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 年に数回実施の[[聴取率]]調査([[レーティング]])において、RBCiラジオは沖縄県内にある全ラジオ局の中で常に全放送時間帯トップの聴取率を誇っており、[[長寿ローカル番組]]も多い。
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*ラジオ放送は平日(月曜 - 金曜)は5:00を起点にした24時間放送。但し、毎週土曜深夜(日曜早朝)4:00 - 5:00及び日曜深夜(月曜未明)は2:00 - 4:00にメンテナンスタイムのため休止(自然災害・選挙特番および年末年始など特殊事情時を除く)。そのため、オープニングは日曜4:50頃及び月曜3:50頃から、クロージングは日曜4:00(土曜28:00)及び26:00(月曜2:00)からになる。
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*オープニング構成は3つに分けることができる。
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*:三線(さんしん)演奏(琉球民謡「瀧落菅攪(たちうとぅしすががち)」)→アナウンサーによる那覇FM補完中継局(ワイドFM)を含む、全中継局のコールサイン・周波数・出力・所在地の読み上げ→RBCソング(いわゆる社歌)
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*クロージングも2つに分けることができる。
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*:RBCソング→アナウンサーによる那覇FM補完中継局(ワイドFM)を含む、全中継局のコールサイン・周波数・出力・所在地の読み上げ
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*オープニング・クロージングとも、読み上げは仲村美涼アナウンサーである(2001年より2018年1月までは宮城麻里子<ref>開始当時はRBCアナウンサー。退職しフリーとなったあとも引き続き担当</ref>、2000年までは小山康昭アナウンサーが担当していた)。
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*宮古島中継局がAM波で独自のコールサイン(JORO)があった頃でも、差し替えせずに那覇本局のコールサインであるJORRと共に読み上げられていた(同中継局の紹介は行っていた)。
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*RBCソングは2018年1月のワイドFMの周波数告知を含んだものに変更となった際、テレビと同じバージョンに合わせられた。
  
 
=== 現在放送中の番組 ===
 
=== 現在放送中の番組 ===

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琉球放送株式会社(りゅうきゅうほうそう)は沖縄県放送対象地域とする放送局である。略称はRBC英称Ryukyu Broadcasting Corporation。 毎年10月の体育の日前後には那覇市の奥武山公園を会場として開かれる「那覇まつり」を主催している。

概要[編集]

琉球放送株式会社
Ryukyu Broadcasting Corporation
種類 株式会社
市場情報
略称 RBC
本社所在地 日本の旗 日本 900-8711
沖縄県那覇市久茂地二丁目3番1号
琉球放送会館
電話番号 098-867-2151
設立 1954年9月20日
業種 5250
事業内容 ラジオ放送事業、テレビジョン放送事業など
代表者 代表取締役社長 座安弘
資本金 2億7,000万円
売上高 71億3,000万円(2007年3月期実績)
総資産
従業員数 138人
決算期 毎年3月31日
主要株主 沖縄タイムス琉球銀行 など
主要子会社 RBCビジョン、琉球朝日放送
関係する人物
外部リンク http://www.rbc-ryukyu.co.jp/
特記事項:
ファイル:Rbc-qab-kakazu-tower.jpg
RBC・QAB嘉数放送所
  • ラジオ局コールサインはJORR、テレビ局のコールサインはJORR-TV。ラジオ局は社内カンパニー化して、独立採算制をとっており、名称を2002年4月に『RBCiラジオ』に変更。
  • テレビJNN系列、ラジオJRN系列である。
  • 沖縄で最初にできた民間放送局。社屋は、一つのビルの中に、後から開局した琉球朝日放送(放送業務はアナウンス・報道取材・一部営業関係などを除き当局に業務委託しているため、当局による1局2波体制となっている)が同居する形で、沖縄県の大動脈国道58号に面し、沖縄タイムス社旧社屋(写真右側に写っているが、現存せず)の北東隣接地にある。(沖縄タイムスが久茂地に移ってきたときに放送局の土地も確保したといわれる。)
  • 大東諸島では現在中継局がないためテレビの視聴は不可能。代わりに東京の小笠原諸島向けに放送されている衛星波を利用し、系列テレビ局TBSを放送、沖縄県の情報は電話回線による字幕テロップで挿入されている。(同地での中継局の開設は地上デジタルテレビ放送開始以降、デジタル新局という形で予定されている)。
  • ラジオは日中のみ親局から直接受信が可能なものの夜間は外国からの混信のため直接受信が困難であったが、2007年4月1日にNHK沖縄放送局ラジオ第1のみ)・ラジオ沖縄とともに南大東村にFM波を使用した中継局が設置されて、難聴状態は解消された。
  • また、オープニングとクロージングでは、通称「RBCソング」が流れている。これは、局としてのイメージソングであり、いわゆる社歌ではない(ただし一部からは社歌と言う意見もある。歌詞は、以前はテロップで表示されていたが、地上デジタル放送のオープニングでは歌詞は表示されない。
  • 本社所在地は那覇市久茂地2-3-1、郵便番号は「900-8711」。
  • 送信所はいずれも豊見城市内にある。iラジオとデジタルテレビは嘉数の嘉数放送所から、アナログテレビは高安の旧NHK沖縄放送局放送会館跡に残る高安放送所から、それぞれ送信。アナログテレビも、1985年までは嘉数放送所から送信していた。
  • なお、ラジオのナイター中継のタイトルは、「RBCiラジオ エキサイトナイター」であり、以前は「RBCエキサイトナイター」だった。
  • 放送エリアは、沖縄県(本島地方、宮古島地方、石垣島地方、与那国島地方) 鹿児島県(奄美地方の一部)

沿革[編集]

  • 1948年昭和23年)5月3日 極東軍司令部(CINCFE)、フィリピン・琉球軍司令部(PHIL-RYCOM)に暫定的な放送局建設を認可。
  • 1949年(昭和24年)5月16日 琉球放送局(呼出符号AKAR)、米軍政府通信部により開設(1週間で放送中止)。
  • 1950年(昭和25年)1月21日琉球の声」琉球放送局、米軍政府情報教育部(後に米国民政府情報教育部)により正式に開設(呼出符号AKAR、1400kc 500W)。
  • 1953年(昭和28年)2月1日 「琉球の声」、呼出符号をKSAR、周波数740kc、出力3kWにそれぞれ変更。
  • 1954年(昭和29年)3月20日 琉球大学財団、ラジオ沖縄社(現在のROKラジオ沖縄とは直接関係なし)と放送施設の賃貸契約(1日8時間分買い上げ)。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 「琉球の声」、琉球米国民政府より琉球大学財団に移管。
  • 1954年(昭和29年)6月1日 ラジオ沖縄社による放送開始(1日10時間分はKSAR職員が埋め合わせ)。
  • 1954年(昭和29年)7月20日 琉大財団、ラジオ沖縄社との賃貸契約解消。
  • 1954年(昭和29年)9月20日 琉球放送株式会社設立。
  • 1954年(昭和29年)10月1日 琉大財団より全放送設備を賃借して日本本土を含め37番目、沖縄初の放送開始(呼出符号KSAR、周波数740kc、出力3kWは変わらず)。
  • 1955年(昭和30年)9月1日 英語放送を開始(呼出符号KSBK、880kc 500W)。
  • 1957年(昭和32年)7月24日 テレビ放送の免許申請(琉球政府は却下)。
  • 1958年(昭和33年)10月1日 琉大財団から全放送施設を買収し、完全な形での民間放送としてスタート。
  • 1959年(昭和34年)4月6日 テレビ放送の免許再申請。
  • 1959年(昭和34年)12月2日 テレビ放送の予備免許交付。
  • 1960年(昭和35年)6月1日 沖縄で2番目の民間テレビ放送を開始(呼出符号KSAR-TV、US12ch)。同時にニュースネットワークJNNに加盟。
  • 1960年(昭和35年)7月19日 英語放送(KSBK)の出力が3kWとなる。
  • 1962年(昭和37年)4月 日本語ラジオ(KSAR)の出力が5kWとなる。
  • 1963年(昭和38年)6月1日 久米島テレビ中継局開局(US7ch、沖縄初のテレビ中継局)。
  • 1964年(昭和39年)4月1日 先島ラジオ中継局(平良)開局(1150kc 500W)。
  • 1965年(昭和40年)5月2日 ラジオネットワークJRNに加盟。
  • 1968年(昭和43年)5月5日 カラーテレビ放送開始。(沖縄テレビと同時期。)
  • 1969年(昭和44年)3月31日 稲福健蔵アナウンサーがこの日スタートしたJNNニュースデスクのキャスターに就任したためTBSへ出向(~1970年(昭和45年)3月31日まで)
  • 1972年(昭和47年)5月15日 沖縄の日本復帰により、呼出符号をテレビはJORR-TV、日本語ラジオはJORRに、英語ラジオはJOROに変更。テレビのチャンネルもアメリカ式から日本式に変更される(那覇US12ch→JA10ch、久米島US7ch→JA4ch)。同時に日本の放送局となってJNNJRNに正式加盟。
  • 1973年(昭和48年)11月1日 英語ラジオ放送JORO廃止。呼出符号JOROは宮古ラジオ中継局に。
  • 1978年(昭和53年)11月23日 ラジオの周波数が変更される(那覇740→738kHz、宮古1150→1152kHz)
  • 1980年(昭和55年) 現社屋が完成(1995年に現在のように正面部分が増築される)。
  • 1981年(昭和56年)1月26日 嘉数のテレビ送信所のトラブルで夜の放送が停まってしまう放送事故があった。
  • 1985年(昭和60年)6月1日 テレビの送信所をラジオの嘉数送信所から豊見城村(現豊見城市)高安にあるNHK沖縄放送局敷地内(現在のNHK豊見城放送所)に移転。同時に音声多重放送開始。
  • 1993年平成5年)12月16日 沖縄テレビと共同で先島(宮古・八重山諸島)テレビ中継局開局。
  • 1995年(平成7年)9月28日 那覇ラジオ局の出力を10kWに倍増(併設している琉球朝日放送が開局するため、また送信所更新工事のためこの年の3月と6月末~8月の土日の放送を深夜1時で終了した)
  • 1995年(平成7年)10月1日 RBCとテレビ朝日が中心に出資した琉球朝日放送(QAB)が開局。テレビ朝日系の番組は同局へ移る(2002年の民教協加盟で民教協関連の番組だけが放送される)。なお、同局の放送業務はコスト削減などの目的から報道取材・営業関係など一部を除き出資元のRBCに委託される(事実上、RBCによるテレビ放送の1局2波体制が始まる)。
  • 2001年(平成13年)北部ラジオFM中継局開局。(名護、国頭)
  • 2002年(平成14年)4月 ラジオ局に社内カンパニーを導入、ラジオ局の名称を現在の「RBCiラジオ」に変更(この日から沖縄タイムス、琉球新報など県内の新聞社のラジオ欄の表記は「RBCiラジオ」に変更)。通称「iラジオ」文字表記は「RBCi」(なお「RBCi」と文字表記されるのは最近でも数少ない)。
  • 2002年(平成14年) 民間放送教育協会(民教協)に正式加盟。
  • 2004年(平成16年)4月1日 RBCiラジオ八重山FM中継局開局。(石垣、祖納、与那国)
  • 2005年(平成17)4月1日 RBCiラジオ宮古FM中継局開局。(伊良部、多良間)
  • 2005年(平成17年)5月2日 RBCiラジオ宮古(AM)中継局(呼出符号JORO)廃止。
  • 2006年(平成18年)9月27日 デジタルマスターへ更新。運用開始。(NEC製デジタル・アナログ統合マスター)
  • 2006年(平成18年)11月1日 地上デジタル放送サービス放送(サイマル)開始。
  • 2006年(平成18年)12月1日地上デジタル放送開始。
  • 2007年(平成19年)4月1日 RBCiラジオ南大東FM中継局開局。

社史・記念誌[編集]

  • 琉球放送十年誌 1965年12月発行、162ページ。
  • 琉球放送50年史 2005年4月発行、283ページ。

資本構成[編集]

ラジオ(JORR)[編集]

ラジオ周波数[編集]

那覇本局のみ中波(AM)、その他の中継局は超短波(FM)
  • 沖縄本島北部や先島諸島・大東諸島の中継局は夜間、近隣国にある放送局の混信が激しいことから、混信を受けづらいFM帯で設置された。
  • 放送時間 日曜深夜(月曜未明)2:00~4:00を除く24時間放送。月曜日以外は5時を1日の基点としている。
那覇本局 738kHz
  • 出力10kW
  • 送信所・豊見城市字嘉数534(デジタルテレビ・琉球朝日放送(アナログ・デジタル)と共同)
沖縄本島北部(2001年4月に放送開始)
先島諸島
  • 宮古島伊良部 82.7MHz・100W(2005年4月放送開始)
    (1964年~2005年5月は宮古中継放送局として1152kHzで放送(最後の1ヶ月は現FM中継局とのサイマル放送)、JOROの独自のコールサインをもっており、中継局も宮古島にあった)
  • 多良間 82.2MHz・3W(2005年4月放送開始)
  • 石垣 89.0MHz・100W(2004年4月放送開始、それまでは宮古局を受信したほか、島独自の親子ラジオ局中央放送を通して受信していたところもあった)
  • 西表祖納 83.9MHz・10W(2004年4月放送開始)
  • 与那国 84.7MHz・10W(西表祖納局と同じ)
大東諸島

聴取率[編集]

年に数回実施の聴取率調査(レーティング)において、RBCiラジオは沖縄県内にある全ラジオ局の中で常に全放送時間帯トップの聴取率を誇っており、長寿ローカル番組も多い。

オープニング・クロージング[編集]

  • ラジオ放送は平日(月曜 - 金曜)は5:00を起点にした24時間放送。但し、毎週土曜深夜(日曜早朝)4:00 - 5:00及び日曜深夜(月曜未明)は2:00 - 4:00にメンテナンスタイムのため休止(自然災害・選挙特番および年末年始など特殊事情時を除く)。そのため、オープニングは日曜4:50頃及び月曜3:50頃から、クロージングは日曜4:00(土曜28:00)及び26:00(月曜2:00)からになる。
  • オープニング構成は3つに分けることができる。
    三線(さんしん)演奏(琉球民謡「瀧落菅攪(たちうとぅしすががち)」)→アナウンサーによる那覇FM補完中継局(ワイドFM)を含む、全中継局のコールサイン・周波数・出力・所在地の読み上げ→RBCソング(いわゆる社歌)
  • クロージングも2つに分けることができる。
    RBCソング→アナウンサーによる那覇FM補完中継局(ワイドFM)を含む、全中継局のコールサイン・周波数・出力・所在地の読み上げ
  • オープニング・クロージングとも、読み上げは仲村美涼アナウンサーである(2001年より2018年1月までは宮城麻里子[1]、2000年までは小山康昭アナウンサーが担当していた)。
  • 宮古島中継局がAM波で独自のコールサイン(JORO)があった頃でも、差し替えせずに那覇本局のコールサインであるJORRと共に読み上げられていた(同中継局の紹介は行っていた)。
  • RBCソングは2018年1月のワイドFMの周波数告知を含んだものに変更となった際、テレビと同じバージョンに合わせられた。

現在放送中の番組[編集]

自社制作番組[編集]

他系列の番組[編集]

RBCiラジオはJRN系列だが、NRN系列の一部番組をネットしている
(但し同じJRN単独系列のCBCラジオRKBラジオに比べると少ない)

なおJRN系ネット番組やその他のネット番組はホームページの番組表を参照。

過去に放送した番組[編集]

自社制作番組[編集]

  • おはようダイヤル740→おはようダイヤル738
  • RBCおはようジャーナル
  • ホームレディー740→ホームレディー くらしのダイヤル
  • ランチタイムダイヤル740
  • 沖縄市からこんにちは
  • こんにちは!歌謡曲です!
  • ミュージックトライアングル
  • デートタイム あなたと歌謡曲
  • トライアングルのミュージックブルベン
  • 卓のアクションジョッキー
  • サンセット・ダイヤル740
  • イブニングダイヤル740RBC情報センター
  • 西山さとしショー
  • 語やびら島うた 上原直彦ショー
  • さとしののってる歌謡曲
  • ニューススタジオ740
  • ライフ・イン・サントリー
  • ヤング・オブ・トモロー
  • ナツメロ沖縄50年
  • 土曜の朝は音楽を
  • ウェディング・ダイヤル 素敵なカップル
  • サタデー・アフターヌーン・ワイド
  • 土曜ワイド 神田勲です!上原京子です!
  • かりゆし民謡道中
  • 金沢明子のふるさと民謡
  • コラソン・デル・アモール~南の国の熱い風~
  • 日曜ちゃんこ鍋
  • 芸能バラエティーふるさとバンザイ!(現在も時々スペシャルで放送)
  • 民謡ところところ
  • ラジオジャック(1985年4月~1993年10月)
  • うりひゃー!東京カラーランド
  • ナイトヤングメイツ(?~1985年3月)
  • ラジ・ゲリラ(1993年10月~1995年4月)
  • コーミンヒットパレード→ケンタッキーベストヒット20→RBC歌謡ヒットチャート→RBC J-POP20
  • RBCポップサンデー→RBCポップチャート
  • ロッテリアサウンドステーション(1984年~1993年・最後の1年間は「箕田和男のドカ~ンと一発!絶好調」に内包)
  • 天才ファニーズのとびっきりラジオ(1995年4月~9月)
  • 箕田和男のドカ~ンと一発!絶好調(1992年~1995年)→SUN OF あファニーズ(1995年~1996年)→○×△超ファニカジ(1996年~2000年)
  • クロマルのPower Radio
  • ご存知!深夜大学(1975年~1980年?)
    • 深夜大学R(?~2006年)
  • 夜のテレフォンラリー→ワンカララジオ隊→ラジオDEないと
  • ミノカズのとことんワイド400(1997年~2000年)→FUN to FAN(2000年~2002年)
  • ほっとひと息歌謡曲(1980年代~1991年)→ふれ愛パレット(1991年~2000年)→RBCラジオ午後1!(2000年~2002年)
  • 柳卓の土曜の朝はにぎやかに→柳卓のスーパーサタデー→柳卓のでっかい朝!(1994年~2000年)
  • 岩ちゃんのビタミンラジオ
  • 深夜の艶歌道(1987年~1992年)
  • 尚学院ラジオ予備校(1980年代~1997年)
  • キャンパス通信「青春って何だ!」(1980年代~1992年)
  • 上原直彦の語やびら島うた
  • ラーの法則(1997年~1999年)
  • 勝ち猫プレゼンツラジカルミックス(1999年)→勝ち猫(1999年~2001年)
  • 山葵宴~Radish Garden~
  • 音風~中トロあります~
  • 大川豊治アワー
  • @BBS(2002年4月~2007年3月)
  • ともじ・はつえのラジムナー(2002年?~2007年3月)
  • 歌謡音楽館 スーパーカウントダウン
  • 阿部敏郎のだいじょうぶだから
  • 中尾彬・沖縄時間(~2007年5月)
  • 昼ワク!(2007年4月~2008年3月)
  • ハピハピ☆カラー~ジェリービーンズな日曜日~(2007年4月~2008年3月)
  • 月曜フォーラム(月曜 19:00~20:30、?~2008年3月)
  • 夜ズバッ!!(月曜~金曜 24:00~25:00、2008年3月にスタート、一時期休止していたが、7月から復活)

主なネット番組[編集]

JRN系番組
系列外の番組
その他
  • 昼のいこい(開局当時)
  • NHK学校放送番組(復帰前、琉球政府文教局提供でROKとともに放送。復帰後にNHKラジオ第2放送開始とともに移行)
  • のど自慢素人演芸会(復帰前、復帰後にNHKラジオ放送再開とともに移行)
  • 旺文社大学受験ラジオ講座(1987年3月までは早朝、4月~放送終了は深夜の放送だった)
  • 百万人の英語
    (ネット開始時期不明~1987年3月は6:00、同年4月~1989年9月は25:30からの放送、10月からFM沖縄へネット移行)

オープニング・クロージング[編集]

  • ラジオ放送は毎日午前5:00を起点にした24時間放送。但し毎週日曜深夜(月曜未明)は2時から4時までメンテナンスタイムのため休止(台風接近など特殊事情時を除く)。そのため、オープニングは月曜3:50頃からのみ、クロージングは日曜26:00(月曜2:00)からになる。
  • オープニング構成は3つに分けることができる。
三線(さんしん)演奏(琉球民謡「瀧落菅攪(たちうとぅしすががち)」)→アナウンサーによるコールサイン・周波数・出力の読み上げ→RBCソング(いわゆる社歌)
  • クロージングも2つに分けることができる。
RBCソング→アナウンサーによるコールサイン・周波数・出力の読み上げ
  • オープニング・クロージングとも、読み上げはテレビ同様宮城麻里子アナウンサーである(2001年より、2000年までは小山康昭アナウンサーが担当していた)。
  • 宮古島中継局がAM波で独自のコールサイン(JORO)があった頃でも、差し替えせずに那覇本局のコールサインであるJORRが読み上げられていた(同中継局の紹介は行っていた)。

テレビ[編集]

テレビネットワークの移り変わり[編集]

  • 1960年6月1日 琉球政府からテレビジョン免許を交付され開局。NHK日本テレビTBSNETテレビの番組のネットを開始するが本土とのマイクロ回線が開通していなかったためテープネットであった(フジテレビの番組は沖縄テレビが既に開局していたためあまり放送されなかった)。また、ニュースネットワークJNNに加盟するが当時は琉球支局という位置付けでありネットニュースは放送できなかった。
  • 1964年10月1日 一ヶ月前に本土とのマイクロ回線が開通。JNNニュースコープなどネットニュースの放送が可能になる。また、本土同様東京・大阪からのネット受け放送が可能になる。以降正式にニュースはTBSマストバイ、番組はフリーネット放送と本土並みに飛躍する。
  • 1968年12月22日 沖縄放送協会が沖縄本島で放送開始したため、NHKの番組が姿を消す。
  • 1969年10月1日 沖縄テレビFNSに加盟したためフジテレビの番組が姿を消す。以降はTBSを主軸とし日本テレビ・NETテレビ・東京12チャンネルの番組は沖縄テレビ放送と番組販売で共有する事となった。
  • 1972年5月15日 沖縄の施政権がアメリカ合衆国から日本国へ返還。免許事業が郵政省(現:総務省)に譲渡されこれにより日本のテレビジョン免許を交付される。正式にニュースネットワークJNNに加盟。
  • 1975年3月31日 腸捻転解消によりこれまで一部沖縄テレビで放送されていた毎日放送のテレビ番組がすべて移行される(逆にABCテレビの番組が一部沖縄テレビに移行する)。
  • 1994年4月1日 沖縄テレビがテレビ朝日の番組(民間放送教育協会制作分を除く)の放送を打ち切ったため、RBCテレビのみの放送となる(※琉球朝日放送の設立を2ヵ月後に控えたため)。
  • 1995年10月1日 テレビ朝日と出資して設立した琉球朝日放送の開局によりテレビ朝日の番組が姿を消す。
  • 2002年4月1日 民間放送教育協会加盟により同制作分に限りテレビ朝日の番組ネットを再開。現在はTBSフルネット局だが日本テレビの番組を沖縄テレビと、テレビ東京の番組は沖縄テレビと琉球朝日放送と共有する形で番組販売でのネットを継続している(日本テレビの番組はあくまで沖縄テレビが優先で、同局で編成上不可能となった場合に限る)。

アナログテレビ(JORR-TV)[編集]

那覇本局 10ch
  • 映像周波数205.25MHz・出力5kW(最大実効輻射電力44kW)
  • 音声周波数209.75MHz・出力1.25kW(最大実効輻射電力11kW)
  • 送信所・豊見城市字高安1019(旧NHK沖縄放送局敷地内)
    • 送信鉄塔はNHK(アナログテレビ・デジタルテレビ・FM)・沖縄テレビ(アナログテレビ・デジタルテレビ)と共同
    • 送信局舎は沖縄テレビのアナログテレビと共同(NHK・沖縄テレビのデジタルテレビとNHK-FMの送信局舎とは別の位置となる)
沖縄本島および周辺
先島諸島(1993年12月16日放送開始)

デジタルテレビ(JORR-DTV)[編集]

リモコンキーID 3
  • 那覇本局 14ch・周波数479.142857MHz:出力1kW・実効輻射電力18.5kW(2006年12月1日放送開始)
    • 送信所・豊見城市字嘉数534(RBCiラジオ・琉球朝日放送と共同)
  • 佐敷 30ch・3W(2007年12月1日放送開始)
  • 今帰仁 14ch・30W(2007年12月1日放送開始)
  • 久米島 30ch・3W(2007年12月1日放送開始)
  • 本部 48ch・0.1W(2008年12月1日放送開始)
  • 石川 30ch・0.3W(2008年12月1日放送開始)
  • 久米島東 21ch・0.1W(2008年12月1日放送開始)

以下の先島中継局は当初2009年5月に放送開始予定だったが、技術的トラブルにより先送りになった。しかし同年10月に放送開始が決定した。 

  • 宮古島 14ch・100W
  • 多良間 43ch・0.1W
  • 石垣 33ch・100W
  • 石垣川平 19ch・30W
  • 西表祖納 32ch・1W
  • 与那国 29ch・1W
  • 内道 20ch・0.01W

なお、大東諸島は海底ケーブル敷設の関係で開局時期を明らかにしていない。

現在放送中の番組[編集]

注意:この項目・一覧は最新・正確な番組情報を提供するものではありません。録画・録音などの際には放送局の公式Webサイトなどで確認してください。免責事項もあわせてご覧ください。

自社制作番組[編集]

現在放送中の番組

また、自社制作ではないが、沖縄県広報番組として「うまんちゅひろば」(前身はみんなの県政)がある。 (沖縄テレビ放送(OTV)、琉球朝日放送(QAB)、宮古テレビ石垣ケーブルテレビでも放送)

過去に放送された番組
※「おきなわ愛ランド」は過去に1度だけ北海道放送(HBC)の「ほっとないとHOKKAIDO」と2元生中継を行ったことがある。

TBS系列の時差ネット番組(キー局で未放送の番組も含む)[編集]

※バース・デイ・月光音楽団は2009.4/OAより同時ネット、これにより両番組ともHD放送となる。

他系列番組[編集]

日本テレビ・読売テレビ
※を除きHD制作
テレビ東京・テレビ大阪系
※を除きHD制作(2009年4月より。それまでは4:3SD)
民間放送教育協会
その他

※この番組表は05/22変更済

過去に放送した番組[編集]

ネット番組[編集]

テレビ朝日・ABCテレビ系列(QAB開局まで)

(※はQABへ)

必殺仕掛人必殺仕置人助け人走る暗闇仕留人必殺必中仕事屋稼業(13話まで同時ネット、14話以降のシリーズは金曜深夜に1ヶ月遅れで放送)→必殺仕置屋稼業必殺仕業人必殺からくり人必殺からくり人・血風編新・必殺仕置人(ただし後述の11PMを全曜日ネットするために最初の5話で打ち切り。これ以来、沖縄県では4年半の間、必殺シリーズのネットが途絶えてしまう)
新・必殺仕事人新・必殺仕舞人必殺仕事人III必殺渡し人は未ネット)
必殺仕事人IV必殺仕切人必殺仕事人V必殺橋掛人必殺仕事人V・激闘編必殺まっしぐら!必殺仕事人V・旋風編必殺仕事人V・風雲竜虎編必殺剣劇人(最終回は未放送)→必殺仕事人・激突!
新・仕事人、仕事人III、仕事人IV、仕事人V(代表的なエピソードからピックアップ)、激闘編~剣劇人は後にQABで再放送。RBCで未放送だった剣劇人の最終回も放送された。
大忠臣蔵(この作品のみモノクロながら同時ネット)→荒野の素浪人破れ傘刀舟悪人狩り破れ奉行(この作品のみのちにQABで再放送)→江戸の鷹 御用部屋犯科帖破れ新九郎半七捕物帳尾上菊五郎主演版)→江戸の牙鬼平犯科帳(萬屋錦之介主演版)/柳生あばれ旅文吾捕物帳柳生十兵衛あばれ旅
バトルフィーバーJ電子戦隊デンジマン太陽戦隊サンバルカン大戦隊ゴーグルファイブ科学戦隊ダイナマン超電子バイオマン電撃戦隊チェンジマン超新星フラッシュマン光戦隊マスクマン超獣戦隊ライブマン高速戦隊ターボレンジャー地球戦隊ファイブマン鳥人戦隊ジェットマン恐竜戦隊ジュウレンジャー五星戦隊ダイレンジャー忍者戦隊カクレンジャー超力戦隊オーレンジャー(途中で※)
日本テレビ・読売テレビ系列

(☆は番組自体、現在も継続中)

テレビ東京系列
フジテレビ・関西テレビ系列(放送局の著作権が切れた外部プロダクション制作のものを優先して放送していた)
その他
本土復帰前に放送されていたTBS系ネット番組

オープニング・クロージング[編集]

  • 現行 : 2016年頃
    • オープニングとクロージングのBGMは変わっていないが、映像・RBCソングが新しいものに変更された。
    • 中継局chの表示はクロージングのみでオープニングではコールサインと那覇のUHFチャンネル、リモコンch、出力のみが表示される。また、RBCソングが流れる映像は一部オープニングとクロージングで共通している箇所がある。
    • 放送開始時間は2017年10月現在、平日(月曜~金曜)は午前4時25分、土曜と日曜は午前4時15分である。
  • 1世代前:2014年5月 - 2016年頃(ハイビジョン制作)
    • 開局60周年バージョン、全国各地の放送局であった開局記念バージョンは沖縄では初の試み。
    • オープニングの、三線演奏(琉球民謡「瀧落菅攪(たちうとぅしすががち)」)が始まり、1世代前の映像を中心とした沖縄各地の様子・風景の画像の中間から、コールサイン・周波数・出力を表示し、アナウンス、それが終了すると首里城の映像となり「琉球放送」と表示されて演奏が終わる。その後、ノンボーカル・テクノポップなRBCソングに乗せて、歴代オープニングを中心とした歴史紹介となり、最後に社屋(最近の撮影で沖縄タイムス本社が入っているもの)をバックに60・感動・未来・RBCの文字が「おかげさまで創業60周年・感動・未来・RBC」のアナウンスとともに表示される。オープニングは1分45秒。アナウンス担当は前半が仲田紀久子アナウンサー、後半が狩俣倫太郎アナウンサー。
    • クロージングは1世代前の映像をベースに再構成したもの。RBCソング・なんた浜の演奏は変わらず、1990年代当時の波型のワイプが復活、沖縄各地の風景やイベント(特に琉球放送や沖縄タイムスがからむもの)のあと、送信所・社屋と表示され、60・感動・未来・RBCの文字が表示、なんた浜のパートの映像が夕日→満月と表示されて、コールサイン・周波数・出力の表示・仲田紀久子アナウンサーによる読み上げ、最後に「RBC 琉球放送」、その後ブラックアウト。
  • 2世代前: 2006年12月1日 - 2014年4月(ハイビジョン制作)
    • オープニングは3つに分けることができる。三線(さんしん)演奏→RBCソング(いわゆる“社歌”。オーケストラの演奏と地元合唱団のコーラス)→コールサイン・周波数・出力の表示・アナウンサーによる読み上げ。
    • オープニングの、三線演奏(琉球民謡「瀧落菅攪(たちうとぅしすががち)」)が始まり、沖縄各地の様子や、風景の映像が流れ、最後は、首里城をバックにした映像になり、三線演奏が終わる。その後、那覇本局送信所(嘉数)の映像に切り替わり、RBCソングが始まる。波之上上空、東平安名岬の風景や、沖縄県内のいろいろな風景の映像を流し、最後は琉球放送本社の空撮映像になり、RBCソングが終わる。その後、海中の映像をバックにコールサイン・周波数・出力の表示・アナウンサーによる読み上げが終わると、リモコンキーIDの「3」とRBCロゴ(デジタル波の場合、アナログ波では従来の「10チャンネルロゴ」)が出て終了。オープニングは2分45秒もある。
    • クロージングも2つに分けることができる。RBCソング→コールサイン・周波数・出力の表示・アナウンサーによる読み上げ。
    • クロージングは、上空から撮った琉球放送・琉球朝日放送本社をバックにした映像とともにRBCソングが始まる(デジタル放送のみRBCの送信所の映像が流れる)那覇大綱引き・世界のウチナーンチュ大会前日前夜祭の国際通りのパレードの映像や[2]、いろいろな風景の映像を流し、最後に、太陽が沈みかけている映像でRBCソングが終わる。その後、三日月をバックにコールサイン・周波数・出力の表示・アナウンサーによる読み上げが終わるとブラックアウト(停波はせず、放送開始10分前に時計とカラーバーが表示される)。クロージングは1分45秒。
    • コールサイン・周波数・出力の読み上げは地上デジタル放送と地上アナログ放送で違いがある(コールサインや出力の違いがあるため)。
    • オープニング・クロージングの補足:
      • コールサイン・周波数・出力を読んでいる人物は宮城麻里子アナであったが、同アナの退社後も2010年3月ごろまで使用されていた。無音を経て2010年7月ごろから現在の大城蘭アナに代わった。
      • 周波数・出力を読んでいる順番が、オープニングとクロージングで異なる。
      • アナログ放送はレターボックスで放送されていた。
      • 特番などで特別に終夜放送が実施される場合はクロージング映像は放送されない。[3]
  • 3世代前: 1991年10月 - 2006年11月30日
    • 91年10月から2001年頃までは不明だが、オープニングでは2001年頃からはコールサイン・周波数・出力の表示は、RBCソングの前の三線演奏時に表示となっている(それ以前は、RBCソングの後に表示・読み上げていた)。また、各中継局一覧をスクロールしていた。なお、詳細期間はわからないが、1999年頃までは音声多重放送のコールサインである「JORR-TAM」も読み上げていた。なお、1991年頃から地上デジタル開始までのオープニングテロップは、数回ほど変更されている。更に、1999年頃までエンディングの局ロゴは白色、オープニングの局ロゴは青色であった(2001年頃と現在のOPの三線演奏の曲調は同じ)。
    • オープニングでは、「今日も10チャンネル・琉球放送テレビジョン(RBCテレビ)でお楽しみください」というテロップ出しがあった。
    • 2001年頃の映像は、海中や那覇空港、県内の景色(首里城など)など。RBCソングの前に「10 RBCテレビ」のロゴが表示される。そして再びRBCロゴ(青色)が表示されRBCソングが始まるといったもの。
    • クロージングは、夕方の海の映像をバックにRBCソングが流れ宇宙の映像と「10 RBCテレビ」のロゴが表示される。その後、アナウンサーによる技術情報(コールサイン等)読み上げとテロップが表示され読み上げが終わると中継局テロップが縦スクロールで流れる。しばらくすると再び「10 RBCテレビ」のロゴが表示され「今日の放送は終わりです。ありがとうございました。」というテロップ出しが表示されフェードアウト。その後放送開始10分前まで停波していた。
  • 4代前: 1985年6月 - 1991年9月
    • オープニングでは朝日が昇る映像や那覇市内の空撮の映像に最後は局舎の外観の映像を流し、レッドバックにコールサインと周波数&出力の表示・読み上げた後、「RBCソング(歌詞付)」が流れ、最後にブルーバックで「今日も10チャンネル琉球放送テレビジョンでお楽しみ下さい」のテロップが出された。
    • クロージングでは局舎建物や主調整室などの様子に「RBCソング(歌詞付)」(オープニングと同じ)が流れ、レッドバックにコールサインと周波数&出力の表示・読み上げた後、海岸の夕景などにBGMが流れ、後半の部分で中継局のロールが流れる。最後には「10 RBCテレビ」のテロップが出され停波していた。
  • なお、「RBCソング」において、2代前で流れるバージョンと1代前で流れるバージョンは、バックに流れる演奏が異なっていた。
  • 2代目(4代前): 本土復帰後 - 1985年5月
    • オープニング・クロージングとともに、玉城美智子(のち岡田郁子)アナ(いずれも当時)によるアナウンスで、この当時なぜかBGMがなくテロップ3枚(のち送信所情報と中継局部分を別テロップ)で構成されていた。
      • オープニングは虹と「10 RBC」のロゴの絵で、「RBC、10ch、ごらんの放送は琉球放送テレビジョンです」のあと、送信所・中継局情報の青テロップをバックに本局周波数・出力、コールサインを紹介した後、中継局を読み上げていた(のち省略)、最後にコールサインを2回アナウンスして番組がスタート。
      • クロージングはオープニングと同じ絵で「RBC、10chです。琉球放送テレビジョンをごらんいただき、まことにありがとうございました」のあと、オープニング同様技術情報が読まれ、「これで本日の放送を終わらせていただきます」ここで子どもが魚に乗っている絵に替わって、「なお、お休みの前に、火の元戸締りをお確かめください」のあとコールサインを2度アナウンスして停波。
  • 初期: 本土復帰前
    • 虹と魚の絵が電波の波に変わり、旧久茂地放送会館の鉄塔を鳥が飛びまわり、全体像になって[4] チェッカーフラッグ風の模様に「RBC」と大写しし、その後社屋をバックにズームダウンする形で「KSAR-TV」(日本語放送コールサイン)」「12(大写し)、7ch・久米島サテライト局(小さめ)」(チャンネルは当時のアメリカ周波数のもの。その後12をズームアップ)し、「ごらんの放送はKSAR、KSBKの2つの電波で全琉のご家庭と結ぶ、琉球放送です。」というアナウンスが入ったものであった。
  • 2011年7月24日のアナログ放送終了のクロージング
    • 沖縄県内の風景(梅の花、ホエールウォッチング、子供の様子、こいのぼり、満月、エイサーの様子、大綱引きの様子など)と共に、「わした島沖縄」(うちなー)というBGMがバックに流れた。しかし映像の途中で停波してしまった。

時刻表示[編集]

2006年9月27日、デジタルマスター統合により、時刻表示のフォントが後期丸フォントへ変更。

表示時間
  • 平日日曜 カラーバー時(※1)~9:53.00
  • 土曜 カラーバー時(※1)~9:24:00
    • かつて朝の表示は、9:30:00までだった。
    • かつて平日には昼・夕方にも表示があった。
補足
  • ※1 概ね放送開始10分前。
  • 数字の切り替えはアナログは「クロスカット」だが、デジタルは「クロスフェード」となっている。
  • 局のオープニング部分は2001年以降表示されてなかったが、2007年4月にオープニング部分も表示されるようになった。
  • 天気テロップ
天気テロップ(時刻出しの右表示)は
  • 平日「みのもんたの朝ズバッ!」「はなまるマーケット」「総力報道!THE NEWS」
  • 土曜日「知っとこ!」
  • 日曜日「サンデーモーニング(8時00分~9時30分)」
天気ループの補足
  • CM中とローカルスポンサー時は表示オフ

アナウンサー[編集]

RBCは株式会社シーポイントと提携し、同社沖縄支店の協力を得てホームページを制作するとともに、「てぃーだブログ」を開設して情報発信を行っている。各アナウンサーはこの「てぃーだブログ」内の「RBCブログ」で個人ブログを開設しており、プロフィールについてはブログのプロフィールで確認することになる。

男性
女性

かつて在籍したアナウンサー[編集]

男性
女性

アナウンサー以外に在籍した人[編集]

報道による問題[編集]

  • 1988年、昭和天皇がもっと早く終戦を宣言していれば、沖縄戦は起きなかったという「遅すぎた聖断」というドキュメンタリーを放送。このドキュメンタリーは数々の賞を受賞するなど県内外で波紋を呼んだが、これに対し右翼団体が琉球放送前に押しかけ国道58号が麻痺する騒ぎにもなった。
  • 1992年、「RBC特集 報道部発」などで新石垣空港の建設を巡って、建設推進派に多額の賄賂があったと放送、これに対し自民党沖縄県連が抗議する騒ぎとなった。

備考[編集]

  • 本来使うべきであったアドレスの「www.rbc.co.jp」はアールビーシー株式会社(本社・東京、もちろん琉球放送とは無関係)がすでに使用しているため「www.rbc-ryukyu.co.jp」となった。
  • RBCiラジオの「ラジオ」部分の片仮名ロゴはキー局のTBSが1991年までに使っていた「TBSラジオ」のロゴを今でも流用している。また「エキサイトナイター」のタイトルロゴもTBSラジオが1999年まで使用していた「ステレオエキサイトナイター(現エキサイトベースボール)」のロゴを今でも流用している。
  • 毎日放送制作のかつての人気バラエティ番組ヤングおー!おー!」は、腸捻転解消の前後(本土復帰も含む)を通じてRBC、OTVとも未放送だった。末期の1982年4月にRBCで日曜13時枠にてようやくネットされたが(同時に信越放送テレビ高知もネット開始)、マンネリ化と視聴率の低迷もあり、半年で打ち切られた(その半年間、犠牲(ネット中断)となった番組が「JNN報道特集」(現・「報道特集NEXT」)である)。
  • 1990年代初頭に、県内で暴力団抗争があり、その巻き添えで一般市民と警察官が射殺された事件があり、当時TBS系「水曜ロードショー」で放送された「極道の女たち2」を、松田優作の「家族ゲーム」に差し替えた。同様にOTVでもフジテレビ系「ゴールデン洋画劇場」の「極道の妻たち」シリーズや「仁義なき戦い」シリーズ等、暴力団をテーマにした映画はすべて別作品に切り替えられていた。現在では、東映任侠映画は沖縄での上映自体(琉映本館、桜坂シネコン琉映が存在していた頃から)禁止となっている。
  • 現在、沖縄県内の民放テレビではアナログのみだが唯一時報を鳴らしている(長年OTVやQABでも時報があったが、地上デジタル放送開始に伴い廃止された。なおデジタル放送はアナログとのズレがあるため時報はない)。しかし2009年頃に入ってついに鳴らさなくなった。
  • RBC主催イベントの告知CMをRBCだけでなく、QABでも放送されることがある(その場合「主催・琉球放送」のところを「主催・○○実行委員会」にしたり、「問い合わせ・RBC事業部」のところを「問い合わせ・○○事務局」にしたりするなどRBCの社名を隠してテロップを一部差し替えている。ちなみにRBC関係のイベントの場合、QABはたいてい後援となっている)。
  • 近年、アニメ番組のスポンサーに、そのアニメにあう業界のスポンサーをつけている。
    (例:「それいけ!アンパンマン」に沖縄県製パン協同組合)
  • 南大東島に通信衛星を使用したTBSのテレビ中継局が開局した時、「おはようクジラ」でTBS・小林豊が島内のある家庭を訪れ、そこからの生中継を実施したが、取材局クレジットは「大東島・RBC」だった。
  • 当初、2009年3月30日からTBS制作の「サカスさん」をネットすることが決定していたが、結局ネットは見送られた。
  • 日本テレビ系列の番組の優先ネット権は、OTVが持っているが、近年ローカル枠での番販による放送が増えてきている。また、ゴルフ中継等は、スポンサードネットにて同時放送する場合もある。(背景には、県内での日テレ系列局の区域外再配信ができないことやキー局TBSの視聴率低下等が考えられる。)

その他の沖縄県の放送局[編集]

外部リンク[編集]

関連項目[編集]

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  1. 開始当時はRBCアナウンサー。退職しフリーとなったあとも引き続き担当
  2. 世界のウチナーンチュ大会前日前夜祭の国際通りのパレードは2006年10月11日(水)に行われたことから、クロージングの完成は、2006年10月11日以降に行われた可能性が高い。
  3. 年末年始特番の編成では2012年12月31日-2013年1月1日および2013年1月2日-3日の放送が該当する。
  4. 現行オープニングより