革労協書記長内ゲバ殺人事件
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革労協書記長内ゲバ殺人事件(かくろうきょうしょきちょううちげばさつじんじけん)とは、1977年(昭和52年)2月11日に茨城県取手市で発生した内ゲバ殺人事件。
事件の概要[編集]
日本の新左翼の革労協(社青同解放派)と革マル派は、1973年(昭和48年)9月15日の神奈川大学での内ゲバ事件以降、血みどろの内ゲバ殺人を繰り返していた。この事件の被害者である笠原正義(組織名:中原一)は、革労協の主要幹部で書記長を務めていた。
1977年2月11日午後7時25分頃、茨城県取手市の国鉄常磐線取手駅西口前の路上で、革マル派メンバーは革労協書記長の笠原正義が乗っている自動車の前後に車を割り込ませて取り囲み、鉄パイプを振り下ろして笠原を滅多打ちにした後、逃走した。笠原は直ちに松戸市立病院に搬送されたが、翌12日午前10時20分に死亡した。
2月21日付の革マル派機関紙「解放」で、革マル派は事実上の犯行声明を出した。公安警察は、革マル派による内ゲバ殺人事件と断定した。
革労協は「革マル派の解体」を掲げ、報復を宣言した。実際に革労協は2ヵ月後に浦和車両放火内ゲバ殺人事件を起こし、革マル派構成員4人を焼き殺している。
参考文献[編集]
- 『過激派事件簿40年史』立花書房、2001年