モノレール
モノレール (monorail) とは、1本の軌条により進路を誘導されて走る交通システムのことである。語源は、「1つのもの」を示す接頭語 mono とレール rail 。
新交通システム同様、中量輸送システムとして位置付けられる。
目次
方式[編集]
方式として、跨座式と懸垂式の、大きく二つに分類できる。
跨座式[編集]
跨座式(こざしき)とは、車両の下にレールがある(レールに車両が乗っている)形態のモノレールである。
日本では、日立製作所によってドイツから導入された、コンクリート製の軌道上をゴムタイヤで走行する「アルウェーグ式」あるいはこれを基に規格を統一した「日本跨座式」と呼ばれる方式が主流であるが、過去には川崎重工業によって導入された、コンクリート軌道上に設置された鉄製レール上を鉄車輪で走行する「ロッキード式」や、東芝がアルウェーグ式を参考に独自に開発した「東芝式」もあった。
跨座式は東京モノレール・多摩都市モノレール・北九州モノレール・沖縄都市モノレールなどに採用されていて、日本で最も多い。
なお、跨座式の大阪高速鉄道(大阪モノレール)はモノレールとして世界最長の営業距離でギネスブックに掲載されている。
アルヴェーグ式[編集]
アルヴェーグ式は、1950年にジョン・A・ヘスティングが、ロサンゼルスに導入する予定の新しい交通機関の調査を始めたところから話が始まる。元々、線路にまたがる方式のモノレールの特許は、ドイツ人技術者レシャーが持っていたが、第二次世界大戦で消息不明になったため、アクセル・レナルト・ヴェナーグレン(Axel Lennart Wenner-Gren)が事業を始めた。そのため、頭文字を取って「アルヴェーグ(ALWEG)」と呼ばれるようになった。事業体は1951年に交通機関研究所(Verkehrsbahn-Studiengesellshaft)が設立、さらに1953年にアルヴェーグ開発(Alweg-Forschung GmBH)に名前を変えた。
特徴は、コンクリートのレールの上に、空気タイヤをはめた車輪で走行することにある。そのため、車体の重量をゴムタイヤで支えねばならず、タイヤが大きくなり、室内にタイヤ部分の出っ張りが出来てしまうという欠点がある。
ロッキード式[編集]
ロッキード式は、アメリカの航空機メーカであるロッキード社が開発した方式である。コンクリート製の軌道の上に鉄のレールを敷き、その上を鉄の車輪を使って走行する方式である。鉄製の車輪のため、車輪が小さく、室内の床は平面ですむ。日本では、ロッキード社から技術を導入するため、川崎航空機工業、川崎車両、日本電気、西松建設などが出資した日本ロッキード・モノレールが設立されている。
- この方式はかつて、姫路市交通局(当時、現姫路市企業局交通事業部)の姫路市営モノレールと、小田急電鉄の向ヶ丘遊園モノレール線で採用されていたが、いずれもすでに廃止されている。
東芝式[編集]
アルヴェーグ式を参考にして東京芝浦電気(当時)が開発。車体が連接構造、自動ステアリングを採用したことが特徴。
- この方式はかつて、松尾國三の肝いりで奈良ドリームランドの遊戯施設として採用後、横浜ドリームランドへのアクセスとしてドリーム交通モノレール大船線で採用されていたが、設計上の不備による欠陥で開業翌年に当局から運行休止勧告を下され、設計した東芝との訴訟に至り、運行再開されずに廃止されている。このことから奈良ドリームランドでは、車両更新の際は日本輸送機にて新車両が製作された。
日本跨座式[編集]
1967年度に当時の運輸省(現国土交通省)が、「都市交通に適したモノレールの開発研究」を行なった。これは、交通渋滞が悪化してきた環境で、より優れた輸送手段としてのモノレールを研究対象にしたものである。これは、日本モノレール協会に委託された。その研究結果として、懸垂式と一緒にまとめられたものが、日本跨座式である。
日本跨座式はアルヴェーグ式をベースに、軌道桁を太くし、台車を2軸ボギーの空気バネ台車にし、ゴムタイヤを使用する。アルヴェーグ式よりも床面高さを高くすることで、室内の床を平面にした。しかし、重心が高くなるために曲線の通過速度が遅くなるという欠点が生じてしまった。
懸垂式[編集]
懸垂式(けんすいしき)とは、車両を吊るように上にレールがある(レールに車両がぶら下がっている)形態のモノレールである。
車輪と軌道が車体の上にあるため、車体も屋根上を支点に揺れる。この為乗り心地には難がある反面、カーブの通過は振り子のように車体が動くためスムーズである(出典:山と渓谷社・吉川文夫『日本の私鉄2』湘南モノレールの解説記事より)。
日本では、東京都交通局・日本車輌製造による上野式(上野動物園)と、三菱重工業がフランスから導入したサフェージュ式(湘南モノレール、千葉都市モノレール)と呼ばれる方式、神戸製鋼所・三菱重工業による、ロープウェイに似たスカイレールと呼ばれる方式がある。
日本の懸垂式モノレールは、運転台のある車両のみの編成で構成されていることが多いが、湘南モノレールは懸垂式モノレールとしては日本で唯一中間車が存在する(開業当初は中間車はなく2両編成だった)。
千葉都市モノレールは懸垂式モノレールとしては世界最長の営業距離で、ギネスブックに掲載されている。
ランゲン式[編集]
ランゲン式のモノレールは、1893年にドイツ人のオイゲン・ランゲンが発明した。構造は、Iの字型のレールの上にUの字型の車輪が、レールを挟むようにして走行する。その車輪から車体まで、大きな腕で繋いでいる。1901年にドイツのヴッパータールで営業開始。100年以上経つ今も利用されている。
上野式[編集]
ランゲン式とほぼ同じであるが、駆動輪がゴムタイヤ方式になっているところが違う。ランゲン式が20世紀初頭に開発されたもののため、あらためて東京都交通局と日本車輌製造が開発したものである。
サフェージュ式[編集]
サフェージュ(SAFEGE)式は、フランスのルイ・シャーデンソンが箱の下部にスリットが空いて、そこから車体をぶら下げる方式を1957年に開発した。この方式は、1960年から7年にわたって、オルレアン近郊に実験線を作りテストを行なった。サフェージュ式という名称は、この方式を開発するためフランス国内の25の企業が集まって結成された企業連合の名称(Société Anonyme Française d' Etude de Gestion et d' Entreprises)の略である。日本では三菱重工業が、サフェージュ式の技術導入に際し日本エアウェイ開発を設立。東山公園モノレールで行われた実用試験を基に湘南モノレールが開通した。
古典的な方式[編集]
- ラルティーグ式
- A字型の支柱の上に車両が乗り、A字型の下部に安定を取るためのレールがある方式で、跨座式と懸垂式の中間的なものである。フランスのシャルル・ラルティーグ(Charles Lartigue)によって考案され、同国のフュール=パニシエル鉄道で最初に使用された。1888年にはアイルランドのケリー州で、同方式を採用したリストウェル・バリブニオン鉄道が開通し、経営の悪化により1924年に廃止された。2002年に同鉄道は復元(ただし500mのみ)され、レプリカの車両が動態保存されている。他にはアメリカのマグネシウム鉱山で使用された例が知られている。安定性が悪く、横揺れが激しいなどの問題があったため普及には至らなかった。
- ジャイロスコープ式
- オーストリアのルイス・ブレナン(Louis Brennan)、ドイツのアウグスト・シェールル(August Scherl)、ロシアのピョートル・シロフスキー(Piotr Schilovski)によってそれぞれ1900年頃考案された。1本の通常のレールの上を無支持で走行する。レールを1本に減らせば摩擦力も半減し、その分速度を倍増できるという理論の元考案された方式で、大型のジャイロスコープが車体に搭載され、車体が傾くとそれに応じてジャイロスコープの軸が傾き、バランスを取る仕組みになっている。実際にはジャイロスコープその他の装置に多くの費用が掛かるため実用化しなかった。シロフスキー式はソ連のレニングラードからツァールスコエ・セローまでの建設が1921年、ブレナン式はインドの北西部での建設が検討されたが、資金難により実現しなかった。
- ボイントン式
- 上下に1本のレールを設置し、下部のレールの上に車輪が乗り、上部のレールで車体を支持する方式。アメリカのイーベン・ムーディー・ボイントン(Eben Moody Boynton)により考案され、ボイントン自転車鉄道(Boynton Bicycle Railway)で試験的に使用された。上部のレールを集電用に利用できるため、電化区間に有利な方式である。後にイギリスのエルフリック・カーニー(Elflic Kearney)が改良型を考案し、ロンドンの地下鉄用に提案した。
- ラウル式
- ランゲン式と同じような構造であるが、推進装置がプロペラのもの。フランスで1919年頃試験線が建設された。また、1930年には、ジョージ・ベニー(George Bennie)が改良型の試験線をグラスゴー近郊のミルンギャヴィー(Milngavie)に建設した。こちらの方はレールプレーン(Railplane)と呼ばれ、最高時速120マイルを目指して計画された。当時、日本にも「軌道飛行機」として紹介された。第二次世界大戦の金属供出のため、試験線は1941年に撤去された(1950年代という説もある)。
- マイグス式
- 上下に1本のレールを設置し、上部のレールを水平に設置された車輪で両側から挟み込み、下部のレールを外側に傾いて設置された車輪で両側から挟み込む方式。アメリカのジョー・V・マイグス(Joe V. Meigs)により考案され、1886年マサチューセッツ州のケンブリッジで試験的に使用された。
- ユーイング式
- 1本のレールの上を、車体の片側に取り付けられた幅広の車輪で支持して走行する方式。インドのチャールズ・ユーイング(Charles Ewing)により1894年考案され、パティアーラ州立鉄道で使用された。同鉄道の蒸気機関車はオーレンシュタイン・ウント・コッペル社により製造された。現在、同鉄道の車両はインドのニューデリー鉄道博物館で動態保存されており、日本でも書籍などで紹介される事が多い。
- ラルマンジャ式
- 中央の一本のレールを誘導用として使用し、両側に取り付けられたフランジの無い幅広の車輪で駆動・支持して走行する方式。両側の車輪は木製の板の上を走行する。フランスのJ.ラルマンジャ(Larmanjat)により考案され、19世紀リスボンの市街鉄道で使用された。現代の案内軌条式鉄道とも通じる方式である。両側の走行用の板が早く傷んでしまい、乗り心地も悪かったため普及には至らなかった。
- Lartigue Lokomotive.png
ラルティーグ式モノレール
- Einschienerp.jpg
ブレナン式のジャイロスコープ式モノレール
- City Island monorail car.JPG
ボイントン式モノレール
- Meigs Elevated train.jpg
マイグス式モノレール
歴史[編集]
- 1821年11月22日にヘンリー・ロビンソン・パルマーが、レールの上に車輪をおき、その車輪から荷物を運ぶかごをぶら下げるという方式のモノレールを特許申請。
- 1824年にロンドンのテムズ川から海軍の倉庫までの路線が利用開始。
- 同年イギリスのフィッシャーが、懸垂式のモノレール(の原型になるようなもの)を考案。
- 1825年にチェサント(ロンドン北方)で、レンガ工場と川との荷物輸送用に利用開始。元祖のモノレールは馬に引かせて走る物であった。
- 1829年にマクセル・ディックが軌道レールの下にレールを付加して転落を防止するように改良し、特許を申請。
- この後、しばらく、モノレールの開発は途絶える。
- 1868年にバラクロウフ・フェルが跨座式と懸垂式をミックスしたような方式のモノレールを考案、バロー・イン・ファーネス近郊で、鉄道駅との間で利用開始。この時の動力は馬であった。
- 1869年にJ.L.ハッドンが、シリアでモノレールを建設。これは、通常の鉄道だと砂漠の砂で線路が埋まってしまうためである。
- 1872年にリヨンのリヨン国際博覧会で会場内で利用される。
- 1876年にフィラデルフィアのアメリカ合衆国建国100周年記念博覧会に、蒸気機関車で駆動するモノレールが出品。
- 1880年に、ニューヨーク&ブライトン鉄道で旅客用に利用
- 1888年3月に、ラルティグ式のモノレールが、アイルランドのリストーウェル・バリブニオン鉄道で利用開始。
産業用モノレール[編集]
1966年、急傾斜地における果樹栽培(主にみかん)の労働軽減を目的とした農業用モノレールが開発された。その後、急傾斜地の工事現場で作業用道路が不要となることが注目され、コンクリートなどの資材や小型重機などの運搬ができる高性能タイプが、さらに人員輸送用の乗用タイプが開発、多くの会社で製品化されている。福祉介護用、山岳地帯の送電塔などの保守用としても利用されている。上りは小型エンジンまたは商用電源によるモーター駆動で、下りにはブレーキをはずす事によりモーター駆動無しで緩やかに下降する。
産業用モノレールの主な銘柄
- モノラック
- ニューラックモノレール
- エルタラインキャリア
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- モノレールと新交通システム 佐藤信之著 ISBN 4-87687-266-X
外部リンク[編集]
- The Monorail Society
- 日本のモノレール (個人サイト)1960年代~70年代当時に開業した日本のモノレールの写真、パンフレット、切符などが掲載ca:Monorail
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