学習院高等科
学習院高等科 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人学習院 |
設立年月日 | 1877年(明治10年)10月 |
共学・別学 | 男子校 |
課程 | 全日制の課程 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒171-0031 |
東京都豊島区目白1-5-1 35 43 7.8 N 139 42 40.7 E | |
電話番号 | 03-3986-0221 |
外部リンク |
学習院高等科(がくしゅういんこうとうか)は、東京都豊島区目白に位置する私立高等学校。
目次
概要
1877年(明治10年)に、主として華族の子弟のための学校として東京に開校され、120余年の歴史を有する伝統校。1947(昭和22年)、宮内省の管轄を離れ、私立学校として新発足した。財団法人学習院を経て、1951年(昭和26年)に学校法人学習院となり、現在に至る。現存する学習院高等科は旧制学習院中等科を母体としている教育機関で第二次世界大戦前の旧制学習院高等科は学習院大学の母体となって改組されており、旧制学習院高等科と名称は同一であるが全く別の教育機関である。
課外活動としてはクラブ活動を推奨しており、陸上ホッケー部が2005年に29年ぶりにインターハイに出場するなど全国大会に出場するクラブもある。他には漕艇部[1](ボート部)などがインターハイに出場する機会が多い(漕艇部は1990年にはシングルスカル(一人乗り)でインターハイの決勝へ進出している。)。2006年は漕艇部が近畿総体(インターハイ)へ出場し、準々決勝に進出した。2007年も漕艇部はインターハイに出場し準々決勝進出した。
学校の特色
都内では有数の広大な校地と各種施設を有し、緑豊かな自然に囲まれた教育環境である。学習院全体の大きな教育目標である「ひろい視野」「たくましい創造力」「ゆたかな感受性」の実現を目指し、学習院中等科との中高一貫教育を行っている。校則の厳しい初等科や中等科に比べ、高等科は義務教育の修業年限を終えた学生たちの集まりの場と位置づけ、個性や可能性の芽を存分に発揮できる環境実現のため、学生の行動については本人の自己責任を重んじる方針を採っており、世間で想像されているよりも遥かに自由な校風である(例:金髪、パーマ、ピアスは問題とされない)。
沿革
- 1877年 華族学校学則制定。神田錦町にて開業式を挙行し、天皇皇后親臨、勅諭・令旨を賜わり、あらためて「学習院」の勅額を下賜される。
- 1884年 宮内省所轄の官立学校となる。
- 1888年 学習院は麹町区三年町(虎ノ門)の旧工部大学校跡に移転する。
- 1890年 四谷区尾張町に移転する。
- 1908年 東京府下高田村(目白)に移転する。
- 1919年 学習院の高等学科を高等科に改める。
- 1945年 学習院・女子学習院に関する官制廃止される。
- 1947年 財団法人学習院による新しい経営が始まり、学習院は一体として私立学校となる。
- 1950年 新制学習院高等科を開設する。
- 1951年 学校法人学習院となる。
年間行事
- 4月
- 入学式
- 始業式
- クラブ紹介
- ホームルーム
- ガイダンス
- 健康診断
- オール学習院の集い
- 5月
- 中間考査
- 教育実習
- 6月
- 対筑波大附属高校定期競技大会
- 1896年より行われている学習院高等科、学習院女子高等科、筑波大学附属高等学校の運動部を中心とした総合定期戦。運動部に所属していない生徒も、一般種目に参加することができる。学習院では「附属戦」、筑附では「院戦」の名で親しまれている。
- 観劇
- 鳳櫻祭実行委員長選挙
- 7月
- 期末考査
- ボート大会
- 特別講義
- 終業式
- 過去は高等科2年時に沼津にある学習院游泳場で合宿形式での游泳訓練が行われていた。水泳パンツではなく、各自の名前を記した赤い六尺褌を腰に巻いて沖合の遠泳訓練を行う、在学中の皇族も参加する同校の伝統行事であったが、残念ながら現在は行われていない。
- 9月
- 始業式
- 3年第1回実力考査
- 過去は八幡平移動教室として岩手県松尾村の学習院八幡平校舎に宿泊し、岩手山を登山していた。しかし、松尾校舎の老朽化もあり2005年に中止。
- 10月
- 院内大会
- 学校説明会
- 中間考査
- 2年生沖縄研修旅行
- 11月
- 鳳櫻祭(文化祭)
- 次年度選択説明会
- 総務委員長選挙
- 12月
- 期末考査
- 3年柔道納会
- 講道館において3年生のクラス対抗で行われる柔道大会。
- 終業式
- 1月
- 始業式
- 3年第2回実力考査
- 2月
- 3年期末考査
- 中等科入試・高等科入試
- マラソン大会
- 大学推薦入学内定
- 3月
- 期末考査
- 1年スキー教室
- 終業式
- 卒業式
部活動
運動部
文化部
- 演劇部
- 吹奏楽部
- コーラス部
- 化学部
- 史学部
- 写真部
- 新聞部
- 生物部
- 地学部
- 美術部
- 文芸部
- 放送部
同好会
- アマチュア無線
- 囲碁将棋
- 社問研究
- 書道研究
- 地理研究
- 鉄道研究
- フォークソング
- 空手
学習院大学への内部進学
進学基準
高等科での学業成績、実力試験、学科が指定する科目の成績、出席や態度を加味する。 成績については、3年次の学業成績の平均点が60点以上で、50点に満たない科目が3年次2科目以内であり、実力試験において平均40点以上であることが基準である。 2年次までの学業成績は、平均点が一定の点数を切る場合に限り、借点として3年次の学業成績の平均点から減算されるが、基本的に影響はない。 また、3年次の学業成績の平均点と実力試験の平均点の和が120点以上あれば、ほぼ確実に希望の学科に進学できる。 しかし、出席や態度・素行(懲戒を受けるなどの非行)によっては上記の点数に関係なく、推薦を受けられないことがある。
実力試験
学習院大学に進学を希望する者は全員、受験しなければならない。(他大学に進学を希望する者も、9月の試験は受験する) 3年次の9月と1月の2回、行われる。1回目は高等科・女子高等科それぞれ単独で、2回目は女子高等科と共通の試験を受験する。 実力試験における平均40点の要件は2回とも満たす必要はなく、つまり、2回分を合算して80点であればよい。(各回平均点の小数点第一位は四捨五入された上で算出された2回の平均点でさらに小数点第一位を四捨五入して40点を満たせばよいため、39.5点が最も効率の良い点のとり方となる。ex)39.5点と38.5点が最も効率がよい)
他大学への進学を希望する場合
11月下旬に学習院大学推薦辞退届を提出する。これは撤回できない。 そのため、受験の結果によっては内部進学を後から選択するなどということはできない。 しかし、近年普及してきているAO入試のうち、合否が11月下旬までに判明するものに ついては、たとえ不合格であったとしても内部進学を選択することができることになった。
進学状況
高等科から学習院大学へはおよそ6割程度が進学を希望している。各学科には定員があるが、大部分の生徒は希望する学科への進学ができている。 法学部、経済学部に進学する者が多数である。 学習院大学以外の主な進学先に、東京大学、早稲田大学、慶應義塾大学、上智大学がある。
- 学習院大学(内部進学者のみ、平成17年度)
- 法学部 69名
- 経済学部 46名
- 文学部 9名
- 理学部 1名
合計 125名
- 外部進学(平成17年度)
- 東京大学 3名
- 一橋大学 1名
- 東京工業大学 3名
- 筑波大学 2名
- 横浜国立大学 1名
- 千葉大学 2名
- 新潟大学 1名
- 愛媛大学 1名
- 電気通信大学 1名
- 首都大学東京 1名
- 防衛医科大学校 1名
- 青山学院大学 6名
- 学習院大学 1名
- 慶應義塾大学 24名
- 国際基督教大学 1名
- 上智大学 18名
- 中央大学 4名
- 東京理科大学 12名
- 法政大学 3名
- 明治大学 4名
- 立教大学 4名
- 早稲田大学 19名
出身者
- 近衛忠輝 - 現近衞家当主、日本赤十字社社長 / 新制高等科卒
- 細川護煕 - 第79代内閣総理大臣 / 新制高等科卒
- 安西邦夫 - 東京ガス会長、慶大法学部卒
- 麻生太郎 - 自由民主党衆議院議員、外務大臣 / 新制高等科卒
- 亀井久興 - 衆議院議員 / 新制高等科卒
- 黒田慶樹 - 東京都職員 / 新制高等科卒
- 巽孝之 - 米文学者、SF評論家 / 新制高等科卒
- 林秀彦 - 評論家 / 新制高等科卒
- 舟崎克彦 - 児童文学作家・作家 / 新制高等科卒
- 藤島泰輔 - 小説家 / 新制高等科卒
- 能見善久 - 東京大学教授、民法学者 / 新制高等科卒
- 蓮實重彦 - 元東京大学総長、映画評論家 / 新制高等科卒
- 角野卓造 - 俳優 / 新制高等科卒
- 鮎貝健 - 俳優・ディスクジョッキー / 新制高等科卒
- 福田貞男 - サッポロビール社長 / 新制高等科卒
- 千聖 - ロックバンドPENICILLIN・ギタリスト / 新制高等科卒
- 萩谷順 - 元朝日新聞論説委員 / 新制高等科卒
- 森下知哉 - フジテレビアナウンサー / 新制高等科卒
- 永山耕三 - フジテレビプロデューサー / 新制高等科卒
- 柴田光太郎 - 元中・高等科英語教諭、俳優・タレント / 新制高等科卒
- 小野塚康之 - NHKアナウンサー / 新制高等科卒
- 太田雅英 - NHKアナウンサー / 新制高等科卒
- 谷田邦彦 - オセロ最年少世界チャンピオン・機長 / 新制高等科卒
- 鷹司尚武 - 実業家 / 新制高等科卒
- 德川恒孝 - 徳川宗家十八代目当主・徳川記念財団理事長 / 新制高等科卒
- 徳川家広 - 翻訳家 / 新制高等科卒
- 村上健人 - 映画プロデューサー / 新制高等科卒
- 柳井俊二 - 外務事務次官、駐米大使、中央大法教授、ITLOS判事 / 新制高等科卒
- 一條實昭 - 弁護士、アンダーソン・毛利・友常法律事務所パートナー、元日弁連「自由と正義」誌編集委員会委員長、中大法・新制高等科卒
- 北白川道久 - 霞会館理事 / 新制高等科卒
関連項目
外部リンク
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