産経新聞の注目を集めた報道
産経新聞の注目を集めた報道(さんけいしんぶん - ちゅうもくをあつめたほうどう)では、フジサンケイグループの基幹企業の一つである産業経済新聞社が発行している日本の全国紙5紙の中の1紙である産経新聞で報道された記事のうち、注目を集めた記事について論述する。なお、スクープのみならず批判を受けた報道、誤報、捏造といったものも併せて解説する。
1960年代
1967年10月16日、田中伊三次法務大臣が記者クラブの記者たちに「これから死刑執行命令書のサインを行うので写真を撮ってくれ」と声をかけ、数珠を片手にポーズを構えたが、あまりの悪趣味に、産経新聞を除く記者は呆れて無視をしたが、産経新聞だけが翌日の朝刊一面で写真入りで報じた。田中は法務大臣就任直後、知り合いの記者に「死刑が執行されるところを見に行こう」と誘い、相談した刑事局総務課長から叱責されている。
1970年代
1973年12月2日、紙面に掲載された意見広告(自由民主党が日本共産党を批判する内容)をめぐり、日本共産党が反論権を求めて産業経済新聞社を提訴。
1980年代
1980年、信仰グループイエスの方舟批判キャンペーン記事を張り、他のマスコミの先頭を走る。イエスの方舟や主宰者の千石剛賢に対する大バッシングが展開され、千石らに対して名誉棄損容疑で逮捕状が発行される事態に発展した。
1980年1月7日、日本海沿岸などで相次いだ失踪事件(1977年の能登半島、1978年のアベック失踪事件)について、公安情報や地方紙の失踪者記事をもとにして外国諜報機関の関与を示唆する報道をおこなった。記事の執筆者は社会部の阿部雅美。アベック失踪事件とほぼ同時期に富山県氷見市で起きた未遂事件があり、現場に残された粗悪な遺留品の品質や、同年夏に外国を発信源とする怪電波が集中して傍受されていることから、これらを一つの事件として報じた初めての事例である。
倉敷市庁舎に対する報道
1983年2月、サンケイ新聞が行政改革キャンペーンに力を入れていることを伝えるテレビCMを放送した。無駄の実例として岡山県倉敷市の市庁舎を映し出し、「こんな豪華な庁舎が必要でしょうか!? 行革(行政改革)を強く訴えるサンケイ新聞」というナレーションを流すものであった。倉敷市は、「事実誤認だ、市庁舎が大きいのはゴミ処理施設を併設しているからだ。これは地方叩きだ」と抗議した[1]。
1990年代
1992年
1992年、スタニスラフ・レフチェンコ元KGB少佐の証言をもとに、旧ソ連から日本社会党への資金流入について追求する記事や社説を掲載した。だが、『文藝春秋』6月号におけるレフチェンコのインタビュー中で、産経新聞にも工作を行い、当時の編集局長を取り込むことに成功したとの発言が掲載された。産経はこのレフチェンコ発言に対する反論を1993年5月12日の朝刊に当時の編集局次長、住田良能の名で掲載し、「彼の発言を多少なりとも信じては気の毒なことになる」と書いて、その証言を全否定した。以後、レフチェンコ証言に基づく記事は掲載されず報道は終了した[2]。
統一教会の意見広告
1992年、「私たちは”国際合同結婚式”を応援します。」、『世界平和に貢献する「統一運動」』という統一教会の国際合同結婚式を支持する学者・文化人の会(代表世話人:元筑波大学総長福田信之、世話人:元駐韓大使金山政英、政治評論家細川隆一郎)の意見広告を掲載したことで、「原理運動に反対する被害者家族の会」から批判された。
統一教会は以前から「親泣かせ原理運動」と呼ばれたように、家庭問題や「霊感商法」を初めとした様々経済活動に対して社会的な批判があり、同年には核開発疑惑が高まっていた北朝鮮に経済支援を約束するなど、公安警察からも警戒されるような状況にあり、翌1993年には金丸信による文鮮明の日本入国許可騒動もあって、統一教会を利するこの意見広告を掲載したことは日本の保守派からも批判された[3]。
1993年
テレビ朝日の椿貞良取締役報道局長が、民放連の会合で、総選挙について、「『非自民政権が生まれるよう報道せよと指示した』、「“公正であること”をタブーとして、積極的に挑戦する」と発言していたこと(椿事件)をスクープ。一部ジャーナリストから批判を受けたが、その年の新聞協会賞を受賞した[4]。
1997年
2月3日の朝刊にて、新潟市で1977年に発生した北朝鮮による女子中学生拉致疑惑報道。翌日、衆議院で西村眞悟議員がこの件を取り上げた。この記事を書いた阿部雅美社会部長は上記にある1980年1月の記事がその先見性を評価され、同年度の新聞協会賞を受賞した[5]。
1999年
5月10日掲載の「久保紘之の天下不穏 沖縄サミット 〜コローニアルなにおいの“英断”」中で、小渕恵三首相がサミットを沖縄で開催するのを決めたことに対し、「国家も家と同じで台所もあれば便所もある。しかし、お客を台所や便所の中で接待する主人がいるかい?」と書き、記事タイトルと合わせ沖縄を便所扱いしていると『沖縄タイムス』は批判した[6]。
3月6日、韓国の英字紙『韓国日報』が社会面トップで伝えた記事を引用する形で、広島県の世羅高校が韓国で謝罪行事をしていたと報道した。ただし、学校側は、平和学習の一貫であり、謝罪の言葉などは発していないと主張している。3月10日の『産経新聞』は「宣言文」の全文を手に入れたとし、それによると、まず、玄界灘について、「古代から日本に文化を伝え続けた海峡であり、韓国と日本の歴史的に不幸な事実や在日韓国人が受けている不当な差別的現実を生んだ海峡でもある。私たちは昨日その海峡を渡った。」とし、韓国の独立記念館での印象に触れて、「展示の数々が目に焼きついて離れない。日本がかつてこの国で何をしたのか、知ったつもりでいた自分に気付き情けなくなった」とした後、「自らの偏狭な価値観で異なるものに優劣のレッテルをはることなく異なるものは異なるものとして受け入れられる真の国際人となる第一歩としたい。この地で学ぶ日本とこの国の過去の不幸な歴史的事実を教訓とし21世紀を創る世代の人間のひとりとしてせいいっぱい平和と友好の心を育み続けたいと思う」と締めくくる内容であり、謝罪文ではなかったことが明らかにされた。
2000年代
2001年
池田小学校児童殺傷事件で、同校の校庭に座り悲しむ児童たちの写真で同年度の新聞協会賞を受賞した。
2002年
1月10日の朝刊で、前年に日本刀愛好グループ刀剣友の会が建国義勇軍及び国賊征伐隊を名乗り、脅迫や爆発物を仕掛ける事件をおこして摘発された件で、田中均外務審議官(当時)の自宅に爆発物が仕掛けられた事件は、当時、安全確保のため公開されていなかった田中の住所を犯人グループが知りえたのは、犯人グループの一人である救う会熊本理事の木村岳雄が、救う会関連集会で入手した住所を主犯の男性に伝えた結果であることをスクープした。
小泉首相10月訪中決定との記事を一面にスクープとして掲載したが、同日中に福田康夫官房長官に否定された。以後、2006年の小泉退陣まで訪中は実現しなかった。
2003年
七生養護学校事件。2月23日付け「主張」で、「性教育 児童に過激な内容は慎め」と題し、同校の“不適切な性教育”を槍玉に挙げる。
2004年
イラク人質事件
1月6日の朝刊で、イラク戦争後のバグダッドでストリートチルドレンの社会復帰を支援している高遠菜穂子の活動を顕彰する記事を一面写真付きで掲載した。しかし、渡航自粛勧告の後に起きたイラク日本人人質事件の報道では高遠を含めた人質と自衛隊撤退をアピールした人質家族などの批判を繰り返し掲載し、4月11日の「産経抄」において、「誤解を恐れずにいえば、“いわぬこっちゃない”とは、本来、人質になった三人の日本人に対していわねばならぬ言葉だ。イラクでは日本人外交官も殺害されて治安悪化は深まっていた。外務省は再三、最高危険度の『退避勧告』を行ってきたのである」として自業自得と非難し、4月14日の「産経抄」では、「第一の声明文については、日本のイスラム学者が「非イスラム的だ」 と指摘しているのがまこと興味深い。では何的かというと“日本的だ”と いうのである(中略)これらの声明文には何らかの形で日本人がかかわっているのだろうか」と自作自演説を客観的に報道する。
人質の生還後、国民の大勢が支持した自己責任論から、被害者宅へのイタズラ電話が問題となったが、社説「主張」にて「真摯な忠告もあろう」などと全てがイタズラではないのでは?と論じた。また、11月に起きたイラク日本人青年殺害事件(同様に、日本政府に自衛隊のイラクからの撤退を求めた武装グループが要求を拒否され、人質を殺害)に関する「産経抄」の論評の中で、「この春の日本人人質事件(上記のイラク日本人人質事件のこと)の家族の反応とは、天と地ほどの差がある。若者に両親に似た分別と常識があれば、悲劇は起こらなかったろうにと惜しまれてならないのである」と上記の人質3人を間接的に批判した。
4月21日、イラク人質事件で人質ビデオ未放映映像の中に内藤正典一橋大学教授の分析結果として、「言って、言って」と人質になった3人に発言をうながす日本語を話す人物が存在すると一面トップで報道した[7]。しかし、その日の夜の日本テレビ『NNNきょうの出来事』では、「イッテ」はイラクの方言で「おまえ」という意味であるとイラク人通訳の証言を交えて報じた。
イラク人質事件では自作自演説を展開していたが、解放された人質が記者会見で「あれは演出というより命令で、あの状況では拒否できない」と発言。翌日の朝刊で「『泣いてくれ』演出認める」と記事にしたが、小林よしのりは漫画で批判した[8]。
自衛官の身分偽装活動支援
6月、防衛庁の要請に応じ1992年から合計36人の佐官級自衛官を研修名目で受け入れ、取材活動に当たらせていた事が発覚[9]。全国紙5紙のうち、要請があったのも受け入れたのも産経のみであったという[10]。
2005年
秋篠宮文仁の発言の捏造
4月15日1面に、第14回地球環境大賞の授賞式に関連して、実際にはそのような事がないにも関わらず、秋篠宮文仁親王が「お言葉」の中で『また今年から、フジサンケイグループが一体となってこの顕彰制度を主催することになり、「環境」と「経済」が両立する持続可能な社会の実現に向けて、ますますその役割を深めていくことを希望します』とフジサンケイグループの主催に言及したとする虚偽の記事を掲載した。産経新聞社は誤りを認め、4月16日2面に該当部分を全面削除した訂正報道を行った。
「つくる会」教科書の採択報道
7月19日、茨城県大洗町の教育委員長と教育長がつくる会教科書を採用しなかった採択協議会に対して再協議を要求、容れられない場合は町独自の判断で購入・使用予定であるとする記事を掲載。教育長は否定。実際に茨城県の学校でつくる会の教科書が授業に使われることはなかった。
統一教会の主張広報疑惑
9月28日、いわゆるインテリジェント・デザイン(ID理論)に対して、「この理論は多くの科学者が支持しており、IDを推進しているのはキリスト教右派、宗教勢力だと言う主張はIDを快く思わない人間の妄言である。IDを教えず、仮説に過ぎない進化論を公認の学説として扱うのは思考訓練の機会を奪ってしまう」なる意見を掲載した。
しかし、先進国のいかなる学術会議もID理論を支持していない。そもそも、この意見を述べた渡辺久義の専攻は英文学であり、完全に畑違いの学者である。なお、渡辺は統一教会の広報誌『世界日報』や統一協会の下部組織勝共連合の月刊誌『世界思想』などでもID理論を肯定するコラムなどを掲載している。
2006年
10月、当時の総理大臣・安倍晋三が「河野談話」を踏襲するにあたり、狭義の強制性はなかったが広義の強制性はあったとの認識で踏襲したと国会答弁した後に、「主張」において「河野談話 再調査と見直しが必要だ」なる社説を掲載し、「慰安婦問題の論点を広義の強制性にすりかえたメディアがいる」、『その後、一部マスコミが「広義の強制性」に論点をすり替えたこともよく知られている』と批判した。
出資法を元にした高金利が利息制限法の上限金利に基づき違法との最高裁判決が出て、消費者金融などの高利貸しが社会問題になると、一貫して消費者金融業者側にたった主張をした。4月15日の社説「主張」では、『簡単な審査でお金を貸すのだから、担保や厳しい審査が必要な銀行融資よりも金利が高くなるのは当然だ。消費者金融はかつて「サラ金地獄」といわれ社会問題化した時代とは様変わりしているのも事実だ。多重債務者問題などは確かに借りる側の自己責任だ』とし、5月1日の「主張」では、「金利が下がれば、安易な利用者が増え、多重債務者は逆に増えるとの見方もある。高金利には無理な借り入れを思いとどまらせる抑止効果があった、ということも否定はできない」と、高金利を当然と擁護する立場を取った。
さらに、実際に、貸金業制度改革の議論が政府内で進んでくると、7月16日の「主張」において、「慎重に検討しなければならないのは、少額短期の貸し付けなどで利息制限法の上限を超える特例金利を認めるかどうかである。上限金利が引き下げられると、融資審査が厳しくなることは避けられない。緊急性の高い当座の資金が必要な事業者などは、貸し倒れリスクが高いと判断され、貸し手がなくなる公算が大きい。破綻(はたん)に追い込まれたり、ヤミ金融を利用するはめになったりするというのは、非現実的な想定とはいえまい。1週間程度の短期ならば、高い金利でも、実際に負担する利息額はそれほど大きくない」と特別金利を認める特例措置が必要との主張を行った[11]。
11月26日、南京大虐殺をテーマにしたアメリカ映画『南京』は“アイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」”を踏まえていると紹介。しかし、2007年1月21日付紙面ではプロデューサーのテッド・レオンシスとのインタビューを基に「ジョン・ラーベの日記」と紹介している。
高砂義勇兵慰霊碑に関する報道
2月8日、産経新聞も協力した高砂義勇兵慰霊碑移設と落成を記念する式典が台北郊外の烏来(ウライ)郷で、前総統の李登輝や、日本の対台湾窓口機関、交流協会台北事務所の池田維代表など、約100人の日台関係者が参列して行われ、産経新聞社から羽佐間重彰取締役相談役が式典に参列したが、高金素梅らの抗議に基づき、公園管理者の台北県政府(県庁)が「公有地に建てるものとしては不適切」として1週間以内の撤去を命じ、高砂義勇兵慰霊碑に飾られた多数の日の丸は2月19日に撤去された[12]。
2007年
3月10日「主張」において、『慰安婦問題 偽史の放置は禍根を残す』と題し“「河野談話」が明確な裏付けもなく慰安婦募集に関する強制性について、旧日本軍の関与を認めたとの誤解を生む”として批判した。過去、1993年9月2日の産経新聞正論では、上坂冬子が、「近年、稀にみる名文といってよい。相手方のささくれ立った気をしずめ、同時にこちらとして外せないポイントだけはさりげなく押さえて、見事な和解にこぎつけている」と評価したこともあった。
6月19日、「大手警備保障会社が朝鮮学校用地を購入することに内定」と報道。直後からセコム株式会社への右翼団体による抗議活動、嫌がらせの電話や脅迫状が相次いだ。これに対し、セコムは、6月30日に、全国紙に『産経新聞』の記事は事実無根で取材も一切なかったとの意見広告を掲載した。『産経新聞』は、広告の悪用、報道への介入と反論した。
8月16日、第89回全国高等学校野球選手権大会に、三重県立宇治山田商業高等学校の応援団の服装をめぐり、「学ランは海軍の軍服で不適切」とする投書を受けて、宇治山田商が県高校野球連盟と協議して学ランをトレーナーに変更したとする内容の記事を掲載した。この記事に対して宇治山田商は、前回の大会でもトレーナーで応援している・県高野連と協議した事実はなく、学ランは暑いからやめたほうがいいといわれたと『産経新聞』に訂正記事の掲載を申し入れたが、投書は未確認であるが学校関係者への取材に基づいて書いたので真実と確信している・完全に否定されるまでは訂正に応じられないとしている。
2008年
- 2008年2月5日、イギリスの国際戦略研究所からの情報として、2007年の1年間に、ロシア海軍太平洋艦隊へディーゼル電気推進対潜潜水艦(SSK)が新たに9隻配備され、戦術潜水艦は合計で8隻増強された、と報じた。しかし、2008年初頭現在、ロシア太平洋艦隊に在籍するSSK9隻(キロ級潜水艦のB-260、B-439、B-445、B-394、B-464、B-494、B-187、B-190、B-345)は、1981~1994年に極東で建造され、1982~1994年に同艦隊へ配備された艦であり(Проекта 877)、更には、1998年以降、ロシア太平洋艦隊へ新たな戦術潜水艦は配備されておらず、2007年に戦術潜水艦が増強された事実は無い(ジェーン海軍年鑑)。
- 2008年4月2日、大阪本社版にて、3月13日に行なわれた大阪府門真市立第三中学校の卒業式において『国歌斉唱不起立 担任全員、指導認める 門真の第三中 「内心の自由ある」』と、君が代斉唱の際に生徒一人を除いて全員が起立しなかった問題を報じた。このことについて、戸田久和・同市市議会議員が独自調査をおこなった結果、教員達は「立つ立たないは個人の自由。自分で判断せよ」と思想・良心の自由に基づき説明しただけであり、産経は取材もせずに記事を書いた疑いがあると主張し、またこの報道が右翼団体が市役所前で街宣をおこない、市教育長への面談を申し入れる事態を誘発したと主張した[13]
2009年
- 2009年1月13日、年越し派遣村に対する社会部からの報道として、「取材してみると、本人の就労意志に反して、職ばかりか住居も追われ、途方に暮れている“村民”が多くいたことはすぐに分かります。」と伝えつつも、『しかし、「何だかなぁ」と思うシーンが取材中にいくつかあったのも確かです。』とコメント、『「厚生労働省の講堂の開放、勝ち取る!」という学生運動ばりの用語。勝ち負けの問題でしょうか。』『「憲法を守ろう」と書かれた街宣車に先導され、「総選挙で政治を変えよう!」とシュプレヒコール。いつも国会周辺でやっている特定の政治色を鮮明にしたデモそのものでした。』と派遣村が思想関係の団体に支配されていると取れる報道を行った[14]
- 2009年6月17日、日本医師会の中川俊男常任理事は定例の記者会見で、産経新聞14日付朝刊の「納税者の視点で見直せ-開業医と勤務医の診療報酬配分」と題した記事について、「事実誤認も甚だしい」と厳しく批判した。主な批判内容は、勤務医を対象とした意見収集調査の実施主体の誤り、開業医の業務実態と記事内容との乖離、日本医師会の内実に関する憶測に基く記述などである[15]。
批判を受けた報道
西鉄バスジャック事件に対し
2000年5月5日の産経抄において西鉄バスジャック事件について「バス乗っ取り事件が憲法記念日に起きたということだけは、まったくの偶然とは思えない」「戦後の日本社会は、憲法の前文そのままに、人々の「公正と信義」を信頼しようというものだった」とし、日本もそんな何が起きてもわからん社会となっているから、改憲して現状に即した憲法を作るよう考えるべきだと訴えたが、後日ウェーブ産経[2]で「おしかりを受けた」と報告した(産経抄筆者石井英夫談)。
イラク戦争の大義
イラク戦争の“大義”をめぐり、時の産経抄筆者・石井英夫は、開戦当時「大量破壊兵器の廃棄を目指す戦いだ」と主張した。大量破壊兵器の捜索が難航するにつれ「独裁政権打倒の是非が、この戦争の大義を問う鍵である」と主張を変え、発見が絶望的になると「戦争に大義や正義を主張するのは無意味」と主張した[16]。
えひめ丸事件の報道
えひめ丸事件においては、国益優先と称しアメリカ政府擁護の立場を全面的に打ち出し、“どこの国の新聞か”と一部の関係者による批判を受けたとして、「おしかりの声」(石井英夫談)に対する反論を産経抄など紙面上にて何度も行った。
- 2001年2月11日の主張で「原潜衝突 過剰反応控え原因究明を」と米国に謝罪を求めたり批判したりする態度を控えるべきだと主張。
- 2001年2月20日の主張で「いまこそ問われる危機管理 この不幸を同盟関係の強化に」と訴えた。
- 2001年2月21日の朝刊アピールに「過剰な米国批判は信頼関係損なう」との意見を掲載。
- 2001年2月23日の産経抄において「日米関係の明日のためには感情的な対応を慎まなければならない、と。先日も艦長に対して、土下座して謝れ、という怒りの声が出された。米国の退役軍人の中から、日本船は真珠湾に近づくな、という反日メッセージが発せられた。双方が感情的、あるいは情緒的な反応をエスカレートしていけば日米関係は危うくなるだろう」。
- 2001年3月2日の産経抄で「引き揚げるべきでない。そのまま海の墓標にすべき」と提言。
- 2001年3月3日の朝刊アングルで米国に謝罪と厳罰を求める意見を「そのさなかに“周辺事態”が起きたら、日本政府は一体どう対処するのだろうか」と批判。
- 2001年3月18日の朝刊で珊瑚礁破壊などの環境問題を引き合いに出し「引き揚げを辞退すべき」と主張。
- 2001年9月27日の産経抄で同時多発テロの発生を受けて「実習船「えひめ丸」の引き揚げは一時中断したらどうか。待つことにしたらどうだろうということである。なぜならテロによる大惨事が発生したからだ」。
- 2001年10月17日の社会部発で「「えひめ丸」引き揚げ最終段階 “約束”つらぬいた米海軍」。
- 2001年10月20日の主張で引き揚げ作業が開始されたのを受けて「評価したい米海軍の努力」との記事を掲載する一方で「こうした米国へのある種の“甘え”はこれきりにしたい。」と主張した。
- 2001年10月22日には「事故はハワイ沖でおこったのだし 水産高校の遠洋実習がハワイ沖で行われることが多いのは、米軍によって航路の安全が確保されているからで、米国の好意で米国の庭で実習させてもらっているようなもの」とした上で、謝罪や補償、引き揚げをそれほど言うのなら、日本は自分で日本海の安全を確保し、日本海で実習するように求めた。
- 2001年11月10日の産経抄で「ハワイの海底を鎮魂の場としたいと願った小欄の気持ちはいまも変わらない。」と再度主張した。
- 2002年11月21日の主張で和解交渉の成立を受けて「米海軍の誠意を評価する」とし「仮にこの事故の相手が北朝鮮や他の国々であれば、これほどの対応が望めただろうか」と主張した。
沖縄県に関する報道
- 沖縄の米軍基地をめぐる報道で米軍兵士による暴行事件について、沖縄で「けしからんコラム」として批判を受けたことへの反論として、2001年7月6日の「産経抄」で、同年6月29日に、沖縄北谷町で起きた米兵による婦女暴行事件について「現場に居合わせた米海兵隊員の証言では、被害者の20歳台女性は午前2時頃、(容疑者が飲んでいた)飲食店でほとんど泥酔状態だったという。米兵がそういう酔った女性に乱暴したとすればまことに許しがたいが、彼は『合意だった』と供述している」「性犯罪は加害者が絶対に悪いことはいうまでもないが、こちらも相手にすきを見せないことである。誤解を恐れずに書けば、日本の至るところで風紀がゆるんでいるのではないか」と書き反論した。
- 2007年9月の安倍内閣総辞職、沖縄県民大会を受けて朝日新聞との間で論争を行った[17]。
- 2007年9月25日朝日新聞が朝刊に当日退陣する安倍を「評価すべき点がなかったとは思わない」とする社説を掲載。
- 2007年9月26日産経新聞朝刊で前日の朝日新聞社説の「評価すべき点がなかったとは思わない」について「さすがに良心がとがめたのか」「御為ごかしそのものだ」と批判。
- 2007年9月28日朝日新聞夕刊コラム窓にて「『産経抄』の良心」と題して、朝日は安倍の訪中、訪韓や村山談話、河野談話の安倍内閣での継承をちゃんと評価したとして「事実の確認だけはくれぐれもお忘れなく」と反論。
- 2007年9月29日沖縄で「集団自決を削除した教科書検定」に抗議する超党派の県民大会(仲里利信実行委員長(県議会議長・自由民主党))が開催された(主催者発表で11万人が参加)。
- 2007年9月30日朝日新聞毎日新聞などが一面写真付きで、読売新聞が三面写真付きで、産経新聞は小さな囲み記事で写真の掲載も無しで報道。参加者数は各紙とも11万人(主催者発表)と掲載。
- 2007年10月2日産経抄にて「11万人(主催者発表)が参加した」と掲載。
- 2007年10月3日産経抄にて、9月28日の朝日新聞夕刊コラム窓「『産経抄』の良心」に反論。「事実の確認だけはくれぐれもお忘れなく」と言われたことに対し、朝日新聞が9月30日及び10月1日の記事で沖縄県民大会に11万人と書いたことを11万人は主催者発表の数字でありそれをそのまま載せたことを戦時中に朝日が大本営発表を垂れ流したことにだぶらせて批判し、関係者に聞いた実際の参加者は4万3千人であると報ずる。
- 2007年10月4日朝日新聞夕刊コラム窓にて「『産経抄』の自己矛盾」と題して、産経側に反論。前回の朝日の反論に対して「ほっかむりしたまま」で、沖縄県民大会参加者11万人と報じた朝日を批判する産経に対し、産経新聞も主催者発表11万人をそのまま掲載していることや、当の産経抄自身が10月2日に11万人を掲載していることを指摘して「自ら11万人と繰り返しながら、やはり11万人と書いた朝日をたたく。自己矛盾としか言いようがない」と反論した。
- 2007年10月5日産経は参加者人数を調べるべく記者を沖縄に派遣した(産経新聞iza記者ブログ)。
- 2007年10月7日産経新聞朝刊一面にて「沖縄教科書抗議集会、参加者は「4万人強」 主催者発表11万人にモノ言えず」との記事を掲載。沖縄県警は参加者人数は非公開であるとして産経新聞に参加者数を伝えなかったが、産経は、沖縄県警関係者からの情報として参加者4万2千~3千人と報じた。
- 2007年11月20日付産経新聞朝刊にて、日本会議傘下の全日本学生文化会議の学生達が9月29日の沖縄県民集会について沖縄県民を対象にアンケートをおこなった結果、「参加した」が11.2%だったと報じた。
- 2008年3月22日、沖縄県で宅配された産経新聞と世界日報に、被害少女を批判し実名と誤解される名前が記されたチラシが折り込まれていたことがわかり、『琉球新報』に批判された。チラシは沖縄県の国旗国歌推進県民会議の惠忠久会長が依頼したもので、被害女性への批判に加え、自民党と公明党支持者は翌23日に予定されていた抗議の県民大会に参加すべきでないという内容であった。産経新聞は琉球新報の取材に対し「チラシの扱いは販売店が判断するが、公序良俗に反する内容は扱わないように注意している」と返答した[18]。
核兵器問題に関する報道
- 2006年3月4日の主張でインドの核保有を是認する旨を主張している。その理由は「インドは民主主義国で、独裁国家などと同列には語れない」というものであり、「日印関係は経済中心に取り組むべき」とも述べている。しかし1998年5月13日の主張では「インドが核による安全保障を標ぼうすればパキスタンや中国を刺激し、亜大陸は不安定になり、それはわが国への脅威なるため、日本はインド、パキスタンの核、ミサイル開発に神経質であらねばならない」と述べており主張は一変している。
- 広島平和記念式典で発表される広島市長平和宣言を、毎年のように『主張』で批判している。
- 2003年8月7日朝刊主張において、アメリカ同時多発テロ事件に言及した“報復は暴力の連鎖しか生まない”のくだりに「対テロ作戦は国際的合意に基づくものだ」と対テロ戦争を支持。
- 2006年8月7日朝刊主張において、「アメリカの核を非難する前に北朝鮮の核にこそ備えるべきではないか」とした。
- 2007年でも前年に前長崎市長・伊藤一長が平和宣言に北朝鮮の核問題を触れたことを引き合いに、「何故北朝鮮の核開発に触れないのか」と批判。
- 2008年8月6日にも北朝鮮を名指ししなかったことを改めて批判した。、2009年8月5日には“北の核についてより踏み込んだ発言を期待する”と主張[19]。ただし、平和教育については一定の必要性を認めるなどはしていた。
- 2005年7月に原爆慰霊碑破損事件が発生したため、直後の広島平和記念式典で碑文の文言(「過ちは繰り返さない…」)を平和宣言の締めに使ったことに対し「(すべて日本が悪かったと)謝罪の呪縛にとらわれているとすれば残念である」として、文言について占領史観と批判した[20][21]。
田母神俊雄前航空幕僚長に関する報道
アパグループが主催した「真の近現代史観」懸賞論文で「大東亜戦争は侵略戦争ではなく、アメリカ合衆国のフランクリン・ルーズベルトによる策略が原因」と政府見解と異なる歴史認識を主張したため更迭された田母神俊雄(当時航空幕僚長)に対し、同情的な論調を展開した。特に週刊新潮などで田母神を最優秀賞にするための工作があったのではないかと報道されたことに対しては、産経新聞客員論説解説員で当該論文の選考委員であった花岡信昭が2008年11月11日の紙面で「(疑惑の原因となった発言をした)秘書は田母神氏の受賞を最終的に認め、満場一致で決まったのである。政治問題化しているから、保身に走る気持ちは分からないではないが、とんでもない誤解を生んでいる以上、秘書のうかつな発言は重い」と、選考に問題はないとした。この記事が掲載された同日の紙面にはアバグループ(真の近現代史観懸賞事務局名義)が田母神論文の全文と論文集刊行を告知する全面意見広告も掲載されていた。
タウンミーティングやらせ問題
2007年1月30日の紙面において、裁判員制度広報のための「裁判員制度全国フォーラム」2007年1月20日、10月22日の大阪会場で日当5000円、11月20日の和歌山会場で日当3000円を支払ってサクラの参加者を動員するやらせを行なったとして、「言論、報道機関として社会の質の維持、向上という重い役割を担うべき新聞社で、国民の不信を招くような事態をおこしたことを真剣に受け止め、責任を痛感しております」との謝罪文を掲載した。
自衛隊に関する報道
2009年4月5日、海賊対策でソマリア沖に派遣されていた海上自衛隊が不審船を追い払った行為を全面的に肯定する主張を掲載した。これに対して普段は産経新聞と近しい主張をしている週刊文春2009年4月23日号から、明らかな違法行為で必要以上に擁護する姿勢は誤りという旨の批判をされた。
Twitter問題
第45回衆議院議員選挙が公示された2009年8月17日に公式Twitterを開始。民主党の圧勝・自民党惨敗が伝えられた31日早朝、「そろそろ、中の人が交代しますー。皆さんお付き合いいただいて、ありがとうございました!」と選挙特集終了を伝えた後、「産経新聞が初めて下野」、「でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが、産経新聞の真価を発揮するところ」[22][23]。 と公式アカウント(社会部選挙取材班担当記者)が発言。産経が自民党寄りであることを如実に表したものとされ、「メディアの中立性を破壊している」、「産経、本気なのか」というつぶやきが相次いだ。
夕方に、公式アカウントが、「軽率な発言だったと反省しています。ご不快の念を抱かれた方には、お詫び申し上げます」、「新政権を担う民主党に対し、これまで自民党政権に対してもそうであったように、是々非々の立場でのぞみたいという意思表示のつもりでした」と謝罪・釈明した[24][25]。
PJニュース編集長の小田光康は、この問題について、プロのジャーナリストといえども人の子で、自分の思い込みや油断によって世間一般の常識から逸脱した表現を無意識のうちに公開してしまう危険性がある、信頼性がブランドとなっている報道機関にとっては致命的な事態であり、編集の重要性を問い直す事件であったと述べている[26]。
誤報と訂正もしくは盗作疑惑
- 1993年11月11日、清沢平・元大昭和製紙副会長への逮捕直前単独インタビューを夕刊に掲載したが、インタビューに答えた人物は弟だったとして翌々日の紙面にて訂正報道した。
- 1995年一連のオウム真理教事件において「警察庁長官襲撃事件 監視カメラに犯人の姿 南千住駅」「横浜異臭事件 毒ガスホスゲンの症状」「オウムに内乱罪適用へ」などの誤報虚報を連発した[27]。
- 2000年10月11日朝刊社会面に掲載した「ノーベル化学賞の白川氏 一貫した『知りたがり屋』」の記事が『日経産業新聞』の記事を盗用していたことがわかり、産経新聞社は13日、日本経済新聞社に陳謝した。産経新聞社は同日付で東京本社編集局長をはじめ、同社会部長、次長、記者ら計5人を減給処分とした。盗用したのは日経産業新聞連載『日本のオリジナリティー』の1997年10月15・16日付「導電性高分子を開発白川英樹氏」の記事で、白川氏の業績を紹介している。
- 2002年、小泉純一郎首相(当時)の初訪朝には民間機を使用し、政府専用機は使用しないことになったとの記事を掲載した。だが同日、読売新聞に自衛隊員とともに政府専用機を使用して訪朝することを前提とした事前調査の記事が掲載された。翌日、読売グループの日本テレビは自社番組ズームイン!!SUPER中の「新聞のミカタ」で、産経新聞のこの報道を“何の根拠あってのことか説明せよ”と批判した。結果的に小泉首相は訪朝に政府専用機を使用し、産経の誤報が確定した。
- 2003年4月28日、毎日新聞『リーダーな女たち』で書かれた“一日ハンストの後に戦争が終わるまでパン断ちをして願掛けをする”記事を誤読し、翌日の産経抄において「戦争が終わるまでハンストをやる。それは勝手だが、驚いたのはそのハンストは、白米・パン・肉を断つものというのだった。世の中には麦めしもあるしそば・うどんもある。魚もスナック菓子も豊富だ。それらは食べ放題であるらしい。これが笑わずにいられるだろうか。」と批判した。
- 2003年10月24日の産経抄で、「偽エチオピア皇帝事件」を引き合いに出して有栖川宮詐欺事件を取り上げたが、前日の毎日新聞コラム『余録』に、ほぼ同じ内容(参考資料が『詐欺師の楽園』(種村季弘著、岩波現代文庫)である点までが同一)が掲載されていた。
- 2005年5月、フィリピンのミンダナオ島に、旧日本兵3人が生存しているとの記事を掲載した。3人の具体的な氏名まで報道し、日本大使館員も現地調査を行うなど、大騒ぎになった。しかし、旧日本兵は存在せず、産經新聞が情報を提供した人物からの虚偽情報を検証もせずに掲載したことに批判が集まった。産經新聞は東京本社社会部長名で謝罪と反省記事を掲載し、後日検証結果を公表することを約束した。
- 2005年10月25日付夕刊の写真グラフで月をバックにしたコウノトリの合成写真の虚偽報道を行った。記者が合成写真であることを申告せずに出稿、同社としてチェックしきれないまま掲載したことが原因。産経新聞は30日に事実を発表し31日の朝刊一面で「読者に対する重大な背信行為で、新聞報道に対する信頼を揺るがせかねない深刻な問題と受け止める」として謝罪した。
- 2005年11月17日、MEMRI(Middle East Media Research Institute、中東メディア研究所)の「Inquiry and Analysis Series No 251 Nov/15/2005 フランスの暴動に対するアラブ、ムスリム世界の反応」記事と内容が酷似する記事を掲載。問い合わせに対して産経新聞社は記事は提供を受けたと回答した。MEMRIは、苦情を申し入れて産経新聞社はチェックと撤回を行って訂正版を出したと表明。
- 2006年1月23日の朝刊で、「ライブドア電子商店街から決算前に契約料徴収-利益計上後解約し返還」との見出しで虚偽の報道をしたり、2月14日の朝刊では「ライブドアの退職者数が既に数百人」などと事実無根の報道を行ったと翌日のライブドアニュースで社内資料に基づき反論された。
- 2007年1月20日、大学入試センター試験の解答を電子版でフライング掲載。のちに謝罪。
- 2007年5月5日、古森義久記者により、AP通信電を基にした『占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明』が書かれたが、原文では米軍は命令ではなく(日本内務省の申し出を受けた)許可をしていた旨記述されていた事が判明。22日に電子版も含めた全記事を訂正。
- 2007年11月28日、元防衛省事務次官守屋武昌・幸子夫妻逮捕を受けて、幸子被告の実家が宮城県の老舗酒蔵であると報道したが、実際の出身地は茨城県であった。
- 2007年12月10日、日本在住のバングラデシュ人男性がアルカイダ関係者に送金していたかのような記事で名誉を傷つけられたと主張して産経新聞社に330万円の損害賠償を求めた訴訟につき、東京地裁が名誉棄損の成立を認め、同社に330万円の支払いを命じた。
- 2008年6月20日、朝刊一面「朝の詩(うた)」欄に、読者投稿とされる詩『じぶん』を掲載したが、実は本作は相田みつをの作品『肥料』であった。翌21日付で「おわび」を掲載すると共に相田美術館に謝罪。選者の新川和江も盗作を見抜けなかった。産経新聞広報室によると、投稿者は“家族が書いた未発表のものだと思った”と盗作を否定しているという[28]。
- 2009年1月1日、落語家の桂三枝と桂きん枝がそれぞれ桂文枝、桂小文枝を襲名すると報じたが、その事実はなかった。
- 2009年4月8日、「舞鶴少女殺害事件」の記事で、甲南大学の渡辺顗修教授の「(中容疑者は)窃盗罪で服役しており、逃亡の恐れはない。科学捜査や周辺捜査をもっと積み上げ、殺人容疑がさらに固まった段階で逮捕する、というのも選択肢の一つだったのでは」とのコメントを紹介したが、渡辺氏は自らのブログで、「産経新聞の取材はそもそも受けていない。」と否定した。さらに渡辺教授は、通信社から産経新聞に配信された可能性にも言及するが、通信社に出したコメントの内容とも異なっていると指摘している。
- 2009年4月10日、天皇・皇后両陛下ご結婚50年祝賀行事で麻生太郎総理大臣が祝辞の中で、「弥栄(いやさか)」を「いやさかえ」と誤読したと報じたが、「いやさかえ」が正しい読み方で「いやさか」が誤読であった。しかし、産経新聞は訂正や謝罪を一切せず、web版からこっそりと記事を削除しただけであった。
- 2009年5月6日、新型インフルエンザに関する記事で、「厚労省新型インフル対策推進本部では「早く届けてほしいというのが国の立場だ。ただ、自治体側が責任を持って独自判断をするなら、無理矢理に届けろとはいえない」と話している」と報道したが、当日中に厚生労働省から、このようなコメントはしていないと否定され「染症法12条等に規定する都道府県の国に対する届出は、いずれも、直ちにもれなく行わなければならないものです。自治体の独自判断により届け出ないことは法律に違反するものです」と指摘された[29]。
脚注
- ↑ 後に、産経新聞社は、自社の広報書籍である『産経が変えた風』133ページで、「行革キャンペーンで取り上げた豪華な庁舎」のキャプション付きで倉敷市庁舎の写真を掲載した。
- ↑ その後、1994年に久保紘之編集委員による特集「新謀略史観」で、レフチェンコ証言を「伝聞に基づくものであった」と改めて全否定している。
- ↑ 『週刊現代』(1999年2月27日号)、『週刊文春』(2001年1月25日号)
- ↑ 『産経が変えた風』
- ↑ この事件を同じくテレビ報道した朝日放送石高健次と同時受賞。
- ↑ 『沖縄タイムス』1999年5月15日。
- ↑ 内藤は、「あの部分は産経の記者が独自のソースで判断して記事にした」と分析結果を否定している。
- ↑ 小林よしのり『ゴー外!! 1 翻弄されない視座をもつ 小林よしのりの痛快“こき下ろし”SPECIAL』アスコム(2004年8月)
- ↑ 自衛官が「産経」で記者研修 防衛庁、92年から計36人派遣しんぶん赤旗2004年6月19日
- ↑ 自衛官に“総理番記者”をさせた『産経新聞』週刊金曜日第511号
- ↑ 同じ産経新聞社の編集発行する『夕刊フジ」では、『産経新聞』とは完全に論調が逆で、徹底的に消費者金融業者側を糾弾している。
- ↑ 記念碑のその後について、『産経新聞』は、6月5日朝刊コラム「一筆多論」で、記念碑は竹板で覆われ、『君が代』などの文字が刻まれた8つの小さな石碑は県の公園事務所の片隅に置かれた状態になっていると伝えた。
- ↑ 『週刊金曜日』第699号『大阪・門真市立中学校 産経新聞・右翼・府教委が「偏向教育」攻撃 国歌斉唱「不起立」は生徒の「内心の自由」だ』
- ↑ 【Re:社会部】「派遣村」の何だかなぁ…
- ↑ 産経記事、「事実誤認も甚だしい」―日医
- ↑ 小林よしのりは、イラク戦争中数度にわたって『新・ゴーマニズム宣言』の中で石井の主張を批判している。
- ↑ これを週刊新潮は2007年10月18日号で「産経は途中から沖縄の集会を持ち出しましたが、 論点を変えずに論議を深めて欲しかったですね」「例えば北朝鮮による拉致集会の参加者だったら産経は主催者発表を参加者数として報じるでしょう」との田島泰彦のコメントや、「昔の朝日だったら、知らん顔して無視していたはず」「まともに反論してみっともない」との塩田丸男のコメントを掲載し「ガキのケンカ」と評した。
- ↑ 『琉球新報』2008年3月24日
- ↑ 広島市側は2005年の平和宣言で北朝鮮の核についても言及しているとして、この批判に対し“無視”の方針を採っている。
- ↑ 産経新聞は2007年7月2日の朝刊産経抄においても、久間章生(当時防衛大臣)の「原爆投下はしようがない」との発言を批判しつつ原爆慰霊碑の碑文を「素直に読めば、原爆投下は、日本人に責任があるということになる。この碑文をありがたがる人たちに、久間発言を非難する資格はない」と主張している。
- ↑ 広島市は慰霊碑公開の2日前の1952年8月4日の広島市議会における浜井広島市長(当時)の答弁以来、一貫して公式に主語を人類全体であると重ねて表明しており[1]1983年には、慰霊碑横に日本語と英語で主語も明記した説明文も設置してあるが、前述の主張(社説)や正論で繰り返し取り上げた通り、産経新聞は、あくまで主語は人類ではなく日本人であるという前提で批判している。
- ↑ 産経新聞社会部 () 産経新聞社会部 産経新聞社会部 (SankeiShakaibu) on Twitter 産経新聞 [ arch. ] 2009-10-22
- ↑ 猪谷千香 (2009-08-18) 猪谷千香 【速報】社会部選挙班の第一声 ニュース記事に関連したブログ ブンカ×ブログ 2009-08-18 arch. 2009-08-31 2009-10-22
- ↑ (2009-08-31) 「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ」 ツイッター軽率発言を産経新聞が謝罪 J-CASTニュース ジェイ・キャスト [ arch. ] 2009-10-22
- ↑ (2009-09-02) 産経社会部、総選挙めぐり不適切書き込み 自社ページに 朝日新聞 [ arch. ] 2009-10-06
- ↑ 小田光康 (2009-09-08) 小田光康 「産経ツイッター事件」は何を意味したか=「編集の重要性」と「読者の囲い込み」 PJニュース ライブドア [ arch. ] 2009-10-22
- ↑ 月刊『創』1995年6月号~8月号
- ↑ 産経新聞2008年6月20日朝刊、同6月21日朝刊、報知新聞2008年6月22日
- ↑ 厚生労働省新型インフルエンザ対策本部 本日付産経新聞の記事について
関連項目
参考文献
- (2001) ウェーブ産経事務局編 [ 産経が変えた風…正論を貫いて ] 産経新聞ニュースサービス 2001 11 9784594032982