山階宮晃親王

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山階宮晃親王(やましなのみや あきらしんのう、 文化13年9月2日1816年10月22日) - 明治31年(1898年2月17日)は、日本皇族伏見宮邦家親王の第一王子。勧修寺宮済範親王。二品。

文化13年(1816年)に誕生、初名は清保(きよやす)といった。

文化14年(1817年)、京都山科の門跡寺院・勧修寺を相続した。文政7年(1824年)に出家し、済範(さいはん)入道親王と称した。天保12年(1841年)10月8日、二歳年下の叔母:幾佐宮隆子女王と共に出奔するという不祥事を起こし、結果天保13年(1842年)7月22日に光格天皇養子・二品親王・勧修寺住職の地位が停止され、伏見宮より除籍されてしまう。

元治元年(1864年徳川慶喜らが還俗を孝明天皇に願い、同年(元号は文久)正月9日、伏見宮に復し同18日、勅許をもって復飾し改めて親王宣下と共に、山階宮の宮号を賜った。

その後は国事御用掛として幕末の政界で活躍し、明治維新後は、議定・外国事務総督などの要職を占めた。皇族がヨーロッパの王室に倣って軍人になる中、親王は固辞し文官であることを通した。1886年(明治19年)に大勲位菊花大綬章を受けている。1898年(明治31年)2月、83歳で薨去した。

親王には王子に菊麿王がいる。菊麿王は親王の後を継ぎ山階宮第2代となる。

血縁[編集]

外部リンク[編集]


先代:
-
山階宮
初代:1864年1898年
次代:
菊麿王