「樋田昌志」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(ページの作成:「'''樋田昌志'''(とよだ まさし)とは、日蓮正宗の信者である。長野県長野市出身(FaceBookより出身中学校から判明した...」)
 
1行目: 1行目:
 
'''樋田昌志'''(とよだ まさし)とは、[[日蓮正宗]]の信者である。[[長野県]][[長野市]]出身(FaceBookより出身中学校から判明した)。
 
'''樋田昌志'''(とよだ まさし)とは、[[日蓮正宗]]の信者である。[[長野県]][[長野市]]出身(FaceBookより出身中学校から判明した)。
  
 +
== 概要 ==
 +
*1980(昭和55)年2月22日、[[八王子]]の日蓮正宗・法忍寺にて日蓮正宗・[[創価学会]]に入信。
 +
*1981(昭和56)年ごろ、[[福生]]で創価学会組織につかずに、独自に折伏活動を活発に展開している不思議な老人に出会い衝撃を受けたと本人が述懐している。
 +
*その後その老人の死去と共に[[長野]]に帰郷。当人は創価学会組織に違和感を感じつつ、つかず離れずの状態が続く。
 +
*1990(平成2)年春、[[池田大作]]の同時放送を聞き激しく疑問に思う。平成2年暮れの日蓮正宗と創価学会の宗創勃発によって、長野県長野市の日蓮正宗・[[妙相寺]]に通う。
 +
*1991(平成3)年11月、日蓮正宗から創価学会へ解散勧告が出されると同時に脱会し、日蓮正宗・妙相寺[[法華講]]員になる。
 +
*その後、[[パソコン]]や[[インターネット]]の普及、デジタルビデオの技術進化とともに、インターネット上に「トヨダテレビ」なる[[動画サイト]]を開設。
  
 +
創価学会員や顕正会員に議論をふっかけては、「公場対決」を口実に、様子をビデオで撮影。その映像を、DVD化して自分のホームページで販売。近年は、[[ユーチューブ]]にまで、自分が法華講員に講釈をしている動画をどんどんアップして、日蓮正宗内部でも売名を図っている。尚、討論の映像については、ビデオ編集ソフトを使って、あたかも自分が圧倒的に議論を勝利しているかのように大幅な編集を施しているのではないかという疑惑が指摘されている。[[三浦和義]]の「疑惑の銃弾」ならぬ、樋田昌志の「疑惑の映像」と言われている。この人物の、相手の不信教の自由や肖像権などの人権や権利を平気で蹂躙して、全く顧みない謀略体質は、創価学会や[[顕正会]]の謀略体質とよく似ているかもしれない。
 +
 +
== 出典・引用元 ==
 +
*[http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/ アンチ日蓮正宗]
  
  

2014年7月11日 (金) 23:58時点における版

樋田昌志(とよだ まさし)とは、日蓮正宗の信者である。長野県長野市出身(FaceBookより出身中学校から判明した)。

概要

  • 1980(昭和55)年2月22日、八王子の日蓮正宗・法忍寺にて日蓮正宗・創価学会に入信。
  • 1981(昭和56)年ごろ、福生で創価学会組織につかずに、独自に折伏活動を活発に展開している不思議な老人に出会い衝撃を受けたと本人が述懐している。
  • その後その老人の死去と共に長野に帰郷。当人は創価学会組織に違和感を感じつつ、つかず離れずの状態が続く。
  • 1990(平成2)年春、池田大作の同時放送を聞き激しく疑問に思う。平成2年暮れの日蓮正宗と創価学会の宗創勃発によって、長野県長野市の日蓮正宗・妙相寺に通う。
  • 1991(平成3)年11月、日蓮正宗から創価学会へ解散勧告が出されると同時に脱会し、日蓮正宗・妙相寺法華講員になる。
  • その後、パソコンインターネットの普及、デジタルビデオの技術進化とともに、インターネット上に「トヨダテレビ」なる動画サイトを開設。

創価学会員や顕正会員に議論をふっかけては、「公場対決」を口実に、様子をビデオで撮影。その映像を、DVD化して自分のホームページで販売。近年は、ユーチューブにまで、自分が法華講員に講釈をしている動画をどんどんアップして、日蓮正宗内部でも売名を図っている。尚、討論の映像については、ビデオ編集ソフトを使って、あたかも自分が圧倒的に議論を勝利しているかのように大幅な編集を施しているのではないかという疑惑が指摘されている。三浦和義の「疑惑の銃弾」ならぬ、樋田昌志の「疑惑の映像」と言われている。この人物の、相手の不信教の自由や肖像権などの人権や権利を平気で蹂躙して、全く顧みない謀略体質は、創価学会や顕正会の謀略体質とよく似ているかもしれない。

出典・引用元


外部リンク