紫溟会(しめいかい)は、日本の政党である。
立憲帝政党の九州地方におけるいわば別働隊的な存在であった。個人の自由を排斥し、国家主義を標榜した。明治14年(1881年)、熊本の佐々友房、古荘嘉門らを中心として、安場保和、井上毅、山田信道らがこれに和して結成した。明治17年(1884年)、名称を紫溟学会と改め、教育方面に力を傾注したが、国粋的分子は明治25年(1892年)の国民協会にその面影をとどめ、さらにのちに明治32年(1899年)の帝国党となり、いずれも佐々を盟主とするもので、影響は長く後に及んだ。