Mikomaid の真実 第6章

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この項目はMikomaid の真実 第5章の続きである。

Mikomaidイメージ画像

Yourpedia と wikia、そして、アンサイクロペディア

一方、本人は、投稿ブロックを見越して2008年8月11日にYourpediaにてウィキペディアと同じ Mikomaid会話/履歴/ログ/メール のハンドルネームでアカウントを作成し、日本ウィキアMikomaidや学校ウィキアMimaidでも2008年10月12日に アカウントを作成した。「各種方針の熟読期間」として投稿ブロック処分1年間は、Mikomaid には堪えられなかったのである。ウィキペディア編集の代替手段として Yourpedia や wikia を用いたのは2ちゃんねるの掲示板荒らしの代替手段としてウィキペディアの編集に参加したのと同じ行為である。

YourpediaやWikiaではルールが違うからと先編集権を盾に、ウィキペディアでは記述できなかった内容を編集すると宣言[1]している。2009年9月2日に1年間の投稿ブロック前の最後のコメントで「今となっては何を書いても真摯な反省と受け取って頂けないかもしれませんが、今の私にできることは弁明と謝罪と、時間がかかるかもしれないけど、基本方針に就いての勉強だけです(会話:Mikomaid )」との記述は忘れていた。


Yourpedia

Mikomaid似の画像

2008年8月11日に Yourpedia にてウィキペディアと同じ Mikomaid会話/履歴/ログ/メール のハンドルネームでアカウントを作成して Yourpedia 上で「播州の秋祭り」の編集を行い、投稿活動を開始した[2]。編集内容はウィキペディアの項目を転載したものであり、その転載したものは過去、自分が編集したお気に入りの過去の内容を転載したものであり、最新版の内容ではない。自己の編集に固執している証である。

そこでも、自己中心的な編集内容を最新版の内容に改編したユーザーと編集合戦を起こし、Yourpedia でもウィキペディアと同じくで問題を起こした。

2008年10月12日にウィキペディアと同様に論議相手に「裸祭りの編集を巡って、論議相手の投稿ブロック依頼を出し、逆に論議相手からも Mikomaid会話/履歴/ログ/メール投稿ブロック依頼が出された。[3]

この論議で Mikomaid会話/履歴/ログ/メール は Yourpedia を「単なる落書き掲示板」であり、フォークが認められている以上、先編集権を主張して、どんな編集も許されると主張し、過去のウィキペディアの自分のお気に入りの編集内容を転載し続けて、ウィキペディアに復帰の際に復活を目論もうとしていた[4]ウィキペディアでの反省は微塵もない。 その後、自身の「Mikomaid」のアカウントネームが本稿で指摘されたことから、その使用をアイサール会話/履歴/ログ/メール大野普吾会話/履歴/ログ/メールどんどだるま会話/履歴/ログ/メールAbcdefgh会話/履歴/ログ/メール、のアカウントを設けて、これまで通りの多重アカウントを駆使した自分勝手な活動を続けている。

2011年11月14日Sysop会話/履歴/ログ/メール は IP:220.3.134.144会話/履歴/ログ/whois1/whois2/whois3/collexy(現 softbank220003134144.bbtec.net )の無期限ブロック処分を発表した。この IPはMikomaid のIP220.3.134.144(現 softbank220003134144.bbtec.net )であり、ユアペディアのMikomaid会話/履歴/ログ/メールのIPでもある。Mikomaid会話/履歴/ログ/メール2010年8月29日に「みんなで使おう公開アカウント会話/履歴/ログ/メール」を乗っ取り、以降、このアカウントを使用してMikomaidの編集の妨害を続けていた[5]Mikomaid会話/履歴/ログ/メールはこの処分発表直後に、Sysop会話/履歴/ログ/メール に自分が使用したことを認め、「已む得ず行った正当な行動である」との理由[6]で、IP:220.3.134.144会話/履歴/ログ/whois1/whois2/whois3/collexyの投稿ブロック解除を願い出ている。

「みんなで使おう公開アカウント」に就いて
このアカウントを使ったのは確かに私(220.3.134.144)です。只、これを使ったのは、このアカウントのパスワードが公開されてた頃に利用者:ウーソキマスラ氏の利用者ページの悪質な移動荒らしに使われてた事から、それを止めるためにパスワードを剥奪したもので、それ以降は移動荒らしは止まってます。只、その後、YUu会話/履歴/ログ/メールとの間での編集合戦に、このアカウントを使った事は認めます。只、この当時は事実上の管理放棄状態だったため、他に手段がありませんでした。只、8月19日以降は、このアカウントでは穏健な編集をさせて頂きました。この点はご理解頂ければ幸いです。Mikomaid 2011年11月14日 (月) 09:13 (UTC)
8月19日の編集はYPが依然として誹謗中傷の巣窟となってた事から、それを揶揄するために少々いじったもので、これは他者にすぐ差し戻されました。これに就いては弁解の余地はありません。この様な事は二度としません。申し訳ありませんでした。Mikomaid 2011年11月14日 (月) 11:14 (UTC)

このIP:220.3.134.144会話/履歴/ログ/whois1/whois2/whois3/collexy(現 softbank220003134144.bbtec.net )は、Abcdefgh会話/履歴/ログ/メール でも使用されていることが2012年1月4日Sysop会話/履歴/ログ/メールよりAbcdefgh会話/履歴/ログ/メールがユアペディアの管理者に再立候補した際に問われると、Mikomaid会話/履歴/ログ/メール と家族であると回答している。[7]

また、ユアペディアでも2011年11月13日に「編集妨害」・「誹謗中傷」を理由に、自身のIPアドレス220.3.134.144」(現 softbank220003134144.bbtec.net )がSysop会話/履歴/ログ/メール により無期限投稿ブロック処分が下され、当日にMikomaid会話/履歴/ログ/メールが「この様な事は二度としません。申し訳ありませんでした」と謝罪[8]したにもかかわらず、その3日後の11月17日に、一転して「私は、YPの動作を少々重くする為の工作を行っております[9]と公言している。(参考:DoS ATTACK#672013年2月13日には「Yourpedia被害者の会」をプロジェクトページで立ち上げるまでにユアペディアに反旗を翻するまで至っている。しかし、当該のプロジェクトページはSysop会話/履歴/ログ/メール から、2013年3月20日に「荒らし・いたずら: Yourpediaプロジェクトページの目的外利用」として削除処分が下された[10]。 このため、Mikomaid会話/履歴/ログ/メールは「2013年7月20日午前0時0分0秒(日本時間)迄に私が行った削除依頼・ブロック依頼を受けていただけない場合は外部サイトに「ユアペディア被害者の会」を開設させて頂こうと思っております」と宣言し[11]7月20日午後8時11分にFCブログで「Yourpedia被害者の会」を立ち上げた。「Yourpediaというサイトでは理念に反し無名の個人に対する誹謗中傷・個人攻撃が横行しており、管理者も「削除依頼」のハードルを高く設定する、等、「難癖」を付けて削除対応を渋る、という、凡そ非人道的な内容・対応となっております」と告知したが、Mikomaid会話/履歴/ログ/メールの 「コメント承認制」(注:賛同者のIPアドレスがMikomaidに筒抜けになる)の為か、誰も賛同者が出ていない状態となっている。

wikia

Mikomaid のイメージ画像

Yourpedia で投稿ブロック依頼を出した2008年10月12日に、「日本ウィキア」や「学校ウィキア」で「 Mikomaid 」のアカウントを作成して、「祭り」や「ふんどしで水泳をする学校」の編集を行い、自分の性癖を強く表した編集内容となっている。Wikiaは2008年1月23日に「映画ペディア」で編集を開始していた以来のものである。他に、2008年10月24日に「ウィキア コミュニティのためのウェブサイト」 、「アニメウィキア」でも 2008年10月25日から「ぜんまいざむらい」の編集を開始し[12]2009年1月19日には「ドラえもん Wikia」、2009年3月1日に「鉄道ウィキ」の編集を開始し、2009年7月16日にはUikipedia で「Ping」の編集を開始している。ウィキアでは編集は行わなくてもログイン記録は残るのでここ を調べると毎日のようにログインしている記録が残っている。日勤で勤務していると主張する、Mikomaid会話/履歴/ログ/メールの破綻ぶりがここでも露呈している。なお、2012年 10月23日 以降は 「 Mikomaid 」名義でのログインはしていない。 誰からの邪魔が入らない wikia をその活動の中心に移して、毎日のように投稿を行っている。これはウィキアでの執筆内容がウィキペディアに転載可能となることによるものである。ユーザーの少ないウィキアで自身の思うままの編集が行えるためである。今後はここで編集されたものをウィキペディアに転載するものと予想される。

アンサイクロペディア

Mikomaid 2015年似の画像


Mikomaid 」は2013年11月11日にアンサイクロペディアでアカウントを開設した。2013年11月16日と17日に集中的に編集を行い、特に17日のこの編集は荒しと指摘されたことで201311月17日に「投稿ブロック依頼 Mikomaid」が提出された。その途端に、「Abcdefgh」がすかさずアカウントを開設して、「ここUCPでのMikomaidが、成り済ましではなく本物(YPのMikomaid、私の家族の一人)ならば、恐らく反省はしないと思われます。もう1ヶ月~無期限のブロックで良いと思われます」とコメントした経緯がある。

Mikomaid」 は2013年12月4日「執拗な編集と荒し」を理由に無期限投稿ブロック処分を受けた。[13] 2013年11月11日にアカウントを設け、16日から編集を開始したものの、僅か2日の編集活動で終わった。[14]

同じくして、2013年11月17日にアカウントを設けた「Abcdefgh」も2013年12月4日に多重アカウントを理由に無期限投稿ブロック処分が下されている。アンサイクロペディアの管理者はわざわざwiki:利用者:Mikomaidも参考」としていることから、ウィキペディアで曝されたMikomaid会話/履歴/ログ/メール のIPアドレス(220.3.134.144)も参照したものと推測される。[15]

これは、余りのタイミングの良さで「Abcdefgh」が登場したことで、逆に怪しまれて、「チェックユーザー依頼Mikomaid」が提出され、「Mikomaid」と「Abcdefgh」の同一性が指摘され、併せて「のび太くん」のアカウントまで炙り出された。この「のび太くん」は過去数回の投稿ブロック歴があり、2013年10月6日から一年間の投稿ブロック処分を受けていたアカウントであったことである。且つ、このアカウントでも多重アカウント疑惑が指摘されている。「チェックユーザーUser450氏」で判明した。「ドラえもん大佐.」と「チンアナゴ。」である。これらの五つの多重アカウントの駆使によってのび太くんが一年間の投稿ブロック処分となったのである。このアカウントもAbcdefghが無期限投稿ブロックとなったことから同じく無期限投稿ブロックに変更されることは確実である。

必然的にユアペディアのAbcdefgh会話/履歴/ログ/メールMikomaid会話/履歴/ログ/メール であることがアンサイクロペディアを通じて証明されたことになる。Mikomaid会話/履歴/ログ/メールはこれまでの反省を活かせず、自らの言動により、あらゆるコミュニュティから排斥される運命を背負っている人物なのであろう。

なお、Mikomaid会話/履歴/ログ/メール2014年1月15日にアンサイクロペディアにて自身のIPアドレス(220.3.134.144)で成り済ましであると抗議を行った。[16] また、自身の利用者ページにて「私がMikomaid名義で活動中(又は活動した)wiki系サイトは、ここ以外はウィキペディア、ウィキアのみであり、それ以外における、Mikomaid名義のアカウントは私とは一切無関係です」[17]と述べているが、ユアディアのアカウントを開設した2008年8月11日午後9時30分の12分前の午後9時18分にウィキトラベルで「Mikomaid」の名称でアカウントが開設されている[18]ことから虚言であることが判る。これもMikomaid会話/履歴/ログ/メールが「単なる偶然」と片付けるならば、正に奇跡を呼ぶ特筆性のある人物であろう。

Mikomaid会話/履歴/ログ/メールが別人の家族であると否定しているAbcdefgh会話/履歴/ログ/メールは沈黙を続け、否定も抗議も行っていなかったが、2014年1月18日に否定した。

Mikomaid のウィキアでの活動


ウィキアでの 「Mikomaid と Achika._J._Kuonji」
Mikomaid のイメージ画像

日本ウィキアでは Mikomaid別アカウントネーム(久遠寺 阿知花 寿来A. J. Kuonji ) を第三者が「ノート:裸祭り」で使用していることに気付いた Mikomaid が対抗して2009年1月27日に「Achika J. Kuonji」のアカウントを作成し、「別人である」とわざわざ自分の利用者ページで公表[19]して、2009年2月9日にそのアカウント名の持ち主に「わざわざその名前を使う理由は? 」と抗議を込めた詰問 をしたところ、実は、そのアカウントネームの署名、「久遠寺 阿知花 寿来」は上述した Mikomaid が10年近く前の昔から同郷の群馬県高崎市で同じ巫女や祭事、ふんどしの趣味を持つ他の男性ユーザーが使用していたハンドルネームを盗用していたことが明らかになった。この男性は mixi でも「久遠寺 阿知花と名乗っており、後述する Mikomaid が mixi に加入する時に使用したハンドルネーム「美鈴」よりも遙かに古くから mixi で使用しているハンドルネームなのである。自らが「なりすましに悩んでいる」のならば、何故、他人のハンドルネームを盗用するのであろうか。 「わざわざその名前を使う理由」を説明する責任は A. J. KuonjiMikomaid ) にあるのである。

Mikomaid は「弥/備考に関する提案」 で行ったように、第三者を装った 「Porori 」なる人物で登場して、自作自演や議論を攪乱していることが判明した。

Porori 」なる人物は2009年2月9日の「偶然の一致っておもしろいですね(^^;[20]2009年2月11日の「おお、新展開w[21]などの「顔文字を用いる独特の文章 」や「感嘆詞で始まる書き込み」、何度も自分の書き込みに修正を入れる編集[22]を入れるこれまでの Mikomaid の編集の癖に加えて、2009年2月11日には「Porori様から、お呼びが掛かったので、お答えします」[23]と、これまで「弥/備考に関する提案」で見られた「呼ばれたので来てみました」[24]や「こちらでは、はじめまして」[25]、「Mikomaid さんからバトンを渡されたので書かせていただきます」[26]、Wikia での「こちらでは、はじめまして」[27]と同様に Mikomaid の文体の癖が出ている。

これまで Mikomaid がウィキペディアの論議で何度も用いていた多重アカウントを用いて議論誘導を行う姑息で幼児的な用法である。


Mikomaid の感嘆詞の利用例
Mikomaid の顔文字の利用例


Achika_J._Kuonjiは、その前日の2009年2月8日に Wikia 日本語で 「Forum:なりすましに悩んでいます」と相談し、ここでも、Mikomaid は依頼された訳でもないのに、2009年2月13日に「なりすましの方は話し合いに応じる振りをし乍ら私の呼び掛けを無視して自分の編集を強引に推し進める、異様なまでに議論を引き伸ばす、これは怪しい、という訳で WP のA. J. Kuonji 様にウィキメールで問い合わせた処、これが発覚した、という訳です[28]と登場した。これは、2008年7月16日に提出した「コメント依頼/弥、郁」で用いた「私の編集にケチを付けたり、難癖を付けたりして、それで、こちらが、何とか妥協しようとして色々コメントしてるにもかかわらず、ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う、というように、議論をはぐらかす、まるで、私と敵対することを趣味にし、私を論破することを生きがいにしてるような感じです。こちらが少しでも妥協しようとしてるにもかかわらず、相手には妥協の姿勢が全く見られず、議論参加者が少ない ( コメント依頼中にもかかわらず ) 段階で自分の考えを遮二無二押し通そうとしてる感じです」と全く同じ用法である。

Mikomaidイメージ画像

自分と意を異にする相手は全て敵対者としてしか見なさない、「今度はあなたのことをコメント依頼しますよ![29] で見られるように、これで、コメント依頼を出すことで相手の主張を牽制する目的であったことを後述するウィキーメールを使用したことと同様、自ら暴露したことに本人は気付かなかった。多くの論議で問題となっていたのは「話し合いに応じる振りをし乍ら私の呼び掛けを無視して自分の編集を強引に推し進める、異様なまでに議論を引き伸ばす」のは、Mikomaid 自身の姿勢だったのである。マークアップの妥当性について「議論が長期化しており、この際止むを得ません」(ノート:播州の秋祭り 2008年7月26日)や、「それでは両方とも削除、ということで合意、ということで宜しいですね。ものすごく味気ない内容になりますが、それで宜しいですね。私としては不本意ですが、この際やむを得ません」(ノート:播州の秋祭り 2008年7月26日)と未練足らしくマークアップの必要性を説き、短気な性格が災いして「ノート:播磨の秋祭り」で論議が長く続いていたことで、Mikomaid 自身で投票を提案してしまい、「最後のコメントから1週間、他の意見がなければマークアップと注釈の両方を削除といたします」(ノート:播州の秋祭り 2008年7月26日)と宣言してコメント依頼を出し、Mikomaid 自身が投票による合意を提案して決着させようとした。ところが、コメント依頼提出後、第三者から次々と Mikomaid の意に反するコメントが入り始め、Mikomaid は旗色が悪いと判断して、一転して、2008年8月5日に「私は、どんなに時間が掛かっても、双方が心の底から納得する結論が出るまで議論を続けるつもりです」[30]とこれまでに至った自分で投票を提案し、双方で合意した投票を一方的に破棄した。いたずらに議論を引き延ばしていたのは Mikomaid 自身だったのである。この合意の破棄について一般ユーザーの HANSON から「合意事項への反証を提示することは自由ですが、合意を勝手に破棄することはWikipediaのルールに反します」と厳しく批判された[31]

なお、Mikomaid が一年間の投稿ブロック処分を受けた後の数々の項目の編集ではいかなる論争は起こっていない。Mikomaid が編集を攪乱していた証でもある。

Mikomaid はWikiメールを使って A._J._Kuonji に問い合わせたと主張したが、そのメールで相手( Achika J. Kuonji )の返信メールを相手に断りもなくヘッダー解析を行って第三者に公表するような一般の社会常識とはかけ離れた市民ルールを弁えない非礼な行為を行っている。 Mikomaid は「今回、初めて、WPの:A. J. Kuonji様の利用者ページからウィキメールを送信した処、案の定、別人、という回答がありました。更に、回答メールのヘッダを分析した結果、私が使用中のISP(問屋が前身)とは別のISP(逓信省が前身)であった事が判明しました」 [32]。 因みに、投稿ブロック処分中の Mikomaid はウィキメールを使用できないはずなので、「虚位の内容」であることがわかる。仮に、ウィキメールを使用できたこととなると、別の、まだ判明していないアカウントを持っていることを自ら暴露したことになる。

相手のヘッダー解析内容を相手の断りもなく第三者に暴露することはノート:お会式で宗教的信条の告白を他者に要求し、告白しないかぎり意見を無視し、投票を無効とするという態度は良識ある市民社会のルールに反していると告発者の Mizusumashi から厳しく糾弾されたことと同じことである。 Achika J. Kuonji のプロバイダーは「逓信省が前身」であり、自分はのISPは「問屋が前身」であるから別人であると主張[33]したが、具体的なヘッダー情報の証拠を出した訳ではなく、ただ、自分の調査結果では別人であると主張するだけの自作自演を行った[34]。初めてのメールで事後承諾を得られるだけの「親密な関係」を築ける間柄だったのだろうか。

Mikomaid の主張は自分がウィキペディアで行っていた行為そのもので、他人はそのような行為は批判できても、自分の行為には反省がないことである。

投稿ブロック依頼/Mikomaid」で Mikomaid 本人が述べた「ノート:ふんどし」、「弥/備考に関する提案」に於いては、今では大変なこと ( ブロックされてもやむを得ない ) をしてしまったと思っており、反省しており、こういうことはもう2度としません。今年に入ってからはしておりません。議論ページ中の指人形はやめた発言は、それを踏まえてのものです」との約束は舌の根の乾かぬ内に破られたことになる。wikia でも他者の編集が入らないように項目を自分のMikomaid/作業ページにリダイレクトして「ページの大幅な内容の変更を禁止する」と記述して項目の私物化を図った[35]。未だ自己の編集に固執して、ウィキペディアでの反省がないことの証明である。

Mikomaid は目的のためなら手段を選ばず、自己中心的で、エチケット、マナー、誠実性、信頼性、協調性、責任制に欠けた幼児的で狡猾な人間性を如実に表している。傲慢で、自己保身のために攻撃的になることを厭わないウィキペディアでの言動から、自宅に引き籠もるようになったのは他者との協調ができず、トラブルメーカーとなって、周囲から孤立して社会生活を送ることが出来なくなったことからと推測されるような行状であった。若い頃は問題が起きた場合、誰に謝罪すれば最も効果的な謝罪となるのかの悪知恵を身に付けて、ひたすら殊勝な態度で平身低頭の謝罪に徹して言い逃れて、その場限りで問題を回避できたものが、加齢を重ねて行くうちに同じ問題を何度も繰り返すと言い逃れができなくなり、袋小路に追い込まれた自業自得のものである。

ウィキペディアの「コメント依頼 Mikomaid」で返答した「皆様の大変厳しい指摘を頂き、本当に、心から反省しております」との殊勝な反省は虚偽であり、「知的な共同作業を行う百科事典の編集には向いていない方」と 海獺 に指摘された内容[36]を図らずもMikomaid 自身で証明した。

投稿ブロック後の Mikomaid の活動

現在、Mikomaid は投稿ブロック処分が明ける2009年9月3日に向けて、Yourpedia や日本ウィキアで投稿を続けると同時に、上述したソックパペットの 「A._J._Kuonji」 や、「YANCHARIKA」、「Jesudonbay」、「Ohnogo2004」のアカウントを使って投稿ブロック破りを行って編集を行っている可能性が濃厚である。

また、2007年12月25日に開設した自身の英語版のアカウント「Mikomaid」を使用して投稿ブロックが決定した2008年9月2日以降も英語版では編集活動を行っていたことが記録されている[37]2008年10月21日から2009年4月1日までに20回の編集活動を行っている。他に、2006年9月30日に開設した「メディアコモンズ Mikomaid」でも2009年2月9日に自身のWikia の活動を紹介する編集を行った。

その中で、2009年2月9日のメディアコモンズのアカウントを通じて自身の日本語版の利用者ページの編集行為[38]は明らかな投稿ブロック破りである。加えて、2009年2月17日には家業で使用している別のプロバイダー( 群馬インターネット、@wind.bay.ne.jp )を使用してログインして作成したと推測される 「Ohnogo2004」 の別アカウントまで開設しており、「投稿ブロック依頼 Mikomaid」 で述べた「謝罪と反省、基本方針の勉強」の反省の弁は微塵の欠片もない。投稿ブロック処分後もこれまでの Mikomaid の「悪質なユーザー」の体質は何ら変わっていないのである。


投稿ブロック期間中の Mikomaid の編集回数

2008年9月2日に投稿ブロック処分となった Mikomaid はソックパペットの 「A._J._Kuonji」、「YANCHARIKA」、「Ohnogo2004」 のアカウントを使い、ウィキペディアで編集活動を行った。「YANCHARIKA」 で135回、「A._J._Kuonji」 で82回、「Ohnogo2004」 で3回、「Mikomaid(英語版)」アカウントで20回、「メディアコモンズ Mikomaid」 で1回の編集活動を行ったことになる。この中で注目されるのは2008年9月7日である。「YANCHARIKA」 と 「A._J._Kuonji 」の相関関係が垣間見えるのである。 A._J._Kuonji が20時46分に編集活動を開始し、YANCHARIKA」 がその後の20時59分に編集活動を行っているのである。その YANCHARIKA の編集が終わると A._J._Kuonji が21時06分に再度編集活動を行っているのである。


投稿ブロック期間中の Mikomaid の活動

Mikomaid似の画像

Mikomaid はこれまで MizusumashiMikomaid の批判情報を寄せた相手の犯人捜しや報復準備のため、WikiChecker を使ってユーザーの投稿内容や編集傾向のチェックを行っている。 Fievarsty(F)会話/履歴/ログ/メール2009年3月6日に 「ウィキペディアの利用者」 から本項目「 Mikomaid 」を分離独立させ、それを目敏く見付けて自身についての記述を知った Mikomaid は、早速、当日夜に直ちに犯人捜しを行い、WikiChecker を使ってこれまで自分と対立したユーザー名の検索を行った形跡が有ることが記録されている。2009年3月6日以降、ユアペディアで Mikomaid会話/履歴/ログ/メール の編集がパッタリと止まったのはこのためである[39]。 WikiChecker の「最近入力されたユーザー名の一部」に Mikomaid が編集した項目に関わったユーザー名があったら、それは、Mikomaid が行ったものである。Mikomaid の本質は何ら変わっていないので、復帰後はより狡猾な編集や敵対するユーザーへの報復を行うものと予想される。特に、ウィキペディアに復帰する際は、過去、多くのユーザーから否定された編集内容の復活を目指し、Yourpedia やwikia に多くのユーザーから否定された内容を転載して、ウィキペディアでの再掲載を目指して温存している。これまで指摘され続けた出典先の明記において、「関係図書」を出典として自己の記述の正当性を主張するものと予想されるが、 Mikomaid 本人に問い合わせても、要領を得ない回答になるはずである。Mikomaid は実際に熟読して記述したのではなく、ネットで関連図書を検索して自己の記述を権威付けしそうな都合の良い関連図書を見つけただけのものに過ぎないので、具体的に書名に記述されている内容の箇所や、その記述ページを具体的に確認する必要があるだろう。殆どがマイナーな著作であったり、絶版書であるので多くのユーザーには検証が不可能な関連図書ばかりとなるだろう。そのため、Mikomaid 本人が「図書館で読んだ」」[40]と主張しても Mikomaid の地元の図書館では閲覧不可能な図書ばかりなので、具体的に出典となった著作の内容や、閲覧した図書館名や日時を具体的に聞けば、その自己の編集の正当性を主張したものは虚偽のものであることが判るはずである。そもそも、過去、数千回に渡る編集投稿で毎日、朝から晩までネットに張り付いた状態で、どうやって難解な専門の文献を読み、推敲する時間が発生するのか、自身の行動がネットで記録されている以上、「専門書を読んだ」とひけらかしてもその内容を精査する時間など、実家の衣装と写真関係の家業を手伝う時間や Mikomaid が参加している地域行事もあり、調査研究に必要な時間を捻出することは専門の研究者でもない限り不可能だからである。しかも、Mikomaid の編集内容はとても文献を隅から隅まで読んだような内容ではない。この人物は論文を執筆したことがないのではないのかと思える程の基礎知識がない冗長で散漫な内容の文章である。基本書を読んでいないことから専門用語となる「キーワード」が欠如しており、雑多な内容に留まっているなど、百科事典の編集は「転載すれば、それで良し」とする考え方がこの人物の編集内容から伝わって来るのである。出典・参考文献も一般が納得するような書籍ではなく、殆ど名の知れない文献から引用するなど、適切な教育・指導を受けたことのない人物であることを伺わせる。内容の正確性・検証性を判断する「査読能力」が問われる百科事典の編集に携わる資質がおよそ疑われる編集なのである。従って、これまで Mikomaid が編集した全ての項目について正確性・検証性を行う必要があるだろう。

Mikomaidイメージ画像

加えて、Mikomaid はウィキペディアや2ちゃんねる以外にも mixi でも活動を行っていることが既に水面下で囁かれている。ハンドルネームは Mikomaid とは違うものの、富岡市関連のコミュニティに参加している富岡市在住のある人物(「美鈴」)と Mikomaid の相似性が関係者の間で指摘されているのである。この人物の活動状況と照らし合わせれば Mikomaid が常々主張している「図書館の本を隅から隅まで読んだ」[41]などは時間的に無理であり、その主張は虚偽であることがわかる。 実際、Mikomaid は「書籍をネットで検索して存在を知った書籍です。目次を見ると、「秋の祭り」というのが載ってるので、もしかして、ここで総合的に扱ってるものと期待して、それで「これを見れば何かが判るはず」と書かせていただきました」 [42]の発言で判る通り、実際には書籍など読んではいないのである。

自己顕示欲の強い攻撃的な Mikomaid は、いずれ、多くのユーザーと過去と同じコミュニティを疲弊させる問題を起こすことは必至となることは明白であるから、Mikomaid が復帰した際は、十分な注意と監視を行い、再度の Mikomaid の投稿ブロックを依頼を行うために、投稿ブロック処分を受けた後の Mikomaid の投稿活動での発言記録や投稿内容の資料を準備して、 Mikomaid の別アカウントである「A._J._Kuonji」、「YANCHARIKA」 や 「Ohnogo2004」 の関係を明らかにするCU依頼を行い、投稿ブロック破りを行っていた事実を証明して、Mikomaid の「無期限投稿ブロック」を申請する必要があるだろう。投稿ブロック禁止中のソックパペットによる最後の編集は2009年9月2日YANCHARIKA が行った 「西野翔」 となるので、CUで同一人物と判定されれば、再度、一年間の投稿ブロックか無期限の投稿ブロックとなることだろう。 因みに、Mikomaid には2009年9月18日に後述する再度の「投稿ブロック依頼 Mikomaid 」が提出されてからはいずれのアカウントでも編集活動が滞っていたが、ここで指摘された直後の2009年9月22日A._J._Kuonji が編集活動を行った。次は YANCHARIKA が近く編集活動を行うと予想される。Mikomaid とこれらの二つのCU依頼提出の機会が到来したのかもしれない。Mikomaid とはIPが違っていたとしても、 A._J._KuonjiYANCHARIKA のIPは一致するはずである。

一方、2009年3月6日以来、しばらく編集活動が滞っていた Yourpedia 上での Mikomaid会話/履歴/ログ/メール2009年5月15日に突如として Yourpedia で編集を再開した。前夜に本人の顔写真が掲載されたことで更に自分が秘匿していた過去が暴露されるのではないかとの危機感を持った Mikomaid は自分の利用者ページにリダイレクト処理して「先編集権」を盾に「正当防衛」として項目の消滅を図ったものである。これまで無視を決め込んでいたものが、Mikomaid は「顔写真を貼られたことから、『もう我慢できない』という感じで[43]と修正が加えられた顔写真が自身であることを認めたことで、本項目の記述内容の正確性が担保されたことを恐れたためである。このため、「先編集権」を盾にリダイレクト処理を何度も繰り返した[44]

↑上毛新聞 登場時の Mikomaid の画像
なお、Mikomaid2008年12月28日に地元新聞(上毛新聞)の「私の中のシルクカントリー」の記事で地域子供活動の裏方として紹介された。2008年12月12日の取材時に代表者が不在だった為、代わりに取材を受けたものである。また、2009年3月6日NHK前橋放送局より取材を受け、2009年3月13日NHKの首都圏情報番組である「こんにちはいっと6けん」の中の「私の街のイチオシさん」のコーナーで地元富岡市の児童対象の地域活動団体で団員の一人として紹介[45]され、その団体が「ヘリテイジ仮面」の悪役(デビルシャドウ)の一員として,自らを「会社員」と名乗って登場した。表の Mikomaid の存在は地元富岡市では富岡市役所、富岡市議会、富岡市立富岡小学校PTA、富岡青年会議所、出身母校の新島学園中学校・高等学校同窓会では少しは名の知れた地元の名士的存在なのである。ウィキペディアで投稿ブロック処分が下される前までは Mikomaid の裏の顔は誰も知らなかったことであった。Mikomaid の陰の顔は「汚れた顔の地元の名士」の偽善者だったのである。
↑NHK 登場時の Mikomaid の画像

Mikomaid2006年11月28日Youtubeで「ohonogo2004」のハンドルネームでアカウントを開設している。自ら撮影した地元の行事や上信電鉄の動画を投稿していたが、Mikomaid は自身が登場したNHKの番組が放映された直後の2009年3月13日に著作権を無視して、この録画の投稿を行った。しかし、ここで素顔と実名を晒していることを指摘されたことに気付き、2009年6月16日にこの動画の投稿を削除した。

投稿ブロック処分明けの Mikomaid の活動

Mikomaid 似の画像

一年間の投稿ブロック処分が明けた直後の2009年9月3日Mikomaid はウィキペディアで編集を開始した。復帰直後の最初の編集は「サイバーストーカー」である。インターネットコミュニティに「電子掲示板、ブログ、ソーシャル・ネットワーキング・サービス、ウィキ、等」との加筆を行った。Yourpedia で自分の記事が立項されたことを意識していることを裏付ける結果となった。自身の過去のネットの活動歴が精査されたことで、これまでの自身の言動が否定しがたい客観的事実を前に虚偽であったことが裏付けられたのである。真実でない点があれば改正に応じると表明されていても[46]現在に至っても Mikomaid からは改正箇所は指摘されていないことからも事実と認めたことになった。なお、復帰初日に自身に都合が悪かった会話ページの過去ログ化等の6回の編集活動を行った。

その後のウィキペディアでの編集はこの一年間で wikiaで書き溜めた内容を転載したものとなっている。特に、裸祭りの編集には過去多くのユーザーから指摘された個人のサイトを出典の拠り所とするなど、Wiki:信頼できる情報源#自己公表された情報源Wiki:検証可能性Wiki:独自研究を無視して、ここで予想された通り、文献の出典を根拠に以前の Mikomaid が編集した「ふんどし少年」や「巫女」が登場する内容に戻るような改編を行った。

この項目で予言した通り、「関係図書」を出典として自己の記述の正当性を主張し、一般ユーザーの 大野晋吾 の差し戻しを受けて、論議となった。Mikomaid が記述した内容はこれまでの「要出典」の部分を何ら証明しない文献名ばかりで、一般に知名度もない古い文献ばかりで、記述の根拠となる具体的な記述はなく、「考えられます」、「はずです」、「解釈できそうです」 と出典文献ではなく、単なる参考文献で、Mikomaid の妄想の産物であったことを裏付けている。後にこの語尾は撤回したものの、具体的記述は著作権を盾として何ら記述の正確性・検証性を裏付けた記述を論拠したものではない。ネット上の Mikomaid ウォチャーの間でも投稿ブロック期間に何を学んでいたのかと強く批判されていた。Mikomaid は「出典、出典、と、うるさく言うけど[47]の発言で判るように、出典の重要性・意義を理解していない。また、「出典文献」と「参考文献」の意味も判らず混同しており、記述の検証性や正確性を担保したものではないのである。文献の権威を借りて、自己の記述の正当性を図ろうとしていたのである。しかも、その文献の中には男性同性愛者向けに出版された写真集を高名な文筆家3名が寄稿しているので「学術的価値がある」[48]と主張したり、この写真集を確認するために「私も、地元県内に無い書籍の内容を確認するためにわざわざ東京まで行ってきました。あなたも、それくらいはされても良いのではないでしょうか[49]との発言までしている。また、「書籍に掲載の写真に、該当の状況(ふんどし少年が登場、等)が写ってれば文章に書かれてなくても、その事実をもって出典になる、と思ってたのですが、違うでしょうか?[50]と自らウィキペディアの基本ルールを全く理解していない発言まで行っている。わざわざ東京まで出掛けたのはウィキペディアの編集資料収集を名目に自分の性癖を満たすために当該の本の閲覧に行ったのが目的ではないのかと疑われるような出典であった。

過去に問題となった記述について多くのユーザーとノート欄で論議を尽くした訳でもなく、「たたき台を出す」[51]として性急な編集を行っている。これは行動心理学上の観点からすればこの一年間の投稿ブロック処分で抑圧されたウィキペディアの編集欲求を発散させる意味合いと自己の編集を正当化させる意味として既成事実化する目的があると説明できる。2009年9月22日にはノート欄で合意の上で叩き台を作るとされていたのに、ブロック依頼を出され、その上、他の議論者が現れた事から、それを無視して「改定案」と称して慌てて強引に「叩き台」の書き込みを行っている[52]。これが 投稿ブロック依頼が提出されている最中の Mikomaid の言う、正当で建設的な編集手続きなのである。

2009年9月24日に自ら「『早く更新したい』」いう思いが先走ってしまい、フライングに繋がってしまったものです」と、その事実を認めている[53]。過去、何度も弁明した「ついやってしまいました」と何ら変わらない「自制の効かない」編集姿勢なのである。Mikomaid の編集姿勢は既に「Wiki:性急な編集をしない」の方針に逆らっているのである。また、論議相手を「私の言葉尻を捉えてあーだこーだおっしゃてるようですが[54]との発言まで行って論議相手を挑発・誹謗している。これは、2008年7月16日に提出した「コメント依頼/弥、郁」で用いた「私の編集にケチを付けたり、難癖を付けたりして、それで、こちらが、何とか妥協しようとして色々コメントしてるにもかかわらず、ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う、というように」と全く同じ用法である。

今となっては何を書いても真摯な反省と受け取って頂けないかもしれませんが、今の私にできることは弁明と謝罪と、時間がかかるかもしれないけど、基本方針に就いての勉強だけです(会話:Mikomaid )」との投稿ブロック一年間の成果がこれであったのである。結局は、基本方針の勉強は行わず、「自分の非を素直に認める姿勢」も相変わらず変わっていないことを自ら裏付けているのである。


再度の投稿ブロック依頼 Mikomaid_20090919

Mikomaid 似の画像

復帰後のMikomaidに2009年9月18日に再び「投稿ブロック依頼 Mikomaid 20090919」が一般ユーザーの より提出された。復帰後の Mikomaid の姿勢は以前の投稿ブロック前と全く変わらないことにより、「反省もなく、今後も改悛の兆しはない」との判断から提出されたものである。

投稿ブロック依頼を提出されて、Mikomaid は「重ね重ね、皆様に対して迷惑をかけて申し訳ありませんでした」と、前回の投稿ブロック依頼の被依頼者のコメントと同じ文面でまずは騒がせたことに詫びを入れたが、「いきなり、こういう依頼を出され、大変困惑しております。他の皆様におかれましては、冷静な御判断をお願いします」と、自身は正当な編集手続きを踏んでいるので問題はないと反論し、暗に、この投稿ブロック依頼に賛同するユーザーは冷静さを欠くユーザーであると牽制し、コメント依頼も経ずに直接の投稿ブロック依頼は不当であると反論した。また、依頼者が関係者に「投稿ブロック依頼提出のお知らせ」を伝えたは「ミートパペット」行為であると非難した[55]。しかし、Mikomaid 自身が過去に同様のミートパペット行為を行っているのである。

これも Mikomaid 自身が過去を顧みない「独善性」に変化がないことを裏付けた。これは2009年9月24日に自らの利用者会話ページで書き込んだ「出典には自信があります」[56]や、過去、2007年12月26日に、「編集内容には自信があるので、あえて、ここで明かします[57]と同様、自身の「自惚れ」による自信過剰な編集が自己の編集を固執させ、多くのユーザーに対して傲慢な対応となることになることを裏付けるものなのである。そのことに気付かないので、2009年9月23日に「もう少し具体的に、どういう編集・発言が、どの基本方針に反したか御指摘頂ければ反省材料にさせて頂けると思います」[58]と、過去、多くのユーザーから何度も指摘された内容を理解できていなかったことを吐露した。多くのユーザーは自分の編集内容に固執し、編集を強行しようとする Mikomaid の編集姿勢を批判しているのである。いくら「出典に自信がある」、「編集内容に自信がある」と主張しても、Mikomaid の姿勢は「運転には自信がある」と主張する交通法規を知らない運転手のようなものなのである。このような運転手が手前勝手な解釈で路上を走行すれば事故が多発するのは目に見えているのである。多くのユーザーと摩擦を起こすのはこのためである。実際、記述した内容は百科事典として相応しい内容でもなく、学術的に価値のない雑貨的内容である。それほどの自信があるならば民俗学学会の会員となり、論文を提出して評価を仰ぐべきなのである。ウィキペディアの多くのユーザーから評価もされない内容では学会から歯牙にもかけられないのは自明の理である。Mikomaid の知的水準が伺える発言でもある。

「書籍に掲載の写真に、該当の状況(ふんどし少年が登場、等)が写ってれば文章に書かれてなくても、その事実をもって出典になる、と思ってたのですが、違うでしょうか?」[59]と、逆に質問するなどこの一年間の投稿ブロック処分となった「基本方針の要熟読」の成果がこの結果なのである。これまで寄せられたユーザーの指摘を敢えて無視しているのか。それとも本当に理解できないのか、前者としたら「コミュニティを疲弊させる人物」であり、後者としたら「知的な共同作業を要する百科事典の編集に向かない人物」である。いずれにしてもウィキペディアの編集に携わることは不可能な人物なのである。

以前の投稿ブロック処分が下された時、多くのユーザーから「基本方針の要熟読」と言い渡されたのに、Yourpedia や Wikia で独自解釈の編集活動を続け、将来のウィキペディア復帰後に期待される、「基本方針に沿った編集」を試みるような編集活動を行わなかったことからしても、ウィキペディア復帰後の編集活動に問題を起こすことは明らかだったのである。

二度目の投稿ブロック依頼

投稿ブロック依頼 Mikomaid 20090919が提出された後の Mikomaid の言動も余計に多くのユーザーの顰蹙を買うことになり、余計に自身の墓穴を掘ることになった。「正当な編集を行っている」、「出典に自信がある」なら何故、「重ね重ね、皆様に対して迷惑をかけて申し訳ありませんでした」と謝罪しなければならないのだろうか。謝罪したことは自身の編集に後ろめたい事があったのを認めたようなものではなかったのか、そうでなければ謝罪程度で問題は解決するものとの認識で行ったことに他ならない。それを裏付けるように2009年9月20日に「又、1年間ブロック破りしなかった、という点も御考慮頂ければ幸いです」[60]とまるで子供の言い訳めいた謝罪は自分の非を認めたことなのか、そうとしたら、2009年9月23日には「腑に落ちない点」[61]と投稿ブロック依頼の不当性を加筆して矛盾した主張を行っている。他にも、2009年9月21日に「他の人の発言を、悪意や、穿った見方、色眼鏡で見る事をせず、善意に、前向きに受け止める」[62]と記述しながら、この直後に WikiCheker で投稿ブロック依頼に書き込んだ関係者のアカウント名が突如として出現して、関係者の過去の編集記録が検索されていたことが確認されている。自己の編集姿勢を反省せず、反論や報復に備えて被害妄想の強い Mikomaid が「誰かが逆恨みから裏で自分を攻撃するために糸を引いている」と疑って行ったことは明白である。Mikomaid は日頃から人の反感を買う言動を行っているので、心当たりのある人物が身近にだけでも数多くいることから人物を特定できず、それだけに、特定の誰かをスケープゴートにして反撃しなければ自分の欲求不満は解消せず、自分の気が収まらないのである。このような行為から多くのユーザーは Mikomaid の口先だけの謝罪であると見抜いてMikomaid の弁明を信用しないのである。 このため、二度目の投稿ブロック依頼(投稿ブロック依頼 Mikomaid 20090919)においては Mikomaid が相手のミートパペット行為を非難した手前、自分がミートパペット行為を行う訳にはいかなかった事や、前回ほど注目されなかった事もあって Mikomaid を擁護する発言や投稿ブロックに反対するユーザーは誰も出現しなかった。過去、裸祭りの編集に関わった Mikomaid に最も近い編集を行った Mikomaid が別人と主張する A._J._KuonjiYANCHARIKA からの擁護のコメントや投稿ブロック反対の意思表示は一切されていない。別人としたなら、無言・無視の活動は実質、Mikomaid を見捨て、これまでの Mikomaid の記述や自らの主張の正当性を放棄したことと同じことになる。

ここで A._J._KuonjiYANCHARIKA が投稿ブロック反対の意思表示を行えば、多くのユーザーの耳目を集め、いずれ Mikomaid のソックパペットであることが判明することになるからである。別人としたならば当然、 A._J._KuonjiYANCHARIKA のIPが違っているはずである。Mikomaid の投稿ブロック後のそれぞれのアカウントの今後の編集活動に多くのユーザーの注目が集まることで、 CU依頼を行いIPが一致したならば Mikomaid のソックパペットと見抜かれる危険性があるからである。なお、Mikomaid が無期限投稿ブロック処分が下された後、 A._J._Kuonji2009年10月10日 [63]YANCHARIKA2009年10月12日に編集を開始している [64]。 両者の編集項目の共通点は Mikomaid の編集項目であるので、CU依頼が行われ、両者のIPが一致すれば、Mikomaid の投稿ブロック破りとして無期限投稿ブロック処分が下されることになるだろう。因みに、Mikomaid の二度目の無期限投稿ブロック処分後の両者のウィキペディアにおける編集回数は以前より激減している。


5度目の投稿ブロック処分決定(無期限)

Mikomaid 似の画像

この Mikomaid の投稿ブロック依頼は2009年9月30日に管理者 Cpro によって無期限投稿ブロック(最低1年以上の編集活動禁止)処分が下され、Mikomaid の投稿ブロック依頼は終了した。投稿ブロック処分から復帰後、僅か、二週間にも満たない編集活動であった。多くのユーザーには当然の成り行きと見なされており、前回の投稿ブロック処分のようなユーザーの興奮は観られず、冷静に受け止められた。ユーザーの間では復帰後の Mikomaid の投稿ブロックは確実と思われていたからである。管理者の海獺 が当初、無期限投稿ブロックではなく、有期の投稿ブロックと提案したのはいずれ再び問題を起こす人物と読んで、恒久的な投稿ブロックにするための罠を仕掛けたことに Mikomaid がまんまと引っかかったことであった。最初の投稿ブロック処分では早期の解除も有り得たことを危惧した海獺は有期の投稿ブロック処分としても最長の期間の投稿ブロックとなることを見越し、また、その期間が長い程、復帰直後に Mikomaid の編集に問題があった場合、即、無期限投稿ブロック処分が下せると計算したからである。

この Mikomaid の無期限投稿ブロック処分は本人からの解除要請があり、かつ改悛がコミュニティによって認められるまでの無期限の投稿ブロック(ただし最低1年間は解除を認めない)処分という大変厳しい投稿ブロック処分である。 Mikomaid には実質上の「永久投稿ブロック処分」(追放)と同じ処分となる。これは Mikomaid は他の多くのユーザーから「対話不能者」と看做されているからである。Mikomaid5度目の投稿ブロック処分となった。実質の「追放処分」が下されたと見なされている。


この無期限投稿ブロック処分について Mikomaid は投稿ブロック依頼は対話で改善可能な些細な理由であり、対話やコメント依頼を経ずに、いきなり依頼されたものであり「手続き上問題があるので無効である」と思っていたことや投稿ブロック賛成の書き込み数が前回の投稿ブロック依頼よりも少なかったので投稿ブロック処分は免れる・ブロックされても有期ブロックで済むだろうと楽観視していた。それで反論も控えていたのに、投稿ブロック処分決定が早々と決定されたことは意外な結果と Mikomaid は受け止めた。このため、このような投稿ブロック処分が下されたのは依頼者や賛成者が余計なことをしたからだと逆恨みして、依頼者や賛成者の投稿記録を分析していずれ報復しようと計画するようになった。自分の編集内容は穏健で正当な編集であったのに、投稿ブロックとなったのは自分を貶めようとする者によって仕掛けられた罠であり、決して編集姿勢の問題ではないと怨念に似た感情が芽生え、自分の編集姿勢についての反省はない。 2009年10月10日にWikiChekerを使い依頼者や賛成票を投じたユーザーの投稿記録の分析を再度行っていることからしても、ソックパペットを使ってでもこれらのユーザーに何らかの報復を行う可能性があるだろう。今後、Mikomaid のアカウントでの編集が解除申請が却下され完全に潰えたと悟った暁には、2ちゃんねる時代のように長期荒らしに転じて別アカウントを使って他者の編集の妨害を行う可能性もあるだろう。

無期限投稿ブロック処分決定後の Mikomaid

Mikomaid似の画像

一年間の投稿ブロック処分が明けた直後の2009年9月3日Mikomaid はウィキペディアで編集を開始した。復帰直後の最初の編集は「サイバーストーカー」である。インターネットコミュニティに「電子掲示板、ブログ、ソーシャル・ネットワーキング・サービス、ウィキ、等」との加筆を行った。Yourpedia で自分の記事が立項されたことを意識していることを裏付ける結果となった。自身の過去のネットの活動歴が精査されたことで、これまでの自身の言動が否定しがたい客観的事実を前に虚偽であったことが裏付けられたのである。真実でない点があれば改正に応じると表明されていても[65]現在に至っても Mikomaid からは改正箇所は指摘されていないことからも事実と認めたことになった。なお、復帰初日に自身に都合が悪かった会話ページの過去ログ化等の6回の編集活動を行った。

その後のウィキペディアでの編集はこの一年間で wikiaで書き溜めた内容を転載したものとなっている。特に、裸祭りの編集には過去多くのユーザーから指摘された個人のサイトを出典の拠り所とするなど、Wiki:信頼できる情報源#自己公表された情報源Wiki:検証可能性Wiki:独自研究を無視して、ここで予想された通り、文献の出典を根拠に以前の Mikomaid が編集した「ふんどし少年」や「巫女」が登場する内容に戻るような改編を行った。

この項目で予言した通り、「関係図書」を出典として自己の記述の正当性を主張し、一般ユーザーの 大野晋吾 の差し戻しを受けて、論議となった。Mikomaid が記述した内容はこれまでの「要出典」の部分を何ら証明しない文献名ばかりで、一般に知名度もない古い文献ばかりで、記述の根拠となる具体的な記述はなく、「考えられます」、「はずです」、「解釈できそうです」 と出典文献ではなく、単なる参考文献で、Mikomaid の妄想の産物であったことを裏付けている。後にこの語尾は撤回したものの、具体的記述は著作権を盾として何ら記述の正確性・検証性を裏付けた記述を論拠したものではない。ネット上の Mikomaid ウォチャーの間でも投稿ブロック期間に何を学んでいたのかと強く批判されていた。Mikomaid は「出典、出典、と、うるさく言うけど[66]の発言で判るように、出典の重要性・意義を理解していない。また、「出典文献」と「参考文献」の意味も判らず混同しており、記述の検証性や正確性を担保したものではないのである。文献の権威を借りて、自己の記述の正当性を図ろうとしていたのである。しかも、その文献の中には男性同性愛者向けに出版された写真集を高名な文筆家3名が寄稿しているので「学術的価値がある」[67]と主張したり、この写真集を確認するために「私も、地元県内に無い書籍の内容を確認するためにわざわざ東京まで行ってきました。あなたも、それくらいはされても良いのではないでしょうか[68]との発言までしている。また、「書籍に掲載の写真に、該当の状況(ふんどし少年が登場、等)が写ってれば文章に書かれてなくても、その事実をもって出典になる、と思ってたのですが、違うでしょうか?[69]と自らウィキペディアの基本ルールを全く理解していない発言まで行っている。わざわざ東京まで出掛けたのはウィキペディアの編集資料収集を名目に自分の性癖を満たすために当該の本の閲覧に行ったのが目的ではないのかと疑われるような出典であった。

過去に問題となった記述について多くのユーザーとノート欄で論議を尽くした訳でもなく、「たたき台を出す」[70]として性急な編集を行っている。これは行動心理学上の観点からすればこの一年間の投稿ブロック処分で抑圧されたウィキペディアの編集欲求を発散させる意味合いと自己の編集を正当化させる意味として既成事実化する目的があると説明できる。2009年9月22日にはノート欄で合意の上で叩き台を作るとされていたのに、ブロック依頼を出され、その上、他の議論者が現れた事から、それを無視して「改定案」と称して慌てて強引に「叩き台」の書き込みを行っている[71]。これが 投稿ブロック依頼が提出されている最中の Mikomaid の言う、正当で建設的な編集手続きなのである。

2009年9月24日に自ら「『早く更新したい』」いう思いが先走ってしまい、フライングに繋がってしまったものです」と、その事実を認めている[72]。過去、何度も弁明した「ついやってしまいました」と何ら変わらない「自制の効かない」編集姿勢なのである。Mikomaid の編集姿勢は既に「Wiki:性急な編集をしない」の方針に逆らっているのである。また、論議相手を「私の言葉尻を捉えてあーだこーだおっしゃてるようですが[73]との発言まで行って論議相手を挑発・誹謗している。これは、2008年7月16日に提出した「コメント依頼/弥、郁」で用いた「私の編集にケチを付けたり、難癖を付けたりして、それで、こちらが、何とか妥協しようとして色々コメントしてるにもかかわらず、ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う、というように」と全く同じ用法である。

今となっては何を書いても真摯な反省と受け取って頂けないかもしれませんが、今の私にできることは弁明と謝罪と、時間がかかるかもしれないけど、基本方針に就いての勉強だけです(会話:Mikomaid )」との投稿ブロック一年間の成果がこれであったのである。結局は、基本方針の勉強は行わず、「自分の非を素直に認める姿勢」も相変わらず変わっていないことを自ら裏付けているのである。


再度の投稿ブロック依頼 Mikomaid_20090919

Mikomaid似の画像

復帰後のMikomaidに2009年9月18日に再び「投稿ブロック依頼 Mikomaid 20090919」が一般ユーザーの より提出された。復帰後の Mikomaid の姿勢は以前の投稿ブロック前と全く変わらないことにより、「反省もなく、今後も改悛の兆しはない」との判断から提出されたものである。 投稿ブロック依頼を提出されて、Mikomaid は「重ね重ね、皆様に対して迷惑をかけて申し訳ありませんでした」と、前回の投稿ブロック依頼の被依頼者のコメントと同じ文面でまずは騒がせたことに詫びを入れたが、「いきなり、こういう依頼を出され、大変困惑しております。他の皆様におかれましては、冷静な御判断をお願いします」と、自身は正当な編集手続きを踏んでいるので問題はないと反論し、暗に、この投稿ブロック依頼に賛同するユーザーは冷静さを欠くユーザーであると牽制し、コメント依頼も経ずに直接の投稿ブロック依頼は不当であると反論した。また、依頼者が関係者に「投稿ブロック依頼提出のお知らせ」を伝えたことは「ミートパペット」行為であると非難した[74]。しかし、Mikomaid 自身が過去に同様のミートパペット行為を行っているのである。

これも Mikomaid 自身が過去を顧みない「独善性」に変化がないことを裏付けた。これは2009年9月24日に自らの利用者会話ページで書き込んだ「出典には自信があります」[75]や、過去、2007年12月26日に、「編集内容には自信があるので、あえて、ここで明かします[76]と同様、自身の「自惚れ」による自信過剰な編集が自己の編集を固執させ、多くのユーザーに対して傲慢な対応となることになることを裏付けるものなのである。そのことに気付かないので、2009年9月23日に「もう少し具体的に、どういう編集・発言が、どの基本方針に反したか御指摘頂ければ反省材料にさせて頂けると思います」[77]と、過去、多くのユーザーから何度も指摘された内容を理解できていなかったことを吐露した。多くのユーザーは自分の編集内容に固執し、編集を強行しようとする Mikomaid の編集姿勢を批判しているのである。いくら「出典に自信がある」、「編集内容に自信がある」と主張しても、Mikomaid の姿勢は「運転には自信がある」と主張する交通法規を知らない運転手のようなものなのである。このような運転手が手前勝手な解釈で路上を走行すれば事故が多発するのは目に見えているのである。多くのユーザーと摩擦を起こすのはこのためである。実際、記述した内容は百科事典として相応しい内容でもなく、学術的に価値のない雑貨的内容である。それほどの自信があるならば民俗学学会の会員となり、論文を提出して評価を仰ぐべきなのである。ウィキペディアの多くのユーザーから評価もされない内容では学会から歯牙にもかけられないのは自明の理である。Mikomaid の知的水準が伺える発言でもある。

「書籍に掲載の写真に、該当の状況(ふんどし少年が登場、等)が写ってれば文章に書かれてなくても、その事実をもって出典になる、と思ってたのですが、違うでしょうか?」[78]と、逆に質問するなどこの一年間の投稿ブロック処分となった「基本方針の要熟読」の成果がこの結果なのである。これまで寄せられたユーザーの指摘を敢えて無視しているのか。それとも本当に理解できないのか、前者としたら「コミュニティを疲弊させる人物」であり、後者としたら「知的な共同作業を要する百科事典の編集に向かない人物」である。いずれにしてもウィキペディアの編集に携わることは不可能な人物なのである。

以前の投稿ブロック処分が下された時、多くのユーザーから「基本方針の要熟読」と言い渡されたのに、Yourpedia や Wikia で独自解釈の編集活動を続け、将来のウィキペディア復帰後に期待される、「基本方針に沿った編集」を試みるような編集活動を行わなかったことからしても、ウィキペディア復帰後の編集活動に問題を起こすことは明らかだったのである。


二度目の投稿ブロック依頼

Mikomaid似の画像

投稿ブロック依頼 Mikomaid 20090919が提出された後の Mikomaid の言動も余計に多くのユーザーの顰蹙を買うことになり、余計に自身の墓穴を掘ることになった。「正当な編集を行っている」、「出典に自信がある」なら何故、「重ね重ね、皆様に対して迷惑をかけて申し訳ありませんでした」と謝罪しなければならないのだろうか。謝罪したことは自身の編集に後ろめたい事があったのを認めたようなものではなかったのか、そうでなければ謝罪程度で問題は解決するものとの認識で行ったことに他ならない。それを裏付けるように2009年9月20日に「又、1年間ブロック破りしなかった、という点も御考慮頂ければ幸いです」[79]とまるで子供の言い訳めいた謝罪は自分の非を認めたことなのか、そうとしたら、2009年9月23日には「腑に落ちない点」[80]と投稿ブロック依頼の不当性を加筆して矛盾した主張を行っている。他にも、2009年9月21日に「他の人の発言を、悪意や、穿った見方、色眼鏡で見る事をせず、善意に、前向きに受け止める」[81]と記述しながら、この直後に WikiCheker で投稿ブロック依頼に書き込んだ関係者のアカウント名が突如として出現して、関係者の過去の編集記録が検索されていたことが確認されている。自己の編集姿勢を反省せず、反論や報復に備えて被害妄想の強い Mikomaid が「誰かが逆恨みから裏で自分を攻撃するために糸を引いている」と疑って行ったことは明白である。Mikomaid は日頃から人の反感を買う言動を行っているので、心当たりのある人物が身近にだけでも数多くいることから人物を特定できず、それだけに、特定の誰かをスケープゴートにして反撃しなければ自分の欲求不満は解消せず、自分の気が収まらないのである。このような行為から多くのユーザーは Mikomaid の口先だけの謝罪であると見抜いてMikomaid の弁明を信用しないのである。 ? このため、二度目の投稿ブロック依頼(投稿ブロック依頼 Mikomaid 20090919)においては Mikomaid が相手のミートパペット行為を非難した手前、自分がミートパペット行為を行う訳にはいかなかった事や、前回ほど注目されなかった事もあって Mikomaid を擁護する発言や投稿ブロックに反対するユーザーは誰も出現しなかった。過去、裸祭りの編集に関わった Mikomaid に最も近い編集を行った Mikomaid が別人と主張する A._J._KuonjiYANCHARIKA からの擁護のコメントや投稿ブロック反対の意思表示は一切されていない。別人としたなら、無言・無視の活動は実質、Mikomaid を見捨て、これまでの Mikomaid の記述や自らの主張の正当性を放棄したことと同じことになる。

ここで A._J._KuonjiYANCHARIKA が投稿ブロック反対の意思表示を行えば、多くのユーザーの耳目を集め、いずれ Mikomaid のソックパペットであることが判明することになるからである。別人としたならば当然、 A._J._KuonjiYANCHARIKA のIPが違っているはずである。Mikomaid の投稿ブロック後のそれぞれのアカウントの今後の編集活動に多くのユーザーの注目が集まることで、 CU依頼を行いIPが一致したならば Mikomaid のソックパペットと見抜かれる危険性があるからである。なお、Mikomaid が無期限投稿ブロック処分が下された後、 A._J._Kuonji2009年10月10日 [82]YANCHARIKA2009年10月12日に編集を開始している [83]。 両者の編集項目の共通点は Mikomaid の編集項目であるので、CU依頼が行われ、両者のIPが一致すれば、Mikomaid の投稿ブロック破りとして無期限投稿ブロック処分が下されることになるだろう。因みに、Mikomaid の二度目の無期限投稿ブロック処分後の両者のウィキペディアにおける編集回数は以前より激減している。

5度目の投稿ブロック処分決定(無期限)

Mikomaid似の画像

この Mikomaid の投稿ブロック依頼は2009年9月30日に管理者 Cpro によって無期限投稿ブロック(最低1年以上の編集活動禁止)処分が下され、Mikomaid の投稿ブロック依頼は終了した。投稿ブロック処分から復帰後、僅か、二週間にも満たない編集活動であった。多くのユーザーには当然の成り行きと見なされており、前回の投稿ブロック処分のようなユーザーの興奮は観られず、冷静に受け止められた。ユーザーの間では復帰後の Mikomaid の投稿ブロックは確実と思われていたからである。管理者の海獺 が当初、無期限投稿ブロックではなく、有期の投稿ブロックと提案したのはいずれ再び問題を起こす人物と読んで、恒久的な投稿ブロックにするための罠を仕掛けたことに Mikomaid がまんまと引っかかったことであった。最初の投稿ブロック処分では早期の解除も有り得たことを危惧した海獺は有期の投稿ブロック処分としても最長の期間の投稿ブロックとなることを見越し、また、その期間が長い程、復帰直後に Mikomaid の編集に問題があった場合、即、無期限投稿ブロック処分が下せると計算したからである。

この Mikomaid の無期限投稿ブロック処分は本人からの解除要請があり、かつ改悛がコミュニティによって認められるまでの無期限の投稿ブロック(ただし最低1年間は解除を認めない)処分という大変厳しい投稿ブロック処分である。 Mikomaid には実質上の「永久投稿ブロック処分」(追放)と同じ処分となる。これは Mikomaid は他の多くのユーザーから「対話不能者」と看做されているからである。Mikomaid5度目の投稿ブロック処分となった。実質の「追放処分」が下されたと見なされている。


この無期限投稿ブロック処分について Mikomaid は投稿ブロック依頼は対話で改善可能な些細な理由であり、対話やコメント依頼を経ずに、いきなり依頼されたものであり「手続き上問題があるので無効である」と思っていたことや投稿ブロック賛成の書き込み数が前回の投稿ブロック依頼よりも少なかったので投稿ブロック処分は免れる・ブロックされても有期ブロックで済むだろうと楽観視していた。それで反論も控えていたのに、投稿ブロック処分決定が早々と決定されたことは意外な結果と Mikomaid は受け止めた。このため、このような投稿ブロック処分が下されたのは依頼者や賛成者が余計なことをしたからだと逆恨みして、依頼者や賛成者の投稿記録を分析していずれ報復しようと計画するようになった。自分の編集内容は穏健で正当な編集であったのに、投稿ブロックとなったのは自分を貶めようとする者によって仕掛けられた罠であり、決して編集姿勢の問題ではないと怨念に似た感情が芽生え、自分の編集姿勢についての反省はない。 2009年10月10日にWikiChekerを使い依頼者や賛成票を投じたユーザーの投稿記録の分析を再度行っていることからしても、ソックパペットを使ってでもこれらのユーザーに何らかの報復を行う可能性があるだろう。今後、Mikomaid のアカウントでの編集が解除申請が却下され完全に潰えたと悟った暁には、2ちゃんねる時代のように長期荒らしに転じて別アカウントを使って他者の編集の妨害を行う可能性もあるだろう。(事実、ユアペディアに於いて、Mikomaid会話/履歴/ログ/メール2010年8月19日に「みんなで使おう公開アカウント会話/履歴を乗っ取っとり、他者への編集妨害を行っている)。


この続きはMikomaid の真実 第7章を参照のこと。

関連項目

脚注

  1. 利用者‐会話:YANCHARIKA
  2. 播州の秋祭り
  3. Mikomaidさんのブロック依頼
  4. 利用者の投稿記録 Mikomaid
  5. すべての記録
  6. [1]
  7. 2012年1月5日
  8. 利用者・トーク:Sysop 2011年11月14日
  9. 利用者・トーク:Sysop 2012年11月17日
  10. Yourpedia:Yourpedia被害者の会
  11. 利用者・トーク:Sysop 2013年7月14日
  12. ぜんまいざむらい の変更履歴
  13. 利用者:Mikomaid 2013年11月26日
  14. 利用者の投稿記録 Mikomaid
  15. CheckUser権行使依頼 Mikomaid
  16. CheckUser Mikomaid氏
  17. 利用者:Mikomaid 2014n年1月15日
  18. すべての公開記録
  19. 利用者:A. J. Kuonji利用者:Achika J. Kuonji
  20. 会話:A. J. Kuonji
  21. 会話:A. J. Kuonji
  22. 利用者‐会話:A. J. Kuonji
  23. 会話:A. J. Kuonji
  24. 利用者:弥/備考に関する提案 2007年3月9日
  25. 利用者:弥/備考に関する提案 2007年3月18日
  26. 利用者:弥/備考に関する提案 2007年3月22日
  27. なりすましに悩んでいます
  28. 2009年2月11日 日本ウィキア 利用者会話 A.J.Kuonji
  29. ノート:播州の秋祭り 2008年7月21日
  30. [ノート:播磨の祭り 2008年8月5日
  31. ノート:播州の秋祭り 2008年8月7日
  32. [2]
  33. 利用者‐会話:A. J. Kuonji
  34. なりすましに悩んでいます - ウィキア コミュニティのためのウェブサイト
  35. Mikomaid/作業ページ
  36. 利用者‐会話:Mikomaid
  37. [3]
  38. [4]
  39. Mikomaid の投稿記録
  40. ノート:播州の秋祭り 2008年7月15日
  41. ノート:播州の秋祭り 2008年7月15日
  42. ノート:播州の秋祭り 2008年7月19日
  43. 荒らし報告・投稿ブロック・保護依頼 2009年5月19日
  44. 証拠
  45. [5]
  46. ノート:Mikomaid
  47. [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E6%92%AD%E5%B7%9E%E3%81%AE%E7%A7%8B%E7%A5%AD%E3%82%8A&diff=next&oldid=20847101 ノート:播州の秋祭り 2008年7月21日」
  48. ノート:裸祭り 2009年9月12日
  49. [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E8%A3%B8%E7%A5%AD%E3%82%8A&diff=prev&oldid=27828766 ノート:裸祭り 2009年9月7日」
  50. 利用者‐会話:Mikomaid 2009年9月23日
  51. ノート:裸祭り 2009年9月11日
  52. ノート:裸祭り 2009年9月22日
  53. 利用者‐会話:Mikomaid 2009年9月24日
  54. ノート:裸祭り 2009年9月7日
  55. 利用者‐会話:Mikomaid 2009年9月19日
  56. [6]
  57. CheckUser依頼/MikomaidとA. J. Kuonji
  58. 利用者会話:Mikomaid 2009年9月23日
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  60. 利用者‐会話:Mikomaid
  61. 利用者‐会話:Mikomaid
  62. 利用者‐会話:Mikomaid
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  65. ノート:Mikomaid
  66. [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E6%92%AD%E5%B7%9E%E3%81%AE%E7%A7%8B%E7%A5%AD%E3%82%8A&diff=next&oldid=20847101 ノート:播州の秋祭り 2008年7月21日」
  67. ノート:裸祭り 2009年9月12日
  68. [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E8%A3%B8%E7%A5%AD%E3%82%8A&diff=prev&oldid=27828766 ノート:裸祭り 2009年9月7日」
  69. 利用者‐会話:Mikomaid 2009年9月23日
  70. ノート:裸祭り 2009年9月11日
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  76. CheckUser依頼/MikomaidとA. J. Kuonji
  77. 利用者会話:Mikomaid 2009年9月23日
  78. 利用者‐会話:Mikomaid 2009年9月23日
  79. 利用者‐会話:Mikomaid
  80. 利用者‐会話:Mikomaid
  81. 利用者‐会話:Mikomaid
  82. [10]
  83. [11]
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