嘗糞
嘗糞(しょうふん)とは、人間の大便を舐めて、その味が苦ければその人物の体調は良くなっており、甘ければ体調が悪化していると判断する、古代中国や朝鮮半島の李氏朝鮮時代まで行われたという診断法。
中国の南北朝時代や唐代の説話集『二十四孝』や『日記説話』によれば、南斉時代に庾黔婁と言う役人が不安に襲われて急遽帰郷すると父親が病気になっていて、医者に糞を嘗めて見ないと状態が解らないと言われ、実際に糞を嘗めてみた結果、その味が甘かったので憂いたとされ、これが儒教における孝行の一種「嘗糞憂心」の説話となった。この説話は李氏朝鮮の王、世宗が編纂を命じた儒教的な教訓を纏めた書『三綱行実図』にも孝行の一つとして取り挙げられた。
また、嘗糞は「お世辞の言葉」としても使われ、お世辞の度が過ぎる輩の事を「嘗糞之徒」と言う。これは、中国の春秋時代に勾践が呉王の糞を嘗めて病気がじきに治ると言ったという『呉越春秋』「勾践入臣外伝」の故事に基づく。
朝鮮での嘗糞の実際[編集]
朝鮮では、6年以上父母の糞を嘗めつづけ看病し病気を治した孝行息子の話などの記録があり、指を切って血を飲ませる「指詰め供養」(断指)や内股の肉を切って捧げる「割股供養」などと共に、糞を嘗める事が親に対する最高の孝行の一つとされた。断指及び割股に関しては『三国史記』の統一新羅時代に記述が見られる為、同時代に唐から入ってきたと推測される。こうした風習は朝鮮時代まで続いたが、日韓併合後に禁止された。『朝鮮医籍考』によると、後に娯楽化し、人の便を舐めてその味で誰の便であるか当てる朝鮮人特有の遊びがあったという。 朝鮮王の中宗は、解熱剤として人糞を水で溶いたものを飲んでいたという。
20世紀に入っても朝鮮では人間の大便を民間医術に使用する例があり、『最近朝鮮事情』には重病人に大便を食わせる話が伝聞として載せられている。また『朝鮮風俗集』には人中黄(冬季に竹筒に人糞と甘草を交ぜ地中に埋め、夏季に取り出し乾燥させて粉末にしたもの)と言う民間薬が載っている。