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2010年6月28日 (月) 14:09時点における最新版
浅田 彰(あさだ あきら、1957年3月23日 - )は、京都大学准教授。専攻は経済学と社会思想史。兵庫県神戸市出身。
来歴[編集]
- 1975年、洛星高等学校卒業。
- 1979年、京都大学経済学部経済学科卒業。
- 1981年、同大学院経済学研究科博士課程中退。京大人文科学研究所助手に就任する。
- 1983年、『構造と力 記号論を超えて』でデビューする。哲学書にも拘らず、ベストセラーとなる。
- 1984年、『逃走論 スキゾキッズの冒険』の「スキゾ・パラノ」と言うキーワードで、第一回新語・流行語大賞を受賞する。
- 1989年、京大経済研究所助教授
- 現在は、近畿大学国際人文学研究所,放送大学大学院で客員教授も勤める。
- 2007年、京都大学経済研究所准教授
概要[編集]
- 京都大学人文科学研究所の助手時代の26歳のときに『構造と力』を出版。構造主義/ポスト構造主義を一貫したパースペクティブのもとに解説するという硬派な哲学書であったにもかかわらず、10万部を超すベストセラーとなった。翌年に出版した『逃走論』とともに、「浅田彰現象」を巻き起こし、現代思想ブーム、ニューアカデミズムの旗手となった。「スキゾ/パラノ」が流行語大賞新語賞を獲得した。
- 浅田彰現象の絶頂期には、『構造と力』を片手にナンパするのが流行し、浅田も旧世代からは軽薄な新人類の代表とされたが、ドゥルーズ/ガタリ、デリダなどフランスのポストモダニズムを日本に紹介した功績は大きい。その後も80年代、90年代を通して、『批評空間』などの雑誌の編集委員をつとめ、柄谷行人、蓮實重彦らとともに現代思想をリードし、現在まで大きな影響力を保っている。
- 彼は『逃走論』『ヘルメスの音楽』以来対談集を除いて全く著作や学術的業績を遺しておらず、「執筆活動をせず、対談などで放言をする」という姿勢は、一部の批評家・思想家からは「美学的ニヒリスト」との批判もある(ニヒリストであるということは自らも認める発言をしている。)。
- フランス現代思想の日本への紹介者として名実ともに大きな存在であり、自身もその一翼であると目されている。しかし、ソーカル事件などで示されたフランス現代思想潮流の衒学性の問題について、批判反批判ともにはっきりとしたその評価はいまだあらわしていない。
- 芸術、学問の交通整理役が、自分に課せられている役割だとも考えている。ピアニストになることが若い頃からの夢であったらしく、高校生の頃は、数学少年であり、音楽少年であった。大学進学の際に、経済学部を選んだのは、それがちょうどその中間にあると感じたからだという。
- 語学の才能にも長けており、英語、ドイツ語、フランス語は堪能で、イタリア語、(古代)ギリシア語、ラテン語も解す(イタリア語は日常会話程度は可能である模様)。
- 天皇制、有事法制、女性や同性愛者や在日外国人(特に特別永住者)への差別、日の丸や君が代の強制、新しい歴史教科書をつくる会、排外主義、そして国粋主義や皇国史観といった右翼思想全般を批判している。その一方で、国会の左派政党や団塊の世代の全共闘などの新左翼運動にも批判的である。
- 昭和天皇が入院し日本中が自粛ムードとなっているときに、皇居に集まり記帳する人々を指して「自分はなんという土人の国にいるのだろう」(『文學界』)と発言し話題を呼ぶ。これは北一輝が、『国体論及び純正社会主義』で、万世一系論を唱える穂積八束を「土人部落の酋長」と呼んだのに倣ったものである。
- 数学者グロタンディークを20世紀の最重要人物の一人と考えている。彼の創始した数論幾何("トポスを扱う幾何学")を高く評価。同時にその量子力学との関係性をも指摘。21世紀は量子力学の時代になると予想している。(坂本龍一との会話の中 )
- 京都大学ではほとんど講義を開講していないが、単位目当てではなくやる気がある学生を支援するというモットーから、学生の自主的な読書会には出席する。この自主ゼミからカルチュラル・スタディーズの第一人者である毛利嘉孝東京藝術大学助教授や月刊新潮編集長の矢野優、劇団とっても便利代表で劇作家・映画評論家の大野裕之らが巣立った。
- 雑誌『批評空間』の編集委員を柄谷行人とともに長年つとめた。東浩紀を論壇にデビューさせた。しかし、東は博士号取得後、編集委員を繰り返し批判するようになり、浅田からのシンポジウム等の誘いも断り続けている。
- 新潮社より世紀末三部作が刊行予告されたが、『映画の世紀末』のみ発売されて『音楽の世紀末』、『アートの世紀末』が21世紀になっても未だ刊行されず、読者をやきもきさせている。
著作[編集]
単著[編集]
- 『構造と力――記号論を超えて』(勁草書房, 1983年)
- 『逃走論――スキゾ・キッズの冒険』(筑摩書房, 1984年)
- 『ヘルメスの音楽』(筑摩書房, 1985年)
- 『ダブル・バインドを超えて』(南想社, 1985年)
- (対談集)『「歴史の終わり」と世紀末の世界』(小学館, 1994年)
- 『フォーサイス1999』(NTT出版, 1999年)
- (対談集)『「歴史の終わり」を超えて』(中央公論新社・中公文庫, 1999年)
- 『映画の世紀末』(新潮社, 2000年)
- (対談集)『20世紀文化の臨界』(青土社, 2000年)
共著[編集]
- (黒田末寿・佐和隆光・長野敬・山口昌哉)『科学的方法とは何か』(中央公論社[中公新書], 1986年)
- (島田雅彦)『天使が通る』(新潮社, 1988年)
- (松浦寿輝)『ゴダールの肖像』(とっても便利出版部, 1997年)
- (田中康夫)『憂国呆談』(幻冬舎, 1999年)
- (柄谷行人)『マルクスの現在』(とっても便利出版部, 1999年)
- (田中康夫)『新・憂国呆談――神戸から長野へ』(小学館, 2000年)
- (佐和隆光)『富める貧者の国――「豊かさ」とは何だろうか』(ダイヤモンド社, 2001年)
- (四方田犬彦・大野裕之)『パゾリーニ・ルネサンス』(とっても便利出版部, 2001年)
- (田中康夫)『憂国呆談リターンズ――長野が動く、日本が動く』(ダイヤモンド社, 2002年)
- (柄谷行人・岡崎乾二郎・奥泉光・島田雅彦・絓秀実・渡部直己)『必読書150』(太田出版,2002年)
- (田中康夫)『「ニッポン解散」――続・憂国呆談』(ダイヤモンド社, 2005年)
共編著[編集]
訳書[編集]
- メアリー・ダグラス, バロン・イシャウッド『儀礼としての消費――財と消費の経済人類学』(新曜社, 1984年)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
関連サイト(公式)
- 京都大学経済研究所
- 近畿大学国際人文科学研究所
- 田中康夫と浅田彰の続・憂国呆談「週刊ダイヤモンド」連載の対談
- 批評空間【浅田彰アーカイヴ】
関連サイト(その他)
- ICC HIVE NTT InterCommunication Centerでのシンポジウム記録(2006.06.10)
- 浅田彰の言説を追う Following the discourses of Mr.ASADA Akira
- 哲学の劇場