新代田駅
新代田駅(しんだいたえき)は、東京都世田谷区代田五丁目にある、京王電鉄井の頭線の駅である。駅番号はIN06。
年表[編集]
- 1933年(昭和8年)8月1日 - 帝都電鉄の代田二丁目駅として開業。
- 1940年(昭和15年)5月1日 - 小田原急行鉄道に合併し、同社帝都線の駅となる。
- 1942年(昭和17年)5月1日 - 小田急電鉄が東京急行電鉄(大東急)に併合。
- 1948年(昭和23年)6月1日 - 東急から京王帝都電鉄が分離し、同社井の頭線の駅となる。
- 1966年(昭和41年)7月21日 - 新代田駅に改称。
駅構造[編集]
相対式ホーム2面2線を有する地上駅で橋上駅舎を持つ。ホームは掘割内にあり、駅の上に環状七号線(環七通り)が通っているため、ホームの一部は道路下にある。改札口は環状七号線の道路沿いにある。
改札口とホームとの間には車椅子対応エスカレーターおよびエレベーターが設置されている。トイレは1番線ホームにあり、ユニバーサルデザインの一環として「だれでもトイレ」も設置されている。
のりば[編集]
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■井の頭線 | 下り | 明大前・永福町・久我山・吉祥寺方面 |
2 | ■井の頭線 | 上り | 下北沢・渋谷方面 |
利用状況[編集]
乗降人員および乗車人員の推移は下表のとおりである。
年度 | 1日平均 乗降人員 |
1日平均 乗車人員 |
出典 |
---|---|---|---|
1955年(昭和30年) | 9,012 | ||
1960年(昭和35年) | 10,362 | ||
1965年(昭和40年) | 12,005 | ||
[2] 1966年(昭和41年) | 12,271 | ||
1970年(昭和45年) | 12,391 | ||
1975年(昭和50年) | 10,189 | ||
1980年(昭和55年) | 8,976 | ||
1985年(昭和60年) | 13,589 | ||
[3] 1987年(昭和62年) | 14,376 | ||
1990年(平成 | 2年)11,547 | 5,723 | [4] |
1991年(平成 | 3年)5,762 | [5] | |
1992年(平成 | 4年)5,759 | [6] | |
1993年(平成 | 5年)5,677 | [7] | |
1994年(平成 | 6年)5,767 | [8] | |
1995年(平成 | 7年)11,657 | 5,844 | [9] |
1996年(平成 | 8年)5,753 | [10] | |
1997年(平成 | 9年)5,570 | [11] | |
1998年(平成10年) | 5,252 | [12] | |
1999年(平成11年) | 4,566 | [13] | |
2000年(平成12年) | 9,147 | 4,567 | [14] |
2001年(平成13年) | 4,479 | [15] | |
2002年(平成14年) | 4,408 | [16] | |
2003年(平成15年) | 4,388 | [17] | |
2004年(平成16年) | 4,249 | [18] | |
2005年(平成17年) | 8,551 | 4,285 | [19] |
2006年(平成18年) | 8,501 | 4,285 | [20] |
2007年(平成19年) | 8,360 | 4,290 | [21] |
2008年(平成20年) | 8,556 | 4,389 | [22] |
2009年(平成21年) | 8,526 |
駅周辺[編集]
隣駅である下北沢駅・東松原駅ともに500mしか離れていない。上り線ホームの中央部分に立つと、前後の駅がともに肉眼で確認できる。
下北沢まで徒歩でも数分で行けることや、改札を出るとすぐ環七通りが走っていること等もあり、当駅周辺は井の頭線の駅では珍しく駅前商店街が形成されていない。しかし、当駅周辺の環七通り沿いにはなんでんかんでんやラーメン二郎といったラーメン店が数多く出店しており、ラーメン激戦区となっている。
- 施設
バス路線[編集]
駅北側に折り返し場があり、当駅始発の路線バスが運行されている。下記の2路線はかつて直通しており、都営・東急ともに共同運行協定を結んでいた。
- 森91:大森操車所行(若林駅前・上馬・洗足駅入口・長原・馬込駅・大森駅経由)
その他[編集]
当駅と小田急小田原線世田谷代田駅の間には、東京急行電鉄(大東急)時代の戦争中から戦後にかけて連絡線(代田連絡線)が引かれていた。これは、空襲により井の頭線の電車がほとんど消失したために、急遽小田急線から電車を運び込むために用意されたものである。そのため、撤去後もしばらくの間は渡り線が放置されていた。ただし、その後は宅地造成が進んだため当駅付近を含めて痕跡は特に残っていない。僅かに残っている痕跡も、小田急線の複々線化完了後消失する。
長渕剛の楽曲「東京青春朝焼物語」(アルバム『JAPAN』収録)の最初の歌詞の部分で、当駅のことが歌われている(井の頭線で5つ目の駅とある)。長渕はデビューし上京して間もない頃、当駅近くのアパートで暮らしていた。
隣の駅[編集]
脚注[編集]
- ↑ 京王グループ 1日の駅別乗降人員
- ↑ 駅名改称年度
- ↑ 当駅の乗降人員最高値年度
- ↑ 東京都統計年鑑(平成2年)228ページ
- ↑ 東京都統計年鑑(平成3年)234ページ
- ↑ 東京都統計年鑑(平成4年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成5年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成6年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成7年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成8年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成9年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成10年)PDF
- ↑ 東京都統計年鑑(平成11年)PDF
- ↑ 東京都統計年鑑(平成12年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成13年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成14年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成15年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成16年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成17年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成18年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成19年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成20年)