酒梅組
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酒梅組(さかうめぐみ)は、大阪府大阪市西成区に本部を置く暴力団。指定暴力団であり、総構成員数は2007年の暮れにおける報告でおよそ160人。博徒系。
来歴[編集]
1873年(明治6年)生まれの初代・鳶梅吉は10代後半頃から賭場に出入りし、会津の小鉄の若頭であった長谷川伊三郎に師事したのち、三名の実弟を率いて大阪難波を中心に勢力を拡大。1933年(昭和8年)における鳶の病没に伴い田中勇吉が二代目を襲名するも、それからわずか2年後の1935年に田中が死去。松山庄次郎が三代目を継承した。松山は山口組の田岡組長と対等の兄弟分関係を結び、1961年に63歳で没するまで田岡と親交関係にあった。松山亡き後の四代目を中納幸男が継承、さらに1979年に谷口正雄が五代目を襲名している。
1993年(平成5年)の5月26日、大阪府公安委員会は酒梅組を指定暴力団に指定した。
八代目酒梅組[編集]
南喜雅が、酒梅組八代目を継いだ。
2003年4月、保守新党の代議士松浪健四郎の私設秘書の給与275万円を酒梅組系の建設会社が肩代わりしていたことが発覚した。
歴代組長[編集]
- 初 代:鳶梅吉
- 2代目:田中勇吉
- 3代目:松山庄次郎
- 4代目:中納幸男
- 5代目:谷口正雄
- 6代目:大山光次(本名は辛景烈)
- 7代目:金山耕三朗(本名は金在鶴)
- 8代目:南喜雅(本名は南與一)