山本伸一
山本 伸一 No.
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府 |
生没年月日 | 1983年2月25日((2024-1983)+((11-2)*100+(22-25)>=0)-1歳) -
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身長/体重 | 176cm/ 73kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
守備位置 | 外野手、二塁手、三塁手 |
プロ入り | |
出場期間 | -
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年俸 | |
経歴 | |
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■テンプレート ■ウィキプロジェクト |
山本 伸一(やまもと しんいち、1983年2月15日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(外野手)。
来歴・人物[編集]
創価大学では全日本大学野球選手権大会に出場して、チームのベスト8入りに貢献した。大学卒業後は佐川急便大阪で軟式野球をプレイした。
しかし、プロになる夢をあきらめきれず、2006年4月に高知ファイティングドッグスに入団した。入団時に同じ名字の山本健士がいたため、当時の藤城和明監督が付けた「YAMASHIN」(ヤマシン)を登録名とした。
抜群のミートセンスや50メートル走5秒台の俊足、選球眼も良く、チームの切り込み隊長として活躍し、チームの前期優勝に貢献。シーズン後半はクリーンアップを任され、シーズン終盤まで打率部門でリーグ1位をキープした。2006年の成績は打率3割2分1厘でリーグ2位、盗塁はリーグ1位の36盗塁を記録した。また、NPB2軍との交流戦でも活躍して、NPB関係者からもセンスの良さを評価された。この年、外野手としてリーグのベストナインに選出された。ドラフト候補に挙がったが指名はなかった。
2007年は打撃フォームの改善に苦しみ不本意なシーズンとなったが、2008年は調整が順調にすすみ、開幕当初から好調をキープ。前期打率は3割4分7厘の高打率で首位打者を獲得。2008年の最終打率は3割7厘(リーグ3位)で、シーズン最終試合まで首位打者争いに加わった。盗塁も53(年間80試合制)と、これまでのリーグ記録40(年間90試合制)を大きく塗り替えての盗塁王獲得となった。
守備はもともと外野で、守備範囲の広さには定評があったが、2007年より内野守備にも取り組み、2008年は三塁、二塁も守れるユーティリティープレイヤーとして活躍した。ドラフト候補に挙がり指名が期待されたが叶わなかった。外野手として2度目のリーグベストナインに選ばれた。
2009年も引き続きチームの主力として活躍し、最終戦で香川の笠井要一に並ぶ41盗塁を決めて2年連続の盗塁王を獲得、3度目のリーグベストナインにも選出された。シーズン終了後、自らの申し出により退団。
引退後は高知県に残って競輪選手を目指していると伝えられている[1]。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
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2006 | 高知 | 87 | 277 | 43 | 89 | 16 | 6 | 0 | 23 | 36 | 4 | 1 | 55 | 3 | 51 | - | .321 |
2007 | 83 | 219 | - | 41 | 7 | 2 | 1 | 16 | 17 | 10 | 1 | - | 3 | - | - | .187 | |
2008 | 79 | 264 | 51 | 81 | 11 | 6 | 0 | 23 | 53 | 2 | 2 | 48 | 0 | 36 | - | .307 | |
2009 | 80 | 308 | 63 | 105 | 13 | 7 | 2 | 35 | 41 | 1 | 3 | 37 | 4 | 44 | - | .341 | |
四国・九州IL:通算4年 | 329 | 1068 | - | 316 | 47 | 21 | 3 | 97 | 147 | 17 | 7 | - | 10 | - | - | .296 |
各年度の赤太字はリーグ歴代最高
各年度の太字はリーグ最高
タイトル[編集]
- ベストナイン 2006年、2008年、2009年(外野手部門)
- 盗塁王 2006年、2008年、2009年
脚注[編集]
関連項目[編集]