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2010年6月27日 (日) 18:55時点における版
日本の天皇の一覧(てんのうのいちらん)は、日本の歴代天皇の一覧である。明治時代に今の形に改編された。
目次
実在性
実在説には諸説あるが、歴史学においては、現代科学的には初期の天皇は典拠が神話等であり、その実在が疑問視されている。また初代天皇である神武天皇以前は「神代」と言われ、神の化身または神そのものであったと称される。
- 2代・綏靖天皇から9代・開化天皇までの天皇は実在しなかったとする説が有力である(欠史八代) 初代神武天皇は「欠史八代」(正しくは「闕史八代」)に含まれない。「欠史八代」とは『日本書紀』に『旧辞』的記述のない8人の天皇のことを指す用語である。神武天皇の事跡は10代崇神天皇を事実上の初代と考えて崇神天皇と一体と捉える見方もある。
- 10代・崇神天皇から14代・仲哀天皇までは、実在しなかったという説と実在した可能性のある天皇とする説とがある。
- 15代・応神天皇以降は実在した天皇であるとされる
これが戦後しばらくの間の代表的な見方である。下表を見れば分かるように、歴代天皇の諡号・追号に「神」の字を用いているのは、「神武」「崇神」「応神」の三代のみであり、その観点からも研究対象になることが多い。
しかし1970年代以降の歴史学会では、『古事記』や『日本書紀』の5世紀以前の記事は不正確な伝説であり、継体天皇は実在しているが、その前の王については不確かとの見解が有力である。武烈天皇、顕宗天皇、清寧天皇なども実在ではなく創作されたものと考えられる。ただ考古学的資料により、ある程度のことは分かっている。 大和王朝(ヤマト王権)の発祥の地は、吉備か出雲か九州など諸説あり、不明である。だがこの王権は、三輪山近くのヤマト(あるいは柳本)に、古代都市纏向遺跡(まきむくいせき、奈良盆地の東南部(桜井付近)を造り本拠をおいた王のときに大きく発展した。この古代都市は、3世紀前半に建設され、4世紀末には使われなくなった。天皇の系図は、相克したいくつかの古代王朝の伝説を繋ぎあわせた、藤原氏による作品であるといっていい。例えば、継体天皇はその前の武烈天皇の王朝に連続するものではない。
420年頃から480年頃までが、倭の五王の時代である。その後、510年頃までに6,7人の在位期間の短い王が立ったが、この時期はヤマト王権は混乱した。継体天皇の時代に、ヤマト王権の力が強くなった。これ以降の系譜はほぼ正確である。
明治時代の歴代天皇の変更
明治以前の歴代天皇(帝)は、現在とはいくらかちがっていた。明治時代に歴代天皇の変更が行われた。これらの変更については、水戸藩による『大日本史』・水戸学および尊王論の影響によるものとされている。
- 明治以前は神功皇后を15代の帝と数えていたが、歴代天皇から外された。
- 神武天皇から村上天皇までは死後の漢風諡号・追号として「○○天皇」と呼んでいたが、冷泉天皇から後桃園天皇までは「○○院天皇」(例えば、「冷泉院天皇」)と呼び、一般には「○○院」(例では、「冷泉院」)と略され、「○○天皇」とは呼んでいなかった(ただし、安徳天皇と後醍醐天皇を除く)。天皇号が復活するのは光格天皇の代からである。明治になり、すべての天皇を「○○天皇」と呼ぶように改められた(これ以後、「○○院天皇」という呼称は廃されたが、「後西院天皇」を「後西天皇」と改めた点に関しては異論が出されている(「西院」は地名であって院号ではないとされる。現在も京都市中京区に西院という地名が残る。53代淳和天皇が譲位後にこの地に住んだため異称を「西院」といい、「後西院」はその加後号である))。
- 壬申の乱で敗死した大友皇子は天皇に数えていなかったが、即位が確認されたとされ、明治3年に「弘文」の諡号を追贈した。現在では非即位説が有力。即位の是非をめぐる議論については、大友皇子即位説を参照されたい。
- 47代「淡路廃帝」に対して明治3年に「淳仁」の諡号を追贈した。
- 承久の乱に敗れた「九條廃帝」は天皇に数えていなかったが、明治3年に「仲恭」の諡号を追贈した。
- 明治44年に明治天皇の命令で、南朝2代を正統な天皇と認め、従来の96代光厳から100代後円融までの5代を北朝として正統から外した。
- 大正15年に大正天皇(実質は摂政の裕仁皇太子(後の昭和天皇))の命令で、南朝を正統とした後も即位の是非について意見が分かれていた寛成親王に関して、その即位が確認されたとされ、「長慶」天皇とした。
大友皇子及び長慶天皇は即位していないという説も根強い。神功皇后を天皇から外し、大友皇子を天皇に入れ、南朝を正統としたのは、『大日本史』を受けてのものである。
歴代天皇の一覧
- 凡例
- この表は、明治時代に歴代天皇として認められ、現在広く知られている天皇たちの一覧である。
- 日本に太陽暦(実質はグレゴリオ暦。なお、グレゴリオ暦の採用が明言されたのは明治31年)が導入された1873年以前の表中に示された年月日は、その時々に用いられていた太陰太陽暦による和暦の年月日のうち、年をキリスト紀元(西暦)に単純に換算したものであるため、日本の暦の閏月、大小月により一定の規則性のない月日についてはユリウス暦・グレゴリオ暦の日付とは異同があり、年末の日付を持つ年月日の年はその日に対応する西暦の年とは異なる。
- 後世になって編纂された記紀を除いて歴史書が存在しない6世紀以前の天皇の事績については疑問が残されているが、ここでは記紀の記す在位の年代を採用する。
- 在位の欄には、50代桓武天皇以前の天皇は即位の日付を、即位に先立って践祚した51代平城天皇以降の天皇は践祚の日付を示す。
代 | 天皇名 漢風諡号 ・追号 |
諡号・追号 の読み |
諡号・追号 の別 |
諡号・追号の由来 | 在位 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 神武天皇 | じんむ | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前660年1月1日 - 紀元前585年3月11日 |
|
2 | 綏靖天皇 | すいぜい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前581年1月8日 - 紀元前549年5月10日 |
欠史八代の一。 |
3 | 安寧天皇 | あんねい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前549年7月3日 - 紀元前511年12月6日 |
欠史八代の一。 |
4 | 懿德天皇 | いとく | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前510年2月4日 - 紀元前477年9月8日 |
欠史八代の一。 |
5 | 孝昭天皇 | こうしょう | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前475年1月9日 - 紀元前393年8月5日 |
欠史八代の一。 |
6 | 孝安天皇 | こうあん | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前392年1月7日 - 紀元前291年1月9日 |
欠史八代の一。 |
7 | 孝靈天皇 | こうれい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前290年1月12日 - 紀元前215年2月8日 |
欠史八代の一。 |
8 | 孝元天皇 | こうげん | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前214年1月14日 - 紀元前158年9月2日 |
欠史八代の一。 |
9 | 開化天皇 | かいか | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前158年11月12日 - 紀元前98年4月9日 |
欠史八代の一。 |
10 | 崇神天皇 | すじん | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前97年1月13日 - 紀元前30年12月5日 |
|
11 | 垂仁天皇 | すいにん | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前29年1月2日 - 70年7月14日 |
|
12 | 景行天皇 | けいこう | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 71年7月11日 - 130年11月7日 |
|
13 | 成務天皇 | せいむ | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 131年1月5日 - 190年6月11日 |
|
14 | 仲哀天皇 | ちゅうあい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 192年1月11日 - 200年2月6日 |
|
15 | 應神天皇 | おうじん | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 270年1月1日 - 310年2月15日 |
|
16 | 仁德天皇 | にんとく | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 313年1月3日 - 399年1月16日 |
|
17 | 履中天皇 | りちゅう | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 400年2月1日 - 405年3月15日 |
|
18 | 反正天皇 | はんぜい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 406年1月2日 - 410年1月23日 |
|
19 | 允恭天皇 | いんぎょう | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 412年12月 - 453年1月14日 |
|
20 | 安康天皇 | あんこう | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 453年12月14日 - 456年8月9日 |
|
21 | 雄略天皇 | ゆうりゃく | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 456年11月13日 - 479年8月7日 |
|
22 | 清寧天皇 | せいねい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 480年1月15日 - 484年1月16日 |
|
23 | 顯宗天皇 | けんぞう | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 485年1月1日 - 487年4月25日 |
|
24 | 仁賢天皇 | にんけん | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 488年1月5日 - 498年8月8日 |
|
25 | 武烈天皇 | ぶれつ | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 498年12月 - 506年12月8日 |
|
26 | 繼體天皇 | けいたい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 507年2月4日 - 531年2月7日 |
|
27 | 安閑天皇 | あんかん | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 531年2月7日 - 535年12月17日 |
|
28 | 宣化天皇 | せんか | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 535年12月 - 539年2月10日 |
|
29 | 欽明天皇 | きんめい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 539年12月5日 - 571年4月 |
|
30 | 敏達天皇 | びだつ | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 572年4月3日 - 585年8月15日 |
|
31 | 用明天皇 | ようめい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 585年9月5日 - 587年4月9日 |
|
32 | 崇峻天皇 | すしゅん | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 587年8月2日 - 592年11月3日 |
|
33 | 推古天皇 | すいこ | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 592年12月8日 - 628年3月7日 |
女帝。初の女帝である。 |
34 | 舒明天皇 | じょめい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 629年1月4日 - 641年10月9日 |
|
35 | 皇極天皇 | こうぎょく | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 642年1月15日 - 645年6月14日 |
女帝。 |
36 | 孝德天皇 | こうとく | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 645年6月14日 - 654年10月10日 |
|
37 | 齊明天皇 | さいめい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 655年1月3日 - 661年7月24日 |
皇極天皇重祚。女帝。 |
38 | 天智天皇 | てんじ | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 661年7月24日 - 671年12月3日 |
|
39 | 弘文天皇 | こうぶん | 諡号 | 明治3年追贈 | 671年12月5日 - 672年7月23日 |
通称、大友帝。 |
40 | 天武天皇 | てんむ | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 673年2月27日 - 686年9月9日 |
|
41 | 持統天皇 | じとう | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 686年9月9日 - 697年8月1日 |
女帝。 |
42 | 文武天皇 | もんむ | 諡号 | 697年8月1日 - 707年6月15日 |
||
43 | 元明天皇 | げんめい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 707年7月17日 - 715年9月2日 |
女帝。 |
44 | 元正天皇 | げんしょう | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 715年9月2日 - 724年2月4日 |
女帝。 |
45 | 聖武天皇 | しょうむ | (生前の尊称) | 724年2月4日 - 749年7月2日 |
||
46 | 孝謙天皇 | こうけん | (生前の尊称) | 749年7月2日 - 758年8月1日 |
女帝。 | |
47 | 淳仁天皇 | じゅんにん | 諡号 | 明治3年追贈 | 758年8月1日 - 764年10月9日 |
淡路廢帝を改む。 |
48 | 稱德天皇 | しょうとく | (生前の尊称) | 764年10月9日 - 770年8月4日 |
孝謙天皇重祚。女帝。 | |
49 | 光仁天皇 | こうにん | 諡号 | 770年10月1日 - 781年4月3日 |
||
50 | 桓武天皇 | かんむ | 諡号 | 781年4月3日 - 806年3月17日 |
異称、柏原天皇。 | |
51 | 平城天皇 | へいぜい | 追号 | 在所(地名) | 806年3月17日 - 809年4月1日 |
異称、奈良天皇。 |
52 | 嵯峨天皇 | さが | 追号 | 譲位後の在所 | 809年4月1日 - 823年4月16日 |
|
53 | 淳和天皇 | じゅんな | 追号 | 譲位後の在所 | 823年4月16日 - 833年2月28日 |
異称、西院の帝。 |
54 | 仁明天皇 | にんみょう | 諡号 | 833年2月28日 - 850年3月21日 |
異称、深草天皇。 | |
55 | 文德天皇 | もんとく | 諡号 | 850年3月21日 - 858年8月27日 |
異称、田邑の帝。 | |
56 | 清和天皇 | せいわ | 追号 | 譲位後の在所 | 858年11月7日 - 876年11月29日 |
異称、水尾天皇。 |
57 | 陽成天皇 | ようぜい | 追号 | 譲位後の在所 | 876年11月29日 - 884年2月4日 |
|
58 | 光孝天皇 | こうこう | 諡号 | 884年2月5日 - 887年8月26日 |
異称、小松天皇。 | |
59 | 宇多天皇 | うだ | 追号 | 譲位後の在所 | 887年8月26日 - 897年7月3日 |
臣籍降下するも、後に皇族に復帰し即位。 |
60 | 醍醐天皇 | だいご | 追号 | 山陵 | 897年7月3日 - 930年9月22日 |
出生時は臣籍、後に皇族に復帰し即位。 |
61 | 朱雀天皇 | すざく | 追号 | 譲位後の在所 | 930年9月22日 - 946年4月20日 |
|
62 | 村上天皇 | むらかみ | 追号 | 山陵 | 946年4月20日 - 967年5月25日 |
|
63 | 冷泉天皇 | れいぜい | 追号 | 譲位後の在所 | 967年5月25日 - 969年8月13日 |
|
64 | 圓融天皇 | えんゆう | 追号 | 在所(寺名・庵号) | 969年8月13日 - 984年8月27日 |
|
65 | 花山天皇 | かざん | 追号 | 在所(寺名・庵号) | 984年8月27日 - 986年6月23日 |
|
66 | 一條天皇 | いちじょう | 追号 | 在位中の皇居の宮名 | 986年6月23日 - 1011年6月13日 |
|
67 | 三條天皇 | さんじょう | 追号 | 譲位後の在所 | 1011年6月13日 - 1016年1月29日 |
|
68 | 後一條天皇 | ごいちじょう | 追号 | 加後号 | 1016年1月29日 - 1036年4月17日 |
|
69 | 後朱雀天皇 | ごすざく | 追号 | 加後号 | 1036年4月17日 - 1045年1月16日 |
|
70 | 後冷泉天皇 | ごれいぜい | 追号 | 加後号 | 1045年1月16日 - 1068年4月19日 |
|
71 | 後三條天皇 | ごさんじょう | 追号 | 加後号 | 1068年4月19日 - 1072年12月8日 |
|
72 | 白河天皇 | しらかわ | 追号(遺諡) | 譲位後の在所 | 1072年12月8日 - 1086年11月26日 |
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73 | 堀河天皇 | ほりかわ | 追号 | 在位中の皇居の宮名 | 1086年11月26日 - 1107年7月19日 |
|
74 | 鳥羽天皇 | とば | 追号 | 譲位後の在所 | 1107年7月19日 - 1123年1月28日 |
|
75 | 崇德天皇 | すとく | 諡号 | 1123年1月28日 - 1141年12月7日 |
讃岐院を改む。 | |
76 | 近衞天皇 | このえ | 追号 | 在位中の皇居の宮名 | 1141年12月7日 - 1155年7月23日 |
|
77 | 後白河天皇 | ごしらかわ | 追号 | 加後号 | 1155年7月24日 - 1158年8月11日 |
|
78 | 二條天皇 | にじょう | 追号 | 在位中の皇居の宮名 | 1158年8月11日 - 1165年6月25日 |
|
79 | 六條天皇 | ろくじょう | 追号 | 譲位後の在所 | 1165年6月25日 - 1168年2月19日 |
歴代最年少即位(生後7ヶ月)。 歴代最年少譲位(2歳)。 |
80 | 高倉天皇 | たかくら | 追号 | 譲位後の在所 | 1168年2月19日 - 1180年2月21日 |
|
81 | 安德天皇 | あんとく | 諡号 | 1180年2月21日 - 1185年3月24日 |
後鳥羽天皇と在位一部重複。 歴代最年少崩御(8歳)。 | |
82 | 後鳥羽天皇 | ごとば | 追号 | 加後号 | 1183年8月20日 - 1198年1月11日 |
隠岐院、さらに顕德院を改む。 安德天皇と在位一部重複。 |
83 | 土御門天皇 | つちみかど | 追号 | 譲位後の在所 | 1198年1月11日 - 1210年11月25日 |
異称、土佐院、阿波院。 |
84 | 順德天皇 | じゅんとく | 諡号 | 1210年11月25日 - 1221年4月20日 |
佐渡院を改む。 | |
85 | 仲恭天皇 | ちゅうきょう | 諡号 | 明治3年追贈 | 1221年4月20日 - 1221年7月9日 |
九條廢帝、後廢帝を改む。 在位期間最短(3ヶ月)。 |
86 | 後堀河天皇 | ごほりかわ | 追号 | 加後号 | 1221年7月9日 - 1232年10月4日 |
|
87 | 四條天皇 | しじょう | 追号 | 在所(葬家の邸宅を 在所に擬す) |
1232年10月4日 - 1242年1月9日 |
|
88 | 後嵯峨天皇 | ごさが | 追号(遺諡) | 加後号 | 1242年1月20日 - 1246年1月29日 |
|
89 | 後深草天皇 | ごふかくさ | 追号(遺諡) | 加後号 | 1246年1月29日 - 1259年11月26日 |
|
90 | 龜山天皇 | かめやま | 追号(遺諡) | 譲位後の在所 | 1259年11月26日 - 1274年1月26日 |
|
91 | 後宇多天皇 | ごうだ | 追号(遺諡) | 加後号 | 1274年1月26日 - 1287年10月21日 |
|
92 | 伏見天皇 | ふしみ | 追号 | 譲位後の在所 | 1287年10月21日 - 1298年7月22日 |
|
93 | 後伏見天皇 | ごふしみ | 追号(遺諡) | 加後号 | 1298年7月22日 - 1301年1月22日 |
|
94 | 後二條天皇 | ごにじょう | 追号 | 加後号 | 1301年1月22日 - 1308年8月25日 |
|
95 | 花園天皇 | はなぞの | 追号(遺諡) | 譲位後の在所 | 1308年8月26日 - 1318年2月26日 |
|
96 | 後醍醐天皇 | ごだいご | 追号(遺諡) | 加後号 | 1318年2月26日 - 1339年8月15日 |
南朝初代天皇。 |
北朝1 | 光嚴天皇 | こうごん | 追号(遺諡) | 在所(寺名・庵号) | 1331年9月20日 - 1333年5月25日 |
|
北朝2 | 光明天皇 | こうみょう | 追号(遺諡) | 在所(寺名・庵号) | 1336年8月15日 - 1348年10月27日 |
|
97 | 後村上天皇 | ごむらかみ | 追号 | 加後号、明治44年追贈 | 1339年8月15日 - 1368年3月11日 |
南朝第2代天皇。 |
北朝3 | 崇光天皇 | すこう | 追号(遺諡) | 1348年10月27日 - 1351年11月7日 |
||
北朝4 | 後光嚴天皇 | ごこうごん | 追号(遺諡) | 加後号 | 1352年8月17日 - 1371年3月23日 |
|
98 | 長慶天皇 | ちょうけい | 諡号 | 大正15年追贈 | 1368年3月11日 - 1383年10月 |
南朝第3代天皇。 |
北朝5 | 後圓融天皇 | ごえんゆう | 追号(遺諡) | 加後号 | 1371年3月23日 - 1382年4月11日 |
|
99 | 後龜山天皇 | ごかめやま | 追号 | 加後号、明治44年追贈 | 1383年10月 - 1392年10月5日 |
南朝第4代天皇。 |
北朝6 100 |
後小松天皇 | ごこまつ | 追号(遺諡) | 加後号 | 1382年4月11日 - (1392年10月5日) - 1412年8月29日 |
|
101 | 稱光天皇 | しょうこう | 追号 | 二つの漢風諡号を 合わせて追号とした号 (稱德+光仁) |
1412年8月29日 - 1428年7月20日 |
|
102 | 後花園天皇 | ごはなぞの | 追号 | 加後号 | 1428年7月28日 - 1464年7月19日 |
異称、後文德院。 |
103 | 後土御門天皇 | ごつちみかど | 追号 | 加後号 | 1464年7月19日 - 1500年9月28日 |
|
104 | 後柏原天皇 | ごかしわばら | 追号 | 加後号 | 1500年10月25日 - 1526年4月7日 |
|
105 | 後奈良天皇 | ごなら | 追号 | 加後号 | 1526年4月29日 - 1557年9月5日 |
|
106 | 正親町天皇 | おおぎまち | 追号 | 在所(二條殿)の面する町名 | 1557年10月27日 - 1586年11月7日 |
|
107 | 後陽成天皇 | ごようぜい | 追号 | 加後号 | 1586年11月7日 - 1611年3月27日 |
|
108 | 後水尾天皇 | ごみずのお | 追号(遺諡) | 加後号 | 1611年3月27日 - 1629年11月8日 |
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109 | 明正天皇 | めいしょう | 追号 | 二つの漢風諡号を 合わせて追号とした号 (元明+元正) |
1629年11月8日 - 1643年10月3日 |
女帝。 |
110 | 後光明天皇 | ごこうみょう | 追号 | 加後号 | 1643年10月3日 - 1654年9月20日 |
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111 | 後西天皇 | ごさい | 追号 | 加後号 | 1654年11月28日 - 1663年1月26日 |
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112 | 靈元天皇 | れいげん | 追号(遺諡) | 二つの漢風諡号を 合わせて追号とした号 (孝靈+孝元) |
1663年1月26日 - 1687年3月21日 |
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113 | 東山天皇 | ひがしやま | 追号 | 山陵 | 1687年3月21日 - 1709年6月21日 |
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114 | 中御門天皇 | なかみかど | 追号 | 在所に近い宮門 | 1709年6月21日 - 1735年3月21日 |
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115 | 櫻町天皇 | さくらまち | 追号 | 譲位後の在所 | 1735年3月21日 - 1747年5月2日 |
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116 | 桃園天皇 | ももぞの | 追号 | 1747年5月2日 - 1762年7月12日 |
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117 | 後櫻町天皇 | ごさくらまち | 追号 | 加後号 | 1762年7月27日 - 1770年11月24日 |
女帝。2007年末現在、最後の女帝である。 |
118 | 後桃園天皇 | ごももぞの | 追号 | 加後号 | 1770年11月24日 - 1779年11月9日 |
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119 | 光格天皇 | こうかく | 諡号 | 1779年11月25日 - 1817年3月22日 |
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120 | 仁孝天皇 | にんこう | 諡号 | 1817年3月22日 - 1846年2月6日 |
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121 | 孝明天皇 | こうめい | 諡号 | 1846年2月13日 - 1866年12月25日 |
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122 | 明治天皇 | めいじ | 追号 | 一世一元の制による | 1867年1月9日 - 1912年7月30日 |
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123 | 大正天皇 | たいしょう | 追号 | 一世一元の制による | 1912年7月30日 - 1926年12月25日 |
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124 | 昭和天皇 | しょうわ | 追号 | 一世一元の制による | 1926年12月25日 - 1989年1月7日6:33 |
履中天皇(第17代)以降では、 在位期間最長(62年2ヶ月)。 |
125 | 今上天皇 明仁 |
きんじょう あきひと |
1989年1月7日 - | 関東の地で即位した初の天皇。 |
歴代天皇以外の関連人物
追尊天皇の一覧
- 岡宮天皇 - 草壁皇子。40代天武天皇の皇太子で、42代文武天皇の父。即位前に病没し、「岡宮御宇天皇」を追尊。「長岡天皇」とも。
- 崇道尽敬皇帝 - 舎人親王。47代淳仁天皇の父。子の即位により「崇道尽敬皇帝」を追尊。単に「尽敬天皇」とも。
- 春日宮天皇 - 施基皇子。49代光仁天皇の父。子の即位により「春日宮天皇」を追尊。「田原天皇」とも。
- 崇道天皇 - 早良親王。50代桓武天皇の弟で廃太子(785年没)。800年、「崇道天皇」の尊号を受ける。
- 陽光院太上天皇 - 誠仁親王。106代正親町天皇の東宮。即位前に死去。太上天皇、院号「陽光院」を追尊。
- 慶光天皇 - 閑院宮典仁親王。119代光格天皇の父。1884年、贈太上天皇、諡号「慶光天皇」を追尊。→尊号一件
尊称天皇の一覧
付:異説に天皇とされる者、天皇に準ずる者の一覧
- 日本武尊 - 14代仲哀天皇の父。『風土記』において「倭武天皇」と記す例がある。
- 神功皇后 - 14代仲哀天皇の后で15代応神天皇の母。江戸時代までは歴代天皇の一人(15代)に数えられた。
- 菟道稚郎子 - 応神天皇皇太子。「宇治天皇」と『播磨国風土記』にある。
- 市辺押磐皇子 - 17代履中天皇皇子。23代顕宗天皇の父。『播磨国風土記』に「市辺天皇」とある。
- 飯豊青皇女 - 履中天皇の娘(異説あり)。22代清寧天皇の死後、23代顕宗天皇・24代仁賢天皇が皇位を譲り合っている間、天皇としての政務を行っていた。『扶桑略記』などに「飯豊天皇」とある。
- 蘇我馬子・蘇我蝦夷・蘇我入鹿 - 大臣。邸宅は「宮門(みかど)」と呼ばれ、子は親王に準じた扱いを受けた。
- 聖徳太子 - 『日本書紀』では「豊聡耳法大王」、「法主王」と記す例がある。
- 間人皇女 - 36代孝徳天皇の皇后、34代舒明天皇の皇女。37代斉明天皇の死後、38代天智天皇即位までの間即位していたとする説がある。『万葉集』の「中皇命(なかつすめらみこと)」は間人皇女のこととされる。
- 塩焼王 - 天平宝字8年(764年)、恵美押勝の乱で、恵美押勝から「今帝」として擁立される。併し、朝廷軍の前に恵美押勝軍は敗北、逃走中に捕縛され斬殺される。
- 平将門 - 桓武天皇5世孫。940年、八幡神の託宣により「新皇」に即位するも同年敗死。
- 敦明親王(小一条院) - 67代三条天皇皇子。1016年、東宮。翌年東宮を退くも、院号宣下を受け太上天皇に準ずる。
- 恒良親王 - 96代後醍醐天皇の皇子。後醍醐が吉野へ逃れる際に一時的に皇位を譲られるが、南朝の成立により無意味となる。
- 懐良親王 - 後醍醐天皇の皇子。南朝方の征西将軍として九州に勢力を張り、明から倭寇の取り締まりを求められ「日本国王」の冊封を受ける。
- 足利義満 - 室町幕府3代将軍。准三宮(上皇に準じた待遇)を受ける。以降の将軍も含め、明より「日本国王」の冊封を受ける。没後、太上天皇の宣下を受けるが幕府はこれを辞退する。院号「鹿苑院」。
- 中興天皇 - 後南朝の初代天皇とされる。99代後亀山天皇の孫、小倉宮実仁親王の皇子。諱は尊義。嘉吉3年10月に即位したという。吉野北山に崩御(※ただしこのことは同時代史料では確認できず、後世の付会である。小倉宮「実仁」なる人物も、101代称光天皇の実名と混同したもので、実際には存在しない)。
- 自天王 後南朝の2代天皇。後亀山天皇の曾孫、中興天皇の一宮。諱は尊秀。奥吉野川上にて即位。長禄元年12月、赤松家の遺臣により暗殺される(※長禄の変で南朝の宮と称する兄弟が討たれたのは事実だが、系譜、実名ともに不明であり、ここに書いてあることは後世史料によるもので、信ずるにたりない、但し南帝を称した事は確かである)。
- 南天皇 - 後南朝の3代天皇。後亀山天皇の孫、小倉宮実仁親王の皇子。諱は尊雅。長禄2年8月、赤松家の遺臣により斬られ、其の傷が元で熊野の光福寺にて崩ず(※これもまた後世の伝説によるもので、同時代史料とはあわず、史実ではない)。
- 西陣南帝 - 応仁の乱の際、山名宗全により擁立された南朝皇胤。名は不明。
- 北白川宮能久親王 - 日光輪王寺門跡時代の1868年、奥羽越列藩同盟により「東武皇帝」に推戴されたとの説がある。欧米の新聞にも記事があると言われる。
付:自称天皇の一覧
- 熊沢天皇 - 現在までに4人が熊沢天皇を称した。
- 池端天皇 - 熊沢常光(熊沢常春)。熊沢家本家を主張。
- 長浜天皇 - 現在までに2人が長浜天皇を称した。
- 璽光尊 - 戦後新たに天皇を名乗った人。元号を霊寿と改め、天皇や皇族、そしてダグラス・マッカーサーに自らの皇居参内を命じ、やがて金沢に遷都し、私造紙幣をも発行した新興宗教の教祖。
- 三浦天皇 - 三浦芳聖、南朝長慶天皇の孫、美良親王の末裔で、後醍醐天皇の皇子・尊良親王の生まれ変わりを称し、「神風串呂」なる神道霊学を立ち上げ、「天皇は狸に祟られてる」と吹聴した。
- 工藤天皇 - 工藤智久、1973年に「智宮久仁親王」を自称し、明治天皇の曾孫を主張した。祖父が明治天皇の1878年の上田市行幸時の落胤であると称しマスコミの好餌となった。
追記
欠史十代
24代仁賢天皇から33代推古天皇までを「欠史十代」と呼称する場合もある。冒頭で述べた「欠史八代」(または、「14代までを実在しない」とする諸説)とは異なり、『古事記』下巻の最終部に、ほとんどその間について「史実」として記述されていないことから、「『古事記』が正史でない」ことや、それが編纂されたとされる712年の時点で、それら天皇の在位期間中に「誰もが知っているような内容をわざわざ書き記す必要性がないこと」、または、「記憶や伝承として歴史的な大事件等がなかったため」などと解釈されている。
諡号に用いられる文字
諡号に用いられる文字について、次のような説がある。
- 「徳」‐殺害されたり流刑地で没したりした天皇に、怨霊封じのため贈られた。
- 飛鳥時代末期から鎌倉時代初期にかけて、皇太子に実権を握られ都に置き去りにされ没した36代孝徳、譲りたい者に皇位を譲れずに没した48代称徳、55代文徳、流刑先で没した75代崇徳、82代顕徳(後に後鳥羽と改めた)、84代順徳、平家滅亡の際に入水した81代安徳の7人の天皇が該当する。また、崇徳、顕徳、順徳、安徳の4人の天皇をまとめて「四徳」と呼ぶことがある。
- 南朝の96代後醍醐天皇には、当時対立していた北朝から「元徳院」の諡号を贈る案が出されたことがある。(ただし、在位中の同名の元号からとった単なる通称であるとの反論もある。実際には本人の遺諡により後醍醐と追号された。)
- いずれにせよ、追号が続いていた時代に諡号を贈られたこと自体が、異例のことである。
- 「光」‐傍系から出て皇位を継承した場合、中国の後漢の光武帝になぞらえて、「光」の字を贈ることがある。
- 49代光仁、58代光孝、119代光格の3人の天皇は、いずれも先代から見て傍系の出身である。ちなみに、光孝天皇の次の宇多天皇から、光格天皇の前の後桃園天皇まで、上記の「四徳」や、明治維新後に追諡された天皇を除いて、諡号を贈られた天皇はいない。
- 南北朝時代の北朝の天皇は、自身の正統性を主張するためか、後円融天皇を除き、遺諡によって「光」の字を含んだ追号を持つ。後円融天皇も、平安時代に対立した2つの皇統のうち後世に皇位を伝えた方の初代である円融天皇の加後号を遺諡としている。また、南北朝合一時の100代後小松天皇も、光孝天皇の異称「小松天皇」の加後号を遺諡としている。
- 101代称光天皇は、奈良時代に天武天皇系の称徳天皇から天智天皇系の光仁天皇へ皇統が移行したことを踏まえて、両者から1字ずつ取った追号である。後光厳天皇系の称光天皇の次は、崇光天皇系の後花園天皇が即位し、皇統が移行している。
関連項目
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- 皇室の系図一覧
- 日本の皇后・中宮一覧
- ヤマト王権
- 倭国
- 天皇の一覧-日本の天皇ではないが、天皇とあがめられている人の一覧。
外部リンク
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1 神武 | 2 綏靖 | 3 安寧 | 4 懿德 | 5 孝昭 | 6 孝安 | 7 孝霊 | 8 孝元 | 9 開化 | 10 崇神 | |
11 垂仁 | 12 景行 | 13 成務 | 14 仲哀 | 15 應神 | 16 仁德 | 17 履中 | 18 反正 | 19 允恭 | 20 安康 | |
21 雄略 | 22 清寧 | 23 顕宗 | 24 仁賢 | 25 武烈 | 26 継体 | 27 安閑 | 28 宣化 | 29 欽明 | 30 敏達 | |
31 用明 | 32 崇峻 | 33 推古 | 34 舒明 | 35 皇極 | 36 孝德 | 37 斉明 | 38 天智 | 39 大友 | 40 天武 | |
41 持統 | 42 文武 | 43 元明 | 44 元正 | 45 聖武 | 46 孝謙 | 47 淳仁 | 48 稱德 | 49 光仁 | 50 桓武 | |
51 平城 | 52 嵯峨 | 53 淳和 | 54 仁明 | 55 文德 | 56 清和 | 57 陽成 | 58 光孝 | 59 宇多 | 60 醍醐 | |
61 朱雀 | 62 村上 | 63 冷泉 | 64 圓融 | 65 花山 | 66 一條 | 67 三條 | 68 後一條 | 69 後朱雀 | 70 後冷泉 | |
71 後三條 | 72 白河 | 73 堀河 | 74 鳥羽 | 75 崇德 | 76 近衛 | 77 後白河 | 78 二條 | 79 六條 | 80 高倉 | |
81 安德 | 82 後鳥羽 | 83 土御門 | 84 順德 | 85 九條 | 86 後堀河 | 87 四條 | 88 後嵯峨 | 89 後深草 | 90 亀山 | |
91 後宇多 | 92 伏見 | 93 後伏見 | 94 後二條 | 95 花園 | 96 光嚴 | 97 光明 | 98 崇光 | 99 後光嚴 | 100 後圓融 | |
101 後小松 | 102 稱光 | 103 後花園 | 104 後土御門 | 105 後柏原 | 106 後奈良 | 107 正親町 | 108 後陽成 | 109 後水尾 | 110 明正 | |
111 後光明 | 112 後西院 | 113 霊元 | 114 東山 | 115 中御門 | 116 櫻町 | 117 桃園 | 118 後櫻町 | 119 後桃園 | 120 光格 | |
121 仁孝 | 122 孝明 | 123 明治 | 124 大正 | 125 昭和 | 126 平成 | ※赤字は女帝、斜字は重祚 |