室積純夫
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室積純夫〈むろづみ すみお、1945年(昭和20年) - 1989年(平成元年)〉は山口県出身の歌人。19歳より作歌を始め、1969年(昭和44年)に「歩道短歌会」[1]に入会し佐藤佐太郎に師事した。1977年(昭和52年)に「曠日」30首により「歩道賞」[2][3]を受賞。1980年(昭和55年)発行の第一歌集『高架路』[4]は、身辺の新しい素材を作者自身の生活に引きつけながら作品化したもので、生の深所に根差した歌風を特色としている。1989年(平成元年)出版の第二歌集『曠日』[5]は、精神的葛藤を湛えた哀切な作品群から成っている。歌人としての将来を嘱望されながら、第二歌集出版後間もなく夭折した。
代表作品[編集]
- 第一歌集『高架路』より
- 草むらが日に萎ゆるみゆ回帰なき時間負ふもの吾のみならず
- 衛星に近づきてゆく衛星が絶対空間に映し出さるる
- 勝利者は首にメダルを受けんとす懺のごとくに頭垂れつつ
- 梅雨ぐもり暮れゆく街のいづこにも灯ともる屋上ビアガ―デン見ゆ
- 天寒き屋上園に葉牡丹の力ある葉に風ひかりゐつ
- 第二歌集『曠日』より
- 宵はやき西湖の岸の林にてひかりひきゆく春の螢は
- 宵々に酔ひて帰れど吾を待ちをさならしばしまつはりあそぶ
- 夜毎飲む酒に疲るることわりに語気荒るるわれの貧しき生か
- わが生(いのち)つたなき常を革むる帰依すべきもの躰をめぐれ
- 大寒の天二時間の輝きをみつつ音なき点滴を受く
- 彼の森に子のまぼろしの顕つまでにこころ浄く且つ弱し病むとき
- ゆふべとなれば束のごとくるおぼほしさ憎悪のこころ吾はわれに持つ
- 満天星の葉群の天に冬の日の微粒子けぶるあたたかき午
- 現(うつ)つ世の人のまじはりより受くる苦と内在の苦とせめぐ日々
- まぼろしの如わがこころ浄くゐき明けがたに見し父母の夢
- 坦々と過ぎてことなき生活は最善にしてこもる寂莫
- わが生の理路なりがたく行為なくあぎとふ浮魚の如き悲しみ
経歴[編集]
- 1945年(昭和20年) 山口県に生まれる。
- 1964年(昭和39年) この頃(19歳)より作歌を始める。
- 1969年(昭和44年) 歩道短歌会に入会し、佐藤佐太郎に師事する。
- 1971年(昭和46年) 歩道「青の会」[6]に参加。
- 1977年(昭和52年) 「歩道賞」受賞[3]
- 1980年(昭和55年) 第一歌集『高架路』出版。
- 1981年(昭和56年)以降、歩道編集委員を務める。
- 1989年(平成元年) 第二歌集『曠日』出版。
- 1989年(平成元年) 永眠。
参考文献[編集]
歌集[編集]
脚注[編集]
- ↑ 1945年に佐藤佐太郎が創刊した短歌雑誌
- ↑ 1961年(昭和36年)以降毎年、未発表作品の特別歌稿30首を募集し、最も優れたもの一篇に贈られている結社賞。新鮮で重量があり、ひびきと輝きのある作品群を授賞対象としている。
- ↑ 3.0 3.1 歩道賞(平成14年度〜昭和36年度) - 歩道短歌会webページ
- ↑ 参考文献の歌集①参照
- ↑ 参考文献の歌集②参照
- ↑ 1971年(昭和46年)に「歩道」の20代・30代の会員(秋葉四郎、佐保田芳訓、室積純夫、鵜飼康東、長田邦雄など)が参加し、会誌「青の会」を発行。歌論、作品鑑賞のほか、佐藤佐太郎に関する資料収集を広範に行い、大正15年から昭和49年までの「佐藤佐太郎作品発表誌目録」、佐藤佐太郎歌集『歩道』索引(長田邦雄篇)など貴重な資料を残した。