上唇麻痺男
テンプレート:Infobox 芸術家 上唇 麻痺男(うわくちびる まひお、1981年(昭和56年)3月18日 は、日本の芸術家。血液型はAB型 1981年(昭和56年)から1999年(平成11年)まで福島で過ごす。その後仙台の大学でデザインの基本を学びグラフィックデザインの仕事に就くが結婚と同時に秋田県に居住地を置く。ここでラーメン業界に入る事になりラーメン職人として働くも、ひょんな事からデザインの仕事の片鱗を見せる事となり、ラーメン職人をやりながらも店舗のデザイン(主に自分の所属している店舗がメイン)をする事となる。
経歴[編集]
少年時代[編集]
麻痺男は福島県いわき市で、ごく普通の一般家庭の上唇固男、上唇薄美との間に一人息子として生まれた。
ほどほど自然のある家庭環境で育った麻痺男は、 幼少期、人前に出るのが苦手でいつも周囲の状況を見て判断し、それから動くという子供らしくない存在であったが、高校に行ってから目立ちたいという気持ちが芽生え、(高校デビューではないと本人は語っている。)クラスの人気者となり目立つという事に美味しさを覚える。
絵が好きで幼少よりさかんに描いていたが、人前で書くという事はなかったが市の絵画展に勝手に出されては何度も入賞していたという。 大学に行ってからは銅版画(エッチング)をやっていた。
元氣屋[編集]
2007年(平成19年)に能代市二ツ井にある『んだばっ亭』(現在のらぁめん食堂ぴよぴよ)で元氣屋の看板メニューとも言える「スタミナみそ・しょうゆ」のPOPを作る事になり、そこで麻痺男のセンスを買われる事となり、次第にその仕事量が増え、元氣屋能代店に移動してからは店舗内の装飾、全店鋪のメニュー表、ポスターの作成。 現在では元氣屋のロゴ、キャラクター、全店鋪の装飾など幅広くデザインを手掛けている。
元氣屋台湾店[編集]
2013年(平成25年11月)に台湾の台北市にある元氣屋のリニューアルを図る為に単身45日の海外出張をし、店舗内外の装飾を手掛ける。 帰国してからその店舗は今までの250%増しの売上になってる。
人物[編集]
芸術観[編集]
クールに。でも可愛いという想いが根底にあり、人と同じ物ではつまらない。 デザインは攻めてこそ価値がある。それを善し悪しを決めるのは自分ではない。 見てくれるお客様が決める事。 見れば見るほど味のあるデザインにしたいと語っている。
また「明日やろうは馬鹿野郎!!」の名言を残した事で有名であり。 現在の本人がたまに書き込むブログの題名にもなっている。
恋愛観[編集]
正にサムライとも言える麻痺男の恋愛を未だ見た者はいない。
スポーツ[編集]
じっとしている事が嫌いな麻痺男は、中学校でハンドボール高校はサッカー部に所属し、大学時にはサッカー人のデルピエロと一緒に写真を撮った事があり、その写真は雑誌に掲載された。 ちなみにサムライではあるが剣道の経験は一切ない。
その他[編集]
- 麻痺男独自の筆文字上唇フォントで活動をしているが普段の字はそれとは一切かけ離れた綺麗な字を書く。
- 強運の持ち主であり、有名な占い師に足りない物はない。と言われた。
- 酒には滅法弱く、元氣屋でも5本の指に入る程の下戸であるのにも関わらず男らしい飲みっぷりで毎度の事潰れては爆睡→落書きされる→翌朝気付くというのが最近のパターン。
- サッカーゲーム(ウイイレ)が大好きで勝つまで止めない。徹夜してもやめない程のゲーム好き。
主な作品[編集]
- 元氣屋グループ店舗のメニュー表、ロゴの製作
- 秋田元氣屋のなはまげんきくん、おかちめんこちゃん、元氣屋本店の誰?のキャラクターを製作。