三代目柳家小さん
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三代目柳家小さん(さんだいめ やなぎやこさん, 1857年9月20日 - 1930年11月29日)は落語家。師匠は二代目禽語楼小さん。
概要[編集]
江戸・小石川鷹匠町(現 東京都文京区)生まれ。一橋家藩士の家に生まれ、16歳で家督を相続する。 1882年(明治15年)頃、25歳で常磐津の太夫から噺家に転じ、「初代柳亭燕枝」に入門し「燕枝」を名乗る。1888年(明治21年)、「二代目禽語楼小さん」の門に入り、「初代柳家小三治」を襲名し真打昇進する。1895年(明治28年)3月に「三代目柳家小さん」を襲名する。明治38年3月には第1次落語研究会を創始した1人である。研究会の発起人として柳派からはひとりだけ名を連ねた。この研究会により四代目橘家圓喬、初代三遊亭圓右、三代目柳家小さんは名人への道を歩む。 1923年頃から脳軟化症による認知症を発症した。1928年4月に9番弟子の四代目蝶花楼馬楽に「四代目柳家小さん」を譲り、引退した。1930年11月29日に死去。享年74。 墓は東京雑司ケ谷・法明寺。
夏目漱石[編集]
夏目漱石『三四郎』に「小さん名人論」が登場人物の佐々木与次郎により語られる。
「円遊も旨い。然し小さんとは趣が違っている。円遊の扮している太鼓持は、太鼓持になった円遊だから面白い。 円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、 人物は活溌溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。」
佐々木与次郎説では、演者の個性を出すのが円遊、登場人物が躍動するのは小さんとする。 円遊は初代三遊亭圓遊、小さんは三代目柳家小さんを指す。
エピソード[編集]
- 酔っ払いの噺が得意であるが、自分では一滴も酒をたしなまず、他人に御馳走し、それを観察し、自らの芸に取り入れていた。
- 小三治時代は音曲もやったが、後に大阪へ修業に行き、東京に帰って来てから腕を上げて、“名人小さん”の名声を得た。
- 人情に厚く、後輩の面倒見が大変に良かったので、尊敬された。
得意ネタ[編集]
得意ネタ[1]
- 「うどんや」
- 「らくだ」
- 「にらみ返し」
弟子[編集]
注・参考文献[編集]
- ↑ 関山和夫(1992)『落語名人伝』東京 白水社