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2024年9月15日 (日) 13:30時点における最新版
平塚市 | ||
国/地方 | 日本 | |
都道府県 | 神奈川県 | |
団体コード | 14203-4 | |
面積 | km² 境界未定:なし
| |
総人口 | - 人 ( )
| |
人口密度 | - 人 /km² | |
隣接自治体 | 茅ヶ崎市、秦野市、厚木市、伊勢原市、 高座郡寒川町、足柄上郡中井町、 中郡大磯町、二宮町 | |
市の木 | クスノキ | |
市の花 | ナデシコ | |
市の鳥 | シラサギ(コサギ) | |
平塚市役所 | ||
市長 | ||
所在地 | 〒254-8686 神奈川県 平塚市浅間町9番1号 | |
位置 | ||
テンプレート:基礎自治体位置図 | ||
特記事項: 湘南平が大磯町との境界未定 | ||
平塚市(ひらつかし)は、神奈川県の湘南地域に位置する市。特例市。かつて東海道の宿場町であった。
目次
地理[編集]
神奈川県のほぼ中央、相模川右岸(西側)に位置し[1]、南は相模湾に面する。相模川から金目川までの間は市域北端部まで平野となっており、南部には市街地が広がる。金目川より西側は大磯丘陵の一部となる丘陵地帯であり、緑も多い。南部は国道1号とJR東海道本線が横断し、相模川沿いに国道129号が縦断する。北部から中西部にかけては、東海道新幹線と小田原厚木道路がやや離れて横断している。首都圏にある人口25万を超える都市にも関わらず鉄道の駅はJR平塚駅の一駅だけである。
市勢[編集]
県下では横浜・川崎・横須賀に次いで4番目、湘南地区および相模川より西の地域では初めて市となるなど戦後早くから商工業都市として発展したため、リゾート地域としての湘南のイメージは薄いが、かつて存在した湘南市構想では中心的役割を果たすなど地域における存在感は大きい。県内の市ではこの平塚市と厚木市だけが昼夜間人口比率が100%を超えているという事実からも商工業都市としての存在感が窺える。道路の整備が進んでおり、早くから国鉄(現:JR)との立体交差を推進しているなど特筆すべき点がある街であり、自動車で通勤・通学する人も多い。都心にもほど近く、住みやすいので定住率が高い。市街地にはビルやマンションなどが立ち並び、ベッドタウンとしての面もあるが、郊外には緑も多い。東海道線を挟んで北側は宿場町が発展した今日の街であるが、南側はどちらかと言うと古くからのお屋敷町といった感があるな。
歴史[編集]
- 縄文時代 市内五領ヶ台、万田に集落が発生する。五領ヶ台の縄文遺跡では住居跡、貝塚等が検出されている。この遺跡は「五領ヶ台貝塚」として、1972年、国の史跡に指定された。ここから出土した土器は五領ヶ台式土器と称され、縄文時代中期の土器の代表的な様式のひとつとされている。
- 弥生時代 中原上宿、南原、上之入(市内岡崎)に集落発生。
- 4世紀後半 真土大塚山古墳、塚越古墳が築造される。(現在、大塚山古墳は消滅。ここからは三角縁神獣鏡やその他の貴重な遺物が出土している。塚越古墳は調査が続いている。(2009年9月現在))
- 奈良時代(8世紀ごろ)現在の平塚市四之宮周辺に下ノ郷廃寺が存在し、国厨・郡厨・大住厨と書かれた墨書土器が出土していることから、既にこの時期に相模国大住郡という行政組織が機能していたことが窺える。また相模国国府跡とも大住郡庁跡ともいわれている。
- 9世紀終~10世紀初頭 伝承によると、この頃平真砂子(高望王の妹)がこの地で没する。(「平塚の塚」の項に詳述。)
- 11世紀~13世紀前半(和田義盛の乱まで)高望王を祖とすると号する中村党の土屋宗遠が土屋周辺を、同じく高望王系である三浦党の岡崎四郎義実(中村宗平の女婿)が岡崎周辺、その子佐奈田与一義忠が真田周辺を支配。
- 1199年 相模川に架けた橋を源頼朝が馬で渡ろうとしたところ落馬し、これが頼朝の死去につながったという説があり、以降の相模川は馬入川の別名で呼ばれることになる。
- ただし当時の流域は茅ヶ崎市だったという説がある。詳しくは旧相模川橋脚を参照。
- 1416年 上杉禅秀の乱の功により中村党系の勢力は所領を失い大森氏の領するところとなる。
- 1512年 北条早雲が三浦氏の岡崎城攻略。以降、小田原北条氏(後北条氏)の領するところとなる。
- 1590年 豊臣秀吉が小田原北条氏を滅ぼし、徳川家康が入封。
- 1596年 徳川家康により中原御殿(現 平塚市立中原小学校~日枝神社)が造営される。現代の中原街道という街道名はこれに由来する。また、同時期に造営された小杉御殿は現在の川崎市 中原区にあった。伝承ながら御殿裏門が市内南原の善徳寺三門に移築され遺構として残る。
- 1881年 湘南社結成。国会期成同盟が全国統一組織として自由民権運動を推進していたが、神奈川では独自に活動がおこなわれていた。その先鞭をつけたのがこの湘南社であり、現在の行政区分で言うと大磯町に本部を、秦野・平塚・伊勢原に支所(講学会場)を設置した。のちに県下初の盲学校・私立中郡盲人学校を設立した宮田寅治などが主要メンバーとして知られる。
- 1945年7月16日 平塚大空襲。陸軍戦闘機「疾風」で有名な日本国際航空工業や、第二海軍火薬廠、横須賀海軍工廠分工場、第二海軍航空廠といった軍直轄の軍需工場の密集する平塚市は、当時の市域(現在の東海道線平塚駅を中心として概ね半径2キロの地域。旧平塚市)における面積の約8割、戸数の約6割を焼失、死者237名、重軽傷者268名、罹災戸数7,678戸の大被害を受ける。このとき落とされた爆弾(主に焼夷弾)の数は1162.5トン、447,716本で東京都八王子についで第二位となった。
- 1951年 第1回七夕まつり開催。前年に開催された(平塚大空襲の)復興祭りが起源とされる。集客数は約300万人であり、これは仙台の約220万を抜いて全国一位である。
行政区域の変遷[編集]
- 1889年4月1日 神奈川県大住郡に平塚町・須馬(すば)村・大野村・神田村・城島村・岡崎村・金田村・小中村・豊田村・土沢村・金目村・大根村が、淘綾郡(ゆるきぐん)に山背村が誕生
- 1896年3月26日 大住郡と淘綾郡が合併、中郡に
- 1909年4月1日 小中村・山背村が合併し旭村に
- 1927年1月1日 須馬村に町制施行、須馬町に
- 1932年4月1日 平塚町と須馬町が合併し市制施行。平塚市の誕生
- 1944年2月11日 大野村に町制施行、大野町に
- 1954年7月15日 旭村を編入
- 1955年3月2日 中郡大根村真田地区が金目村に編入
- 1956年4月1日 豊田村が大野町に編入
- 1956年9月30日 大野町・神田村・城島村・馬渡・大句地区を除く岡崎村・金田村・土沢村を編入
- 1957年10月1日 金目村を編入
行政[編集]
現在の市役所は1964年に建設された。老朽化と容量不足のため改築が検討されているが、財政難から実現していない。近年になってようやく全面建て替えすることが決定したが、緊縮予算や日産車体の工場移転等による税収減が予想されることから市民に反対の声が無いわけではない。
歴代市長[編集]
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 |
初代 | 鈴木清寿 | 1932年8月 | 1933年8月 |
2 | 馬場義也 | 1933年8月 | 1935年8月 |
3 | 原田敬治 | 1938年10月 | 1942年10月 |
4 | 篠原忠次郎 | 1943年1月19日 | 1946年11月9日 |
5,6 | 柿澤篤太郎 | 1947年4月12日 | 1955年4月30日 |
7,8 | 戸川貞雄 | 1955年5月1日 | 1963年4月29日 |
9-11 | 加藤一太郎 | 1963年4月30日 | 1975年4月29日 |
12 | 加藤禎吉 | 1975年4月30日 | 1979年4月29日 |
13-16 | 石川京一 | 1979年4月30日 | 1995年4月29日 |
17,18 | 吉野稜威雄 | 1995年4月30日 | 2003年4月29日 |
19,20 | 大藏律子 | 2003年4月30日 | 現職 |
行政機構[編集]
- 平塚市監査委員
- 平塚市議会
- 平塚市教育委員会
- 平塚市選挙管理委員会
- 平塚市農業委員会
財政[編集]
- 当初予算規模(2004年度)
- 814.80億円(一般会計)
- 908.71億円(特別会計)
2008年度当初予算における一般会計の歳入要求額は720億259万2千円であり、財源移譲にも関わらず税収面が急速に厳しくなっているようである。
独立行政法人[編集]
- 自動車検査独立行政法人 平塚事務所
- 独立行政法人防災科学技術研究所 平塚事務所
国の行政機関[編集]
- 関東地方整備局 横浜国道事務所 大磯出張所(住所は平塚市唐ヶ原無番地)
都道府県の行政機関[編集]
その他[編集]
- 平塚税務署
- 平塚市民病院(市立)
- 財団法人平塚市開発公社
- 財団法人平塚市スポーツ振興財団
- 財団法人平塚市文化財団
- 財団法人平塚市生きがい事業団
- 財団法人平塚市社会福祉協議会
立法[編集]
市議会[編集]
会派の構成[編集]
- 市議会議長:金子修一(かねこ・しゅういち)
- 市議会副議長:鈴木晴男(すずき・はるお)
- 市議会議員数:30
会派名 | 議席数 | 代表者 |
平塚クラブ | 7 | 片倉章博(かたくら・あきひろ) |
湘南民主クラブ | 6 | 山原栄一(やまはら・えいかず) |
公明ひらつか | 5 | 永田美典(ながた・よしのり) |
清風クラブ | 5 | 須藤量久(すどう・かずひさ) |
日本共産党平塚市議会議員団 | 2 | 渡辺敏光(わたなべ・としみつ) |
市民派の会 | 2 | 端文昭(はた・ふみあき) |
無所属 | 3 |
市議会の組織[編集]
- 議会運営委員会
- 常任委員会
- 総務経済
- 環境厚生
- 教育民生
- 都市建設
司法[編集]
- 平塚簡易裁判所
- 横浜地方法務局平塚出張所
経済[編集]
産業[編集]
江戸時代は東海道7番目にあたる宿場町として栄え、広大な平野があることから農業も盛んであった。1887年(明治20年)に東海道本線が開通、さらに1905年(明治38年)に軍需工場の設置が行われると民生の近代工業も盛んとなり、数々の企業を生み出し、また誘致している。
工業都市としての発展は、相模川近辺を中心に所在する車両・化学関係の工場によるもので、日産車体が代表格といえるが、最近になり工場施設の市外移転が発表された。その他、JT、横浜ゴム、キヤノン、古河電工、SUMCO TECHXIV、関西ペイント、三菱樹脂、田中貴金属、JSP、ボールペン等の製造会社パイロット、丸紅建材リース、薬品の第一三共、不二家、高砂香料工業などの工場がある。これらの多くが戦前戦中にかけて現在の市域に存在したいくつもの巨大な軍需工場が戦後解体され、その跡地に移転・新設されたものである。ちなみに前述の工場群の他、平塚市総合公園・平塚市役所・市立江陽中学校・県立平塚中等教育学校もかつての海軍火薬廠の跡地に新設されたものである。
商業では平塚駅にJR系駅ビルのラスカや平塚唯一の百貨店である梅屋が所在している他、近年では市内にある食品が主力のスーパーに加え、オリンピック、ウォルマート傘下の西友、イオン系列のマックスバリュなどの大型SCが進出している。過去には十字屋・長崎屋(昭和23年1月、岩田孝八が平塚市内で創業した衣料品店が同チェーンの第一号店である。平成20年9月30日休業)・ダイクマが本社や本店を平塚市に置いていた。また大型家電量販店ケーズデンキ、テックランド(ダイクマ=ヤマダ電機)、コジマや国道129号などの沿線にみられる外食チェーンなど店舗なども多い。TRIバンクの提携する平塚信用金庫も本店を置いている。農業協同組合はJA湘南が担っている。(本店も平塚市内にある)
市内を走る路線バスは全て神奈川中央交通グループが担っている。本社は平塚市八重咲町に所在しており、平塚駅南口には神奈中グループのグランドホテル神奈中平塚がある。(元々の名称は平塚グランドホテル)
姉妹都市・提携都市[編集]
日本国内[編集]
姉妹都市
提携都市
日本国外[編集]
姉妹都市
地域[編集]
教育[編集]
小学校[編集]
平塚市立
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中学校[編集]
- 平塚市立
- 神奈川県立
高等学校[編集]
- 公立
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- 私立
特別支援学校[編集]
- 神奈川県立平塚盲学校
- 神奈川県立平塚ろう学校
- 神奈川県立湘南養護学校
- 神奈川県立平塚養護学校
短期大学[編集]
大学[編集]
- 知的障碍児通園施設
- アグネス園
- 心身障碍児通園事業関係施設
- 平塚市福祉事業センター
- 肢体不自由児養護施設
- その他
- 進和学園
- 麦の家
図書館[編集]
- 平塚市中央図書館
- 平塚市北図書館
- 平塚市南図書館
- 平塚市西図書館
博物館・美術館[編集]
- 平塚市博物館
- 平塚市美術館
公民館[編集]
- 市内に25ヶ所
交通[編集]
鉄道路線[編集]
市内に所在するのは平塚駅のみだが、北端市境を越えた位置に小田急小田原線が通っており、北部から東京・横浜方面へ向かうには同線の利用が最短経路となる。東海大学前駅は市境に最も近い。
北部を東海道新幹線が通過し、駅の設置(相模新駅)を望む声がある。藤沢市湘南台駅から相鉄いずみ野線を延伸計画もあるが、免許は保有するものの開業の目処は立っていない。
バス路線[編集]
道路[編集]
高速道路・有料道路[編集]
※予定区間である海岸沿いの地元住民の反対(景観が悪くなる等)が根強く、着工に至っていない。ただ国道1号・国道134号の慢性的な渋滞緩和解消の為に望む声は平塚市民も含め周辺住民より多数あり、反対住民案である半地下化など、施工方法も含めて協議中である。
一般国道[編集]
県道[編集]
- 神奈川県道605号下糟屋平塚線
- 神奈川県道606号大島明石線
- 神奈川県道607号平塚港平塚停車場線
- 神奈川県道608号平塚停車場袖ヶ浜線
- 神奈川県道609号公所大磯線
- 神奈川県道612号上粕屋南金目線
スポーツ[編集]
- 平塚市総合公園内の施設
- 平塚競技場 - 湘南ベルマーレのメインホームスタジアム。
- 平塚球場 - 湘南シーレックスの準本拠地。横浜ベイスターズの試合も開催される。
- 平塚総合体育館
- 平塚総合体育館温水プール
- 総合公園テニスコート
- 馬入ふれあい公園内の施設
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
- 平塚八幡宮
- 金目川と観音堂(平塚八景)
- 七国峠・遠藤原(平塚八景)
- 霧降りの滝・松岩寺(平塚八景)
- 湘南潮来(平塚八景)
- 湘南平(平塚八景)
- 平塚テレビ塔
- 八幡山公園(平塚八景)
- 平塚砂丘(平塚八景)
- 森の前鳥神社(平塚八景)
- 扇の松
- お菊塚
- 怨親を超えた人々の碑(真土事件の碑)
- 丁髷塚
- 五領ヶ台貝塚
- 海軍火薬廠跡
- 平塚の塚
- 中原御殿
- 島ヶ原古戦場
- 真土大塚山古墳
レジャー[編集]
- 平塚競輪場
- 湘南ひらつかビーチパーク(護岸工事により2002年から海水浴が可能になった)
祭り[編集]
- 緑化まつり
- 湘南ひらつか七夕まつり
- 湘南ひらつか花火大会
- 豊八幡神社例大祭
- 須賀 三嶋神社例大祭
- 中原 日枝神社奉祝祭
- 湘南よさこい祭り
伝統芸能[編集]
- 相模人形芝居 1982年2月9日に神奈川県の無形民俗文化財に指定された。
出身の有名人[編集]
- 岩崎恭平(プロ野球選手)
- 大島由香里(フジテレビアナウンサー)
- 落合こず恵(元・青森放送アナウンサー)
- 河合美智子(女優)
- 川野良子(フジテレビアナウンサー)
- 大橋マキ(元・フジテレビアナウンサー)
- 草柳悟堂(九州朝日放送アナウンサー)
- 小泉真也(シンガー・エンターテイナー)
- 小幡佳代子(マラソン選手)
- 鳥海青児(画家)
- テミヤン(シンガーソングライター)
- 戸川猪佐武(政治評論家)
- 松本浩代(女子プロレスラー)
- 福井裕佳梨(タレント)
- 柳沢貴彦(俳優)
- 山瀬まみ(タレント)
- 吉田智子(元毎日放送アナウンサー)
- 脇知弘(俳優・タレント)
- 志村亮(大学野球)
- 鈴木信也(漫画家)
- 須藤悟(元エフエム青森アナウンサー→現在はフリー)
- 山梨半造(現在の市内下島にて出生。大正期の陸軍大将 陸軍大臣 後に朝鮮総督。山梨軍縮を進めた。)
- 笹尾虎治(真白き富士の嶺で有名な逗子開成中学ボート遭難事故時のリーダー)
- 守屋貫教(立正大学第12代学長)
- 江戸ヶ崎源弥(四之宮村平野家の人。江戸時代の著名な力士。最高位関脇。)
- 湯山昭(作曲家 代表作 管弦楽曲:子どものための交響組曲 童謡:あめふりくまのこ)
- 坂井泉水(作詞家 歌手)
- 福住正兄(報徳思想研究者 二宮翁夜話著者)
- フォンチー (タレント)
注脚[編集]
- ↑ 須賀・馬入(かつての須馬町)地区の一部は相模川左岸(東側)に所在。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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