栃煌山雄一郎
栃煌山 雄一郎(とちおうざん ゆういちろう、1987年3月9日 - )は、高知県安芸市出身で春日野部屋所属の現役大相撲力士。本名は影山雄一郎(かげやま ゆういちろう)。身長188cm、体重150kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は西前頭4枚目(2007年5月場所)。
来歴[編集]
土佐ノ海と同郷(栃煌山の新入幕の場所では同じ前頭14枚目)。市立安芸中学校3年の時、中学生横綱となる。明徳義塾高進学後は埼玉栄高の澤井豪太郎(現:豪栄道)と切磋琢磨し良きライバル関係を築いた。
高校卒業を待たず2005年1月場所に澤井と同時に初土俵を踏む。入門からしばらくは出世レースで澤井の後塵を拝するも、自身も驚異的なペースで出世を続け、すぐに澤井に追いつく。2006年5月場所は最高位の西幕下3枚目で5勝2敗の好成績を修めたが、幕下に陥落する力士が少なかったために、十両には昇進できなかった。しかし翌7月場所には東幕下筆頭で6勝1敗とし、澤井に先んじて十両昇進を果たした。
初土俵から所要10場所での十両昇進は貴花田(後の横綱・貴乃花)、横綱・朝青龍、露鵬、時天空と並ぶ史上9位タイのスピード出世で、初土俵から負け越しなし。また、十両昇進と同時に四股名を本名の影山から栃煌山に改めた。この場所で9勝6敗と勝ち越した。
2007年1月場所は西十両2枚目まで番付をあげ、10勝5敗で優勝同点。霜鳳(当時、霜鳥)、豊響との優勝決定戦で敗れたものの(優勝は豊響)、3月場所では見事新入幕を果たした。初土俵から13場所での新入幕は旭富士、貴花田(後の貴乃花)、武蔵丸、豊真将に続き史上9位タイ。本人は幕内勝ち越しを目標に掲げていたが、師匠の春日野は期待をこめて10勝と敢闘賞獲得を命じた。すると新入幕ながら終盤まで優勝争いにも参加し、11勝4敗の成績を修め、見事に敢闘賞を獲得することができた。
西前頭4枚目に上昇して迎えた5月場所は、やや力の差があったのか、前に出る相撲があまり冴えず、初土俵以来初めての負け越しを喫した。その後は休場と負け越しで、パッとしない場所が続いている。特に9月場所は7勝3敗からの5連敗だった。また、翌11月場所の2日目に勝利するまで6連敗していた(その取り組みも物言いがつくものだった)。
十両昇進会見では「横綱になる」と色紙に書いている。自他共に語っているが、前に出る相撲が身上である。素材は高く評価されており、同学年の稀勢の里、豪栄道らと共に、日本人関取再興の一番手として早くも将来が期待される力士の一人である。
略歴[編集]
- 2005年(平成17年)1月場所‐初土俵
- 2005年(平成17年)11月場所‐三段目優勝(全勝、このとき豪栄道は幕下優勝)
- 2006年(平成18年)9月場所‐新十両(初土俵から所要10場所のスピード記録)
- 2007年(平成19年)1月場所‐十両優勝同点(優勝は豊響)
- 2007年(平成19年)3月場所‐新入幕(敢闘賞を受賞)
幕内での場所別成績[編集]
2007年11月場所終了現在
場所 | 地位 | 勝数 | 敗数 | 休場 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
平成19年(2007年)3月 | 東前頭14枚目 | 11 | 4 | 0 | 敢闘賞(初) |
平成19年(2007年)5月 | 西前頭4枚目 | 6 | 9 | 0 | - |
平成19年(2007年)7月 | 東前頭7枚目 | 4 | 6 | 5 | 途中休場 |
平成19年(2007年)9月 | 西前頭13枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成19年(2007年)11月 | 東前頭15枚目 | 7 | 8 | 0 | |
通算 | 35 | 35 | 5 | 敢闘賞(1) |
主な成績[編集]
2007年11月場所終了現在
- 通算成績: 113勝65敗5休(18場所)
- 幕内成績: 35勝35敗5休(5場所)
- 十両成績: 28勝17敗(3場所)
- 三賞
- 敢闘賞: 1回(2007年3月場所)
改名歴[編集]
- 影山 雄一郎(かげやま ゆういちろう)2005年1月場所 - 2006年7月場所
- 栃煌山 雄一郎(とちおうざん ゆういちろう)2006年9月場所 -
エピソード[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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