KSD事件
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KSD事件(ケイエスディーじけん)は、財団法人「ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団」(KSD、現中小企業災害補償共済福祉財団)の創立者古関忠男が、「ものつくり大学」設置を目指し、数々の政界工作を自由民主党議員に対して展開したとされる汚職事件。
事件概要[編集]
- 村上正邦元労相は、古関に依頼され、1996年1月25日の参議院本会議の代表質問で取り上げるなどしてKSDが進めていた「ものつくり大学」の設立を支援し、この見返りに現金や事務所家賃の肩代わり等、総額5,000万円の利益供与を受けた。
- 小山孝雄参院議員(村上の元秘書)も、参議院労働委員会他で、KSDを後押しするような質問をした見返りに、2,000万円の利益供与を受けた。
- また、第二次森改造内閣の現職閣僚だった額賀福志郎も、橋本内閣時代の官房副長官在任中にKSDから1,500万円の資金提供を受け(疑惑発覚後に全額返却)、立件はされなかったものの、経済財政担当相を辞任。
- この事件では、自民党参議院選挙比例代表名簿の登載順位を上げるための署名集めや、関連団体を経由した党費立替・迂回献金も判明しており、KSD側から自民党サイドに流れた資金の総額は十数億円に上ると言われた。
- 東京地検特捜部は、2000年11月、背任容疑などで古関元理事長らを逮捕。翌2001年1月、村上元労相、小山元参院議員(疑惑発覚後、議員辞職)、村上正邦の政策秘書を逮捕した。
KSD事件で浮上した政治家[編集]
関係者のその後[編集]
- 2002年3月、東京地裁は、古関元理事長に、懲役3年執行猶予5年の判決(確定)。その後、2005年2月、東京都葛飾区内のマンションの自室浴槽内で死亡しているのが発見された。享年83。晩年は、財産を失い孤独な生活だったという。
- 2003年5月、東京地裁は村上元労相に懲役2年2ヶ月追徴金約7280万円の実刑判決。同政策秘書に懲役1年6月、執行猶予3年。村上と同政策秘書は直ちに控訴されるも、2005年12月、東京高裁は控訴を棄却。上告。
- 2004年2月、東京地裁は小山元参院議員に執行猶予の付いた懲役1年10ヶ月判決(確定)。
- 2008年3月、最高裁は村上正邦元労相に対し上告を棄却。村上に懲役2年2ヶ月追徴金約7280万円の実刑、同政策秘書に懲役1年6月、執行猶予3年が確定。
捜査に対する批判[編集]
- フォーラム神保町シンポジウム「青年将校化する東京地検特捜部~小沢第一秘書逮捕にみる検察の暴走~」で、『月刊日本』主幹の南丘喜八郎は、村上の代表質問の原稿は自分が書いたとした上で、村上から「古関が村上に依頼したとされる内容」を代表質問に入れろとの指示は受けていないとして、金銭授受と代表質問の関係を否定している。
- 村上の立件については、利益供与とされる総額5,000万円の供与が代表質問の半年以上後であることもあって、一部には国策捜査との批判もある。
- 村上は、『世界』誌上で魚住昭のインタビューを複数回受け、連載。この連載は2007年10月、村上正邦/述・魚住昭/著『我、国に裏切られようとも 証言村上正邦』(講談社、ISBN 978-4-06-214333-2)として書籍化され、刊行されている。
参考文献[編集]
- 週刊朝日特別取材班 『悪党と政治屋―ドキュメントKSD疑獄を追い詰めた400日』ISBN 4-02-257641-3