スバル・サンバー

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スバル・サンバー(すばる・さんばー)とは、富士重工業がかつて開発・発売していた軽自動車であり、世界で最も農道を速く走る車として有名である。
現在はダイハツ・ハイゼットベースのパチ物がスバルディーラーで販売されている。 7代目サンバー.jpg

概要

最早このオナラターボでなければ農道でサンバーに追いつくのは無理である。
※写真は開発過程を撮影したものである。

1961年に初代が発売され、1999年に発売された最終型は6代目である。
車体に使われているプラットフォームはインプレッサ(またはレガシィ)と共通で、とにかく走りが軽自動車ってレベルじゃねぇぞ!だから、あとで後述するとおりギネス「世界で最も農道を速く走る車」に認定されている。

しかし、調子こいて「筆頭の株主になったトヨタに脅されてしまい、スバル軽自動車は全てダイハツ製に切り替えられてしまう。これにより、サンバーも2012年発売の7代目以降はダイハツ製のつまらない軽トラがベースになってしまったらしい。その為、トヨタの本社と各工場暴動が発生してしまった(詳細については後述)。

様々なメカニズム

サンバーの軽トラってレベルじゃない!走りを支えるメカニズムである。

EN型直列四気筒エンジン

5代目以後のエンジン。快適に吹き上がる。これぞスバルの軽自動車エンジンであり、スーパーチャージャーをつけたモデルは、農道での速さは世界一を誇る。
しかし、シリンダーの間隔があまりに狭すぎて違法アップロードが出来ないのが唯一の弱点である。

EK型直列二気筒エンジン

4代目以前のエンジン。悲鳴を上げるように吹き上がる。世代によって二輪車だったり、四輪車だったりと色々である[1]
二輪車四輪車も海外に輸出された大排気量のエンジンがあり、そこから部品を転用する禁則事項ですが行えたのが公然の秘密であった。しかし、諸般の事情により現存数はそれ程多くない。

スーパーチャージャー

5代目以降に登場した装備で、通称「瓢箪」。文字通り「ひょうたん」が内蔵されており、これを高速で回す事でENエンジンに大量の空気を送り込み、そしてズダーンさせる。
サンバートラックは軽トラック市場唯一の過給機搭載車であった時期が長く続いたが、他メーカーとの紳士協定により、中間冷却器(訳:戸田奈津子)は最後まで搭載されなかった。

四輪独立サスペンション

スバル車の常識であり、これのおかげで世界一農道を速く走れる。フロントはストラット、リアはハコスカGT-Rと同じ形である。

RRレイアウト

初代から一貫してエンジンはリアオーバーハングに搭載され、後輪を駆動する方式である。因みにポルシェ911と同じ方式であり、ここから農道のポルシェ」と呼ばれている。

パートタイム4WD

3代目に初登場。一般道では後輪だけ、悪路では4輪をドライバー自身が選択して駆動する方式だが、この駆動方式のおかげで世界一農道を速く走れる。
5代目以降はオプション装備としてデフロックフリーハブを備えたものもあり、更にスーパーチャージャー、EL付5MTを備えたサンバーは歴戦のスバリストをしてオニオンシリーズフル装備のたまねぎ剣士と称され、これで勝つるぞ!と言わしめる程である。

フルタイム4WD

4代目で初登場。一般道では後輪だけ、悪路では4輪を駆動する方式で、切り替えはビスマスカップリングを用いて自動的に行う。この駆動方式のおかげで雨の高速道路でもスポーツカー顔負けの速度で走れる。
5代目初期まではコナミコマンドを入力すると強制的に2WDに切り換えられる裏技が存在した。

EL付き5速マニュアルミッション

4WD車のいくつかのグレードに設定されている。1速の下にもう1速下段のギアがある為、実際には6速MTのようなもんである。このMTを積んだ4WD車は林道でも新生日本陸軍ジャンビー顔負けの走破性を発揮する。

デフロック

5代目以降のパートタイム4WD車でもバスダンプカーなどのごく一部の車体にしか搭載されてないレアアイテム。
このレア装備の前には耕したての豪雪地帯の中でもナチス版トヨタ雲丹と土竜を足して2で割ったような四駆に打ち勝てる為、スバリストの中でもさらに重度のオフロードマニア物欲センサー全開でこれを探し求める程である。

ECVT

5代目のみの装備。
中にハムスターが入っており、全力でハムスターホイールを回してエンジン回転を変換しながら輪ゴムで車輪に駆動力を伝える事で動力をロス無く伝達できる…はずだったのだが、肝心のハムスターの持久力が今ひとつだった為[2]、後に6代目では鈴木修の3速ATに置き換えられた。

ドミンゴ

4代目と5代目の改造車。これを選択すると漏れなくスバル普通車部門謹製のEF型直列三気筒エンジン(2連装鉛筆付き)と、リアエアコンや三列シート等の多数の専用装備がおまけとして付いてくる。これは軽自動車ではねぇというツッコミは決して入れてはいけない。
あと、サンバーのオマケみたいな事言われるけど、「七人乗りミニバンというジャンルを最初に開拓した先行者であり、後継車がいきなり月面走行車に進化する[3]という、意外にまじパネェ車だったりするんだお。


歴史

初代(1961年 - 1966年

初代サンバー。全てはここから始まった。
  • 1961年デビル星人の乗るデビルカーをベースに開発された末、発売された。この車を開発したのはスバリストにとって絶対不可侵の存在であるスバルの尊師様であった。
    この頃から、「四輪独立サスペンション」RRレイアウト」を採用されていたため、国産車でサンバーより農道で速く走る車は1台もなかった[4]。けど外見はカエルっぽい。
    但しエンジン空冷2ストローク360ccエンジンの為、一部の車種によっては「数倍から10倍以上の圧倒的…圧倒的排気量差……!!!により、まだまだ最新鋭の輸入車[5]からの勝利は覚束ない状況。
    当時としても、既に時代遅れになりつつあったダンボールで出来た車英国の黄金虫ヒトラーのゴキブリを撃墜して溜飲を下げる程度がやっとであった。
  • 但し、爆発的に売れたてんとう虫と同様に売れ行きはうなぎ登りとなり、この頃からサンバーには熱狂的な信者が付くようになっていった。
    しかし、後述の通り尊師様が最終解脱して到達した境地以来、3代も続いたジョジョの5部で途中で死んじゃう人に至るまで、アヤトラーの教えを頑なに墨守し、それに疑問を挟まず礼賛する事を教義としていた普通車部門のスバリストとは異なり、水冷化」「4ストロークへの転換」「SOHCの採用」など教義の大幅な変化に適切に対応できるだけの柔軟性を有していたのが、このサンバーを始めとする、軽自動車部門のスバリスト達数名であった。

2代目(1966年 - 1973年

2代目のバリエーションの一つ・サンバーフラット。
  • 1966年登場。通称「ニューサンバー」と呼ばれるが、少し経ったら「ニュー」ではなくなるのに何故かそのまま「ニュー」がそのまま付いている(その後、1968年のマイナーチェンジで禁則事項ですにより屋根にサイドフラッシャーが追加される)。
    後に親父にも殴られた事のないゆとり世代愛機の名前をパクるな」とスバルに抗議した。そんなの知るか。


1970年にマイナーチェンジして、通称「ババーンサンバー」に。
  • 1970年にマイナーチェンジ。通称「ババーンサンバー」に進化し、新たにダミーグリルが装備される。何が「ババーン」なのかさっぱり意味が不明で、詳細も全く不明である(もちろん、真相も闇のままだった)。
    後にボウケンブラックこと伊能真墨剣型プレシャスの名前をもじるな」とスバルに抗議した。そんなのも知るか。


1972年に再度マイナーチェンジして、通称「すとろんぐサンバー」に。


3代目(1973年 - 1982年

1973年登場の3代目。通称「剛力サンバー」。
  • 1973年登場。通称「剛力サンバー」だが、何処がどう「剛力」だか全く分からない(もちろん、これも真相は謎のまま)。
    後にキツネ目の女「こんなブサイクに私の名字を名乗らせないで!」とスバルに抗議した。ぽまえの顔よりマシだ。


途中からドアミラーが合成樹脂製に変わった。


  • 1976年2ストエンジンを全部奪われたサンバーは仕方なく360ccのまま水冷4ストロークSOHCエンジンへの換装を行う。2気筒であった為に振動対策としてとある技術の鉛筆会社リコール隠しをバラスぞと圧力を掛け協力を求め、2連装鉛筆の技術提供を受ける事となった。
    4ストへの転換、他社からの技術供与共にカリフの教えを引っ繰り返すレベルの、スバル史上三位一体の否定にも等しい方針転換であり、実際にかつての撃墜済み車種に農道での優位を脅かされる程の出力ダウンを伴うものでもあったが、サンバー信者を始めとする軽自動車のスバリスト達はこの決定を割と柔軟に受け入れた。SOHCは当時、非常にモダンな技術であり、サンバー信者達はGTOで東関東自動車道で140キロ位でマジでR34GTRを抜いた男にも似た優越感に浸る事が出来たからである。
    一方、グルの教義を墨守し、割り箸で動くエンジンを搭載したジャッキーとマイケル・ホイが乗ったパートタイム4WD車営林署とかから位しか新規顧客が開拓できなかったそこそこの支持を取り付けていた普通車部門とその信者達は、こうした軽自動車部門の狂喜乱舞を「あな恐ろしや。釈迦に背きし提婆達多の如き愚者共也…。」と冷ややかに見つめていた。
  • しかし、いくらなんでも「4スト360ccは、やはり外車陣には全く勝負にならない」と言う事で、サンバー開発陣は水冷4ストエンジンの排気量アップを実施する。1976年5月に500ccに換装され『大戦隊サンバー5』を名乗るもテレビ朝日東映のお叱りを受けた為仕方なく1977年には550ccへ泥縄のような矢継ぎ早な進化をしたので、農道ポルシェを追い回すまでは行かないが、とりあえずは赤いおフェラ豚農道ズダーンと追い回せるようになった(フェラーリは悪路をまともに走れないから当然だが…)。
  • 1980年レオーネからパクったパートタイム4WDを追加したため、何とか農道ポルシェを追い回せるまでに進化した。この時も普通車部門とその信者達は「水は高い所から低い所へ流れる物だ」と内心侮蔑の眼差しを向けていた。
  • この世代の戦闘力アップに注目したのが、後に赤いICBM」の異名を取る事となる某運送会社であった。
    この運送会社はスバルの本社に検閲により削除もとい、協力を要請。スバルの本社もサンバーの水冷4ストエンジンの耐久性を大幅に増大させる為の改良を行い、赤帽に提供した。これによりサンバーはその戦闘フィールドを農道だけでなく高速道路にも広げていき、赤い特攻隊の搭乗員達も、輸出用部品を組み込んで排気量を違検閲により削除させる自助努力を怠らなかった事で、腕利きの搭乗員であれば国産のエマニエル夫人豊田四姉妹の長女四女程度なら鼻歌混じりに撃墜できる程の活躍を見せた。
  • そのため、イマイからスーパーカーシリーズの一種としてこの型の550ハイルーフが1/24スケールのプラモデルとして発売された。


4代目(1982年 - 1990年

5代目(1990年 - 1998年

6代目(1999年 - 2012年

その後

サンバーの生産が消えたその後

  • 2012年3月16日グンマー県太田市…。かつてサンバーの生産拠点として活況を催していたスバル工場のとある製造ラインで、新たなクルマが産声を上げた。そう、そのクルマこそまさにル・マンからも逃げたチキン野朗との共同合作・スバル・BRZである。
  • 農道最速でありながら税金も安く、作物の積載能力にも秀でていたサンバーと違い、BRZは実用性ガン無視クーペである。・・・敢えて言おう、大人のおもちゃであると。したがって設計思想はまるで対照的である。何せエンジンのレイアウトまで真逆なんだからそう言われてもしゃあないわ。
  • こうしたサンバーの栄光を踏みにじるような非情かつ理不尽な製造ラインの配置も、BRZがF1からも逃げたチキン野朗との提携で設計されたクルマであることを考慮するとすべて説明できる。トヨタはサンバーを恐れているのだ。もはや農道では誰一人として―たとえそれが赤べこ軍団であったとしても―サンバーを止めることはできない。自動車業界において、最も恐るべきこの事実を封印するためにのみ、トヨタが造りだした最強の切り札こそが86・BRZ兄弟だったのだ。
    • 2014年中旬、サンバーの生産ラインを潰してまで製造を開始したBRZの生産終了の噂が突如として浮上する。表向きにはインディ500からも逃げたチキン野朗バイハツとの提携次第では水平対向を用いる必要が無くなる為・・・という話が語られているが、真実はそうではない(多分)。(きっと)サンバーを完全に葬り去るという役割を終えて用済みとなった為、BRZは生産終了を迎えるのである。
    • ほぼ同時期、某八百科辞典からも「冗長過ぎて読みにくいから」という訳の分からない理由で全版が問答無用で削除された「読みにくいのであれば、問題のある部分のみを削るか、可読性を損なうレベルまで大幅に加筆される以前の版に単純に差し戻しをすれば良いだけの話」なのだが、ログを含めて過去の全てが存在しなかった形で葬り去るという岡田真澄からも称賛されるレベルの粛清を決断させる辺り、大半が冗談であるはずのページの存在自体まで消し去らねばならない程の余程都合の悪い何かがあったのであろう推察される。この顛末により、サンバーは自動車業界はおろか、世の理の全てから恐れられる存在である事実がまた一つ積み重なったのである。
  • 数年の歳月と莫大な資金を費やしたこの計画は成功裏に終わり、トヨタのもくろみ通りこれ以上新しいサンバーが製造されることは永久に無くなった。しかしそれはサンバーの歴史に終止符を打ったこととは断じてイコールではない。『伝説は、そこに農家が存在する限り走り続ける。あの乾いたエキゾースト・ノートを、田んぼに響かせながら…。』
  • 2013年4月、なんとアオシマから、ヘビーフレイト/ミドルフレイトシリーズの技術を流用した、6代目・2012年モデルの1/24のプラモデルが発売された。まさに恐ろしい時代になったもんである。

天空に輝く六連星

サンバーは軽トラック六連星[20]の筆頭として、いまなお夜空に輝き続けているのだ…。

脚注

  1. 実際、初代のエンジンは元々はバニーガールのエンジン製造ラインでスクーター用エンジンの部品を寄せ集めて作られた物だった。
  2. …というのは表向きの理由で、レース界のホーキング博士ドリフト世界一決定戦向けのマシンに冗談半分にこれを搭載したところ、ファステストラップを乱発して賭けレースが成立しなくなってしまい、ほどなくして搭載を全面禁止された事が直接の原因と言われる。
  3. それ以前に機械の虎が存在していた。
  4. ベース車の360の方が車重が軽く、空力がよいのでそちらの方が速いと思うだろうが、そこは気にしない気にしない
  5. 当時のポルシェ博士が作った欠陥車ですらも2000cc以上、ジャイアント馬場並みのでかさアメ車に至っては、5000cc以上の排気量であった。
  6. ツインキャブ35馬力の恐竜・ティラノザウルスの方が速いと思うだろうが、そこも気にしない気にしない
  7. 大和龍門はこの時期の普通車部門の迷走について、簡潔に「ホームラン級のバカ」とのみ記している。
  8. 後にこのチームはドリフト世界一決定戦史上最大の黒歴史及びドリフト世界一決定戦史上最悪の一戦へと繋がっていく。
  9. 大東亜戦争で例えるなら、補給が途絶えて全滅寸前の海軍陸戦隊が陸軍暁部隊のまるゆの補給に救われた挙げ句、大本営発表でパレンバンデー並みのドヤ顔放送をされたようなもんである。
  10. おにぎり基地外のレース活動のせいで、爆発すると音速を超えられるものおにぎり三連装車の現存が異常に少ないのと同じ理屈である。
  11. 鉛筆がクランクの2倍の速度で回る構造上、ピストンやシリンダーより先に、オイルポンプやウォーターポンプのハウジングに悪魔の爪痕が付いて逝かれる物が多かったそうで…。
  12. 単に鉛筆会社経由の技術のダメダメさに嫌気が差した為とも、レアンドロ・ドミンゲスBOOWYの名曲で既に実績のあったEF型3気筒の格下げに普通車部門が頑として首を縦に振らなかった為とも言われる。
  13. EN型のお披露目の際、軽自動車部門内では万歳三唱の蔭で賽は投げられた!匙も投げられた!!という呟きが飛び交ったとか…。
  14. スバルらしさを全開にした故に無かった事にされている可哀想な車も若干存在するが。
  15. 尊師様の教義を強く受けた正大師、正悟師格の古参技術者や関連子会社を軒並みお察し下さいという大ナタを振るった。
  16. トヨタが58年ぶりの赤字に転落したのは、不況よりこの一連の事件の損害が大きかったからだと言われている。また、参加者の中には派遣切りに遭い、この騒ぎに乗じてトヨタに対して復讐をしたという元トヨタの派遣社員もいた。
  17. この当時、サンバーバンにグレードとしての「ディアス」が復活した為、店頭では顧客にバンディアスを奨めてディアスDQNを露骨にdisっていたディーラーマンも多かったという。
  18. 10万キロを超えても容易にヘコたれない鋳鉄製エンジンブロック、ロングストロークでシフトフィールには欠けるがやはりシンクロが頑丈なMTなど。
  19. つか、修の隠し子とか、大村昆Mk-Ⅱとか、農道の縦グロとか他に入れるもん山ほどあるだろ。
  20. あれ?六連星なのになんで七つあるんだ?と思うだろうが、聖闘士星矢のプレイアデス姉妹は元々七人だし、プレアデス星団自体も姉妹の両親であるアトラスプレイオネも含めて10個以上は軽くあるので、そんなの気にしたら負けだ。

関連項目

Bouncywikilogo.gif ウィキペディアにも、この項目「スバル・サンバー」が執筆されています。ぜひこちらも読んでみてください。