昭和ノスタルジー
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昭和ノスタルジー(しょうわノスタルジー)とは、日本人の感情のひとつで、昭和時代(主に昭和時代中期~後期までの高度経済成長期およびそれ以降の時期)の社会や文化を懐かしむ感情のことをいう。
語源・定義など[編集]
昭和時代は64年(厳密には62年と2週間)にわたって続いており、その間に日本では政治・経済・社会事情の大きな変化が繰り返されているが、昭和ノスタルジーの対象とされる「昭和」とは、いわゆる高度経済成長と呼ばれる1950年代半ばから1970年代初頭(昭和30~40年代)の間の時期を指すことが一般的である。ただし、その時期以降からの昭和時代全般、すなわち1970年代後半~1980年代前半(主に昭和50年代)の時期を含める場合もあり、その点で曖昧性のある言葉である。いずれにしても、昭和時代の中でも昭和時代初期にあたるいわゆる戦前から第二次世界大戦敗戦後の混乱期までの時期と、昭和時代最末期にあたるバブル景気の時期は対象とされることはない。
高度経済成長期の社会や文化を懐かしむ風潮は1980年代後半の昭和時代末期に始まり約20年後の現在まで続いているが、平成時代に入り、昭和時代が過去のものとなっただけでなく、社会や文化の変化がさらに進んできたことから、昭和ノスタルジーと称されるようになった。
昭和30年代を懐かしむ理由として、今より人々が親密で同じ前提を共有しているため動機の理解が容易で、相互扶助の志向があった点が、人々に今とは違う時代を感じさせることが挙げられる。だがその一方で昭和30年代は生活が貧しく不便で、四大公害病を初め環境問題も起こっていた時期だった。また、職業選択の自由に代表されるように個人の自由が少ないなど、必ずしもいいことづくめではなかった。
近年の昭和ノスタルジーブームではこれらマイナス面は表に出されないうえ、昭和30年代の「いいところ」を捨てていった40代以上の人たちが余りに過去を持ち上げる姿勢には異論も多い。後述のクレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲もそうした風潮に警鐘を鳴らす作品である。
昭和ノスタルジーの対象となる事物・人物[編集]
人物[編集]
(スタブ)
その他の事物[編集]
昭和30年代から40年代にかけて広く使われたが、その後に代替となるものが開発されたり、社会事情の変化で不要になったりして廃れていったもの、廃れていきつつあるものが対象となる。
- 蒸気機関車(および蒸気機関車が牽引する客車列車)
- 路面電車
- オート三輪
- リヤカー
- ボンネットバス
- モノクロテレビ受像機(いわゆる白黒テレビ)
- ダイヤル式の電話機
- フラフープ
- ちゃぶ台
- 駄菓子屋
- 銭湯
- 木造校舎
- 紙芝居
- ポン菓子
- 蚊帳
- 豆炭
- 練炭
- あんか
- 湯たんぽ
- 氷嚢
- レコード
- ダルマストーブ
- ブルマ
…など
具現化[編集]
昭和ノスタルジーの対象とされる、昭和30年代以降の社会を背景にしたテレビドラマや映画などは数多く製作されている。三丁目の夕日やフラガール、地と骨、クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲が有名なところ。涙そうそうも今とは違う沖縄を懐かしむ映画だ。おもひでぽろぽろも懐かしい風景が描かれている。
三丁目の夕日は古きよき時代を賛美する内容であるが、クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲はそうした後ろ向きな風潮に警鐘を鳴らす面を持っている。21世紀を取り戻そうと戦う子供たちは、「昔は良かった」と言って進歩しようとしない大人へのアンチテーゼである。同じようにロックシンガーの桑田佳祐は自身の楽曲「明日晴れるかな」に同様の意図を込めていると語っている。最近ではSFX・VFX技術が進歩し、より緻密な再現が可能となっている。
昭和30年代に使われた個々の物品を保存する試みは多くの個人や企業・団体などによってなされている(或いは、たまたま昭和30年代から使い続けている例もある)。大分県豊後高田市では、昭和30年代から建物の建て替えが進まず衰退した中心商店街を逆に活かし、昭和30年代の町並みを再現して「昭和の町」と命名し、観光地化を進めている。
新横浜ラーメン博物館は昭和の下町を再現した造りになっており、好評を博している。東北地方に展開する焼き肉レストランやき組の店内も、昭和の横丁のようなつくりになっている。