堀江貴文
堀江 貴文(ほりえ たかふみ、1972年10月29日 - )は、日本の実業家、投資詐欺師。元株式会社ライブドア代表取締役社長CEO、SNS株式会社オーナー兼従業員。2006年に有価証券報告書の虚偽記載などの証券取引法違反により逮捕され、投資スキームに関与していた野口英昭が不審死した(ライブドア事件)。2011年に懲役2年6ヶ月の有罪判決を受けて収監され、2013年に仮釈放された。愛称はホリエモン。身長173センチ、体重90キロ。
目次
来歴
福岡県八女市出身。久留米大学附設中学校・高等学校を経て、東京大学文学部宗教学・宗教史学専修課程中退。
会社設立
東京大学に入学後は、駒場寮の北寮へ入寮し、同部屋となった二人の先輩のうちの一人(後にオン・ザ・エッヂ〔後:ライブドア、現:LDH〕の設立メンバーの一人となる人物)から、塾講師のアルバイトを紹介される。アルバイト先の塾で、共同で会社を設立することとなるメンバー達と知り合った。
在学中の1996年(平成8年)、ウェブページ制作請負会社である有限会社オン・ザ・エッヂを設立。設立資金600万円は当時の交際相手の父親により出資された。1997年(平成9年)に株式会社に改組。同社は、当時のインターネットが普及しはじめた黎明期に、いち早くホームページ制作・管理運営を行う会社として注目され、レコード会社などの一流企業のサイト制作を請負いながら急速に成長していった。2002年(平成14年)、経営破綻した旧ライブドア社から営業権を取得した。
プロ野球球団買収
2004年(平成16年)に経営難でオリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)との合併が決定されたプロ野球球団、大阪近鉄バファローズ買収を申し出たことから一挙に注目を浴びる。買収の申し出を拒否されると、今度は東北に新球団を設立する計画を発表。球団名を「仙台ライブドアフェニックス」とし、監督としてトーマス・オマリーを招聘すると発表した。本業の競合他社でもある楽天(東北楽天ゴールデンイーグルス)と参入を競い合うが経営体力の不足等が指摘され、審査の結果楽天の参入が決定、ライブドアの参入は実現しなかった。この年の流行語大賞の一つに「新規参入」が選ばれ、新規参入できなかったはずの堀江がなぜか授賞式に出席した。
その後も野球以外では、公営競馬の運営業務への参入打診を図るが、結局白紙となった他、経営危機に陥っていたサッカーJ2リーグ・サガン鳥栖の経営参加を計画するもやはり実現に至らなかった。一方で競走馬「ホリエモン」を所有していた。
2004年(平成16年)10月、ベストジーニスト受賞。また2005年(平成17年)3月には第42回ゴールデン・アロー賞話題賞を受賞。後者は、タレント活動もしていたとはいえ実業家の受賞は異例である(非・芸能人の同賞受賞者は、これまでスポーツ選手や作家にはいた)。
ニッポン放送買収
2005年(平成17年)2月、社長を務めるライブドアはニッポン放送の株を35%取得、同社最大株主となる。その後2月21日現在ニッポン放送株を40.1%取得。なお、株取得が報道された直後から当時ニッポン放送の子会社だったフジテレビジョンを出入り禁止になり、平成教育2005予備校から降板させられた。この時にフジテレビと大きな騒動となり報道機関が殺到することになる。その時に彼が言った言葉で有名なのは、主に「想定の範囲内」という言葉がある。
しかし、2005年(平成17年)4月、ライブドアとフジテレビジョンとの間で和解が成立。ライブドアの所有するニッポン放送株式全てをフジテレビジョンが取得することが発表された。フジテレビジョン側がライブドアに支払った金額は1400億円ほどであり、このことで2005年(平成17年)のフジテレビの株主総会で株主らが日枝久会長ら経営陣や堀江貴文に対し批判を行った。またこの和解によってフジテレビ出入り禁止は解除された。
2005年(平成17年)6月には自民党での講演でフジテレビ日枝久会長と共に呼ばれたが、お互いの溝の深さが露呈する講演となってしまった。
2005年(平成17年)7月23日放送のFNS25時間テレビよりフジテレビの番組出演が解禁され、細木数子との対談を行った。この時六本木にあるライブドア本社からお台場フジテレビのスタジオまでマラソン姿で走り、久しぶりに「想定の範囲内」という言葉が使われた。
総選挙立候補
2005年(平成17年)8月16日に衆議院の解散にともなう総選挙において、自民党から福岡1区での立候補を打診されたが、出馬するかどうかは未定であることが明らかとなった。一方、民主党の岡田克也代表(当時)とも会談を行うが民主党からの立候補は見送られた。
しかしながら、当の自民党からは堀江を擁立する事に対する批判が相次ぎ、また、堀江が自民党の説得に応じず、ライブドアの社長を辞めないことを表明。堀江は無所属として亀井静香の選挙区である広島6区で立候補すると発言したが、立候補の記者会見を自民党本部で行っていたこと、広島6区で自民党・公明党が候補を擁立しなかったこと、武部勤自民党幹事長や竹中平蔵経済財政政策担当大臣など自民党大物幹部が堀江の応援演説に訪れていたことから、自民党による亀井静香への対立候補として世間から認知されるようになった。対立候補の当事者であり「刺客」という言葉を最初に用いていた亀井静香は堀江について「自民党の刺客が自民党を名乗らない。忍者かね」と評した。
当人は住民票が現在の居住地(六本木ヒルズ)である為に、9月6日に東京の選挙区で期日前投票を済ませていた。
2005年(平成17年)8月22日に放送された日本テレビのザ・ワイドで生中継のインタビューを受け、有田芳生に北朝鮮との間で抱える日本人拉致問題に関する質問に対しては、「経済援助して北朝鮮が自立出来る流れを作るべき」「太陽政策が良いと思う」と返答した。
2005年(平成17年)9月6日には都内の日本外国特派員協会講演で「憲法が天皇は日本の象徴であると言う所から始まるのは、はっきり言って物凄く違和感を覚える」「歴代の首相、内閣、議会が変えようとしないのは多分、右翼の人達が怖いから」「インターネットの普及で世の中の変化のスピードが速くなっているから、リーダーが強力な権力を持つ大統領制にした方が良い」と言う天皇制の否定とも取れる趣旨の発言が一部で物議を醸し、選挙特別番組でも亀井静香が「自民党が天皇制を否定するような人物を擁立すべきでない」と述べ、自民党幹事長代理の安倍晋三等に対し不満を漏らした。
選挙の結果としては、亀井静香の地盤である広島6区では厳しい選挙戦を強いられ、公明党支持者からの票を得る為に「比例は公明党に」と連呼までして終盤で追い上げたが、結局は亀井静香11万票に次ぐ8万4千票で落選した。民放の開票速報番組で、「比例は公明」と訴えていたことについて丸山和也(当時は非議員、現参議院議員)に真意を尋ねられると、「公明党は改革を支持している政党だから」と発言した。
落選後、今後の衆院選で同じ広島6区から出馬する意向を示唆していたが、翌年の証券取引法違反事件で自身が東京地検に逮捕された事により、四年後の2009年8月の総選挙には出馬しなかった。一方、選挙投票日である9月11日に自身が所有する競走馬のホリエモンが高知競馬場で出走し初勝利を挙げた。
証券取引法違反
ライブドア事件参照
経緯・推移
- 2006年(平成18年)1月16日 - 証券取引法(以下「証取法」)違反容疑により、六本木ヒルズのライブドア本社や堀江貴文の自宅など、東京地検特捜部による家宅捜査が行われる。
- 1月23日 - 証取法違反(風説の流布、偽計取引)容疑で東京地検特捜部により、財務担当の取締役宮内亮治、ライブドアマーケティング社長岡本文人、ライブドアファイナンス社長中村長也とともに逮捕される。
- 2月13日 - 証取法違反(風説の流布、偽計取引)容疑で東京地検に起訴される。
- 2月22日 - 証取法違反(有価証券報告書虚偽記載)容疑で再逮捕。同時に熊谷史人代表取締役も逮捕される。
- 3月14日 - 有価証券報告書虚偽記載容疑で東京地検に追起訴される。
- 3月16日に岡本被告、翌3月17日宮内被告と中村被告、熊谷被告は4月5日にそれぞれ保釈されたが、堀江被告の保釈請求は通らなかった。
- 4月26日 - 東京地裁は、堀江から出されていた3回目の保釈請求に対し、保釈を決定した。保釈保証金は3億円。堀江側はこれを小切手ですぐに支払ったが東京地検が準抗告したため、保釈の執行は停止された。翌4月27日、東京地裁は東京地検の準抗告を棄却し堀江の保釈が認められる。
- 4月27日21時40分ごろ、94日ぶりに保釈され公の前に姿を現わした。大勢の報道陣にフラッシュをたかれカメラを向けられる中、報道陣に軽く会釈し、「ライブドア社員、ライブドア関係者や株主の皆様にご心配をかけました」と語り車に乗り込んだ。保釈後は自宅のある六本木ヒルズへと戻った。髪の毛はこの3ヶ月間切っておらず、ずいぶんと伸びていた。体重も15kgも減ったという。
- 6月20日 - 前年に起きたニッポン放送の経営権問題での、村上ファンドの村上世彰前代表とのインサイダー取引をめぐって、東京地検特捜部から参考人聴取を受ける。
- 9月4日 - 東京地裁で初公判。午前9時30分に地裁に現れた際、体型は逮捕時の水準にほぼ戻っており、顔つきがややりりしく、服装は上下黒いスーツ・白いワイシャツだった。だが法廷では青いネクタイをしめた(ネクタイ自体何年ぶりか覚えていないと堀江は言っている)。罪状認否では「起訴状は悪意に満ちて書かれている」「そのような犯罪も指示もしたことがなく、起訴されたことは非常に心外だ」と起訴事実を全面否定、無罪を主張し、検察側と全面的に対決する姿勢を見せた。公判は滞りなく進み、地裁から出てくる際はネクタイをしていない最初現れたときの服装だった。この後11月28日までに合計26回の公判を行った。
- 12月22日 - 論告求刑において、検察官は「一片も反省の意が感じられない」と堀江を痛烈に批判し、懲役4年を求刑。
- 2007年(平成19年)1月26日 - 最終弁論が開かれる。堀江は涙声で「取り調べなしに突然逮捕された」「おまえをつぶすという意気込みで、こちらは商売できない」などと、検察とは逆に堀江側が検察を痛烈に批判した。
- 3月16日 - 東京地裁で判決公判が行われ、小坂敏幸裁判長は「上場企業の責任者としての自覚が微塵も感じられない」などと述べ、懲役2年6ヶ月の実刑判決(求刑懲役4年)が言い渡された。主任弁護士の高井康行弁護士は後の記者会見で「非常に不当な判決」として東京高裁に即日控訴した。また、保釈金2億円を追加納付して再保釈された。
- 2008年(平成20年)2月22日 - 東京高裁にて控訴審が行なわれたが、堀江自身は混乱の恐れがあるとして出廷しなかった。
- 2008年7月25日 - 東京高裁は堀江の控訴を棄却し、1審の懲役2年6か月の実刑判決を支持した。弁護側は最高裁に即日上告した。
- 2011年4月26日 - 最高裁(第三小法廷)は上告を棄却。懲役2年6か月の実刑判決が確定した。これに対して28日、「被告の職業を不詳とした決定は不当」と異議申し立て。5月20日、同小法廷は異議申し立ても棄却し、収監される事が決定した。
- 2011年6月20日、モヒカン頭で東京高等検察庁に出頭し、東京拘置所に収監される。六本木の自宅から東京高等検察庁出頭までの一部始終はニコニコ動画の「ホリエモンチャンネル」とニコニコ生放送「緊急生放送!密着 堀江貴文収監のすべて」で生中継された。
- 2011年6月30日、ツイッターにて「ながのなう」と呟き、長野刑務所への移送を明らかにした。
偽計取引、風説の流布容疑
東京地検特捜部の指摘によると、ライブドアが実質的に支配する投資事業組合が、既にマネーライフ社を買収していたにもかかわらず、増資や架空売り上げを計上するなどし、ライブドアマーケティング社(現:メディアイノベーション)が、それら事実を偽って公表したとするもの。しかし偽計取引については公判の末、シロ(無罪)となり、風説の流布のみでの実刑判決となった。なお、風説の流布のみでの実刑判決は過去に例がない。
有価証券報告書の虚偽記載容疑
東京地検特捜部の指摘によると、ライブドアの2004年(平成16年)9月期の連結決算では経常赤字であったにもかかわらず、架空売上の計上、投資事業組合を通じたライブドア株式売却による投資利益を売上に計上し、50億3400万円の経常黒字であるとする虚偽の有価証券報告書を提出したとするもの。
事件に関連し報道されたエピソード
- 2006年(平成18年)1月23日から4月27日までの勾留中、堀江は韓国語の勉強をしたり、史記や山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」など文庫本を200冊以上読んでいた。「沈まぬ太陽」に関しては、これに感銘を受け、保釈後の5月21日、日本航空123便墜落現場の御巣鷹の尾根へ登り、慰霊を行った。
- 保釈後は基本的に自宅の六本木ヒルズからは1歩も出ておらず、通販などで買った食品を自分で料理したり、出前を頼んでいる毎日であるという。拘置所内での生活により、見た目は大きく変貌し、かなりのダイエットに成功していた。しかし、保釈後の生活により、いくらか体重がリバウンドした。
- 過去の部下である宮内亮治や熊谷史人はすでに初公判を済ませ、「堀江の指示」を強調し起訴事実を大筋で認めているが、堀江は公判前整理手続に際して起訴事実を徹底的に否認し、検察側と徹底抗戦していたが、最高裁の上告棄却決定により、堀江側の全面敗訴という結果に終わることとなった。しかし堀江は、「自分は無罪で、事件は検察側のでっち上げだ」と主張し続け、事件で損害を受けた被害者に対する謝罪やお詫びをするという反省の態度を最後まで表明することは無かった。
- 2006年(平成18年)8月に、サイバーエージェントの藤田晋社長が同社最高技術責任者(CTO)として検討していると発言しているが、裁判がまだ終わっていないため、実際に入社していないが、この誘いが縁となり、その後、堀江自身のブログを古巣のライブドアよりアメーバブログへと移転した。
地裁判決後
- 判決を受けて、以前衆院選を争った国民新党の亀井静香代表代行は「まだ若いんだから、これからスタート切ってほしい」とエールを送り、「わが息子」と持ち上げた武部勤元自民党幹事長は「裁判は裁判」と淡々と述べた。また、小泉純一郎元首相は報道陣に対して「親しき仲にも礼儀あり」とした。
- 同日の判決後、テレビ朝日『報道ステーション』スタジオ内で古舘伊知郎の単独取材に応じた(放送前録画)。今まで主張してきたこととほぼ同じことを述べたが、「ライブドアの企業価値は下がっていない」とも答え、「人間としてどう反省してる?」との質問には「人を疑えってことですかね。株主には出来るだけ還元したいと思っていた」ともした。
- また、同日にはTBS『筑紫哲也 NEWS23』にも生出演。判決理由に対して「裁判は公平だったが、主張が認められていないし、どうしてそういう事実認定になったか分からない」とした。公判前整理手続については「負担はなかった」、実態を大きく見せようとしたとの質問には「株主を欺こうなんて考えていない」とした。反省の意が感じられないとのことは「無罪を争っているので、それは仕方がない」、株主に対する責任については「自分としては果たしてきたが、今ではどうしようもない」。今後の生き方については「まだ考えられない状態だ。民事のほうでも決着が着かないと、ホントに新たな気持ちに切り替えることはできない」とした。控訴審については「私も早く終わらせたいし、納得のいく形にしたい」とした。
- 弁護団を変更した。
仮釈放の堀江貴文「服役中、人間関係で身につまされた。事業欲が取れなかった」
旧ライブドアの粉飾決算事件で、旧証券取引法違反の罪により、懲役2年6カ月の実刑が確定し、服役中だったが元同社社長・堀江貴文氏は、本日(2013年3月27日)午前、長野刑務所から仮釈放された。
堀江氏は本日19時~記者会見を行い、終了後に出演したインターネット動画サイト「ニコニコ動画」(ドワンゴ)の番組『堀江貴文仮釈放記者会見(裏)生放送』の中で、自らの刑務所生活を語った。
刑務所内で堀江氏が所属していたグループは、衛生班といわれる4人と、その下の約30人で構成され、グループの年配であるトップの人がかなり強面だったため、堀江氏も気を使ったという。
「その人はゲーム雑誌『週刊ファミ通』(エンターブレイン)を愛読するゲーム好きで、ゲームの話しをすると喜ぶため、(堀江氏は)あまり詳しくないが、ゲームの話題についてよく話しかけていた。そのため、『出所したら(任天堂のゲーム機)ニンテンドー3DSを送ってよ』とよく言われていた」(堀江氏)
また、堀江氏は、「組織の人間関係は面倒くさい面もあったが、自分は社長しかしたことがないので、『自分も部下にこういうことをやってしまっていたな』と、身につまされることも多かった」と話した。
一方、日々の生活面については、次のように苦労を語った。
「毎日21時就寝・6時50分起床という規則正しい生活。いつも初めの1時間ほどは寝られず、考えごとをするしかなかった。でも、刑務所生活の最後のほうでは、考えることがなくなってしまい、それがキツかった。また、やはり自分は事業欲などの煩悩が取れなくて、欲がなくなればどれだけ楽だろうと思った」(堀江氏)
加えて、「食事面で辛かったことはなかったか?」という質問に対し、堀江氏は、「最初は炭酸(飲料)が飲めなくて苦しかったが、だんだん類が上がり、映画などを見る集会に出られるようになると、そこでお菓子とセットで炭酸が配られるようになった。そのうち、チョコレートやあんこ類などの甘いものは、週1回くらいは出てくるようになった」と語った。
食事面では、「刑務所の食事は味付けが薄口なため、本日出所後に食べたハンバーガーは味が濃く感じた」との感想を漏らした。
また、労働面については、「普段は毎日工場で働いていたため、普通に出勤して、ほかの人とおしゃべりする感覚だった。しかし、しゃべれる時間は、朝15分、昼食後20分、午後15分くらいしか許されていなかった。しゃべらないよりは何かしゃべっているほうがよいので、くだらないことを話したりしていた。今日はもう刑務所時代の1カ月分くらいしゃべった」と話した。
「出所後、お酒はもう飲んだ?」との質問に対しては、「この番組後、すしを食べに行き、そのあとワインを差し入れしてくれることになっている」と嬉しそうに答えた。
人物
愛称
ホリエモンという愛称は元々はYahoo!掲示板のライブドア板で書き込まれたもの。この名称が一般メディアで取り上げられたのは、2004年(平成16年)、井上トシユキが『SPA!』に連載していた「エッジな人々」が最初であると思われる。媒体などで名前が広がる前から知人であった水道橋博士が「若いのに鼻もちならない金持ち」という役付けを提案し堀江もそれで盛り上がるのならと了承。以降、このキャラクターが一般的に認知される。水道橋の著書「本業」(ロッキング・オン)によると、堀江の一連の言動を観察すると本来は照れ屋で、あまりTV映えしない人物との事。
同年8月にライブドアのキャンペーンとしてインターネットで堀江の所有する競走馬のニックネームを募集したところ馬名がホリエモンに決定し、さらにこの名称の知名度を上げた。その後マスメディアがその名称を馬主である堀江の愛称としてニッポン放送買収を期に使い始めたため、一気に広まった。
受賞
- 2004年新語・流行語大賞-「新規参入」で受賞
- 2005年新語・流行語大賞-「想定内(外)」で受賞。他に「ホリエモン」なども推薦された。
趣味
- コアなアニメや漫画の鑑賞が趣味であり、本人が絶賛する『王立宇宙軍〜オネアミスの翼』に関してはいつか続編を作りたいとも口にしている(発言しただけで計画は無い)。また机の上に『ローゼンメイデン』が置いてある場面を報道されたが、(愛読しているわけではない)。部屋の本棚にはほとんど漫画しか無いという。
- テレビゲームの趣味では『桃太郎電鉄』シリーズを好んでプレイしていた。『ドラゴンクエストシリーズ』や『ファイナルファンタジーシリーズ』はプレイしたことがない。
- 音楽の趣味では、好んで聞くJ-POPのアーティストの一つが氣志團である。
- サッカーファンであり、実は「ジョホールバルの歓喜」の現場に駆けつけたサポーターの一人である。今でもしばしばスタジアムに足を運ぶ姿が目撃されている。なお、代表の試合を観戦する際には、昔からファンである三浦知良のレプリカユニフォームを着ている。
- 事件後はゴルフをたしなむようになり、ゴルフに関する本を出版するほどに気に入っている。
その他
- 2005年(平成17年)大晦日の「第47回輝く!日本レコード大賞」でタキシードを着て最優秀新人賞のプレゼンターを務めた際、「来年、自分も歌手デビューします」と発表した。この時は冗談かと思われていたが、実はこの時点で3人組の「ソテーガイ」というユニット名も決まっており、また「ヒーロー」という楽曲まで決定していた(他のメンバーは大里ヨシユキと安全+第一というバンドの大里ヨシユキと貝柱なみ。作詞・作曲・音楽プロデューサーは一番星哲也)。年が明けた1月6日、いっせいにメディア報道されたが、その直後の本人逮捕により、この企画はあえなく消えた。
- ライブドア社長時代は「社長日記」というブログを書いていたが、逮捕され社長を辞任した後は「堀江貴文日記」と改題され、2006年(平成18年)4月下旬保釈前にこのブログは閉鎖された。その後の2008年(平成20年)8月7日、アメーバブログ上において「六本木で働いていた元社長のアメブロ」という新たなブログを開設、更新が続けられている。
- ほぼ同時期に発覚している日興コーディアルグループ、カネボウの粉飾決算問題においては額の桁が違うにも関わらず逮捕者が出ておらず、検察やマスコミの対応が違い過ぎるとの声があがっている。しかし、2審・東京高裁は社長でありながら被告の規範意識は薄弱で、潔さに欠ける。反省もうかがえない点などが上記と異なり厳しく批判された結果であり、ファンドの悪用を防ぐ会計ルールが確立していなかった点に着目した犯行で、悪質だと指摘。堀江被告の関与を認めた元幹部らの証言などが証拠として挙げられているので、堀江被告の違法性の認識や元幹部らとの共謀を認定したのだった。
- 競馬最強の法則Webのウェブサイトのドメイン名として有名な"k-ba.com"はもともとは1996年(平成8年)に堀江(ウェブサイトオーナーとしては「ほりえたかふみ」とひらがな表記)が運営する競馬サイト"The Derby Square"のドメイン名として取得されたが、競馬最強の法則に売却された。また、ウェブサイト設立時は一部コンテンツを引き継いでいる。
- かつてホリエナジーという栄養ドリンクが発売された。しかし、堀江が逮捕されたのを受け、店頭から撤去された。
- 関連会社や取引先などからは、孫正義には及ばないものの、IT産業の企業家の中でも有数の立役者であるとして、敬意をこめて「堀江センセー」と呼ばれることが多々あった(オン・ザ・エッヂ設立時メンバーは同じ塾の講師同士、講師と生徒の間柄だったということもあり、社内でもそのように呼ばれることがあった)。かつてよりは減少したとはいえ、堀江に世話になった者や尊敬する者からは、この傾向は被告となった現在でも続く。
- ブログにて結婚歴があり、それができちゃった婚だったことを明かしている。現在は離婚したものの、子供の養育費は毎月送っており前夫人とも年に数回は連絡を取る仲だという。
- テレビアニメワンワンセレプー それゆけ!徹之進のブリエモンという登場人物の声優として出演を依頼されていたが断っている。
- アダルト向け映像作品に関して造詣が深く、ソフト・オン・デマンド社は彼を評し、「AV評論家として名高い」と記したほどである。また、2010年(平成22年)AV女優を発掘し、全面プロデュースするプロジェクトの依頼を受け、子会社のSODクリエイト(SODster)よりAV女優「Nina」としてデビューさせた。
- ベンチプレスのMAXは80kgを10回である(1回のMAXは計ったことがない)。
- 2011年2月4日放送のテレビ朝日系『朝まで生テレビ』で、「中国や北朝鮮が日本に攻めてくるわけがない」、「尖閣諸島を明け渡しちゃえばいいじゃない」などと発言、ネット上で物議を醸した。
- 宇宙事業に従事しておりSNS株式会社の創業者(ファウンダー)である。
外部リンク
- 六本木で働いていた元社長のアメブロ(アメーバブログ) - かつては自社のライブドアでブログを持っていた。2008年から稼動。
- 松田誠司のビジネスショット(六本木で働いていた元社長のブログゴルフ編)(ライブドア)“松田誠司”を名乗ってゴルフの話題専門で書いている。
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