レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ

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レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ・イ・ルイス(Regino Sáinz de la Maza y Ruiz[1], 1896年9月7日 - 1981年11月26日[2]は、スペインギター奏者、作曲家[3][4][5][6][7]

ブルゴス出身。10歳の時にギターを入手して音楽の勉強を始め、サンティアゴ・ランダーチェにソルフェージュ、エウヘニオ・ロドリゲス・パスクァールにギター、ホセ・ニコラス・ケサーダにピアノを師事。1910年にサンセバスチャンに家族で移住し、当地の音楽院でヘルマン・センドーヤにピアノ、ベルトラン・パゴーラに和声法、ルイス・デ・ソリアにギターを師事[8]。また、ビルバオでイラリオン・レロープにもギターを学んだ[9]。1913年にはマドリードに行き、ダニエル・フォルテアにギターを学んだ。18歳の時にビルバオのアリアーガ劇場でギター奏者としてデビューを飾り、1916年にはブルゴス地方議会の後援を受けてバルセロナでエンリケ・モレラとハイメ・パヒッサに作曲を学んだ。1917年からバルセロナで演奏活動を始め、ミゲル・リョベート、アンドレス・セゴビア、サルバドール・ダリやフェデリコ・ガルシア・ロルカ等と親交を結んだ。1920年からマヌエル・デ・ファリャとアドルフォ・サラザールの協力を得てビウエラの音楽でコンサートを行う。1921年にはアルゼンチンに演奏旅行に出かけ、1924年からは作曲家のアントニオ・ホセの知己を得た。1926年にはフランス、1927年にはドイツ、1928年にはイギリス、1929年に南米各地に演奏旅行に出て国際的な名声を得た。1935年にはマドリード王立音楽院のギター科教授に就任。1939年からスペインのABC新聞の音楽評論を担当。その後、ホアキン・ロドリーゴのアランフェス協奏曲の作曲に協力し、1940年の初演の際には独奏を務めた。1979年にニコラス・デ・ブルゴス教会でのリサイタルを最後に演奏活動から引退した。[10]

マドリードにて没。[11]

脚注[編集]

  1. 本名をレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ・イ・ルイス・ログローニョ(Regino Sáinz de la Maza y Ruiz Logroño)とする資料もある。(アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ)
  2. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
  3. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
  4. 手塚 (1998) 手塚健旨 レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ [ レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ/アランフェス協奏曲 ] 山野楽器 1998 B08JYSCKCH 4-5
  5. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
  6. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
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  8. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
  9. Marrington (2021) MarringtonMark OTHER SIGNIFICANT RECORDINGS MADE BY SPANISH GUTALIST DURING THE 1920S AND 1930S [ Recording the Classical Guitar: Repertoire, Performance, and the Shaping of Musical Identity in the Twentieth Century ] Routledge 2021 9781351371407
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  11. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ