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2013年12月29日 (日) 13:08時点における最新版
本項目では日本のアナウンサーについて、また放送メディア以外のアナウンサーや、これに関連する職業について述べる。
目次
概要[編集]
「自分の声・言葉」を用い「広く一般に事象を伝達する」ということから、アナウンサーには正しい日本語能力を要求される。文法・アクセントの誤りはもとより、品のない言葉・放送上不適切な言葉を用いぬ配慮も要求される。また、報道を広く一般大衆に伝える社会的影響力は大きく、責任は重大である。メディアの前面に立つ花形職業であり、人気局におけるアナウンサー採用試験は数千倍の競争率ともされる「狭き門」で、「憧れの職業」のひとつである。テレビ局のアナウンサーの「タレント化・アイドル化」が進んで以降は、容姿・タレント性についても重視されるようにもなった。
主な業務[編集]
日本のアナウンサーの業務には、一般的に次のようなものがある。
- 報道番組や情報番組でニュースなどを伝える。スタジオ中継と現地リポートの場合がある。
- 各種スポーツの実況中継やリポート。
- 報道対象に対する取材やインタビュー。
- 番組の司会やアシスタント。
- ナレーション(VTRや、スポンサー名読み、番組宣伝CMなど)。
上記の「視聴者・聴視者」向けの職務のほか
- 番組出演の前打ち合わせと準備(メイクや衣装合わせ、原稿の下読みなど)、及び反省会。
- ディレクターを兼ねたり、編集作業の一部を担当(地方局やミニ番組では人員的制約によりこの傾向が強い)などの地味な作業もある。
- 放送局関連のイベントの司会など放送以外の業務もある。
- 活躍分野
報道・スポーツ・バラエティといった、担当する番組の傾向がはっきりしているアナウンサーが多い。特にテレビ局では、本人の希望や適性に応じて各分野ごとの人材育成や住み分けが図られるケースが多い。複数の分野に強い、オールラウンドプレイヤー的なアナウンサーも一部に存在し、特にラジオ局はその傾向が顕著である。
その職務はニュースキャスターやリポーターと重なる部分が多い。また場面によってこれらの呼称に変化することもある。ニュースキャスター#キャスターとアナウンサーの違いも参照。
また放送局所属のアナウンサーとそれ以外の#フリーアナウンサーに大別できる。
- 芸名(マイクネーム)
アナウンサーは基本的に本名を名乗るが、一部では芸名(マイクネーム)を名乗る。その理由として、本名の読み方が難しい場合や担当する番組の雰囲気に合わせることなどが挙げられる。また、番組によって本名とマイクネームを使い分ける例も見られる。(主に報道番組は本名、それ以外がマイクネーム)
マイクネームの付け方としては本名と全く違う名前を付ける例(くり万太郎など)や名前の全部もしくは一部を変える(野村邦丸やかつての上柳昌彦など)。また女性の場合、結婚や離婚で姓が変わった後も以前の姓を名乗る(小倉弘子など)。珍しい例では当人はハーフで当初日本名を名乗っていたものの、容姿に合わせて、本名の一部を使ったマイクネームを名乗る(滝川クリステルなど)。
歴史[編集]
ラジオ放送開始時には、当然ながら「経験者」や手本になる資料などは存在せず、また組織的な研修も出来なかったため、新聞記者や編集者から選抜されたものがこれにあたり、各自で話し言葉のスタイルを模索しつつ遂行した。
1925年3月22日、社団法人東京放送局(現在のNHK東京放送局)によりラジオ放送が開始され、東京日日新聞の運動部記者出身の京田武男が第一声を発した。放送開始時のアナウンサーは他に、大羽涛、熊崎真吉、桐野音次郎の3名。6月には翠川秋子が入局し、日本初の女性アナウンサーとなった。
日本初のスポーツ実況中継は、1927年8月13日、第13回全国中等学校優勝野球大会の札幌一中対青森師範の試合で、社団法人日本放送協会の魚谷忠(元銀行員)が担当した。
1953年2月1日、テレビ放送開始。第一声はアナウンサーではなく、NHK会長の古垣鐵郎の挨拶であった。1956年放送開始のNTVニュースで、初めてアナウンサーが画面に顔を出して原稿を読むスタイルが登場した。
1961年にNHKを退職、翌年民放番組の司会を担当した高橋圭三が日本初のフリーアナウンサーであるとされる。
放送局のアナウンサー[編集]
アナウンサーのうち、放送局の社員として活動している者は俗に局アナと呼ばれる。
雇用環境[編集]
局アナは、編成部門のアナウンス部あるいは放送部などに属している。労働条件については正社員のほか、契約社員として勤務している者もいる。局アナは「社員」なので、基本的に局内に机もあり、仮眠室・食堂・ネットワーク・保険など社内の施設・福利厚生を利用できる。
勤務内容[編集]
若手を中心に宿直・早番・遅番などの交代勤務があり、早朝や深夜の生放送を担当する場合も含め、勤務時間や生活サイクルが不規則になることが多い。報道・情報番組は準備のため放送開始2時間前には出勤する必要があるため、早朝番組で生放送する出演者は深夜(3~4時)に自宅を出る(もちろん公共交通機関は一切動いていないので、局差し回しのタクシー、または許可を受けて自家用車で出社。自動車通勤は交通事故の懸念から通常は許されていないが、地方局では通勤のための交通機関がない場合もあり自動車通勤が認められている放送局もある)など、その勤務実態は過酷である。職務の性格上、勤務は曜日が基準となり祝日も無関係であるが、一般に年に1回5日間程度のまとまった休みをとることが認められている(番組中で別のアナウンサーが「Aさんは今日からお休みですので私が代わって担当します」と挨拶する)。一部放送局では、労働組合との協定で週休二日制を強く守っている場合もある。社員であるため年次有給休暇も与えられるが、ほとんど消化できていないのが現状で、1〜2ヶ月まとめて消化してから退社するといったケースも多い。
人事[編集]
多くの放送局では、アナウンサーは専門職とされ、特に本人が希望した場合や報道記者への異動、海外支局への転出などの例を除き、異動の対象になることは少ない。また、近年は少なくなったが、所属する放送局が系列局を新設する際にアナウンス部門の指導員として新設局に出向するケースもある。
なお、近年では、アナウンサー個人のスキャンダルに対するペナルティとして、あるいはテレビジョン放送の完全デジタル化による負担増から来る人件費抑制策などにより、東京に本社を置く放送局も含め、人事異動を全社規模化するところが増えており、本人の希望によらずアナウンス業務から外す事例が珍しくなくなっている
別部署に異動していた元アナウンサーが復帰する例や、報道記者が転身する例もあるが、他部署から新たにアナウンサーになる例は少ない。また、アナウンス部以外の部署に所属していても番組出演機会がある場合、「アナウンサー」の名称を用いるケースもある。
専門職であるため、仕事を求めて別の局へと移籍するケースもある。中途採用の場合、こういった経験者がほとんどであるが、異業種からの転職も見られる。キャリアを重ねて管理職になると「チーフアナウンサー」や「エグゼクティブアナウンサー」の肩書きを持つケースが多い(主にNHK)。管理職もしくはベテランアナウンサーとなると、後輩の指導を行うほか、部内のアナウンサーのスケジュール管理などを行うため、番組出演がやや少なくなる傾向にある。アナウンサーが叩き上げで放送局の役員に就任した例としては、ニッポン放送の社長を務めた亀渕昭信(実際はアナウンサーではなくディレクター出身)が有名で、任期内にライブドアによる買収騒動があり、渦中の経営者として報道される側になった。なお、現職のアナウンサーの役員就任は、2003年に朝日放送取締役に就任した道上洋三(2007年に退任、現在は常勤顧問)や2001年にフジテレビ社長に就任した村上光一(現在は相談役)、などを除き稀で、多くは他部署に異動後、就任している(亀渕も編成制作部門を経て就任)。
様々な雇用関係[編集]
放送局の正社員・契約社員として所属している者のほか、芸能事務所・制作会社からの派遣社員も存在する。在京キー局ではTBSのTBSニュースバードのキャスターや、TBS954情報キャスター(ラジオのみの出演)等が派遣社員でほぼ派遣先の放送局の専属出演する。なお、局によっては「リポーター」「パーソナリティ」と称している場合もある。
フジテレビは、かつて「専属リポーター・司会者募集」の名目でアナウンサーを募集していた。これは当時同局に存在していた「労組・第二労組」の2組織に対し、創業者の鹿内信隆が、組合所属のアナウンサーをそのまま“アナウンサー”と呼び、第二組合の所属者を“リポーター”(正式名は「報道局解説放送室付リポーター」)や「司会者」と呼んで差別化を図っていた、いわゆる会社の内紛に起因した事象であった。当然ながら、どちらも業務内容は全く同じで、これがアナウンサー採用試験と知らずに受験した者もいたほどであった。田丸美寿々や辛坊治郎(辛坊はこの事実を知りフジテレビに入社せず、読売テレビに入社した)らもその一員とされる。
GyaOは「ギャオーディション」というオーディション番組で「局アナ」を募集した。これはGyaOでのアナウンス業務をはじめ、ドラマ・バラエティ・映画など、自社媒体の番組へ出演する者の公募であり、Gyaoを運営するUSENの社員としての募集ではないので、一般にいわれる局アナとは意味が異なる。
採用[編集]
新卒採用の場合、4年制大学卒業を必須としている局がほとんどで、さらに募集要領には年齢制限、留年制限を設けているところが圧倒的に多い。前述の通り非常に人気の高い職種であるため、その競争率は高い。居住地や出身地以外、さながら日本全国の放送局に対し応募書類を送ることも珍しくはなく、面接のたびに日本全国を行脚する志望者もいる。学生時代にアルバイトでアナウンサーやリポーターの経験を積むか、アナウンススクールで指導を受けた方が有利であるとされる。一部の大学には「アナウンス研究会」(アナ研)というサークルまで存在する。
採用試験では正しい日本語が話せるか、好印象を与える雰囲気・容姿を持つか、とっさの機転が利くかなどが重視される。語学やスポーツといった、業務に活かせる得意分野が求められる場合もある。
入社後は、数か月間の研修ののち、短時間のナレーションや提供読み、スポットニュースのような難易度の低いとされる業務に就き、多くの場合、入社後半年から1年でレギュラー番組出演となる(初めての生放送出演は「初鳴き」と呼ばれることも)。まれに、研修と平行して4月の入社時からレギュラー番組を獲得するケースもある。こういったケースは人員の少ないローカル局がほとんどであったが、近年はキー局でも見受けられるようになった。放送局などが直接運営するアナウンサースクールを実質研修の場と捉えていることが多い。
近年では、非大都市圏の放送局を中心に、コストダウンのため、新卒採用であっても正社員としてではなく、期間を区切った契約職として採用する事例が増えつつある。これらの場合、契約満了時に解雇するか、それとも契約延長または正社員転換で残留させるかは、それぞれの放送局の判断に委ねられている。
「女子アナ」とその背景[編集]
概要[編集]
「女子アナウンサー」を略しての言葉ではあるが、その「タレント化」が顕著であるとされる者を特に指し、揶揄的に用いられる場合がある。
1980年代後半以降に採用された女子アナの大半が、俗に言う「ブランド大学」の出身であり、またミスキャンパスに選出された経歴を持つ者も少なくない。また、業務上必要なアナウンス技術より、容姿を優先したり、誤読やトチリ等本来は許されないはずのミスを視聴率獲得のため珍重した結果、芸能人さながらの扱いを受けるケースが多いと見る向きもある。さらに2000年代以降は平井理央、紺野あさ美など入社以前に芸能活動を経験した者が女子アナとなる事例が見られる。
「下手な芸能人を使うより、自局の「女子アナ」を起用した方が視聴者受けがよく、しかも安価」、と彼女らを「商品化」するのは、「とにかく視聴率ありき」の放送局の姿勢と、これを受け入れる視聴者にも責があるといえよう。
その結果、キャリアを積み、「読みの技術」が高まった中堅アナウンサーを「若い方が良い」、「バラエティ番組で使いづらい」との理由で冷遇する傾向があり、これは「女子アナ30歳定年(限界)説」なる言葉をも生んでいる。
- 「売れっ子」女子アナはその多くが20歳代で、30歳前後の年齢を一つの転機と見るのは一般的なOLと同じである。さらに「見られる職業」の最たるものであるがゆえ、その「鮮度」が露骨に求められ、30歳頃までに人気や実力を確立できなかった者は、容赦なく裏方に配置替えされ、次々に姿を消していく。「女子アナ30歳定年(限界)説」はこういった事象を背景にしており、女子アナ本人がこれに言及している例もある。また、かつてフジテレビでは25歳での結婚退職を強制していた。
「女子アナ」の系譜[編集]
かつて女性アナウンサーの担当する分野は、料理、育児、手芸をテーマとする番組や、インタビューの聞き手などが主であった。
今日のようにタレント並みに注目を浴びる「女子アナ」につながる系譜は、1975年フジテレビに入社し、同局初の女性キャスターとなった後、女子アナ史上初のスキャンダルを起こした田丸美寿々(現在フリー、『JNN報道特集NEXT』アンカー)や、1978年NHKに入局し「TVガイド」の表紙を飾ったり、民放への大型移籍や玉の輿婚が話題になった頼近美津子(2009年没)らを端緒とする見方や、1980年代前半のフジテレビアナウンサーによる当時は異例だった「コント色の強いバラエティ番組への参加」から等、幾つかの見方がある。1977年入社の益田由美は、なるほど!ザ・ワールドで体を張ったリポートで、「ひょうきん由美」と呼ばれ親しまれた。1980年入社の山村美智子、1984年入社の寺田理恵子、1985年入社の長野智子は、オレたちひょうきん族に「ひょうきんアナウンサー」と称され司会を務めた。
「女子アナ」という言葉を誰が最初に作ったのかは定かではない。今とほぼ同じ意味での概念が成立し、この言葉が使われ始めたのは1980年代後半からとされることが多い。「女性アナ」という言い方ではこれ以前からあった。頼近のフジテレビ移籍を報じた1981年当時の週刊誌には「女性アナ」という表記がたくさん使われている。「女性アナ」という言い方がいいにくいため、「女子アナ」という言い方が定着していったのかも知れない1987年にフジテレビ出版から発行された同局アナウンサーを取り上げた書籍『アナ本』の中には既に「女子アナ」という表記が見受けられる。現在も「女性アナ」と表記することもある。「女子アナ」と「女性アナ」という表記が混在する記事もみられる。
- 続編として1991年に発行された『アナ本2』では、当時「花の三人娘」と呼ばれた、有賀さつき、河野景子、八木亜希子に焦点が当てられた。1993年には、日本テレビの人気アナウンサー永井美奈子ら3人からなるユニット「DORA」が結成され、CDをリリースした。
女子アナ路線はフジテレビ、次いで日本テレビが先行していたが、TBSには1993年に雨宮塔子が、1994年に進藤晶子が入社しそれぞれバラエティ番組とスポーツ番組で局の看板アナウンサーとなった。NHKには1994年に久保純子が入局し「紅白歌合戦」などに起用されNHKの看板アナとなった。以後女子アナ人気の定着とともに、各局とも女子アナと呼ばれるアナウンサーが増えていった。
1990年代後半から芸能事務所「セント・フォース」などは女性キャスター、リポーターに特化したマネージメント展開を行い、各局のニュース・ワイドショー番組に所属タレントを派遣。各局を退職したアナウンサーを所属タレントとして受け入れる他、学生の所属タレントがその後、出演していた局のアナウンス職として採用される事例も存在し(本田朋子など)、さらには局との共同出資で芸能事務所(フォニックス)を設立するなど、局と事務所、相互の関係を深めている。
また、滝川クリステル(共同テレビ→フリー)、葉山エレーヌ(日本テレビ)、加藤シルビア(TBS)など、ハーフのアナウンサーが多く起用される傾向も見られる。外国人とのインタビューに際し通訳を介さず直接取材できる人材としての帰国子女や海外留学経験者と同等の理由で採用されているが、日本人のハーフに対するイメージと番組起用の際ファッションモデル並の顔立ちが求められた結果ハーフの採用が多くなっている。滝川、葉山などは当初は日本名で活動していたが、局のイメージ戦略のために意図的に外国名を名乗っており、タレント化議論の一端となっている。
タレント化に関する論議[編集]
バラエティ番組やクイズ番組などにおいて、社会的常識に欠ける発言や回答をするアナウンサーが時折見られ、これを「資質低下」として批判する意見と、番組の盛り上げ役を果たしているとして擁護する意見が存在する。元日テレアナウンサーの石川牧子が「若者の読み書きの能力は年々低下している」、「入社希望の学生の漢字テストの成績が良くない」と語っている(ただしこういう若者論は、俗流若者論も参照)他、日本テレビOBの福澤朗も自身のブログで、「非常に憂慮している」とした上で、「テレビはもうアナウンサーを必要としていない」と苦言を呈している。有賀さつきは、出演者の瞬間的なリアクションに、自分を含めた番組製作者らは台本にはない魅力を共有しており、自分もボケの役割をある程度進んで引き受けていたことや、社会的常識があるはずの局アナのイメージを逆手に取った、演出の一面があったことを明かしている。
アナウンサーの資質低下が事実であるとしても、これを採用・育成したのは放送局であり、アナウンサーにどのような役割を期待するかは、局や製作プロダクションの意向によるものである。アナウンサー個人の問題もないわけではないが、放送業界全体の問題ととらえた方がより正確である。そもそも放送局がアナウンサーを「報道番組をはじめ局内のあらゆる番組に使えて出演料もいらないタレント」として採用・育成していると考えれば、「タレント化している」という批判はナンセンスであるとも言える。
「アナウンサーのタレント化」は娯楽の範囲内とする声がある。一方、アナウンサーの資質低下の容認は放送業界の傾向と姿勢の容認となり、それは視聴率主義の弊害に繋がっているという意見や、「言葉をつかさどる社会的責任」の軽視は番組の低俗化、ひいては文化の低俗化に繋がるとの意見もある。
スポーツアナウンサー[編集]
該当者はCategory:スポーツアナウンサーを参照。スポーツ中継の実況担当は男性アナウンサーが務めることが圧倒的に多い。
中立かつ冷静な放送が求められるアナウンス職にあって、自らの興奮や感動をストレートに表現することが許される分野で、野球のホームランシーンなどを大声で伝える「絶叫型」アナウンスがある。しかし、これを良しとしない意見もあり、視聴者・聴取者(リスナー)の好みによる所が大きい。また、世相や試合状況にアナウンサーが応えられるかにもよる。
- 1936年のベルリンオリンピックにおいて、水泳女子の前畑秀子選手が金メダルを獲得した際、ラジオ中継を担当していた河西三省は、激しいデッドヒートを受けて「前畑頑張れ!前畑頑張れ!」と38回連呼し、日本中に感動と興奮を伝えた伝説は有名。
- 一方で、2000年9月14日のシドニーオリンピック、サッカー日本代表の試合で得点の際「ゴール!」を20回以上(最大29回)叫んだ日本テレビの船越雅史の実況には多くの批判・抗議が寄せられた。
契約アナウンサー[編集]
契約局員 (NHK) ・契約社員(民放など)は「契約アナウンサー」と呼ばれる。人件費削減の波を受け増加傾向にあるが、契約社員の直接雇用等、今後の課題が残されている。
NHKは多くの場合、女性アナウンサーの事例にあてはまる。職員・契約を合わせたアナウンサーのうち、女性は職員アナが少なく、配属されていない地方放送局もある。その為、各放送局が個別で契約アナウンサーを採用する事が多い。
契約アナウンサーをキャスターまたはリポーターと称している。そこからNHKの正職員・局アナとなったのは、現在までのところ森田美由紀と荒木美和の2人。
近年では、地方の民放を中心に、契約社員を採用する局が増えており、非正規雇用がアナウンサーの分野にも広がっている。民放のアナウンサー採用試験を受けて入社した例は、中部日本放送の南部志穂、北海道テレビ放送の山下由妃、石川テレビ放送の安田真理、テレビ愛媛の大下香奈、名古屋テレビ放送の小出涼子などがある。
また、いわゆる平成新局を多く抱えるテレビ朝日のように、子会社を通じて系列局のアナウンサー人件費を肩代わりすることも行われている。このケースでは「派遣」の形態となり、基本的に雇用期間が区切られている。
フリーアナウンサー[編集]
この場合の「フリー」は、放送局と直接の雇用関係が無いことを指す。完全なフリーランスでなく、人材派遣事務所や芸能事務所などに所属している者もこう呼ばれる。
局アナとフリーアナウンサーの仕事内容に実質的な違いはないが、局アナは社員としての給与と仕事の供与、労働三権が保証されている代わりに、社命である業務や異動(勤務地が大きく変わる事はないが、別の分野を担当させられる)を基本的に断れない。要は局アナは「会社員」(日本放送協会のみ「団体職員」)であり、その権利と同時に組織の一員としての義務を負い、局の方針に反する事は出来ない。一方フリーアナウンサーは芸能人でもあり、仕事は、事務所や知り合いの紹介、オーディションなどを通じ、自ら獲得する必要があるが、その内容は当然選ぶことができる。報酬は実力次第で、有能なフリーアナウンサーは局アナよりも高額の収入を得られるケースもあるが、各種手当や福利厚生もなく、業務必需品は自分で揃える必要がある。また、仕事のミスに対する批判は、組織構成員である局アナ以上にシビアであるとされる。
最初からフリーアナウンサーとして活動する者や、別業種からの転職者もいるが、局アナがその経歴と知名度を生かし、所属局を退社=「独立」してのケースが多い。その動機は「自分を試したい・仕事の幅を広げたい」や、一説には「フリーになれば10倍以上になる」といわれる収入面での問題が多いとされる。
詳細はフリーアナウンサーを参照。
司会業[編集]
詳しくは司会を参照
選挙関連[編集]
選挙立候補者の応援演説や、選挙カーから候補者名や政策を連呼する活動が知られる。女性の場合、その声の美しさを鳥に例え「ウグイス嬢」と呼ばる。男性の場合「カラス君」の俗称があるが、女性が一般的なのであまり使われない。
場内アナウンス[編集]
競技場やホールなどで、選手交代や演目などの案内を観客に告げる職業。女性の場合「ウグイス嬢」の俗称がある。
ナレーターコンパニオン[編集]
商品説明や司会進行を担当するイベントコンパニオン。
これら以外にも「パーソナリティ」、「ディスクジョッキー」、「声優」、「ナレーター」、「朗読家」なども求められる資質が似ていることから、アナウンサー業と掛け持ちする例もある。
ご当地アナウンサー[編集]
そのものずばり、放送局が存在する地域出身のアナウンサーを指す。
NHKは全国組織であるため、基本的に一定年数同じ地域に勤務した場合は、他の地域へ転勤となる。このため、出身地で勤務できる可能性はそれほど高くない。しかし、逆に地元勤務となった場合は、そのことを最大限に利用して、地域社会に貢献することができる。近年各放送局の役割再強化を図っているNHKに於いては、ご当地アナウンサーは重要な戦力となる。
- 富山では、山田重光が一旦現在の勤務地福岡を離れてUターンして以降、アナウンスを統括する放送部副部長が3代続けて地元富山県出身者となっている。
- 隣の新潟では、2009年8月の時点において、6人いるアナウンサーの半分が地元新潟県出身者である。拠点局ではない一般放送局でこうした事例はまれである。
- 更にそのお隣の山形では、柴田徹がUターン後、山形弁でふるさとを語るバラエティ番組『今夜はなまらナイト』を立ち上げ、今や全国にファンを有する。
民放はNHKと異なり、特定地域だけをエリアとする。「キー局」と呼ばれる在京局も、本来は東京都または関東のローカル局である。当然のことながら、NHK以上に地域に根差した活動を行っている。
民放の中には、法令改正で差別的雇用が禁じられるまで、アナウンサーの採用にあたって、その放送局が所在する都道府県の出身者に限るという条件を付ける場合があった。
- サガテレビでは、少なくとも20世紀いっぱい、正社員としてのアナウンサー採用を佐賀県出身者に限っていた。県外出身者については、あくまでもニュース番組のアシスタントとしての扱いであった。現在は特に女性アナウンサーを中心に、契約職採用に切り替えたため、こうした制限は無くなった。
- テレビ大分では、現在でもアナウンサーの採用を大分県出身者に限っている模様である。公式サイトで紹介している「アナウンサー」は全員県内出身者で、生まれが県外の小笠原正典も、「県内育ち」であることを併記している。
参考文献[編集]
- NHKアナウンサー史編集委員会 『アナウンサーたちの70年』 講談社、1992年、ISBN 978-4062032322。
- 日本放送協会 『20世紀放送史』 日本放送協会、2001年、ISBN 978-4140071991。
- 小松克彦、女子アナ愛好会 『新・女子アナ時代』 双葉社、2000年、ISBN 978-4575290769。
- 共同通信社 『アナウンサーのすべて[女性編]』 共同通信社、1998年、ISBN 978-4764130364。
- 岡野敏之 『女子アナぱこぱこ大図鑑』 讀賣新聞社、1993年