新潟地震
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新潟地震(にいがったじしん)とは、1964年(昭和39年)に、日本の新潟県にある粟島付近の沖合で発生した大地震。液状化などによる被害が甚大であったほか、石油コンビナートに与えた被害が、史上最大級であった。
地震[編集]
1964年6月16日、13時頃、新潟県下越地方の沖合(粟島付近)で、M(マグニチュード)7.5の大地震が発生し、宮城県・山形県・福島県・新潟県の4県で、震度5(強震)を観測[1]。ただし、震源付近の地域では震度6(烈震)も記録されたと考えられている。
被害[編集]
地震後には津波も発生し、新潟県の日本海沿岸には最大で4〜6 m程度の津波が押し寄せたという。浸水した家屋は15,000棟以上[2]。また、新潟県内の石油コンビナート等が、火災による大きな被害を受けた。そして、この地震による被害の中でも、特に甚大であったのが、液状化による被害である。信濃川流域では、コンクリート製のアパートが、液状化によって、傾いたり倒れたりした[3]ため、人々に衝撃を与えた。各地で、橋や道路、河川などへの被害も相次いだ[4]。
地震とその後の二次災害等による死者は[5]、合計で26人。揺れによって全壊した住宅が約2,000棟、半壊した住宅が6,600棟以上となった[6]。