八尾鉞太郞
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八尾 鉞太郞(やお えつたろう)は、幕末の尾張藩士。安政年間に、副業として自身の屋敷で養鶏をしていた人物と目されている。北海道で養鶏家となった八尾吉之助は子孫。
250石寄合組の尾張藩士[1]。住居は白壁丁善光寺筋西北角にあった[1]。
尾張藩では、安政年間(1854-1860)に近松某・八尾某という御目見格の藩士が副業として自身の屋敷内で500羽以上の鶏を柵飼いしていたことが伝えられており、八尾某は八尾鉞太郞のことだった可能性がある[2]。
- 『尾張藩士録』によると、他に八尾姓の名古屋藩士として150石寄合組・八尾鷺助、34俵御馬廻・八尾晴次郎の家があった[1]。
八尾の子孫・吉之助は、1886年(明治19)、10歳のときに北海道八雲開拓幼年舎に応募し、幼年舎から独立したときに副業として養鶏を始め、その後、北海道でも有数の養鶏家となった[3]。
付録[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 入谷 (2000) 入谷哲夫『名古屋コーチン作出物語』ブックショップ「マイタウン」、ISBN 4938341972
- 藩士名寄 (NA) 『藩士名寄』第15冊(徳川林政史研究所蔵本)