平高望
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平 高望(たいら の たかもち、高望王(たかもちおう/たかもちのおおきみ)、承和6年9月7日(839年10月21日)? - 延喜11年5月24日(911年6月28日)?)は平安時代中期の賜姓皇族。父は葛原親王(桓武天皇第5皇子)との説と、高見王(葛原親王男)との説がある。桓武天皇の孫(もしくは曾孫)にあたり、桓武平氏・高望王家の祖。没年月日は911年5月4日・912年9月24日・917年1月24日ともされる。
生涯[編集]
889年(寛平元年)5月13日宇多天皇の勅命により平姓を授かり臣籍降下。上総介に任じられるが当時の上級国司の慣行であった遙任をせず任地へ下向。元皇族の血統を利用し地方豪族との関係を深め勢力を拡大。その後の平氏の基盤を固める。
子に平国香、平良兼、平良将(良持とも)、平良繇(良孫とも)、平良文、平良茂[1]らが伝えられている。彼らはいずれも関東に土着した武士団を形成した。
902年(延喜2年)に西海道の国司となり大宰府に居住。911年(または912年・917年)に同地で没する。
脚注[編集]
- ↑ 『尊卑分脈』による。
関連項目[編集]