プリントゴッコ

提供: Yourpedia
2014年12月18日 (木) 21:04時点におけるPG (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「'''プリントゴッコ'''(Print Gocco)は理想科学工業1977年昭和52年)から製造・発売していた家庭用小型印刷器具の...」)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

プリントゴッコ(Print Gocco)は理想科学工業1977年昭和52年)から製造・発売していた家庭用小型印刷器具のブランドである。プリントゴッコはある一つの機種をさす言葉ではなく、プリントゴッコの本体・消耗品・オプション品は、さまざまな種類がある。プリントゴッコの名は、当時の理想科学社長である羽山昇が、子ども達が家庭で印刷ごっこを楽しむ姿を思い描いて名付けた[1]。プリントゴッコの名称には社内で異論もあったが、羽山が「ごっこ遊びこそ知育の源泉」と説得して決定した[1]。プリントゴッコを使った版画を芸術活動として行なっている人達は、プリントゴッコを使った印刷を「新孔版画」と呼ぶ。理想科学工業は2008年平成20年)6月末にプリントゴッコの本体の販売を終了し、その後もプリントゴッコの消耗品の販売は続けていたが、2012年(平成24年)12月28日でプリントゴッコの関連商品の全ての販売を終了した[2][3]

仕組み[編集]

プリントゴッコは、印刷方法の原理の分類によると「孔版印刷」の一種である。カーボンを含む筆記具を使って紙に書いた物が原稿となる。プリントゴッコでは、孔版の版は、「マスター」と呼ばれる商品名の、スクリーンである。版画において、スクリーンというのは、まるで布のように細かい網目状の薄いシートの構造をした物のことである。プリントゴッコのマスターの構造は、細かい網目状の薄いシートに、ある一定の熱で解ける特殊な化学物質が薄く塗ってあり、そのシートが厚紙のフレーム枠で固定されている。プリントゴッコの本体は、版を作成する(製版する)ためにも、印刷をするためのプレス機械としても使われる。

製版するには、原稿とマスターとフラッシュランプ電池をプリントゴッコの本体に装着し、原稿とマスターを合わせるように密着させて、フラッシュランプを一瞬光らせて、閃光を原稿に当てる。原稿にカーボンを含むインクで書かれた部分だけが、書かれていない白い紙の部分よりも、閃光による熱が多く発生し、マスターの特殊な化学物質を溶かし、細かい網目だけが残る。原稿に何も書かれていない白い紙の部分では、閃光を受けたときの発熱は、マスターの特殊な化学物質を溶かすほどにはならない。マスターの特殊な化学物質が残っている部分は、インクが細かい網目を通ることができない。そのため、原稿に書かれた部分だけが、インクが細かい網目の隙間を通る部分となる。プリントゴッコのフラッシュランプは、一度光らせたら二度と光らないので、使い捨てである。製版に用いるフラッシュランプは、写真用フラッシュバルブと仕組みが同じである。ストロボが普及する中、需要がなくなっていたフラッシュバルブに再び活躍の場を与えたと言われる。

印刷作業では原稿とフラッシュランプと電池は不要である。マスターの、インクを通す部分にインクを盛り、マスターをプリントゴッコの本体に装着し、紙に押し当てる(プレスする)ことによって印刷する。押圧によってインクはスクリーンの細かい網目から染み出るように出てきて、紙の上に乗る。

印刷時にローラーまたはスクイージーsqueegee)は不要である。プリントゴッコ本体がプレス機械として働き、スクリーン全体を紙に押しつける。この結果、印刷時にスクリーンの中でのインクの位置がほとんど移動しない。このことは、次のようないくつかの利点をもたらす。一枚のスクリーンにインクを乗せて盛るときに、スクリーンの上でグラデーションのように変化させてインクを乗せたり、複数の色のインクを自由にスクリーンに乗せることにより、一枚のスクリーンで、一色よりも多い色の数の印刷が可能である。一枚のスクリーンの中で、インクが通る場所が島のように離れている場合は、そのそれぞれの場所で違う色のインクを乗せて、インクが通らないスクリーンの部分に、粘着剤がついた薄いスポンジのシートを切って貼ることにより、一枚のスクリーンで多色刷りができる。もし印刷時にローラーまたはスクイージーを使うような、他の版画技法を用いる場合は、例えば普通のシルクスクリーンがその一例であるが、一枚のスクリーンでは一色のインクしか使えず、無理に多色のインクを一枚のスクリーンに使った場合は、印刷するたびにローラーまたはスクイージーによりインクの位置がずれていくので、印刷の結果は変化していってしまう。[4]

普及[編集]

1970年代後半に発売された当初は、少ない枚数でも安価に自由な印刷を葉書の大きさの紙にできたので、年賀状や暑中(残暑)見舞いを作成する目的によく合い、急激に普及していった。その後、葉書よりも大きな紙や布に印刷できるプリントゴッコの機種が発売されたが、特に葉書やそれよりも小さい大きさのカードの印刷機械として幅広く用いられた。また、アマチュア無線において交信の証拠として交換するQSLカードの印刷手段としてもよく用いられた。[5]カーボンを含んだ印刷を施して直接原稿に使えるように配慮された素材集も多数出版された。自分で作った版下を用いて自由にインクを配置し、誰でも容易にカラフルな印刷ができることがユーザーの高い支持を受け、全国的に普及して行った。発売当初のものは微細な表現を苦手としたが、細かい均一な網目を持つハイメッシュマスターとそれに対応したインクの開発によって、本格的シルク印刷に近いかなり細かな精度を持つ印刷が可能となり、専用フォトスクリーンの登場で写真の網点製版も実現。インクの色数も増えたことで飛躍的に表現力や応用性が向上し、工夫次第で高度な印刷物を作ることもできるようになった。また、原理的にはフルカラー印刷はできないものの、三原色に分解した網点原稿を3つ重ねて印刷することで擬似的に分版カラー印刷を実現するセットや素材集も発売された。応用製品として、簡易スタンプ作成キットや、布印刷に対応したキットなどもある。 こうして進化を続けた結果、最盛期には年賀状印刷の定番となり[2]、年末になるとTVコマーシャルはもちろん文具店や量販店に山積み販売されるほどの人気商品に登りつめた。

プリントゴッコは1987年昭和62年)に年間最多の72万台を売上げ[6]、広く日本の一般家庭に普及した。

累計売上台数は日本を含めた全世界で1050万台。

パソコンとプリンターによる年賀状作成が台頭[編集]

パソコンの一般家庭での普及率が上昇していき、インクジェットプリンターの高画質化、低価格化が進み、それに伴いパソコン上で動作する年賀状作成ソフトが普及していった。パソコンとプリンターによる年賀状作成とプリントゴッコによるものを比較すると、パソコンとプリンターではフルカラーの写真の年賀状を簡単に作成できたり、画数の多い漢字を小さくきれいに簡単に印刷できるが、プリントゴッコでは同様のことができないこと、プリンターで印刷した結果の紙のインクは、プリントゴッコよりも圧倒的に速く乾くことなどがある。プリントゴッコで印刷が終わった大量の紙を、日本の狭い部屋で乾かすには何らかの道具が必要だった。インクジェットプリンターで印刷した原稿はカーボンを含まないため、それを、カーボンを含むインクを使うコピー機でコピーしてからプリントゴッコの製版用原稿にする必要があった。パソコンとインクジェットプリンターとプリントゴッコを全て一緒に使って作業をする必然性がないという意味で、パソコンなどのデジタル機器と統合することは不可能だった。印刷速度や印刷コストではインクジェットプリンターに見劣りするものではなかったが、多くの消費者がパソコンとプリンターによる方法を選んだ結果、プリントゴッコは年賀状作成の市場を失っていった。

年賀状作成の目的とは違い、芸術作品の技法の一種としてプリントゴッコを評価すると、一枚のスクリーンで多色刷りができる場合があるなど、他の版画技法にはない利点があり、また他の版画技法と比べると簡単な作業で表現力豊かな版画作品を作れる利点があったので、1991年に、プリントゴッコを使った版画を新孔版画と呼び、新孔版画協会という、新孔版画の芸術家の交流の場としての団体が東京都に本部をおいて発足した。

パソコンとプリンターによる年賀状作成が普及する中で、それに対抗するようにしばらくはプリントゴッコの販売が続けられた。プリンターでは出せない味わいを持たせたり、プリンターと組み合わせて、インクジェットプリンターでは印刷できない金色銀色蛍光色などの特殊インクや、立体的に盛り上がるインクなどの特殊印刷を行う用途などに根強い人気があった。電子メールの普及などにより日本の年賀状をやりとりする習慣・文化が少しずつ衰退していったため、日本では年賀状作成そのものの需要が減少傾向にあった。

パソコンとプリンターによる年賀状作成が普及したことや、年賀状作成の需要が減少したことなどの原因により、プリントゴッコの需要の減少傾向が変わらずに続いたため、2008年(平成20年)6月末に本体の販売を終了した[7]。なお、インク、フラッシュランプなどの消耗品の販売はその後も継続していたが、2012年(平成24年)12月28日にプリントゴッコに関連する事業の全てを終了した[8][3]

プリントゴッコjet[編集]

2003年(平成15年)には「プリントゴッコjet」が発売された。これは小型スキャナメモリーカードリーダ、インクジェットプリンタ、液晶画面を内蔵した印刷機械だった。原稿作成が容易で手軽にカードを印刷できるという利点は、それ以前のプリントゴッコと共通していた。この印刷機械は、従来のプリントゴッコとはしくみ・原理が全く異なるデジタル機械であり、パソコンとプリンターによる印刷と原理が同じだった。プリントゴッコの特長の一つである特殊インクを利用できなかった。販売不振のため、販売を終了した。

年表[編集]

  • 1977年昭和52年)5月 - ビジネスシヨウでプリントゴッコを発表
  • 1977年(昭和52年)9月 - プリントゴッコB6を発売
  • 1987年(昭和62年) - プリントゴッコPG-10を発売
  • 1991年平成3年)11月 - プリントゴッコPG-10SUPERを発売
  • 1995年(平成7年)9月 - プリントゴッコPG-5、PG-11を発売
  • 1995年(平成7年)11月 - プリントゴッコデジタルCD-1を発売
  • 1996年(平成8年) - プリントゴッコシリーズの累計販売台数が1000万台を突破[2]
  • 1999年(平成11年)6月 - プリントゴッコアーツ(紙用/布用:定価29,800円)を発売
  • 1999年(平成11年)11月 - プリントゴッコデジタルを発売
  • 2000年(平成12年)11月 - プリントゴッコFC-3を発売
  • 2003年(平成15年)10月 - プリントゴッコjetV-10(定価29,190円)を発売
  • 2008年(平成20年)6月30日 - プリントゴッコ本体のメーカー販売を終了
  • 2010年(平成22年)10月17日 - プリントゴッコ・ユーザーコミュニティ「RISO Gocco's CLUB」の新規受付終了
  • 2012年(平成24年)12月28日 - 消耗品の販売・サポート業務などプリントゴッコのすべての業務を終了[2][3]

CMキャラクター[編集]

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 中日新聞社販売局(2012):30ページ
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 中日新聞社販売局(2012):31ページ
  3. 3.0 3.1 3.2 “プリントゴッコ事業終了について” (プレスリリース), 理想科学工業, (2012年12月28日) 2012年12月28日閲覧。
  4. 『プリントゴッコで楽しくアートする』、理想科学工業、1991年、(ISBNなし、寄稿者多数)
  5. かつて存在した作品コンテストでは「QSLカードの部」があった
  6. [1](プリントゴッコのあゆみ)
  7. 杉本吏"プリントゴッコが販売終了 年賀状文化の衰退も後押し"<ウェブ魚拓>ITmedia、2008年5月30日(2012年12月22日閲覧。)
  8. http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=291913&lindID=4

参考文献[編集]

  • 中日新聞社販売局『Clife 2012年12月号』くらしと中日746、中日新聞社販売局、38p.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

Wikipedia-logo.svg このページはウィキペディア日本語版のコンテンツ・プリントゴッコを利用して作成されています。変更履歴はこちらです。