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トルコ共和国
Türkiye Cumhuriyeti
Flag of Turkey.svg トルコの国章
(国旗) 国章
国の標語 : Yurtta Sulh, Cihanda Sulh
(トルコ語: 内に平和、外に平和)
トルコの位置
公用語 トルコ語
首都 アンカラ
最大の都市 イスタンブル
大統領 アフメト・ネジデト・セゼル
首相 R・タイイップ・エルドアン
面積
 - 総計
 - 水面積率
世界第36位
780,580km²
1.3%
人口
 - 総計(2004年
 - 人口密度
世界第17位
68,893,918
88人/km²
政府 不明
国民的な英雄 不明
建国
 - 宣言
共和制宣言
1923年10月29日
通貨 新トルコリラ (TRY)
時間帯 UTC +2 (DST: +3)
国歌 独立行進曲
宗教 不明
国際電話番号 90


トルコ共和国(トルコきょうわこく)、通称トルコ(土耳古)は西アジアアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパバルカン半島東端の東トラキア地方を領有する、アジアヨーロッパの2つのにまたがる共和国。首都はアナトリア中央部のアンカラ

北は黒海、南は地中海に面し、西でブルガリアギリシアと、東でグルジアアルメニアイランイラクシリアと接する。

国土の大半の部分はアナトリア半島にあたり、国民の99%がスンナ派イスラム教信仰するため、日本の地域区分では地理的な位置関係と、欧州即ちキリスト教というステレオタイプから中東、西アジアに含めることがほとんどであるが、サッカー協会やオリンピック委員会などではヨーロッパの統一団体に属す。経済的、政治的にもヨーロッパの一員として扱われることがあり、現在欧州連合(EU)へ加盟申請中である。

国名

トルコ語による正式国名は、Türkiye Cumhuriyeti(テュルキエ・ジュムフリイェティ)、通称Türkiye(テュルキエ)。

公式の英語表記は、Republic of Turkey。通称Turkey

英語など諸外国語では、トルコ共和国の前身であるオスマン帝国の時代から、この国家をTurkey, Turquieなど、「トルコ人(Turk, Turc)の国」を意味する名で呼んできたが、トルコ共和国の前身で、元来多民族国家であったオスマン帝国の側では「オスマン国家」、「オスマン家の王朝」などの名称が国名として用いられており、自己をトルコ人の国家と認識することはなかった。トルコ語で「トルコ人」を意味するTürkにアラビア語起源の抽象名詞化語尾-iyeを付したTürkiyeは近代になってヨーロッパから「トルコ人の国」概念を逆輸入して考案された名詞である。

第一次世界大戦後、国土が列強に分割されほぼアナトリア半島のみに縮小したオスマン帝国に代わって新しい政権を打ち立てた人々は、初めてTürkiyeを国名とし、かつてのオスマン国家は、他称においても自称においても「トルコ人の国」であるトルコ共和国となる。

なお、Türk(テュルク)は、アナトリアへの移住以前、中央アジアで暮らしていたトルコ人が、モンゴル高原を中心とする遊牧帝国突厥を築いた6世紀ころにはすでに使われていた民族名だが、語源は明らかではない。

日本語名のトルコは、西欧の諸言語でトルコ人を意味するトゥルク(Turk, Turc)の変形である。漢字土耳古は、この音を中国語で音訳した「Tŭ'ĕrgŭ」に由来する。

歴史

詳細はトルコの歴史を参照

トルコの国土の大半を占めるアジア側のアナトリア半島(小アジア)とトルコ最大の都市であるヨーロッパ側のイスタンブルは、古代からヒッタイトフリュギアリディアビザンツ帝国などさまざまな民族文明が栄えた地である。

11世紀に、トルコ系イスラム王朝セルジューク朝の一派がアナトリアに立てたルーム・セルジューク朝の支配下で、ムスリム(イスラム教徒)のトルコ人が流入するようになり、土着の諸民族とが対立・混交しつつ次第に定着していった。彼らが打ち立てた群小トルコ系君侯国のひとつから発展したオスマン朝は、15世紀にビザンツ帝国を滅ぼしてイスタンブルを都とし、東はアゼルバイジャンから西はモロッコまで、北はウクライナから南はイエメンまで支配する大帝国を打ち立てる。

19世紀になると、衰退を示し始めたオスマン帝国の各地では、ナショナリズムが勃興して諸民族が次々と独立してゆき、帝国は第一次世界大戦の敗北により完全に解体された。しかしこのとき、戦勝国の占領を嫌ったトルコ人たちはアンカラに抵抗政権を樹立したムスタファ・ケマル(アタテュルク)のもとに結集して戦い、現在のトルコ共和国の領土を勝ち取った。

1923年、アンカラ政権は共和制を宣言。翌1924年オスマン王家カリフをイスタンブルから追放して、西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家トルコ共和国を建国した。第二次世界大戦後、ソ連に南接するトルコは、反共の防波堤として西側世界に迎えられ、NATOOECDに加盟する。国父アタテュルク以来、トルコはイスラムの復活を望む人々などの国内の反体制的な勢力を強権的に政治から排除しつつ、西洋化を邁進してきたが、その目標であるEUへの加盟にはクルド問題キプロス問題アルメニア人虐殺問題が大きな障害となっている。

政治

詳細はトルコの政治トルコの法制度トルコの国際関係を参照

1982年に定められた現行の憲法では、世俗主義(政教分離原則)が標榜されている。三権は分立しており、立法府として一院制のトルコ大国民議会(Türkiye Büyük Millet Meclisi 定数550名、任期5年)が強い権限をもつ。行政は議会によって選出される国家元首大統領(任期7年)が務めるが、首相の権限が強い議院内閣制に基づいている。司法府は、下級審である司法裁判所、刑事裁判所、および控訴審である高等控訴院、憲法裁判所で構成され、通常司法と軍事司法に分離されている。

政治は多党制の政党政治を基本としているが、政党の離合集散が激しく、議会の選挙は小党乱立を防ぐため、10%以上の得票率を獲得できなかった政党には議席がまったく配分されない独特の方式をとっている。この制度のために、2002年の総選挙では、選挙前に中道右派・イスラム派が結集して結党された公正発展党と、野党で中道左派系・世俗主義派の共和人民党の2党が地すべり的な勝利を収め、議席のほとんどを占めている。

外交面では、北大西洋条約機構(NATO)加盟国として伝統的に西側の一員である。

また、外交面では欧州連合(EU)への加盟を長年の目標としてきた。2002年に政権についた公正発展党は、イスラム系を中心とする政党ながら軍との距離を慎重に保って人権問題を改善する改革を進めてきた。2004年には一連の改革が一応の評価を受け、条件付ではあるものの欧州委員会によって2005年10月からのEUへの加盟交渉の開始が勧告された。しかし、その後のEU加盟交渉はさまざまな要因から停滞している。

国父ケマル・アタテュルク以来強行的に西欧化を押し進めてきたトルコでは、その歴史においてケマルをはじめ、政治家を数多く輩出した軍がしばしば政治における重要なファクターとなっており、政治や経済の混乱に対してしばしば圧力をかけている。1960年に軍は最初のクーデターを起こしたが、その後、参謀総長と陸海空の三軍および内務省ジャンダルマの司令官をメンバーに含む国家安全保障会議(Milli Güvenlik Kurulu)が設置され、国政上の問題に対して内閣に圧力をかける実質上の政府の上位機関と化しているが、このような軍部の政治介入は、国民の軍に対する高い信頼に支えられていると言われる。1980年の二度目のクーデター以降、特にイスラム派政党の勢力伸張に対して、軍は「ケマリズム」あるいは「アタテュルク主義」と呼ばれるアタテュルクの敷いた西欧化路線の護持を望む世俗主義派の擁護者としての性格を前面に打ち出している。軍は1997年にイスラム派の福祉党主導の連立政権を崩壊に追い込み、2007年には公正発展党による同党副党首の大統領選擁立に対して懸念を表明したが、この政治介入により国際的な非難を浴びた。

軍事

トルコには軍事組織として、陸軍・海軍・空軍で組織されるトルコ軍(Türk Silahlı Kuvvetleri)と内務省に所属するジャンダルマ(Jandarma)・沿岸警備隊(Sahil Güvenlik)が置かれている。トルコは良心的兵役拒否すら認めない完全な国民皆兵制度(ただし男性のみ)をとっているため兵員定数はないが、三軍あわせておおむね65万人程度の兵員数である。また、ジャンダルマ・沿岸警備隊は戦時にはそれぞれ陸軍・海軍の指揮下にはいることとされている。ただし、ジャンダルマについては、平時から陸軍と共同で治安作戦などを行っている。

指揮権は平時には大統領に、戦時には参謀総長(Genelkurmay Başkanı)に属すると憲法に明示されており、戦時においてはトルコには文民統制は存在しない。また、首相および国防大臣には軍に対する指揮権・監督権は存在しない。ただし、トルコ軍は歴史的にも、また現在においてもきわめて政治的な行動をとる軍隊であり、また、国防予算の15%程度が議会のコントロール下にない軍基金・国防産業基金等からの歳入であるなど、平時においてもトルコ軍に対する文民統制には疑問も多い。

軍事同盟には1952年以降NATOに加盟し、1992年以降はWEUに準加盟している。また、1979年それ自体が崩壊するまでCENTO加盟国でもあった。2国間同盟としては1996年イスラエルと軍事協力協定および軍事産業協力協定を締結しており、1998年には、実際にアメリカ合衆国・イスラエル・トルコの3国で共同軍事演習が行われた。

地方行政区分

ファイル:Turkiye-iller.png
トルコの地方行政区分図

詳細はトルコの地方行政区画を参照

トルコの地方行政制度はオスマン帝国の州県制をベースとしてフランスに範をとり、全土を県(il)と呼ばれる地方行政区画に区分している。1999年以降の県の総数は81である。各県には中央政府の代理者として知事(vali)が置かれ、県の行政機関(valilik)を統括する。県行政の最高権限は4年任期で民選される県議会が担い、県知事は県議会の決定に従って職務を遂行する。

県の下には民選の首長を有する行政機関(belediye)をもった市(şehir)・郡(ilçe)があり、郡の下には自治体行政機関のある市・町(belde)と、人口2000人未満で自治体権限の弱い村(köy)がある。イスタンブル、アンカラなどの大都市行政区(büyük şehir)は、市の中に特別区に相当する自治体として区(ilçe)とその行政機関(belediye)を複数もち、都市全体を市自治体(büyük şehir belediyesi)が統括する。

地理

国土はヨーロッパ大陸アジア大陸にまたがり、北の黒海と南のエーゲ海地中海を繋ぐボスポラス海峡マルマラ海ダーダネルス海峡によって隔てられる。アナトリア半島は中央に広大な高原と海沿いの狭小な平地からなり、高原の東部はチグリス川ユーフラテス川の源流である。東部イラン国境近くにはヴァン湖アララト山がある。国内最高所は標高5166mである。

気候帯は内陸は冷帯気候ステップ気候で夏は乾燥し、冬は寒く積雪が多い。地中海沿いなど海に近い部分は地中海性気候で、オリーブなどの生産が盛んである。

トルコは国内に多くの断層をもつ地震国であり、1999年にはイズミルからイスタンブルにかけてのマルマラ海沿岸の人口密集地で大規模地震が起こり、大きな被害を受けた。

主な都市

経済

詳細はトルコの経済を参照

産業は近代化が進められた工業商業と、伝統的な農業とからなり、農業人口が国民のおよそ40%を占める。漁業も目立たないが沿岸部では比較的盛んで、領海問題や公海上の漁獲量をめぐる国際問題が起きることもある。

工業

工業はもっぱら軽工業が中心で、繊維・衣類分野の輸出大国である。近年では、世界の大手自動車メーカーと国内の大手財閥との合弁事業が大きな柱となっており、ヨーロッパ向け自動車輸出が有力な外貨獲得源になっている。具体的には、国内最大の財閥であるサバンジュ財閥日本トヨタ自動車、国内2位の財閥であるコチ財閥イタリアフィアット、国内4位の財閥であるオヤック財閥フランスルノーがあげられる。また、コチ財閥のアルチェリッキ・ベコ、ゾルル財閥のヴェステルなど、家電・エレクトロニクス部門の成長も期待されている。

農業

ただし、工業化が進んでいるのは北西部のマルマラ海沿岸地域がほとんどで、観光収入の多い地中海エーゲ海沿岸地域と、首都アンカラ周辺地域以外では農業の比重が大きい。とくに東部では、地主制がよく温存されているなど経済近代化の立ち遅れが目立ち、農村部の貧困や地域間の経済格差が大きな問題となっている

鉱業

トルコの国土は鉱物資源に恵まれている。有機鉱物資源では石炭の埋蔵量が多い。2002年時点では亜炭・褐炭の採掘量が6348万トンに達した。これは世界シェアの7.0%であり、世界第6位に位置する。しかしながら高品位な石炭の生産量はこの1/20に過ぎない。原油(252万トン)と天然ガス(12千兆ジュール)も採掘されている。

金属鉱物資源では、世界第2位(200万トン、世界シェア17.9%)のマグネシウムをはじめ、アンチモン、金、鉄、銅、鉛、ボーキサントを産出する。

しかしながら、石炭は発電など燃料として国内で消費し、石油の生産量は国内消費をまかなう量がないこと、マグネシウムの国際価格が低迷していることから、同国の輸出に占める鉱物資源の割合は低く、4%程度(2002年時点)に過ぎない。

経済成長

1990年代の後半から経済は低調で、政府は巨額の債務を抱え、国民は急速なインフレーションに悩まされている。。歴代の政権はインフレの自主的な抑制に失敗し、2000年からIMFの改革プログラムを受けるに至るが、同年末に金融危機を起こした。この結果、トルコリラの下落から国内消費が急激に落ち込んだ。

2002年以後は若干持ち直し、実質GNP成長率は5%以上に復調、さらに同年末に成立した公正発展党単独安定政権のもとでインフレの拡大はおおよそ沈静化した。2005年1月1日には100万トルコリラ(TL)を1新トルコリラ(YTL)とする新通貨を発行し、実質的なデノミネーションが行われた。

交通

トルコにおいて交通の中心となっているのは、旅客・貨物ともに陸上の道路交通である。鉄道は国鉄(TCDD)が存在し10,940kmの路線を保有・運営しているが、きわめて便が少なく不便である。また、駅舎・路線・その他設備は整備が不十分で老朽化が進んでいる。2004年には国鉄は最高時速160kmの新型車両を導入したが、7月にその新型車両が脱線事故を起こし39名の死者を出した。これは、路線整備が不十分なまま新型車両を見切り発車的に導入したことが原因といわれている。この事故は国鉄の信頼性を一層低下させ、その後鉄道乗客数は激減している。

トルコ政府は道路整備を重視しており、トルコ国内の道路網は2004年現在63,220kmにおよんでいる。また、イスタンブルアンカラを結ぶ高速道路(Otoyol)も完成間近である。貨物輸送はもちろん、短距離・長距離を問わず旅客輸送の中心もバスによる陸上輸送が中心で、大都市・地方都市を問わずトルコの都市にはかならず長距離バスターミナル(Otogal/Terminal)が存在し、非常に多くのバス会社が多数の路線を運行している。また、世俗主義国家であるとはいえイスラム教国であるため、これらのバスでは親子や夫婦などを除き男女の相席をさせることはまずない。

トルコでは雇用所得がまだ低いことや、高額の自動車税(1600cc未満28%、1600cc以上40%)、非常に高価なガソリン価格(2004年現在1リットル当たり200万トルコリラ(約150円)程度)のために、自家用車の普及はあまり進んでいない。また、農村部においては現在でも人的移動や農作物の運搬のためにトラクターや馬を用いることはごく普通である。農村部や地方都市において露天バザールが開催される日には、アンカラやイスタンブルとはかけ離れたこれらの光景をよく目にすることができる。

国民

トルコでは民族構成に関する正確な調査は存在せず、またトルコにおいては、民族よりもイスラム教徒であることを第一のアイデンティティとするもの、あるいは国籍上の意味合いにおいてのトルコ人であることを優先するものなどが存在すること、その上最大多数派であるトルコ人の定義自体が、アナトリア半島が歴史的に非常に複雑で重層的な混血と混住が行われてきた地域であることもあり、人種的な意味合いにおいてまったく不明瞭であること、などの理由により、なにをもって民族を定義するかということ自体が困難であるため、民族構成に関する数字は明らかではない。

かつてトルコにおいては、国民は一体であるという原則から、トルコ国民はすべてトルコ人でありトルコ語を母語とするという建前を取っていたが、現在では、民族的にトルコ人ではない、あるいはトルコ語を母語としない国民も存在することをトルコ政府は公式に認めている。

少数派の民族としてとしては、クルド人アラブ人ラズ人ギリシャ人アルメニア人ザザ人などが存在するとみなされている。とくにクルド人はトルコにおいてトルコ人に次ぐ多数派を構成しており、その数は数百万人とも、一千万人を超えるとも言われている。かつてトルコ政府はトルコ国内にクルド人は存在しないとの立場をとり、クルド語での放送・出版を禁止し、またクルド人にたいし「山岳トルコ人」なる呼称を用いるなど差別的な行為を行っていた。しかしながら、現在においては山岳トルコ人という呼称は用いられることがない。2004年にはクルド語での放送・出版も公に解禁され、旧民主党(DEP:共和人民党から分離した民主党(DP)とは別組織)ザナ党首の釈放と同日に、国営放送第3チャンネル(TRT3)においてクルド語放送が行われた。

クルド人はいわゆる北部クルディスタン、すなわちトルコにおける呼称で言う南東アナトリア地域にのみ居住しているのではなく、トルコにある81の県全てにおいて、地域によって差はあるものの、ある程度のまとまりを持った社会集団として存在している。実際、クルド系政党民主国民党(DEHAP)はトルコ全域において政治活動を行い、総選挙においても得票をあげている。逆に、南東アナトリア地域において居住しているのはクルド人のみではなく、トルコ人、アルメニア人、ザザ人なども共和国成立以前から存在している。1960年以降は全国的な農村部から都市への移住が増加にともないクルド人も都市部への移住が進み、そのため現在においては、クルド人の都市居住者と農村部居住者との割合が大幅に変化しているとみられる。1990年以降において、もっとも多数のクルド人が存在するのは南東アナトリア6県のいずれでもなくイスタンブル県であるとの推計も存在する。一般に都市に居住するクルド人は所得水準が低く、また敬虔なイスラム教徒であり、このことが都市部において大衆政党として草の根活動を行ってきたイスラム系政党の躍進をもたらしたものとする考えは比較的有力なものである。

宗教構成は、宗教の帰属が身分証明書の記載事項でもあることからかなり正確な調査が存在する。それによると、人口の99%以上がムスリム(イスラム教徒)であるが、身分証明書においても宗派は記載事項ではないため、詳細な宗派区分については不明な点も多い。しかし、その大多数がスンナ派であると一般には考えられている。その一方でかなりの数のアレヴィー派も存在し、20%を越えるとも言われる。その他の宗教には東方正教会アルメニア使徒教会ユダヤ教カトリックプロテスタントなどがあるが、いずれもごく少数である。

人口構成(2000年国勢調査)
0-- 46,033,346
5-- 96,449,363


10--146,615,428


15--196,693,554


20--246,390,252


25--295,845,812


30--345,450,131


35--394,759,742


40--443,899,599


45--493,210,416


50--542,453,379


55--592,062,228


60--641,872,635


65--691,513,508


70--741,098,952


75--79720,935


80+597,397


教育

義務教育機関として、8年制の初等教育学校(ilk öğretim okulu)が置かれ、そのほか4年制(2004年9月入学以降、それ以前は3年制)の高等学校(lise)、大学(üniversite)などが置かれている。ほかに就学前教育機関として幼稚園(anaokulu)なども存在する。初等教育学校を含めほぼ全ての学校が国立だが、私立学校も存在する。ただし、私立学校の1ヶ月間の学費は、給食費・施設費等込みで一般労働者の月収とほぼ同等で、きわめて高価である。

公立高校・公立大学への入学にはそれぞれLGS・ÖSSの受験を必要とし、成績順で入学校を決定する。トルコにも受験競争は存在し、高校入試・大学入試のために塾(dershane)に通うことも珍しくない。

教員数・教室数はともに十分な数には達しておらず、初等教育学校は午前・午後の二部制である。また学校設備も貧弱で、体育館・プールなどは公立学校にはまず存在しない。運動場は狭くコンクリート張りで、バスケットボールやフットサルが精一杯である。また、図書館も存在しないか、あっても不十分である。学校設備の不十分さに関しては国も認識し、世界銀行からの融資を受けるなどして改善を図っているが、厳しい財政事情もあって改善が進まないのが現実である。

2004年現在、男子児童の就学率は統計上ほぼ100%に到達したが、女子児童の非就学者は政府発表で65万人程度存在し、トルコ政府は、「さあ、女の子たちを学校へ(Hadi Kızlar Okula)」キャンペーンを展開するなどその解消に努めている。しかし、女子非修学者の問題には、経済事情に加え、男女共学のうえ、ヘッドスカーフ着用禁止の初等教育学校に通わせることを宗教的な観点から問題視する親が存在するという事情もあり、女子非修学者の減少はやや頭打ちの状態である。

文化

トルコの国土は、ヒッタイト古代ギリシアローマ帝国イスラームなどさまざまな文明が栄えた地であり、諸文化の混交がトルコ文化の基層となっている。これらの人々が残した数多くの文化遺産、遺跡、歴史的建築が残っており、世界遺産に登録されたものも9件に及ぶ(詳しくはトルコの世界遺産を参照)。

トルコの伝統的な文化はこのような基層文化にトルコ人が中央アジアからもたらした要素を加えて、東ヨーロッパから西アジアの諸国と相互に影響を受けあいながら発展してきた。例えば、世界三大料理のひとつとも言われるトルコ料理は、その実ではギリシャ料理シリア地方の料理とよく似通っているし、伝統的なトルコ音楽のひとつオスマン古典音楽アラブ音楽との関係が深く、現代のアラブ古典音楽で演奏される楽曲の多くはオスマン帝国の帝都イスタンブルに暮らした作曲家が残したものである。俗にトルコ風呂などと呼ばれている公衆浴場文化(トルコ本国においては性風俗店の意味はなく、伝統的浴場の意である。詳細は下記参照)は、中東地域に広く見られるハンマームの伝統に連なる。逆に、中東の後宮として理解されているハレムとは実はトルコ語の語彙であり、多くの宮女を抱えたオスマン帝国の宮廷のイメージが、オリエンタリズム的な幻想に乗って伝えられたものであった。

近現代のオスマン帝国、トルコは、ちょうど日本の文明開化と同じように、西欧文明を積極的に取り入れてきたが、それとともにトルコ文学、演劇、音楽などの近代芸術は、言文一致運動や言語の純化運動、社会運動などと結びついてトルコ独自の歴史を歩んできた。

こうした近代化の一方で、歴史遺産の保全に関しては立ち遅れも見られる。無形文化財ではオスマン古典音楽の演奏者は著しく減少し、また剣術、弓術などいくつかの伝統的な技芸は既に失われた。有形の遺跡もオスマン帝国時代以来のイスラム以前の建築物に対する無関心は現在も少なからず残っており、多くの遺跡が長らく管理者すら置かれない事実上の放置状態に置かれてきた。近年は、いくつかの有名なギリシャ・ローマ時代の遺跡やイスラム時代の建築が観光化されて管理が行き届くようになったが、依然として多くの遺跡は風化の危機にさらされている。このような状況に対する懸念も表明されているが、その保全対策は財政事情もありほとんどまったく手付かずの状態である。

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日元日Yılbaşı法令上は祝祭日ではなく休日
4月23日国民主権と子供の日Ulusal Egemenlik ve
Çocuk Bayramı
-
5月19日アタテュルク記念と
青少年とスポーツの日
Atatürk’ü Anma ve
Gençlik ve Spor Bayramı
-
8月30日戦勝記念日Zafer Bayramı -
10月29日共和国記念日Cumhuriyet Bayramı -
移動断食明けの祭り(砂糖の祭)Ramazan Bayramı初日の13時から3日半
移動犠牲祭Kurban Bayramı初日の13時から4日半

スポーツ

詳細は トルコのスポーツ を参照

トルコにおいて国民的なスポーツとしては、まずサッカー(トルコ語でfutbol:発音フトボル)があげられる。国内には18のプロチームが参加するシュペルリグ(Süper Lig)を頂点に2部リーグ、3部リーグ、さらにその下部の地域リーグが置かれ、プロ・アマ合わせれば膨大な数のサッカーチームが存在する。また、サッカーチームの多くは総合スポーツクラブの一部であり、バスケットボール・バレーボールなど、他種目のスポーツチームを同じクラブが抱えることも多い。

トルコはUEFA加盟国であるため、シュペルリグ上位チームはUEFAチャンピオンズリーグUEFAカップに参加可能である。多くのチームの中でもイスタンブルのフェネルバフチェ(Fenerbahçe)・ガラタサライ(Galatasaray)・ベシクタシュ(Beşiktaş)とトラブゾンのトラブゾンスポル(Trabzon Spor)は4大チームと呼ばれ、テレビ・新聞などでの報道量も他のチームに比べ抜群に多い。これらのチームは実力的にも上位にあるためUEFA主催のリーグに参加することも多い。UEFA主催のリーグに参加するチームは、なかばトルコ代表として扱われることもあり、これらの強豪チームは地域にかかわらず全国的に人気がある。また、イスタンブルのフェネルバフチェ・ガラタサライ・ベシクタシュの3チームは、イスタンブル証券取引所に上場する上場企業でもある。トルコ代表は2002 FIFAワールドカップで3位に入るなど健闘した。この大会では韓国と日本に勝利しており、同一大会で2つの開催国に勝つという珍しい記録を達成した。また優勝したブラジルには2回敗北している。 ほかにプロスポーツとしてはバスケットボールバレーボールのプロリーグが存在する。特にバスケットボールはNBAでのトルコ人選手の活躍や2010年の世界選手権を控えていることもあり、近年人気が上昇している。

また、2005年からはF1トルコGPが開催されており、WRCのラリー・オブ・ターキーとあわせて、モータースポーツにおける発展も期待できる。

650年の歴史をもつ伝統格闘技としてヤールギュレシ(オイルレスリング)があり、トルコ共和国の国技となっている。アマチュアスポーツとしては、レスリング重量挙げなどに人気がある。またトルコ人の気風を反映してか、空手柔道の道場も非常に多い。

関連項目

トルコの写真


参考文献

  • 新井政美『オスマンvsヨーロッパ』講談社、2002年
  • 新井政美『トルコ近現代史』みすず書房、2001年
  • 大島直政『遠くて近い国トルコ』中央公論社、1968年
  • 小島剛一『トルコのもう一つの顔』中央公論社、1991年
  • 鈴木董『図説イスタンブル歴史散歩』河出書房新社、1993年
  • 鈴木董(編)『暮らしがわかるアジア読本 トルコ』河出書房新社、2000年
  • 松谷浩尚『現代トルコの政治と外交』剄草書房、1987年


外部リンク

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