浅草橋ヤング洋品店

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浅草橋ヤング洋品店』(あさくさばしヤングようひんてん)は、1992年4月14日から1996年3月31日までテレビ東京系列局で放送されたテレビ東京LOCOMOTION制作のバラエティ番組である。

概要[編集]

元はファッション情報番組としてスタートした番組で、当初は若者向けのファッションやサブカルチャー等を紹介していたが、放送開始から半年後の1992年10月に日曜21時枠へ移動したのを機にバラエティ要素を取り入れるようになり、周富徳周富輝兄弟や金萬福といったユーモラスなパフォーマンスを売りにした中華料理人や、江頭2:50宮路年雄といったキワモノ系の人材を数多く起用するようになった。以来、彼らはテレビ番組への露出が増えていった。

その後、1995年10月に後継番組『ASAYAN』がスタートすると、同番組の前半枠内包番組として放送されるようになった。また、同番組への内包以降にスタートしたオーディションコーナー「コムロギャルソン」が人気を博すようになると、オーディションを主体とするバラエティへと変貌した。番組終盤になると殆どのレギュラーが姿を消していき、コーナーも変わり、吉本興業の若手芸人が出演するチャレンジ番組の様相を呈するようになった。

この番組が持っていた制作方針の奇抜さや計画性の不明確な点は、演出を担当していたテリー伊藤と制作会社のLOCOMOTIONの特徴である。番組名については、「日常服ファッションの問屋街(横山町)の最寄り駅である浅草橋を入れた」(伊藤輝夫=テリー伊藤)。

放送時間の変遷[編集]

期間 放送曜日 放送時間(JST
1992.4.14 1992.9.22 火曜日 21:00 - 21:54(54分)
1992.10.4 1995.9.24 日曜日
1995.10.1 1996.3.31 21:00 - 21:25頃(25分)

補足[編集]

  • 火曜日時代の放送枠はローカルセールス枠であり、一部地域では未放送だった。

出演者[編集]

司会[編集]

単独番組時代

  • 小林幸子 - 番組初期のメインMC。番組内での呼称は「店長」。ただし不在時も多かった。1993年3月をもってレギュラーから降板(以後、不定期出演に)。
  • ルー大柴 - サブMC(但し、実質的には司会経験の乏しい小林に代わって、開始当初より番組のメイン進行を担当)→1993年4月よりメインMC。
  • 清水ミチコ - サブMC。
  • 近田春夫 - 当初はコーナー担当のレギュラーとして出演していたが、小林幸子のレギュラー降板後、サブ司会格に昇格。

『ASAYAN』内包時代

  • 浅草キッド - 単独番組時代の初期よりレギュラー出演。番組浮上のきっかけとなった「中華大戦争」シリーズを皮切りに、同番組の人気ロケ企画の大半でレポーター・ロケの司会進行役を担当し、本来の司会者であったルー・清水以上に「浅ヤンの顔」として視聴者から認知されていたことからリニューアルを機に正式な番組MCへと昇格。

レギュラー[編集]

メイン

料理編

水戸黄門編

その他

  • 整形シンデレラ
  • 江頭グランブルー
    • 江頭2:50(えがしらにじごじゅっぷん)が有名人と水中無呼吸対決を行う。タイトルの由来は映画『グラン・ブルー』。4分14秒の大記録を叩き出してディレクターストップがかかった後、

    エンゾ清水(清水圭)に「お前はチンピラ芸人なんかじゃない、!立派な、日本一の男だ!」言わしめた対決は伝説となっている。

  • ロールスロイス対決
    • 宮路年雄社長(城南電機社長)VS石井秀忠医院長(大塚美容外科医院長)
  • ヒッピーヤッピーになれるか
    • 芝公園で起臥寝食しているホームレスに洗練された衣装を着せて、その外観の変化を比較する企画。各方面から苦情が相次ぎ、短期間で終了した。
  • 48時間耐久マラソン
    • 東京から長距離を走り切る企画。2回行われ、2回とも江頭2:50が完走を果たした。
  • 浅ヤン実験室 - 洋服にまつわる様々な実験を行った初期の人気企画。浅草キッドや大川興業、デビュー当時のナインティナインらが体を張って様々な実験に挑んだ。
  • 大喧嘩対決
    • フジテレビの『オールスター紅白大運動会』(1994年 - 1996年放送の復活版)の収録中に掴み合いの大喧嘩をしたコンビが、遺恨決着のための真剣勝負を行うというもの。坂本一生VS工藤兄弟藤原喜明VSチャック・ウィルソンの勝負があった。しかし、勝負の最中でもエキサイトし、本当の喧嘩に発展しかかることが頻繁にあった。
  • ファッションクイズ
  • 借金返済プロジェクト
    • バブル崩壊にて株式投資に失敗し多額の借金を背負っていた畠山みどりが、体を張って様々なチャレンジを行う。
  • スクールジャージーでダンス選手権
  • 元祖「ボーイッシュ・チーター」下町で働く
  • 闇のパチンコワールドカップ
  • なりきり○○大会(飯島愛、YOSHIKI)
  • ナインティナインの史上最低のバンド大作戦

エピソード[編集]

  • この番組は、元々は1991年に吉本興業・電通IVSテレビ制作の3社がテレビ朝日に同名の企画を持ち込んだものであるが(MCにはダウンタウン野沢直子を予定)、最終的にボツにされ、その翌年にキャスティングを上記のタレント勢に変えたものをテレビ東京に持ち込んで採用されたという経緯がある。
  • 日曜21時枠へ移動してからは、EDWINなどの番組ジャンルに相応しい衣料系メーカーがスポンサーに付くようになったが、一方でマルフクぶんか社など、ゴールデンタイム(しかも日曜の夜)の雰囲気とは程遠い企業もスポンサーに付いていた。なお、マルフクは同日曜21時枠がテレビドラマ枠だった頃からのスポンサーである。また、EDWINは後継番組『ASAYAN』が終了するまでスポンサーを務め上げた。
    • またテレビ東京に限りダイクマもスポンサーに付いており、系列各局ではCMが放映されていなかったため、日曜21時枠移動当初もローカルセールス枠扱い(系列各局が独自で「ダイクマ」を除いた提供クレジットを送出)であった。ダイクマがスポンサーを降板して以降は提供クレジットもテレビ東京送出に移行した。
  • 浅草キッドとも親交の深かった電気グルーヴは、アーティストとして2代目オープニングテーマ「SNAKEFINGER」を提供したり、ファッションチェックのコメンテーターとして出演したりしていた。また、石野卓球ピエール瀧の2人は一度だけ中華大戦争のリポーターとしても登場している。なお、当時電気グルーヴのメンバーだった良徳砂原は、同じ日にフジテレビの『カルトQYMOカルトキング決定戦の収録に参加していたために欠席していた。
  • 2005年7月8日に、この番組の映像を収録したDVD『浅草橋ヤング洋品店 魂の在庫一掃大セール DVD-BOX』がジェネオンエンタテインメントから発売された。そのDVDの発売を記念し、2005年7月10日(日曜日) 22:00 - 23:24 (JST) にテレビ東京系列で『浅草橋ヤング洋品店 復活したら始末書乱れ飛びスペシャル!』と題して一夜限りの復活を遂げた。同特番には、当時の出演者である浅草キッドと江頭2:50に加え、バラエティ番組への出演は久々となる堀江貴文あびる優らが出演したが、視聴率は7%台に留まった。
  • ナインティナインは当初の番組出演において、「存在が浮いている」「事務所が無理矢理ねじ込んだ」「(僕たち)ルーさんたちとあまり話してなかったでしょ」と言って乗り気ではなく、鬱になっていたようである。番組企画で出した清水ミチコとのデュエット「愛した人はバツイチ」は、たびたびナイナイの芸能史の汚点として語られている(『復活したら始末書乱れ飛びスペシャル!』と『ナインティナインのオールナイトニッポン』より)。

94年から火曜日は鑑定がやっている

主題歌[編集]

オープニングテーマ[編集]

エンディングテーマ[編集]

スタッフ[編集]

外部リンク[編集]