nifty.com/hirorin/dema.htm
- ↑ 中央日報2006年6月27日
- ↑ http://mindan.org/sidemenu/sm_kyoiku_view.php?newsid=3177&subpage=186&page=1
- ↑ たとえば白紙標本を参考・引用した批判記事として、週刊金曜日の原稿があげられる(『週刊金曜日』原稿(俵義文))。原物、その複製がかなりの量メディアにまで流出していたことが伺えよう。
- ↑ http://www.fusosha.co.jp/kyokasho/index.html
- ↑ つくる会WEBニュース2005年5月12日から抜粋
- ↑ 山本弘をめぐるデマ
- ↑ izaブログ「つくる会」と絶縁した産経新聞を支持しますゎ 2008年3月8日閲覧
- ↑ 『ゴー宣・暫』第2巻や西尾幹二ブログ等。
- ↑ ウィキペディアの「大阪城」の項目名も「大坂城」になっているが、「大阪」の名称が一般的になったのは明治時代以降であり、江戸時代には「大坂」が正しい表記であった。
- ↑ 『歴史教科書大論争: テーマ別検証』110頁
- ↑ 『トンデモ本 男の世界』 ISBN 459404770X (扶桑社刊)のなかで原田実が、そのような指摘がなされたことを言及している
- ↑ 『歴史教科書大論争: テーマ別検証』88頁
- ↑ 旧大日本帝国陸軍の将校たちの親睦機関の偕行社の月刊誌「偕行」(1985年3月号)において、雑誌編集部は南京虐殺が事実であるとして、「中国人民に深くわびるしかない。まことに相すまぬ」と謝罪している。ここまでひどい!「つくる会」歴史・公民教科書―女性蔑視・歴史歪曲・国家主義批判(明石出版)引用
- ↑ 『歴史教科書大論争: テーマ別検証』34頁
- ↑ 『歴史教科書大論争: テーマ別検証』34頁
- ↑ 『歴史教科書大論争: テーマ別検証』48頁
- ↑ 『歴史教科書大論争: テーマ別検証』89頁
- ↑ 『歴史教科書大論争: テーマ別検証』118頁
- ↑ 「つくる会」の歴史教科書を斬る―在日中国人学者の視点から(日本僑報)
- ↑ 『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』(ビジネス社刊)
- ↑ 『歴史家が読む「つくる会」教科書 第9章「つくる会」の描きたい日本史像―メッセージばかりの一面的な叙述(青木書店)
- ↑ 『歴史家が読む「つくる会」教科書 第9章「つくる会」の描きたい日本史像―メッセージばかりの一面的な叙述(青木書店)
- ↑ 『歴史家が読む「つくる会」教科書 第9章「つくる会」の描きたい日本史像―メッセージばかりの一面的な叙述(青木書店)
- ↑ 歴史研究の現在と教科書問題―「つくる会」教科書を問う(青木書店)
- ↑ 歴史研究の現在と教科書問題―「つくる会」教科書を問う(青木書店)
- ↑ 『歴史家が読む「つくる会」教科書 第2章「混乱する古代の日本像―生徒に混乱を与える天皇中心・日本中心の記述」(青木書店)
- ↑ 『歴史家が読む「つくる会」教科書 第9章「つくる会」の描きたい日本史像―メッセージばかりの一面的な叙述(青木書店)
- ↑ 『歴史教科書大論争: テーマ別検証』100頁
- ↑ 『ゴー宣・暫』第2巻
- ↑ 特集『歴史教科書大論争: テーマ別検証』136頁
- ↑ 伊藤隆や大石慎三郎の専攻は日本近代史であるが、明治維新以前の日本史についてはいない
- ↑ 毎日新聞2001年3月9日朝刊2頁、産経新聞2001年5月18日東京朝刊12頁
- ↑ そのような記載があったことを評論家・松本健一も公に証言・確認したとの記事が産経新聞2001年5月18日東京朝刊12頁に掲載された
- ↑ 朝日新聞2001年4月10日朝刊12頁、北海道新聞朝刊全道2001年5月14日7頁、週刊東洋経済2001年5月5日92-93頁など
- ↑ 件犯罪研究会編「明治・大正・昭和・平成・事件犯罪大事典」東京法経学院出版、2002年 25頁
- ↑ 特集『歴史教科書大論争: テーマ別検証』136頁~140頁
関連書籍
- 小林よしのり責任編集、つくる会編 『新しい歴史教科書を「つくる会」という運動がある』 扶桑社、1998年 ISBN 4594026052
- 高橋史朗責任編集、つくる会編 『新しい教科書誕生!!』 PHP研究所、2000年 ISBN 4569612555
- 西尾幹二編 『新しい歴史教科書「つくる会」の主張』 徳間書店、2001年 ISBN 419861380X
- 『国民の―』シリーズ(産経新聞ニュースサービス、現在は産経新聞出版・発行、扶桑社・発売)
- 西尾幹二著、つくる会編 『国民の歴史』 1999年 ISBN 4594027814
- 西部邁著、つくる会編 『国民の道徳』 2000年 ISBN 459402937X
- 渡部昇一著 『国民の教育』 2001年 ISBN 4594033016 ISBN 459404834X
- 田中英道著、つくる会編 『国民の芸術』 2002年 ISBN 4594037577
- 中西輝政著、つくる会編 『国民の文明史』 2003年 ISBN 4594042759
- 八木秀次著、つくる会編 『国民の思想』 2005年 ISBN 4594049214
参考文献
- 坂井康夫「歴史を偽造・捏造する「つくる会」: 歴史修正主義の汚い手口(従軍慰安婦問題を中心に)」『プロメテウス』42号、2001年11月。
- 「教科書に真実と自由を」連絡会編「徹底批判『国民の歴史』」大月書店、2000年。
- 事件犯罪研究会編「明治・大正・昭和・平成・事件犯罪大事典」東京法経学院出版、2002年。
- 安田常雄、吉村武彦編集、特集『歴史教科書大論争: テーマ別検証』、『別冊歴史読本』87巻、新人物往来社 2001年
- 谷沢永一『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』ビジネス社 2001年
関連項目
外部リンク
- 新しい歴史教科書をつくる会(公式サイト)
- 新しい歴史教科書をつくる会東京支部
- 新しい歴史教科書をつくる会岡山県支部(地元紙「山陽新聞社」に対し攻撃するコーナーあり)
- 中学校歴史教科書に関する検定結果(平成12年度検定)受理番号12-34(株式会社扶桑社)検定意見書(文部科学省) - 検定意見とは、教科用図書検定において、必要な修正を行った後に再度審査を行うことが適当である場合に、合否の決定を留保して申請者に通知される意見のことである。(教科用図書検定規則第7条など)
- テレビ朝日が実施したつくる会に対する世論調査結果 2001年4月