「月亭方正」の版間の差分
細 (Newer (トーク) による編集を 180.9.218.41 による直前の版へ差し戻しました) |
細 (→外部リンク) |
||
(2人の利用者による、間の2版が非表示) | |||
341行目: | 341行目: | ||
{{リダイレクトの所属カテゴリ | {{リダイレクトの所属カテゴリ | ||
|redirect= 山崎邦正 | |redirect= 山崎邦正 | ||
− | |1= 本名のリダイレクト}} | + | |1= 本名のリダイレクト |
+ | |1-2d= | ||
+ | |2d= | ||
+ | }} | ||
{{月亭方正}} | {{月亭方正}} | ||
{{お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル王者}} | {{お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル王者}} |
2018年5月22日 (火) 18:01時点における最新版
月亭 方正(つきてい ほうせい、1968年2月15日 - )は、日本の落語家、お笑いタレント。本名・旧芸名:山崎 邦正(やまさき ほうせい)。
兵庫県西宮市出身で大阪府箕面市在住[1]。よしもとクリエイティブ・エージェンシー大阪本部所属[1]。NSC6期生。身長166cm[2]。既婚であり、息子が1人と娘が2人いる。兵庫県立西宮南高等学校、立正大学心理学部卒業。
愛称は、山ちゃん、ほうせい(主に先輩芸人が使用)、ザキさん(提案者とされる加藤浩次を始め、ナインティナインやココリコなど後輩が主に使用)、方正さんとも呼ばれる。妻からの呼び方はパパ、ふっちゃ。
2013年1月より芸名を本名・山崎邦正から、高座名「月亭方正」に改名。上方落語協会会員。出囃子は「ヤマザキ一番」。
目次
プロフィール[編集]
名前の読みは「やまさき」だが、「やまざき」「ザキさん」と呼ばれることが多い。デビュー以来、本人は若干そのことを気にしていたらしく、以前は「やまざき」と呼ばれる度に「やまさきです」と訂正していた。「学級王ヤマザキ」の主題歌に歌手として起用された(後述)事をきっかけに、表面上はあまり気にしなくなった様子。また本名の読み方は芸名と同じ「ほうせい」である。
芸風・性格として、虚勢を張った大きな叫び声など、テンションを急速に上げることができる。そのわりに些細なことに驚き慌てることから先輩芸人達からは「ヘタレ」と呼ばれ、その劣等感からそれを返上しようとピアノなど(後述)を始めたといわれる。近年はヘタレのみならず、ウケるためには「ヨゴレ」も辞さない芸風になっている。それにより、多くのタレント・芸人・著名人から煙たがられる。ただし、これらはあくまで舞台上のみ(後述)であり、プライベートでの関係が悪いわけではないと思われる。
デビュー当初はその可愛らしいルックスからアイドル的な人気を誇っていたが、年齢を重ねるごとに本来のヘタレキャラがクローズアップされていく。漫才出身でありながらフリートークは得意と言えず、近年ではどちらかというとリアクション芸人に近い、もしくはリアクション芸人そのものの芸風を持つようになったとの見方も多い。
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』のネット放送を読売テレビがしばらく行っていなかったこともあり、いわゆるダウンタウンファミリーの芸人でありながら関西方面での一般層の認知度が比較的低かった。しかし、昨今は関西方面でのテレビ出演も増え、京橋花月にて落語家として高座に上るなど、地元でも確実にそのキャラクターが定着してきている。後述の#他のテレビ番組も参照。
趣味は作曲、パソコンと多岐にわたり、番組でも音楽プロデュースや楽曲提供をしている。モノマネにも果敢に挑戦しており、浜田省吾などのモノマネの評価は高い。新しい芸を産み出そうとする一方、後輩の成長をやっかむ事もある。
スベリ芸[編集]
デビュー当時はアイドル芸人的な売り方だったが、後にその勝負弱さを生かした、スベリ芸を学ぶ。スベリ芸とはギャグが不発に終った際の痛々しさ、滑稽さを楽しむという特殊な芸風であり、使い方を誤るとただの嫌われ者となるため、演者にはある程度の愛嬌ないしバランス感覚が要求される。
こういった芸風は無様な状態でこそ真価を発揮するため、ネガティブな扱いを受けることが多い。最初からつまらない芸人として扱われる、急に無理なアドリブを要求される、不必要な暴力を振るわれる、後輩や素人から蔑まれる、等々。 このような芸風は、「本当に軽んじられている」あるいは「無能」と見る者も多く、またスベリ芸自体も「スベっているだけのつまらない芸」と額面どおりに捉えられることが多い。さらに、その楽しみ方を知る者も、「つまらない」「ひどい」「さむい」などとあえて罵倒語を用いて評価することが多い。これは、スベリ芸はスベってこその芸であり、面白いと認められてしまえば成立しなくなるためである。このメタ構造的な要素を含む微妙な立ち位置が、山崎という芸人の評価を非常に難しい物にしている。松本人志は山崎の芸風に関して「本人は面白いと言っているが面白くない、そこが面白い」、「山崎を面白いと言ってしまうと営業妨害になる」と語っている。
スベリ芸を披露した後、他の出演者からブーイングが起こった際に逆ギレして怒鳴る、いわゆる「キレ芸」をセットで行うことも多いが、近年キレキャラは鳴りを潜めつつある。これに関して山崎が放送室にゲスト出演した際、松本から「是非復活させて欲しい」と言われた。
なお、上島竜兵やたむらけんじなども同様の芸風であり、この芸風自体は珍しいものではないが、山崎はアイドル的人気から転じたという点で特筆される。
ただし山崎個人が軽んじられるのはあくまで芸風あるいは番組演出上における扱いであり、普段から放映されているような冷たい扱いは受けておらず、実際には後輩たちからは芸歴相応[3]に接せられている。
略歴[編集]
- 1988年 軌保博光と「GSX(ガスペケ)」を結成し、デビューする。
- 1989年 コンビ名を「TEAM-0」に改名。 後に初のレギュラー出演番組となる『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に出演。
- 1991年 第12回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞。
- 1993年 「TEAM-0」解散。ピン芸人として活動を開始する。
- 1998年 『天才てれびくん』にてリサ・ステッグマイヤーと共に司会を務める。 テレビ東京系で放送されていたアニメーション『学級王ヤマザキ』の主題歌『ヤマザキ一番!』を歌い、CD化され5万枚[4]の売上を記録。
- 2001年 11歳年下の一般女性とのできちゃった結婚を発表。結婚式の模様は『ガキの使い』内で放送され、DVDにも収録された。
- 2002年 ヨシモトファンダンゴTVで放送された番組『邦正音楽工房』から女性アイドルデュオ「AiAi」をデビューさせる。
- 2002年 アフロヘアーになった。
- 2004年 バイクの盗難事件に遭う。
- 2005年 TOKYO FMで芸能生活17周年を記念して、3時間の生放送特別番組が放送される。 『M-1グランプリ2005』にカンニング竹山と漫才コンビ「竹山崎」を結成し参戦。予選三回戦で敗退。作家の中村うさぎとの共著『うさぎ・邦正の人生バラ色相談所―苦悩の泥沼にハマッてしまった人へ』を出版。
- 2006年 『M-1グランプリ2006』にカンニング竹山との「竹山崎」にたむらけんじをメンバーに加え「たむらけんじと竹山崎」として参戦。予選三回戦で敗退。 生殖器の海綿体が硬質化するペイロニー病を患う。
- 2007年 村田あゆみのセカンドアルバム「Happy Candy」の中の「Birthday」と「伝説の狼」の作詞と作曲を行う。胃腸炎を患い約三週間の入院後、復帰。
- 2008年 正月特番として初の冠番組『祝 山崎邦正20周年 ホンマは正月よりもめでたいでぇ!』が関西テレビにて放送される。自身初の写真集&エッセー「奇跡」を出版。
- 同年5月、月亭八方から「月亭方正」を名乗ることを許可され、5月11日の八方の勉強会で「阿弥陀池」落語を演じた。「月亭方正」の名前で月1回程度演じる。同年12月8日京橋花月で落語家として高座に上がった。そのほかにも月亭会、花形寄席にも出演。自身勉強会「月亭方正・十番勝負」を東京で定期的に開催。
- 2009年 7月23日-27日に舞台「新宿ミッドナイトベイビー」にオカマバーのママ役で出演。主演のいしだ壱成とのキスシーンもあり、スッキリ!!でこのシーンを見た加藤浩次が驚愕していた。
- 2009年 12月、上方落語協会加入。
- 2011年 1月1日「笑点・お正月だよ!大喜利祭り 東西大喜利」の西軍メンバー・桂きん枝に替わり出演した。
- 2011年 1月15日から全国ツアー「全国行脚、月亭二人旅」をよしもと浅草花月でスタート。
- 2012年 9月、落語活動に専念するために拠点を大阪に移す[1]
- 2012年12月17日、翌2013年元旦より、全ての活動を「月亭方正」として活動することを発表[5]。
才能と向学心[編集]
- 2000年からパーソナリティーを務めた『オレたちやってま〜す』(木曜日)内のクイズコーナーで「学校の勉強もクイズと一緒だ」と思い大学卒業を目指す。名前の読みが同じという理由から法政大学を目指して「邦正の法政への道」なるコーナーを始め、後番組『AM808。マジっすよ!』のため大阪スタジオに待機するロザンにアドバイスや問題を出させて備え、実際に受験するも結果は不合格でラジオ内で録音が流される。その後立正大学心理学部に進学し、芸人の仕事をこなしながら卒業した。
- 『ヤマザキ一番!』は、わざと勢いだけで歌唱するが、『天才てれびくん』での『カーマは気まぐれ』カバー時や、お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル、ものまね番組などで、歌唱力は高評価を受ける。
- ピアノを嗜み、「別れの曲」などをテレビ番組で披露する。
- ガキの使いで作詞・作曲を幾つかこなし、村田あゆみに2曲提供している。
- 山崎卓球部として、主に後輩芸人らと共に公民館などで卓球を楽しむ。
- スコップ三味線第2回世界大会(2008年12月21日)で、初出場ながら個人の部第3位[6]になる。
- コンピュータなどを嗜好し、第一種情報処理技術者試験に合格している。松本人志からは「天才IT坊や」と呼ばれることもある。OSはUNIXを昔から愛用しており、その天才的スキルから極稀に匿名掲示板群でも話題になることがある。要出典
月亭方正[編集]
- 40歳を迎えた直後、今後の芸能活動や路線について悩んでいたことやテレビの仕事以外にも舞台にも挑戦したいという思いが強くなったことを東野幸治に相談したところ、東野の勧めで桂枝雀の「高津の富」を、一度はそれまでまったく聞いたことがないことを理由に「古典芸能は…」として渋ったが、その後聴いてみて、その面白さに目覚めたという[7][5]。その後、「聞くだけでなくやってみたい」と考えるようになった方正は、本格的に落語の勉強を始め、月亭一門に入門した[7]。月亭一門に弟子入りしたのは飲み仲間に月亭八光がいたため、八光を通じて八方に入門を志願したためである[8][7]。2008年に月亭八方の落語会に客演として落語家デビューし、打ち上げの席で八方から正式に「月亭方正」の名を貰った[8][7]。大師匠の月亭可朝は、枝雀の兄弟子なので、芸の世界では、枝雀は方正の”大叔父”に当たる。
現在も積極的に月亭一門会や師匠・八方との親子会、「月亭方正・十番勝負」と称した勉強会、花形寄席、東西若手の会「やみ鍋の会」、八方および月亭一門の稽古場の「八聖亭」、天満天神繁昌亭の朝席・昼席・夜席などに出演。2011年1月1日は『笑点』スペシャルの東西大喜利に初出演。大師匠・可朝とも共演している。2013年1月1日よりタレント活動時も含めて芸名を「月亭方正」に一本化することになった[9]。
- 最初に落語に挑戦したのは「かざあなダウンタウン」でのコーナーで、初挑戦で無謀にも“英語落語”をやろうとした。最初ははりきって「ワオー!」とか言いながら進めていったものの、だんだん尻すぼみ状態となり、黙り込んでしまう。「すいません。できません…」と途中放棄してしまい、講師の笑福亭松之助は苦笑し、松本人志も哄笑。今田耕司や板尾創路らに罵倒されまくった。
エピソード[編集]
- 中学時代のあだ名は「ジャガイモ」だった。頭蓋骨の形がデコボコしていたからという理由と、ポテトチップスばっかり食べていたからというものがある(いずれも本人談)。現在もポテトチップスは間食として欠かせず、特に「うすしお味」を好む。
- 中学時代は剣道部で、本人曰く主将で大会では常に優勝候補だった。ただし、勝負弱く優勝経験はない。ちなみに段位はなく一級止まりである。
- 最初に有名人を見たのは16歳のときに大阪でマイケル・シェンカー・グループの公演を観に行った際のマイケル・シェンカーであるとのこと[10]。
- 高校時代女性にモテていたらしく、西宮南高校のミスターに2年連続(2年・3年生)選ばれた。
- 大学受験に失敗し浪人することになるが、入ろうとした予備校にも全て落ちる。その後の大学受験も失敗。
- 吉本に入る前にテレビ番組の制作スタッフを目指すが、二度目の大学受験に失敗して諦める。(いろもんにて)
- 吉本の東京本社所属タレント第1号である。(TEAM-0時代)
- デビュー当時は可愛らしい童顔をしており、バレンタインデーにはチョコレートがダンボールで十六箱分届き、吉本関係者を驚かせた。しかし、その一年後にはヘタレキャラが露呈したためチョコレートは巾着二個分に激減した。ショックを受けかなり落ち込んだが、最終的には「あの子達はみんな事故で亡くなったんだ」と自分に言い聞かせることで心を落ち着かせた。ただし、童顔に関しては現在も面影が色濃く残っており、レギュラー出演しているガキの使いに佐野元春がゲストで出演した際、ベビーフェイスであるため、佐野から「バブちゃん」と命名された。
- 「TEAM-0」解散後、レギュラー番組がゼロになり「人生最大の落ち込み」を体験する。その際、たまたま見たテレビ番組「ムツゴロウの動物王国」での犬たちのボス争いで、小柄ながらもボスのセントバーナードに果敢に噛み付いていくパグ犬に感銘を受け、独特の声で叫ぶ「キレ芸」を開発。その効果で再びレギュラー番組を持つことが出来たという(「草野キッド」2009年6月9日放送分より)。
- 一時期、唐突にパーマをあて、髪型をアフロ状にしイメージチェンジを図ったことがあるが、ほどなくして元に戻した。
- 自慰のスタイルが、世の一般的な男性のそれとは異なり、性器の先の部分を上から掴み、廻し撫でるといった個性的なものであると公言している。このスタイルは岡村隆史と同様。
- 2006年に生殖器の海綿体白膜に良性のしこりができて海綿体が硬質化する「ペイロニー病」という謎の奇病にかかる。本来は高齢者に多く見られる病気であり、医者からは性行為を自粛するように命じられていたが、山崎は自慰行為を控えることはなかった。その一方で深刻に悩んでおり、松本人志とライセンス藤原に居酒屋で生殖器を除去しようかと本気で相談し、除去後は『美輪明宏のようにカチューシャを付けてシャンソンを歌いたい』と語った。「ペイロニー病」は原因や治療法がまだ解明されていないため進展に乏しく、現在も生殖器が常に硬直した状態であるという[11]。
- 2007年11月、胃腸炎を患い、検査の過程で腹膜炎の疑いも見られ、約3週間入院した。その間のレギュラーやゲスト出演が決まっていた番組は欠席し、ほっしゃん。などの代役が立てられた。見舞いに訪れたのは、後輩芸人のペナルティのヒデ・ワッキー、ほっしゃん。の三人だった。12月上旬に復帰。
- 2000年頃から下腹部だけがぽっこりと膨れた体型になり、松本人志から「キユーピーマヨネーズか」、高須光聖からは「カマキリのような腹」、「芸人として理想的な体型」と評され、山崎も「この腹を見ろ!」というギャグでそれを売りにするような素振りも見せた。ダイエットを試みた時期もあったが、ほどなくして断念。胃腸炎で入院した際には体重が9kg減り、図らずもややスマートな体型となったが、現在は戻っている。
- 山崎の大ファンであり、親交の深いポルノグラフィティの岡野昭仁からは「ダウンタウンに次ぐ天才芸人」と称されている。女優の戸田恵梨香も山崎の大ファンだと各方面で述べている。
- 口腔内の唾液腺(耳下腺)から唾液を前方または左右に勢いよく自在に飛ばせる。『水芸』と称したびたび披露している。
- 吉本興業が開催した、史上最大のお笑いフェスタLIVE STAND 07で今田耕司と雨上がり決死隊に芸歴20周年を祝ってもらい、観客に「芸能界に入ってわかったことは、ゴボウはただの木でした!!」と、涙して語った。
- 松本人志とは松本の東京進出時からの付き合い。山崎は東京の遊びスポットを松本に教えていた。東京進出は山崎の方が早かった為、松本は山崎を「ある意味東京の先輩」と語っている。[12]当時は2人共仕事が少なかったため、2人は毎日のように東京を遊び歩いていたという。また、松本は基本的に山崎を「山崎」や「山崎さん」と呼んでいるが、ラジオなどで頻繁に「山ちゃん」と呼んだ後に「山崎さん」と呼びなおしており、普段は山崎を「山ちゃん」と呼んでいる様子である[13]。
- 松本人志や後輩芸人と共に行った旅行先で一日に何度もテレビ電話(ウェブ電話と思われる)で家族と会話をする。嫁が実家の石川県に子供を連れて帰省すると、一人で眠るのが怖くてテレビをつけたまま眠る。[14]
- 松本や島田紳助に頭が良い芸人として名前を挙げられている。松紳内でクイズ$ミリオネアのパロディコーナーを行った松本と紳助だが、松本がクイズに詰まりテレフォンの相手として山崎を指名した。微妙な反応を示す会場の客に対し紳助はすぐに「あいつ賢いねん、メチャクチャ本読んどる。邦正はアホキャラやけど賢いんや」とフォロー、松本も「そうそう、あいつ賢いんやで」と客に語り聞かせた。テレフォンの結果は完璧で、松本が解けない問題を平然と答えてのけた。松本と紳助も想像以上の解答ぶりに感心した表情を見せた。[15]
- 嫁の天然ぶりはダウンタウンをはじめ、様々な人物に語られており、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』内の企画に一度だけ本人が出演したことがある。
- 人志松本の○○な話の「好きなものの話」にて、物を食べている最中に頭の中が無になることがあり、こんな自分が好きと語る。番組MCで、よく食事に行く松本人志もそれに気付いており、松本曰く「携帯のアンテナ0本(完全な圏外ではない)の状態」。
- 下着はカットのきわどいビキニブリーフ、Tバック派。俗にいう変態下着を好む。コントの時にはトランクス、白ブリーフも着用する。
- 松本と出川哲朗と3人でディズニーランドに行った時に混んでいたアトラクションを特別待遇で早めに乗せてもらったことがある。その後、山崎・出川の二人でディズニーランドへ行き、アトラクションの係員に意気揚々と「山崎邦正です!」と名乗り、「分かりました、では、お並びください」と一般客同様に並べさせられた。飽くまでこれは「松本人志がいたから」故の極めて稀な特別サービスであり、出川は「ダウンタウンDX」でこのエピソードを披露した際に「あの男は自分のタレントとしてのランクが分かってない!」と語り、当時は物凄く恥ずかしかったと言う。
- 方正にとって落語とは、「自分にとって落語を聞いている時間は『至福』そのもの。」であり、「自分もそんな至福のひとときをお客さんに提供できる落語家になれたら」良いと考えていることを、2012年の年末に語っている。
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』[編集]
- 第2回から前説として参加(出演はしていない)。
- 第一回「七変化」挑戦者。記録は1万円。
- スペシャル恒例の「笑ってはいけないシリーズ」にレギュラーで唯一、過去全て罰を受ける側として出演している、しかし、2007年の「笑ってはいけない病院24時」では体調の問題で途中離脱している場面があった。
- 「空港24時」では、蝶野に名前を聞かれた際「今崎邦正です」と名乗る。その後「今崎ホセです」と名乗り、周囲が大爆笑した。海外でも「ガキの使い」は人気があり、邦正の発音は英語の"jhose(ホセ)"に近い事から、外国人からはホセと呼ばれる事がある。コンピュータに明るい本人が、この事を知っていた可能性は高く、アドリブで言ったとしても不思議ではない。
- 「山崎vsモリマン」「さよなら山崎邦正」などの人気企画を持つ。「山崎vsモリマン」における選手紹介のキャッチフレーズは、
- 「永遠の挑戦者、西宮が生んだ落ちこぼれ世紀末ファイター」
- 「永遠の挑戦者、西宮が生んだ落ちこぼれとっつぁん坊や」
- 「永遠のベビーフェイス、西宮が生んだお笑いオンチ」
- 「永遠のとっつぁん坊や、西宮が生んだお笑い落第生」
- 「お笑い視力0.01、西宮が生んだポンコツ芸人」など。
- 1995年に放送された沖縄スペシャルにおいて、「黒人にレイプされる」と言うドッキリ企画が行われたが、人種差別に取られかねないなどの問題で、現在では総集編などでもこの映像が使われる事は無い(『松本紳助』より)
- 1997年、『ガキの使い』内で“自分が1人でトークをすれば視聴率20%を取れる”と豪語したが、収録ではトークが続かずスタジオから逃走。その後メンバーの説得を受け会場に戻り浜省のモノマネなどを披露した。次週の冒頭で明かされた視聴率は平均19.4%、山崎出演時の総計は18.7%。20%を越えなかったため、罰として「スカイダイビング丸坊主」が執行され、坊主頭になりトーク収録時の観客一人一人の家を訪ねて菓子折りを手渡して謝罪した。20%こそ越えなかったものの、落ち込む山崎に対して浜田は「お前とりすぎや、十分やないか」と評価し、松本も山崎としては頑張ったと賞賛していた。
- 2000年に放送された「コスプレバスツアー」にて、罰で一人でスパゲティを買いに行くところを雨上がり決死隊の宮迫博之と一緒に買いに行っていたことが発覚し、松本に「イタリアのブーツのかかとの所まで行ってスパゲッティを買ってこい!!」と言われ、0泊3日でイタリアまで『Dr.スランプ』の「アラレちゃん」のコスプレ姿のままスパゲッティを買いに行く。
- 大晦日企画で放送した「山崎vsモリマン」のDVDが販売され、後日それに伴う印税が入るが、なぜか翌日にも印税が入り、何事かとマネージャーに連絡すると松本人志が「あれは山崎が頑張った企画やから、俺はいらんから山崎にやってくれ」と全額自分に渡していたことを知り、感動したと述べている。
- かつては番組内でへタレキャラを前面に押し出していたが、現在は同番組の総合演出・ヘイポーがヘタレキャラとして扱われることも多く、その際山崎は珍しくツッコミ役となる場面がみられる。近年では、浜田の度を越した「天然ボケ」ともいえる言動に対してのツッコミも見られる。
- vsモリマンでの『ゴボウしばき合い対決』と、笑ってはいけないシリーズでの『蝶野ビンタ』は相当嫌がっており、この二つに関しては毎回本気で拒否している。
- 特に『ゴボウしばき合い対決』に関しては、他番組でも「ゴボウはただの木ですよ!」と力説するほどである。『ダウンタウンDX』のコーナーにおいて、vsモリマン収録前に番組スタッフが用意した大量のゴボウを隠していたことも暴露された。[17]
- 上述の改名の記者会見時に同番組のことを聴かれた際、「(この番組については)おそらくそのままだと思います」と述べており、2013年放送分でも同番組では「山崎邦正」のテロップが使用(もしくは月亭との混用が)されている。しかし、罰ゲーム時のアナウンスは、「山崎OUT」から「方正OUT」に変更された。
『ボキャブラ天国』[編集]
- タモリのSuperボキャブラ天国内のコーナー「ボキャブラ発表会 ザ・ヒットパレード」に1回目から出演。
- キャッチフレーズは当初『1000のあいさつを持つ男』だったが、中期から『リトルパンチドランカー』に変更された。
- オチだけでなく冒頭のあいさつでもボキャブラを披露するというスタイルを最初から最後まで貫いた。
- 第3回目(3回連続出演)のヒットパレードでは「前回のイチバン」だったフォークダンスDE成子坂や初登場の爆笑問題、X-GUNを抑えて第1位に輝くも、その後は「カス」もしくは下位になることが多くなり、2度と1位に輝くことはなかった。
- ヒットパレード後期からはルール変更に伴い過去の成績が乏しくなかったり出演が滞っていた芸人は「めざせ君」という扱いになったが、それまで登場した全68組から選ばれた13組の「レギュラー」の地位に留まることができた。なお、この後のシリーズ「タモリの超ボキャブラ天国」には出演していない。
- 収録中のスタジオに乱入したこともある。そこで「挨拶ボキャブラ10連発」を披露して、そのまま客席に陣取る。その後「夜のボキャ天」では、ついにヒロミの横に陣取りネタの面白さに関わらず、ヒロミの大玉ボタンを勝手に押しまくりヒロミに怒られる。
『天才てれびくん』[編集]
- それまで同番組では大人の司会者はてれび戦士である子供達をサポートし指揮していく立場にあったが、山崎だけは例外であり、ほぼ一貫してヘタレキャラで通し、子供達からもイジられたりオチ的役割にされることも多く、その分子供達がしっかりしていく反面教師的な面が見られた。加えてその親しみやすい雰囲気や子供達と距離を置かない接し方は、子供達が萎縮し構えることなく個性を存分に発揮できる環境を提供し、番組の雰囲気を非常に良いものとした。
- 当時子役として共演していたウエンツ瑛士と隅田川の花火大会へ行った時、芸能界を辞めようとしていたウエンツは、山崎の「結婚することになってん。嫁のお腹に子供がおるんやけど、ウエンツは俺の息子みたいなもんやから、子供が生まれたらお前の妹ができるな」という言葉を聞いて感動し、再び芸能界でがんばる気になったという。
『なるトモ』[編集]
- 番組内で日清食品と番組のコラボレーションとしてオリジナルの即席カップめんを作る企画があり、その中の一種『なるトモ!焼きそば』の内容考案に携わった。商品ラベルには陣内やなるみの隅に小さく山崎の姿も描かれる。
- 月曜日レギュラーメンバーからメッセンジャー黒田・陣内智則の3人で「チーム邦正」というグループを結成してロケを行うが、内容が過酷になると逃亡する事もあった。
- ロケ中のおみくじで「平(へい)」を引き当てた。(平は「十二直」と呼ばれる古い吉凶判断における最も縁起のいい結果)
- 2008年9月23日放送の「陣内智則卒業スペシャル」では、エンディングにサプライズプレゼントとして「永遠にともに」を号泣しながら歌う。最初は笑っていた出演者やスタッフもつられて泣き出し、皆で涙の卒業となった。なお、この模様は2009年1月27日に日本テレビ系列『誰も知らない泣ける歌』の「泣け歌 グッとシアター」コーナーや2011年9月18日の『行列のできる法律相談所』でも放送された。
『アメトーーク!』[編集]
- サウナ好き芸人の中の1人として出演したが、水風呂が苦手、さらには座る場所は冷たい空気が入って直ぐに出たくなるので、なるべく出ないように入り口側を避ける、他の出演者ほどサウナに対するこだわりがないなど、あまりサウナが好きではないとされる。
- 山崎の芸風から、出川哲朗 ・三村マサカズ(さまぁ〜ず)・上島竜兵(ダチョウ倶楽部)と共に「ポンコツ芸人」のくくりで出演している。
2009年3月19日放送の『DVD発売記念SP』で、有吉弘行につけられたあだ名が『実力不足』。(なお、この放送のあだ名シーンのみがDVD Vol.11にの『ポンコツ芸人』収録されている)
『進め!電波少年』[編集]
- ヘタレを直すために「電波少年INTERNATIONAL」のコーナー「山崎邦正男を磨く旅」に出演。
- 第1弾であるイタリア編では、当初はローマ市内にあるテルミニ駅前で麻薬の買人を注意する事だったが、山崎は売人の所持していた拳銃に怯えて逃亡する。次にひったくり防止を訴えるのだが、山崎自身がひったくりの被害にあってしまう。さらにシチリア島のマフィアに詫びを入れさせようという企画に三たび変更し、山崎はマフィアのアジトに連れて行かれ、拳銃を突きつけられるが、中に実弾は入っておらず空砲だった。それを見たマフィアは山崎に対して「お前は男だ!」と褒め讃えた。
- タイで虎と闘う企画では、タイガーマスクの覆面をかぶった上で檻の中に入り「パンチ野郎」なる武器で虎と闘い、「パンチ野郎」が虎にヒットしたものの、山崎は失禁する。
- スペインの闘牛祭りに参加して牛を殴ることに成功したが、他の参加者の怒りを買い、現地のニュースで「韓国人が牛と空手で闘ってました」と紹介される。
他のテレビ番組[編集]
- 『お笑いワイドショー マルコポロリ!』では、芸人リポーターとして隔週レギュラー出演。司会の東野幸治を除き、他の出演者は吉本興業の後輩芸人達が多数を占めるため、積極的にツッコミやいじり役に廻る姿を観る事ができる。
- 名古屋の神社で番組収録をした際、一緒にロケをしていた雨上がり決死隊とおみくじを引き、宮迫博之が小吉、蛍原徹が中吉で流れとして「大吉」か「大凶」のおみくじを引くことが期待されたが、実際に引いたのは白紙だった。印刷のミスが原因と思われる。
- 2000年9月から2003年8月にかけてテレビCMやドラマにもなった「明日があるさ」シリーズには、ガキの使いメンバーでは唯一山崎邦正だけが連続で出演をしていない。当初山崎には出演者達が勤める会社の『清掃員』という役柄が設定されていたが、後輩のココリコが「社員」役なのに対し自分が「清掃員」というキャスティングが気に入らず、当時レコーディングしていた「学級王ヤマザキ」の主題歌作りを理由に出演を断った。後にこのシリーズがドラマ化すると『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』内において上記エピソードの告白とともに、出演拒否を後悔したと吐露した。しかし、そのドラマの中で『ガキの使い』のロケに浜田が道端で遭遇するシーンでは実際の山崎役として出演している(浜田役は全くの別人。浜田が話しかけるとタバコを投げられる)。
- テレビ東京の「ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!」内の「芸能人こそ東大へ行け!」プロジェクトで東京大学を目指したが、センター試験の受験科目を間違えて、無資格で終わる。
- 「めちゃ×2イケてるッ!」の企画で、2004年に放送された27時間テレビ内の「ザ・ココイチテン!」に山崎が出演した際、自信満々に披露した浜田省吾のモノマネを周りの後輩芸人やめちゃイケメンバーらに批判され、山崎が画面アップで逆にかみついた場面が、同番組での27時間中の最低視聴率をマークしたシーンだったことを告げられ、翌日の産経新聞に謝罪文を掲載した(「新聞の売り上げ部数まで下げるわけにはいかない」との番組の配慮から、イニシャル「Y」名義での謝罪となった)。
- 「ネプリーグ」では、漢字の読みを答える『ファイブツアーズ』のみ他問題での座席順に関係なく一番手を務めており、「元祖天才漢字少年」を自称している。一度、全問一人で答えられるとしてネプチューンら他の回答者全員に寝ているように促したが、全問正解は出来なかった。
- 2005年9月21日『笑っていいとも』のテレフォンショッキングのゲストとして出演した際、作家の中村うさぎとの共著で人生悩み相談本を出版したことから、タモリに「何か悩みタモリさん言うてください」と言ったところ、突然観客の男が「タモリさん、いいともが年内終了するって本当なんですか?」と話し掛け出した。山崎はすかさず立ち上がって「ちょっと待ってください! ものすごいびっくりしてんけど! 何? いいとも年内終了!?」と突然の出来事に慌てふためいた。タモリは冷静に「いや聞いてないですよ。違うんじゃないですか?」と返答。しかし男は同じ質問を繰り返し、客席は異様なムードに包まれた。客席の男性がスタッフに退席させられると、タモリは山崎に「お前が連れてきたんだろう!」と言い放ち、山崎が「連れてきてないですよ!」と言うと、タモリに「連れてこなくてもお前が来るから変なやつが一緒に来るんだよ!」、「お前が(変な人を)呼び寄せるオーラがあるんだよ!」などと突っ込まれた。さらにタモリが「CMがあけたらあそこ(客席)にクマのぬいぐるみが座ってます。」と冗談まじりに言い、さらに「(コーナーがむちゃくちゃになって)どうしてくれんだよ!」と山崎を責め立てると、山崎が「どうしてくれんだよって、僕が言いたいですよ! (テレフォンショッキング)初登場で楽しみにしてたのに。」と言うと、このタイミングでCMへいくことになり「えーっ!なんやねん!」と絶叫。そしてCM明け、本当に客席に置かれたクマのぬいぐるみが映し出されると「クマが… クマが座ってた!(笑)」と山崎とタモリは爆笑した。(番組側の説明によると、実際の所はこのままでは番組の進行にも支障をきたすと思われたため、男に理解してもらった上で退席という処置をとったとする)
- お笑い芸人の中では歌が上手い方であり、お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャルでも決勝に残った事がある。しかし審査員の1人小川菜摘は、歌い終わった後のどや顔(上手だろという表情アピール)が気に入らず「それをする限りはポイントは入れない」と言われ、そのためかここ最近は1、2回戦落ちが多い。対戦相手に圧力をかけたりしたとネタで言われることが定番となっている。そして2009年5月19日放送分で、8回目の出演で念願の優勝の栄冠を手にした。
- 2009年2月6日放送の「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」に「他人の子どもへのゲンコツを認めます」のマニフェストを掲げて出演。奮闘したが途中言葉に詰まったり、反対側の反論に上手く言い返せないなどの失態を露呈し、賛成7、反対15で否決される(最初は賛成10、反対12)。しかし視聴者からの投票では賛成65%、反対35%と過半数を超える支持を集める。
- 「やりすぎコージー」の企画「俺の傷 やりすぎ九死に一生スペシャル!」の収録時、隣のスタジオで別番組に出ていた山崎がやりすぎのスタジオを覗いたところ、出演者が包帯、ギプス姿だったため「みんなどうしたん?」とびっくりしていた。これは過去にケガをした所に包帯やギプスを巻き、当時のことを話す企画であったが、事情を知らない山崎が真に受けた形である[18]。
- 2009年4月5日放送の「DOORS 2009春」ではいつものへたれキャラから一転、全8アトラクション中3アトラクション1位(第1アトラクション「ウォーターバイク300」がナイナイの岡村との同時優勝、第4アトラクション「ミラクルヒュースポン」は賞品の車こそ入手していないがクリア者として認定、第6アトラクション「アルカノイド」が個人優勝)と同番組唯一の複数競技優勝者となっている。
- 「ホンネの殿堂!!紳助にはわかるまいっ」で行われた「大阪の小学生100人に聞きましたアンケート」では小学生の一人に「何かが足らへん」と評され爆笑を誘った。以後、このフレーズは紳助によって山崎本人の評価のみならず、大阪の小学生の評価の鋭さを説明するときも必ずと言っていいほどネタにされる。
持ちギャグ[編集]
- 『マー!』(最初期のギャグ。最初に『マーやります』と断ってから披露するため、鉄板でスベる)
- 『きぇ~』(娘が考案。たむらけんじのギャグ『ちゃ~』に対抗して使用)
- 『イエィ・イエィ・イエィ~!』松本が使用した事で一時期ブームになり、当時は松本のギャグとして認知されてしまっていた)
- 『おしりおしりー!』(元は雨上がり決死隊宮迫博之のパクリ。ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!のコーナー「山崎邦正コソ泥裁判」によると、ウンナンの炎のチャレンジャーのコーナー「コミカルヒャックマン」において、宮迫が「小学生に受けるギャグ」としてこれを即興で行い、見事に爆笑を受けていたシーンを見た山崎が、天才てれびくんシリーズでこのギャグを宮迫に無断で使用、さらにその放送を宮迫に見せながら「このギャグよこせ」と迫り、仕方なく宮迫はこのギャグを封印。事後承諾の形で山崎のギャグとなったという経緯があったとされる)
- 『やーーーン!!』
- 『この腹を見ろ!!』
- 『よっしゃ、こー! オッケ、カーム!』
- 『関~係~ないから~ 関係ないから~』(小島よしおの「そんなの関係ねぇ!」から台詞を、永井佑一郎のギャグ[1]からリズムを使用するというダブルパクリである。後に上記の『おしりおしりー!』と同じくガキの使いでの「山崎コソ泥裁判!!」において小島らによりパクリであることが暴露された。裁判の結果、有罪となった山崎は罰として蝶野正洋からのビンタを受け、この『関~係~ないから~』を含む多くのネタを封印させられた。ただし、初めてこのギャグを披露した時点でココリコの田中直樹が色んな人のギャグが入ってるとすでに発言しており、パクリ疑惑もネタの範疇と思われる。)
- 『山ちゃん、やったじゃああ~~ん』(雨上がり決死隊の「アメトーク」で初披露)
- 『ぼくは、ハネムーンベイビーやね~ん!!』
- 『ん~ゼロ!!』(司会者や共演者に「うまくいく可能性は?」「自信はある?」と聞かれて返すギャグ。ウエンツ瑛士はダウンタウンに「ウケる可能性は?」と聞かれこのギャグを返したがダウンタウンの二人に「邦正パクったな?」とつっこまれた)
- MBSラジオ『オレたちやってまーす』木曜日内において募集したリスナー発信のギャグ
- 『タレントオーラ出まくり、山崎邦正です!』(さまざまな番組にて登場時)
- 『みゅう?』(テレビ東京系列スキヤキ!!ロンドンブーツ大作戦内)
- 『怒った! 怒った! 怒った、ゾーウの鼻でチョン!』(フジテレビ系列めちゃイケてるッ!内)
- (囁くように)『まいまい、ままーい、まーい、まい。まいまい、ままーい、まーい、まい。山崎ぷーにゃん、山崎ぷーにゃん、明日朝早いから早くジャージに着替えて寝んとあかんわ。 まいまい…(以下繰り返し)』(フジテレビ系列めちゃ²イケてるッ! 内)
- 『いーとー巻き巻きいーとー巻き巻き、巻いて巻いてー…チキンラーメンどーんぶり!!』本来前半と後半は『いーとー巻き巻きいーとー巻き巻き、巻いて巻いてー…ウルトラソウルッ!!』と『のこったのこった!のこったのこった!はっけよ~い…チキンラーメンどーんぶり!!』という全く別のギャグであったが、もとの2つよりもウケなくなっている。
- モノマネ
- 浜田省吾
- 桑田佳祐
- 山崎努(顔マネ)
- 土井たか子(FUJIWARA原西のパクリなので封印)
- 『ダンシング・ベイビー』
- 『チャッキー』(映画『チャイルド・プレイ』より)
- 『ヤマラム』(『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラムのパロディ)
出演作品[編集]
テレビ番組(現在)[編集]
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!(日本テレビ)
- お笑いワイドショー マルコポロリ!(関西テレビ)
- よしもと黄金列伝!(読売テレビ)
- ドライブ A GO!GO!→ドラGO!(テレビ東京)準レギュラー
- かんさい情報ネットten!(読売テレビ、火曜)準レギュラー
スペシャル放送番組[編集]
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!大晦日年越しスペシャル(2005年より)、日本テレビ
テレビ番組(過去)[編集]
- 天才てれびくん(NHK教育テレビ)
- 天才てれびくんワイド(NHK教育テレビ)
- タモリのボキャブラ天国(フジテレビ)
- 志村X(フジテレビ)
- 今田耕司のシブヤ系うらりんご(フジテレビ)
- 週刊スタミナ天国(フジテレビ)
- 天使のU・B・U・G(フジテレビ)
- 加トちゃんマチャミのお台場CHA・CHA!!(フジテレビ)
- かざあなダウンタウン(テレビ朝日)
- わらいのじかん(テレビ朝日)
- 必撮ビデオ!!あんたが主役(テレビ朝日)
- アメトーク!(テレビ朝日)
- 生生生生ダウンタウン(TBS)
- ダウンタウン也(TBS)
- ダウンタウン汁(TBS)
- バリキン7 賢者の戦略(TBS)
- 進め!電波少年(日本テレビ)
- ヒューヒュー(日本テレビ)
- ものまねバトル(日本テレビ)
- おはスタ(テレビ東京)
- ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!(テレビ東京)
- ファンキーモンキー寛平先生がゆく!(朝日放送)
- なりたぁ~い!(朝日放送)
- ya・hoo High School Bus(関西テレビ)
- なるトモ!(読売テレビ)
- 脳内エステ IQサプリ(フジテレビ)
- オールスター感謝祭(TBS)
- ものまねグランプリ(日本テレビ)
- お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル(フジテレビ)
- 水野キングダム(サンテレビジョン・TOKYO MX他)
- おもいッきりDON!(日本テレビ系、2009年11月25日)※ココリコと3人でパネリストとしてゲスト出演。
- run for money 逃走中(フジテレビ、2011年1月16日、4月10日)
- 黒BUTA天国(テレビ東京)
- 城島茂の週末ナビ ココイコ!(テレビ朝日)
- 笑う妖精(テレビ朝日)
- プリプリ(毎日放送、火曜)
- ロケみつ ザ・ワールド(毎日放送)
- アッコにおまかせ!(TBS)準レギュラー
- 大阪発しゃべるランチタイム なにしよ!?(テレビ大阪、月曜)準レギュラー
テレビドラマ[編集]
- 竜馬におまかせ!(日本テレビ)徳川家茂役
- 代紋TAKE2〔3〕~獄中の狼たち~(日本テレビ)
- 明日があるさ(日本テレビ)
- 新宿暴走救急隊(日本テレビ)最終回
- スチュワーデス刑事6 ウィスラー~沖縄~ヴァンクーヴァー・愛と殺意の白い恋人たち(フジテレビ)
- 踊る大捜査線(フジテレビ)第1話
- ぽっかぽか(TBS)魚政さん役(毎週水曜に来る魚屋さん)
- 誰よりもママを愛す(TBS)第6話
- 時の渚~衝撃の運命 京都に秘められた禁断の愛(朝日放送)京都府警刑事・西尾雄二役
- 探偵家族(日本テレビ)第6話
- 結婚泥棒(NHK)第2話
- デカ 黒川鈴木 第9話(読売テレビ)窪田明男役
- めんたいぴりり2 (テレビ西日本)亀山留吉役
CM[編集]
ラジオ[編集]
現在の出演番組[編集]
- おしゃべりやってまーす(インターネットラジオK'z Station、2003年6月 - )不定期
過去の出演番組[編集]
- MBSヤングタウン(MBSラジオ)
- オレたちやってま~す(MBSラジオ、2000年10月 - 2003年3月)
- 月亭方正“ひとりぼっちでも大丈夫”(MBSラジオ、2010年6月21日、2010年12月20日)
映画[編集]
- ファンキー・モンキー・ティーチャーシリーズ
- アキハバラ@DEEP(2006年)
- YOSHIMOTO DIRECTOR'S 100「HERO」(2007年)(監督)
- 子猫の涙(2008年)
- チャイルド・プレイ チャッキーの種(DVD版)(声の出演)
オリジナルビデオ[編集]
シングル[編集]
- ヤマザキ一番(学級王ヤマザキの主題歌、メディアファクトリー)
- 青神 AiAi (作詞・作曲/山崎邦正 編曲/坂井壱郎・後藤孝広)
出版物[編集]
- うさぎ・邦正の人生バラ色相談所-苦悩の泥沼にハマッてしまった人へ-(大和書房)
- 山崎邦正写真集「奇跡」(遊タイム出版)
- 僕が落語家になった理由(わけ)(アスペクト ISBN 978-4-7572-2159-8)
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 1.2 山崎邦正、落語に本腰で大阪へ引っ越し(サンケイスポーツ 2012年8月21日11:22配信 2013年1月1日閲覧)
- ↑ 吉本興業株式会社 芸人プロフィール 月亭方正
- ↑ 高須光聖がラジオやブログで「芸歴は師匠クラス」と何度も述べている他、山崎VSモリマンではタメ口かつ傍若無人のホルスタイン・モリ夫も楽屋では山崎に敬語を使っている要出典
- ↑ 2003年4月25日にテレビ東京系列で放送された『最高!ブギウギナイト』での本人発言。
- ↑ 5.0 5.1 <私の恩人>月亭方正 落語家転身は東野幸治さんの助言がきっかけ、THE PAGE、2014年1月26日
- ↑ 東奥日報・2008年12月22日朝刊、スコップ三味線"世界大会"開催(Web東奥) (2008.12.21)
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 「月亭方正」で一本化 「山崎邦正」年内で卒業(大阪日日新聞 2012年12月29日配信 2013年1月9日閲覧)
- ↑ 8.0 8.1 「40歳でみつけた男の夢」 - ヘタレ芸人・山崎邦正、落語家人生を語る
- ↑ 山崎邦正「月亭方正」に改名、ガキ使は…(日刊スポーツ 2012年12月17日配信 2013年1月9日閲覧)
- ↑ 2010年6月29日、「笑っていいとも!」(フジテレビ系)出演時の発言。この際、タモリを初めとするほかの出演者はマイケル・シェンカーを知らず、名前を冠したグループ名の存在も知らず、そんなものがあるわけがないと云う様ないじられ方をされていた。また、その際には「ちょっとやってみて」とタモリに振られ、「ダダダダダダダダダダダダ(代表曲into the arenaの口マネ)、できるか~」とノリ突っ込みをしていた。
- ↑ 2010年3月9日放送『人志松本のためになる話』、本人談話より
- ↑ ガキの使い2012.7.30放送分
- ↑ 山崎邦正芸能生活17周年記念特番より
- ↑ 放送室より
- ↑ 松紳第47回放送
- ↑ 2008年2月24日、3月2日のレギュラー放送で『山崎 コソ泥裁判』が行われて判決が『蝶野ビンタの刑』となり、更にギャグ永久封印となった。
- ↑ 隠されたゴボウは収録前に浜田らが発見したため、本人の意に反して結局『ゴボウしばき合い対決』は予定通り決行された。
- ↑ 「QuickJapan」82号より。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 天満天神繁昌亭 落語家名鑑
- 月亭方正の奇跡 公式ブログ
- 月亭方正(@tukiteihousei)- Twitter
テンプレート:月亭方正 テンプレート:お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル王者 テンプレート:天てれ司会者 テンプレート:吉本新喜劇
このページはウィキペディア日本語版のコンテンツ・月亭方正を利用して作成されています。変更履歴はこちらです。 |