「東急グループ」の版間の差分
SEOに熱心なMuttley (トーク | 投稿記録) 細 (rxy=森谷辰也=LTA:ASPE、 LTA:DCHANCE、LTA:SASHOという動かせない事実。) |
RxyはクロスウィキLTA (トーク | 投稿記録) (SEOに熱心なMuttley (トーク) による版 377402 を取り消し rxy(森谷辰也)による大規模荒らし) |
||
1行目: | 1行目: | ||
− | + | [[ファイル:東急グループ.png|300px|right]] | |
'''東急グループ'''(とうきゅうグループ)は、'''[[東京急行電鉄]]'''株式会社を中核とする企業グループである。[[2011年]]([[平成]]23年)3月末現在、255社8[[法人]]で構成。[[2008年]](平成20年)3月期の総売上高は2兆5,937億円であった<ref>[http://www.tokyu-land.co.jp/company/tokyu_g/index.html 東急グループ紹介]</ref>。コーポレートスローガンは「'''美しい時代へ―東急グループ'''」。従前は「人間の豊かさを求める - ヒューマナイザー東急グループ」「21世紀へ 豊かさを深める―とうきゅうグループ」が使用されていた。 | '''東急グループ'''(とうきゅうグループ)は、'''[[東京急行電鉄]]'''株式会社を中核とする企業グループである。[[2011年]]([[平成]]23年)3月末現在、255社8[[法人]]で構成。[[2008年]](平成20年)3月期の総売上高は2兆5,937億円であった<ref>[http://www.tokyu-land.co.jp/company/tokyu_g/index.html 東急グループ紹介]</ref>。コーポレートスローガンは「'''美しい時代へ―東急グループ'''」。従前は「人間の豊かさを求める - ヒューマナイザー東急グループ」「21世紀へ 豊かさを深める―とうきゅうグループ」が使用されていた。 | ||
2020年1月8日 (水) 06:47時点における最新版
東急グループ(とうきゅうグループ)は、東京急行電鉄株式会社を中核とする企業グループである。2011年(平成23年)3月末現在、255社8法人で構成。2008年(平成20年)3月期の総売上高は2兆5,937億円であった[1]。コーポレートスローガンは「美しい時代へ―東急グループ」。従前は「人間の豊かさを求める - ヒューマナイザー東急グループ」「21世紀へ 豊かさを深める―とうきゅうグループ」が使用されていた。
目次
概要[編集]
田園都市株式会社 も参照 同じ電鉄系企業集団で、ライバルと目された旧西武グループは、堤家一族の相続問題から西武鉄道グループ(西武グループ)と西武流通グループ(セゾングループ)に分裂に至った。また、同じく東武鉄道でも第3代社長に根津嘉一郎 (初代)、第4代社長に根津嘉一郎 (2代目)(初代の長男)、第6代社長に根津嘉澄(2代目の次男)が社長に就任しているなど、根津家一族が経営に深く関わっている。
一方、東急グループの五島家一族は創業家ではなく、資本的な(株式)支配も希薄で純粋な『経営者』に徹したことから、世襲の弊害を意識して実力主義を貫き、多角化が順調に進んだ。安定的な収益を生む鉄道を中核に、交通・不動産・リテール・レジャー・サービス・リゾート/ホテル等の各分野が一丸となっているのが強み。また、東急の始祖は田園都市株式会社というデベロッパーであり、伝統的に不動産に強く東急不動産は東急グループの重要な第二の稼ぎ手となっている。
グループ規模に対してトップシェアを誇る分野がないことから「御公家集団」と評されることもあるが、グループ総帥・五島昇の「全国展開、或いはナショナルブランド化は安易に進めてはならない。まず、偉大なローカルブランドとなることが出発点だ」という方針によるとされている。
五島昇亡き後[編集]
1989年(平成元年)に五島昇を失った影響は無視できない。五島亡き後、横田二郎を中心とする集団指導体制に移行したが、グループ各社のトップも年齢的に退く時期になり、やや求心力を欠いた経営をやっているように思われた。2000年代以降はグループの再編を徹底的なまでにおこなっている。
だが、「東急グループ」の厳格なマネジメントは存在せず、拡大成長とともに各社の自由な裁量で、グループ加盟会社毎に事業拡大・肥大化し、グループ各社で事業部門が重複し無秩序に増えていった結果、最大で500社を数えるまでに膨張。バブル崩壊後の縮小経済下では、そのスケールの巨大さはデメリットに転じ、1999年(平成11年)3月末の有利子負債はグループ全体で3兆円以上を抱えるなど業績不振に陥った。さらに、グローバル基準である連結決算重視の流れや減損会計の導入などを受けて、グループ大再編に踏み切った。
1990年代後半以降[編集]
1998年(平成10年)、東急グループ代表・清水仁の下[2]、主要加盟社に対し「自立なき者は共創の輪に加わる事ができない」旨[3]を通告したのを皮切りに、リストラを大胆に加速。磐石である『電鉄』に依存するのみで、「シナジー価値を創出していない」と判断された数百社をグループから離脱・独立させた。
そして、無秩序な全国拡張路線を改め、原則的に東急沿線や都市部に経営資源を集中させ、「東急の価値を共に高める総合力」が東急グループであると定義した。重要なコア事業を担う子会社等は、本体(電鉄)にとってのポートフォリオ企業として監視を強める体制にした。加盟社数は大きく減少したが、業績は逆に好転し回復傾向にある。
主なグループ会社・法人[編集]
中核[編集]
交通事業関連[編集]
|
流通事業関連[編集]
- 東急百貨店 - 東急百貨店、専門店ビル(日吉東急avenue、港北東急、町田東急ツインズ)、直営食品売場(FOOD PATIO レ・シ・ピ青葉台、FOOD PATIO レ・シ・ピ町田)
- 東急ストア - とうきゅう、フレル、東急ストア、プレッセ、東急ストアフードステーション
- 東光食品 - 豆腐、揚物、蒟蒻、麺、納豆、米飯、和菓子、ゼリーの製造ならびに仕入販売
- 東光食糧 - 米穀のとう精、卸売業、食品仕入れ、販売業
- 東光フローラ - 生花・観葉植物等の仕入、販売、花の専門店「とうきゅうフローラ」、「FLEUR KAREN」の経営
- 東急ハンズ - 都市型ホームセンター(東急ハンズ、ハンズ・ビー)、専門店(アウトパーツ)、アウトレットショップ(ボックスアウトレット)の運営および地方都市の既存商業施設等の中に期間限定で出店(トラックマーケット)
- 東急ステーションリテールサービス - 東急各線の駅構内売店「toks」や10分間カット店のQBハウス、青山フラワーマーケット等を運営
- ティーアール・フーズ - フランチャイズでコンビニエンスストア「ファミリーマート」、「TSUTAYA」の運営
- 東急コンビニエンスシステム - フランチャイズでTSUTAYAおよび、コンビニエンスストア「am/pm」の運営をしていたが、am/pmがファミリーマートに吸収合併されるため解散し、ティーアール・フーズに吸収された。
- 東急モールズデベロップメント - 109(イチマルキュー)(渋谷、町田、みなとみらい、静岡、香林坊、阿倍野)、109MEN'S、ONE-OH-NINE、グランベリーモール、青葉台東急スクエア、八王子東急スクエア、たまプラーザテラス、港北 TOKYU S.C.、アット!、トレインチ自由が丘等を運営
- 伊豆急物産 - 食道、売店の経営・賃貸業、駅構内・車内における物品販売、水産物の加工・販売業務、和洋菓子・漬物類の製造・販売等
ホテル・リゾート事業関連[編集]
- 東京急行電鉄系
- 東急ホテルズ - ザ・キャピトルホテル東急、東急ホテル、エクセルホテル東急、東急イン、東急リゾート、ホテル東急ビズフォート、パン パシフィック 横浜ベイホテル東急
- 東急ビッグウィークステーション - タイムシェア型会員制リゾートホテル「ビッグウィーク」の運営
- 東急リネン・サプライ - クリーニング、ユニフォームのレンタルなど
- ※パン・パシフィック・ホテル・アンド・リゾーツは、東急ホテルズが経営する「パン パシフィック 横浜ベイホテル東急」を除いて、2007年(平成19年)3月に売却された。
- ※名称が紛らわしいが、“東横イン”は、東急ホテルズをはじめ、東急グループとは当初より一切関係のない、全く別の企業である。
- 東急不動産系
- 東急ステイサービス - アパートメントホテル「東急ステイ」の経営、経営受託等
- 東急リゾート - 別荘、土地、マンション、会員制リゾートホテル(東急ハーヴェストクラブ)の販売管理、ゴルフ会員権等、商品の売買仲介業と受託販売業
- 東急リゾートサービス - 会員制リゾートホテル(東急ハーヴェストクラブ)、リゾートホテル「ホテルハーヴェスト」、ゴルフ場、スキー場、別荘の運営受託、コンサルティング
- 伊豆急ホールディングス系
- 伊豆観光ホテル - ホテル伊豆急
- ルネッサ - ホテル・コテージの経営および経営受託、スポーツ施設の運営、料理飲食店の運営、研修セミナーなどの企画および運営
- 上田交通系
- 上田ステイ - アパートメントホテル
総合不動産・不動産事業関連[編集]
|
|
建設事業関連[編集]
- 東急建設 - 総合建設業
- 世紀東急工業 - 道路建設、スポーツレジャー施設、環境開発・整備事業
- 新世紀工業
- エス・ティ・サービス
- エスティ建材
- 水戸プロパティー
- 中外エンジニアリング
- やまびこ工業
- みちのく工業
- 石勝エクステリア - 環境技術、緑地管理、造園
- 石勝グリーンメンテナンス
- 東急グリーンシステム - ゴルフ場・造園・土木の企画・設計・監理・施工
- 東急設計コンサルタント - 企画開発、建築設計、土木設計およびコンサルタント
- 東急ジオックス - 建設用資材販売
- 伊豆急ハウジング - 建築、土木、造園、リフォーム
製造・整備事業関連[編集]
- 東急テクノシステム - 東急の鉄道・バス車両の車体更新工事および他社譲渡車両(鉄道車両・バス車両)の改造など(旧・東横車輌電設)
- 東急レールウェイサービス - 車両整備、東急田園都市線渋谷駅等の一部駅業務・駐輪場管理業務
- 東急軌道工業 - 軌道の保守管理
レジャー事業関連[編集]
- 東急レクリエーション - 映画館、109シネマズ(シネマコンプレックス)、映画配給、ボウリング場、フィットネスクラブ「AXIA」、フットボールコミュニティー、ランキンランキン等を運営
- 広島東急レクリエーション
- 熊本東急レクリエーション
- 東急レジャー - 加山雄三ミュージアム等の運営
- 堂ヶ島マリン - 遊覧船
- 東急スポーツオアシス(東急不動産出資) - フィットネスクラブ「東急スポーツオアシス」
- 東急スポーツシステム(東京急行電鉄出資) - フィットネスクラブ「アトリオ」「フィットクラブ」、田園テニス倶楽部、ジュノテニスドーム嶮山、東急嶮山スポーツガーデン、東急スイミングスクール、アディダスフットサルパーク、J-フロンテッジフットボールスクール等を運営
サービス事業関連[編集]
|
|
文化事業関連[編集]
|
サポート部門関連[編集]
|
|
廃止された主な事業など[編集]
- 伸縮型のメニューとして掲載。右にある[表示]をクリックすると一覧表示される。
以下に、かつて(過去)のグループ会社、過去に資本関係があった企業、および事業を列挙する。
- 東京高速鉄道 - 1941年(昭和16年)7月、当時の陸上交通事業調整法に基づき、東京地下鉄道と、未成に終わりペーパー会社となっていた京浜地下鉄道とともに、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)として統合された。現在の東京メトロ銀座線の前身の一つ。
- 戦時体制で「大東急」を形成した企業。1948年(昭和23年)6月1日に分離。
- 京王電鉄(旧社名:京王電気軌道) - 戦後、過度経済力集中排除法は免れたが、旧小田急従業員を中心とする独立運動が高まり社内が分裂し、また公職追放された五島慶太の判断もあり会社分割が決定。東急の第2会社となる。東急が京王帝都電鉄と命名し分離。事業譲渡価格は5,115万2800円。1998年(平成10年)に現社名に変更。
- 小田急電鉄 - 戦後、過度経済力集中排除法は免れたが、東急の第3会社となる。東急が小田急電鉄と命名し分離。事業譲渡価格は6,635万1000円。
- 京浜急行電鉄(旧社名:京浜電気鉄道) - 戦後、過度経済力集中排除法は免れたが、東急の第4会社となる。東急が京浜急行電鉄と命名し分離。事業譲渡価格は1億45万3,100円。
- 相模鉄道(旧社名:神中鉄道) - 1947年(昭和22年)6月に分離。現社名に変更。また、東急に運営委託時に厚木飛行場の設立を機に、路線の一部を国有化(現在のJR相模線)。相鉄運輸(旧:東急グループ、現:TLロジコム(旧:東急ロジスティクス(同系列の東急運輸・東京通運を合併に)・SBS傘下))が名残であった。
- 江ノ島電鉄 (旧社名:江ノ島電気鉄道)- 1947年(昭和22年)3月15日に離脱。のち前述の小田急系に帰属。
- 静岡鉄道 - 1947年(昭和22年)に離脱。
- なお、現在でも筆頭株主は東京急行電鉄である。
- おんたけ交通 - 1964年(昭和39年)に離脱。名鉄グループに移ったが、のちに地元自治体出資の第三セクターに。
- 越後交通 - 1966年(昭和41年)2月4日に離脱。のちに創業家である長岡田中家が主導権を掌握。NST新潟総合テレビの設立・開局に関与。
- 北紋バス - 2001年(平成13年)に離脱。
- 群馬バス - 2001年(平成13年)に離脱、現社は従業員出資の別会社。
- 美鉄バス - 2002年(平成14年)4月1日に廃業。
- 函館バス - 2003年(平成15年)に函館市からの資本受入により離脱。函館市企業局交通部(旧:函館市交通局)の各項も参照。
- あつまバス - 2005年(平成17年)に離脱。
- 千曲バス - 現在はグリーンキャブ傘下。
- 現:国際興業バスの前身
- 関東乗合自動車 - 現:関東バス
- 大正自動車/幡ヶ谷自動車 - 現:京王バス東
- 芝浦乗合自動車
- 代々木乗合自動車 - 現:京王バス東
- ヱビス乗合自動車/日本興業
- 日東乗合自動車 - 現:小田急シティバス
- 世田谷乗合自動車 - 現:小田急バス
- 城西乗合自動車商会 - 現:京王バス東
- 府中乗合自動車商会 - 現:京王バス中央
- 東海道乗合自動車 - 戦時統合によりいくつかのバス会社を合併し神奈川中央乗合自動車と改名、現:神奈川中央交通
- 日本交通
- 神奈川都市交通 - 1947年(昭和22年)3月25日に離脱。ただし、TOKYUポイント・東急駅での構内営業など、営業上の関係は継続している。
- 東名急行バス - 1975年(昭和50年)10月1日に廃業。
- 東急鯱タクシー - 2003年(平成15年)に第一交通産業に売却。現:鯱第一交通。
- 網走交通バス - 2009年(平成21年)10月1日に離脱。
- 宗谷バス - 2009年(平成21年)10月1日に離脱。
- 北海道北見バス - 2009年(平成21年)10月1日に離脱。
- 斜里バス - 2009年(平成21年)10月1日に離脱。
- 東急鯱バス - 2009年(平成21年)10月1日に離脱。現:鯱バス
- 上電バス - 2009年(平成21年)10月1日に離脱。現:上田バス
- 上田電鉄タクシー - 2009年(平成21年)10月1日に離脱。
- 草軽交通 - 2009年(平成21年)10月1日に離脱。
- 草軽観光バス - 2009年(平成21年)10月1日に離脱。
- ティーエルサービス(旧:相鉄配送) - 2003年(平成15年)に離脱。現:SBS傘下。
- 東急エアカーゴ - 2004年(平成16年)12月のみずほ陣営主導によるMBOにより離脱。
- 日本貨物急送 - 2005年(平成17年)離脱。現:SBS傘下。
- ティーエルロジコム(旧:相鉄運輸・東急ロジスティック) - 2005年(平成17年)6月に離脱。現:SBS傘下(上記も参照)。
- 横浜東部運送 - 現・東部ネットワーク。
- 王子運送 - 現・福山通運(近鉄グループ)傘下。
- 東映 - 旧:東横映画。
- 東急ベースボール倶楽部 - プロ野球球団・東急フライヤーズ→急映フライヤーズ→東急フライヤーズ→東映フライヤーズの運営会社(1954年以降は、東映子会社の東映興業に移管した)。1973年(昭和48年)2月に日拓ホームへ売却されたが、同年日本ハムに譲渡・現:北海道日本ハムファイターズ。
- 東急くろがね工業 - 1970年(昭和45年)、日産自動車ほかに売却し離脱。現:日産工機。
- 東急工建(1985年に東急プレハブより商号変更) - 東急建設の子会社としてプレキャストコンクリート工法専業では大成プレハブに次ぐ第二位であり、住宅・都市整備公団やデベロッパー物件を多く建築したが、受注低迷、一時発行した外債等の有利子負債増加により、東急グループ方針の関係上2000年(平成12年)に清算により解散。
- 東急設備(旧 東急環境プラント) - 2000年(平成12年)に清算により解散。事由は、受注低迷。
- ファンハウス - BMG JAPANに買収・合併。元東芝EMI専属関係者であった新田一郎や加山雄三らが設立に関与。
- イースト・コミュニケーションズ - 2000年(平成12年)に離脱。
- スーパー銭湯「ざぶん」 - 東急不動産が2009年(平成21年)2月、相鉄不動産販売に売却。
- 国民銀行 - 1974年(昭和49年)に離脱。国際興業グループ入り。その後1998年(平成10年)に経営破綻、八千代銀行に営業譲渡。
- 買収当時、東急グループのOB会社に該当する国際興業は交通のほか地銀・建設・ホテル等、多角展開を推し進めていた。
- レールファン東急 - 音楽館(元カシオペアのキーボード奏者・向谷実により設立した個人事務所)
- ゴールドパック - 食品・清涼飲料水の製造・販売。2011年2月より丸紅傘下となる。
- シロキ工業 - 自動車部品の製造・販売。2011年4月より筆頭株主がトヨタ自動車となる。
- 九州シロキ - 自動車部品の製造・販売
- シロキ・ブローゼ - 自動車部品の開発・製造販売
- シロキ精機 - 金型類・工作機械等の製造・販売
- シロキ商事 - 鋼材・合成樹脂材・工作機械の販売
- シロキ ノースアメリカ - 自動車部品の製造・販売
- シロキ GA LLC - 自動車部品の製造・販売
- 広州白木汽車零部件有限公司 - 自動車部品の製造・販売
- シロキタイランド - 自動車部品の製造・販売
- シロキ GT LLC - 自動車部品の製造・販売
- サンサークル - 鉄道車輌シートの製造・販売
- シロキクリエイトサービス - 人材派遣、警備
- シロキU.S.A. - 人材派遣
- 東急車輛製造 - 近年の需要減少と競争の激化により抜本的な対策が必要になったとして、2012年4月1日付で以下の3事業に会社分割を行い、同年4月2日にそれぞれ東日本旅客鉄道と新明和工業に株式譲渡された。
- 鉄道車両事業 - 東日本旅客鉄道に株式譲渡され、総合車両製作所へ社名を変更。
- 立体駐車装置事業 - 新明和工業に株式譲渡され、東京エンジニアリングシステムズへ社名を変更。
- 特装自動車事業 - 新明和工業に株式譲渡され、東邦車両サービスへ社名を変更。
- 東急パーキングシステムズ - 2012年4月2日、新明和工業に株式譲渡され東急グループを離脱。同日に東京パーキングシステムズへ社名を変更。
- 東急車輛特装 - 2012年4月2日、新明和工業に株式譲渡され東急グループを離脱。同日に東邦車両へ社名を変更。
- 東急車輛サービス - 2012年4月2日、新明和工業に株式譲渡され東急グループを離脱。同日に東邦車両サービスへ社名を変更。
- 東急車輛エンジニアリング - 2012年4月2日、総合車両製作所の子会社となり東急グループを離脱。同日にJ-TREC デザインサービスに社名を変更。
- 京浜鋼板工業 - 2012年4月2日、総合車両製作所の子会社となり東急グループを離脱。
- 白馬観光開発 - 白馬八方尾根スキー場等。2012年11月1日、日本スキー場開発に株式譲渡され東急グループを離脱。
- コミュニティー白馬 - 白馬岩岳スキー場の運営、人材派遣等
- 栂池ゴンドラリフト
- 岩岳リゾート
- 信越索道メンテナンス
- 日東タイヤ(旧) - 旧昭和ゴム(当時社名:昭和護謨、現昭和HD)よりタイヤ事業含む一部事業を分離、当時の東急により設立。のちに61年10月に株式上場(東証2部)を果たすも不振が続き当時の三菱化成工業に株式譲渡されグループ離脱。その後はタイヤ以外の事業(建材・景観材・車両部品・産資他)祖業のタイヤ事業は提携先の東洋ゴム(旧菱東タイヤを合弁で設立→同社へ吸収合併)に事業譲渡、販売・営業部門を「ニットータイヤ(新)」へ移管。
諸問題[編集]
提供番組[編集]
2014年現在
過去
- 斉藤由貴 ネコの手も借りたい(ニッポン放送)
- 東急ゴールデン・ヒットショー(NET)
- 東急ホームショー ゆかいな広場(NET)
- まんがはじめて物語(TBS・北海道放送[5])
- サンデーモーニング(TBS[6])
脚注・出典[編集]
関連項目[編集]
- 五島慶太
- 五島昇
- 大東急
- 田園都市 (企業)
- 多摩田園都市
- 東急ジルベスターコンサート
- 東京国際映画祭
- ハチ公物語
- 北海道マラソン - ロードレース(マラソン)中継
- 高知東生 - 当初の芸名は「高知東急」だったが、東京急行電鉄のクレームによって改名した。