麻生おろし
麻生おろし(あそうおろし)は2009年に起こった自由民主党内および野党(民主党他)からの麻生太郎内閣総理大臣への退陣要求。
経緯
安倍晋三、福田康夫が2代続けて1年余りで総辞職し、後継の総理総裁として麻生太郎が選出された。コメンテーターらは総選挙に勝てる人物として人気のある麻生を選出したと論評し、冒頭解散が予想された。しかし、漢字の読み間違えなどに対する適正を疑うような声や、2次補正予算の越年といった経済対策の遅延、また、定額給付金などへの批判といった理由から支持率が急落し、総選挙への影響に危機感を持った自民党の一部から退陣要求が沸き上がった。その一方で、こうした要求を牽制する動きも存在した。
麻生おろしは、小泉純一郎元内閣総理大臣による定額給付金への批判により、さらに加速した。
2009年3月上旬に民主党の小沢代表の公設第一秘書が西松建設献金問題に絡み逮捕されたことをきっかけに、世間の民主党に対する逆風が吹き、また、政府による経済対策が実行に移され始めたため、一時は一ケタ台に落ち込んだと報道された支持率が同年5月に3割近くまで回復したことで、麻生おろしの動きは鎮静化した。
その後、民主党代表が小沢から鳩山由紀夫に替わると自民党は大型地方選挙で6連敗し、麻生内閣が西川善文日本郵政社長人事問題の鳩山邦夫更迭の影響で、麻生首相の求心力と内閣支持率が低下し、麻生おろしが再燃。また大型地方選挙の連敗が続く間、自民党議員の山本拓が両院議員総会を開催して総裁選の前倒しを目指すことを発表。衆院選前の総裁選前倒しは麻生に変わる別の総裁を擁立して衆院選に望むことを意味した。
東京都議会議員選挙の後の7月13日、麻生首相は与党幹部の同意を得て衆院選の日程を「7月21日解散・8月30日投票」を発表。
7月14日に衆議院で内閣不信任決議が出た時に、麻生おろしを主導する反麻生勢力の動向が注目されたが、与党議員は外遊中の福田康夫と体調不良の中川昭一の2人が欠席したのを除いて全員が信任票を投じ、保守系無所属では平沼赳夫が信任票、長崎幸太郎は欠席、渡辺喜美と中村喜四郎は不信任票を投じた。
その後、反麻生勢力は両院議員総会を開催することによる総裁選前倒しを目指す。武部勤は「麻生首相には徳がない」と発言、中川秀直は「人心一新」「名誉ある決断」(麻生首相の退陣)を要求。
党則では両院議員総会には自民党国会議員384人中128人の同意が必要である。そのため、反麻生勢力は128人の署名を集めることに奔走した。一方党執行部は両院議員総会が開催された場合、同会が「地方選挙6連敗の麻生総裁指弾の場」にして出席議員の過半数の決議による党則改定を行ったうえでの「総裁選の前倒し」になることを恐れ、麻生総裁が出席した上で党則改定決議ができない両院議員懇談会などでの「地方選挙6連敗の自民党総括の場」のみに留め、「総裁選の前倒し」ができないように働きかけた。
7月16日、反麻生勢力は署名128人を上回る133人を集めたと発表。署名した人物には与謝野馨財務大臣や石破茂農林水産大臣といった衆議院解散の閣議決定に必要な国務大臣2人も含まれていた。
なお、両院議員総会の開催に署名した議員の中には「地方選挙6連敗の総括」のための麻生総裁の話を聞く場が欲しいためであるとし、来る総選挙後の首相候補に麻生氏を推す者もいたことなど、全員が「麻生おろし」に加担していたわけではない。
終息
細田博之幹事長は7月17日昼の記者会見で、両院議員総会は開催せず、代わりに、21日午前11時半から両院議員懇談会を開くと発表し、麻生おろしは事実上封印された[1]。
衆院議院運営委員会は17日、21日午後に解散するための本会議開会を与野党で合意した。総会開催要求に署名した与謝野と石破は17日、解散の閣議決定書の署名に応じる考えを示唆した[1]。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 (2009-07-18) 衆院解散 21日確定 産経新聞 [ arch. ] 2009-07-18