鮫島事件
鮫島事件(さめじまじけん)は、匿名掲示板2ちゃんねるなどで時おり言及される架空の事件。都市伝説を装った巧みなジョークである。その一方でジョークであることを証明するものはなく、実際の所は定かではない。
概要[編集]
そもそもの発端は、「伝説の「鮫島スレ」について語ろう」というスレッドであった。その最初の内容は
ここはラウンジでは半ば伝説となった「鮫島スレ」について語る スレッドです。知らない方も多いと思いますが、2ちゃんねる歴が 長い方は覚えてる人も多いと思います。 かくいう俺も「鮫島スレ」を見てから2ちゃんねるにはまった ひとりでして、あれを見たときのショックは今でも覚えています。 誰かあのスレ保存してる人いますか?
というもので、知らない人(と言っても事件そのものが実在しないので誰も「知らない」のだが)の好奇心を誘う秀逸な書き方であった。これまで数多くの鮫島事件に関するスレッドが立てられ議論された流れの中で、「鮫島=タブー」という約束が出来上がり、人が死んだ、公安が絡んでいるなどの情報が創造されていった。
その後も、ふとしたきっかけから鮫島事件という名前を耳にした人の「鮫島事件とは何か」という書き込みに対して、定期的に挙げられる話題のため「ネタだからやめろ」という者や、面白がって「あれは2ちゃんの影の部分だ」「あの事件のことを思い出させるな」などの書き込みを行ったり、いかにもそれらしい断片的な情報を書いたりすることで、「本当のところは教えてもらえないけれど何かあるらしい」というイメージを植え付けていく者によって鮫島事件は混沌さを増していき都市伝説レベルのネタとして成立していた。
諸説[編集]
ジョーク説[編集]
一説によれば鮫島事件は架空の事件であり、それ自体がジョークであったとも言われている。発祥とされるスレッドが立ち、数千もの発言が交わされてから数日後、ラウンジ板にはそのスレッドを立てた張本人を名乗る者が現れ[1]、鮫島事件について知っている口ぶりでスレッドを立てた人物>>1と、同スレッドで鮫島事件について執拗に質問を繰り返すレス番号>>16が同一のID(識別子)であることを指摘し、発端となる書き込みは自分が発想したジョークであり、発祥とされるスレッドのうち序盤の>>1番から>>30番までの書き込みの多くは自分の自作自演であると説明している[1]。指摘を行った人物が発祥スレッドを立てた人物と同一人物であることを証明するものは何もないが、発祥とされるスレッドを立てた人物>>1とそのスレッドの質問者>>16のIDが一致していることは、両者の書き込みが同一IPアドレスからのものである可能性を示しており(詳細は「2ちゃんねる#「名無し」の存在」を参照)、自作自演である可能性を裏付ける。
つまり鮫島事件なるものは存在せず、発端となる自作自演以降にも追加されていったもっともらしい情報は、ジョークを面白がった者たちによって創作され付け加えられ内容ということになる。この事件をジョークとする観点からは、鮫島事件とは「ウェブ上のハイパーリアリティ[注 1]の自走に自覚的な人たちが共犯となって、ハイパーリアリティを自分たちで構築していくゲーム」、「リテラシーを共有するためのネタ」、「互いのリテラシーを確認し合い、高め合うゲーム」であるとされる[2]。鮫島事件というジョークが定着した理由に、掲示板という顔の見えない文字だけのコミュニケーションであること、当時の2ちゃんねるは現在よりもアングラ色が強かったため、実際に事件が起こっていても不思議ではなかったこと、柏駅・立命館などの実在の固有名詞が随所に含まれていたことなどが考えられる。
真実である可能性[編集]
発祥スレッドを立てた張本人を名乗る者によって、事件がジョークであると宣言された後も、この噂は収束せず、鮫島事件は語り継がれ、真偽の定かではない様々な情報が追加されつつも、都市伝説であり続けている。2ちゃんねる掲示板の仕様上、異なるIPアドレスからの書き込みであっても偶然にIDが被ることは少なくなく、また、本当に事件が「2ちゃんの影の部分」であり、2ちゃんねるの運営や公安警察が絡んでいるのであれば、IDを操作したり、ログを改竄したりすることも可能である。
鮫島事件が存在しないことを証明することは悪魔の証明であり、誰にもそれを成し遂げる事はできない。それと同時に、その事件の全容についてもはっきりしたことは分からず、不明瞭なままとなっている。
定着した理由[編集]
鮫島事件というジョークが定着した理由に、掲示板という顔の見えない文字だけのコミュニケーションであること、当時の2ちゃんねるは現在よりもアングラ色が強かったため実際に事件が起こっていても不思議ではなかったこと、柏駅・立命館などの実在の固有名詞が随所に含まれていたことなどが考えられる。
最近ではWikipediaの誰もが編集出来るという特徴を逆手に取って、当記事をも巧みにネタへ取り込んでいる様が伺える。「真実を投稿しようとしても必ず何者かに削除される」など。
2ちゃんねるの管理人である西村博之の言葉として、「嘘を嘘と見抜けないと(2ちゃんねるを)使うのは難しい」というものが知られている。
「鮫島事件」が嘘の事件であるにもかかわらず、時折思い出した様に言及され、「それだけはやばい。」というお約束の反応が書き込まれるのは、2ちゃんねるに書き込まれた情報は、とりあえずは嘘として疑ってかからなければならない事と、事の真偽を読み手自身が検証しなければならない事、そして、それが不可能な場合は、真偽の判断は保留したままで、ネタをネタとして楽しむ事が求められているという事を端的に示している。
勿論、これは2ちゃんねるに限らず、不特定多数が書き込む事ができるウェブサイトにおいては、(サイトの主旨にもよるが)至極当たり前な事である。(2ちゃんねるとは大きく主旨が異なるWikipediaでさえも、不特定多数が編集できるウェブサイトである事には変わりない。百科事典であるWikipediaにおいて、「真実性」よりも「検証可能性」が重視されているのは、読み手自身に対して、内容を検証して真偽を確認する機会を保障しなければならないからである。つまりそれが実在したか否かが重視される)
なお、実際に起きた「事件」は、如何に隠蔽しようとも証言者その他が現れるために消す事が出来ないが、起きていない「事件」の存在証明は、虚偽が発覚すればそこからレゾンデートルが破綻するために出来ない。好例が、ウィキペディアにおける「ビコリム戦争」の項目である。
結局、纏めると鮫島事件そのものがジョークだったということになる。
備考[編集]
「週刊将棋」(日本将棋連盟発行の週刊紙)連載の漫画『輪廻の香車(ヤリ)』中での棋士殺人事件の一つが「鮫島事件」と呼称されている。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 現実の事件などとは関係のないところで、あるいはオリジナルとなる事件やリアルそのものが存在していない状態で、メディア上などで実体に基づかないイメージだけが暴走した結果、構築された現実感(リアリティ)。ジャン・ボードリヤールが用いた概念。『ウェブ炎上 - ネット群衆の暴走と可能性』 荻上チキ p118参照
出典[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
鮫島事件に関する2ちゃんねるのスレッド