藤原河子
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藤原 河子(ふじわら の かわこ、生年不詳 - 承和5年1月13日(838年2月11日))は、平安時代前期の女官。桓武天皇の宮人。藤原京家の従四位上藤原大継女。
桓武天皇の後宮に入り、仲野親王・安勅内親王・大井内親王・紀内親王・善原内親王の1皇子4皇女を産んだ。延暦15年(796年)無位から従五位上に直叙され、位田(五位以上に与えられる田地で、女子は男子の三分の一とされた)を男子に準じて全給された。延暦23年(804年)正五位上に昇叙。弘仁8年(817年)安勅内親王の叙品に伴い、従四位下に叙された。仁明天皇(桓武天皇の孫)の治世に入った承和5年(838年)1月13日に卒去。
河子の実家である藤原京家は藤原四家の中では最も不振だったが、彼女の孫娘班子女王(光孝天皇女御)は宇多天皇の生母になり、班子を通じて天皇家に藤原京家の血筋を残した。