葦津耕次郎
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葦津 耕次郎(あしづ こうじろう、1878年 - 1940年)は、戦前日本の神道研究家、国家主義者。
経歴
30歳のとき、神職を辞し、以後は、鉱山業、社寺建築業などに携わりながら、在野の神道人として活動した[1]。
大正期に朝鮮総督府が祭神を天照大神と明治天皇にする予定で建立を進めた官幣大社朝鮮神社(のち朝鮮神宮)に関して、1910年の韓国併合以前から、祭神を、日本をつくった天照大神ではなく、朝鮮国土着の神とするよう主張した[2]。
- 1906年2月、下関で、初代韓国統監として現地に赴任する途中だった伊藤博文を訪問し、朝鮮の祖神を合祀する神社を建立するよう説得した。
- 1925年春に、今泉定助、賀茂百樹、肥田景之とともに、主神を天照大神ではなく、朝鮮国土と関係の深い祖神とすることを主張、頭山満らもこれを支持した。
- 朝鮮総督・斎藤実との面談を経て、同年8月に、韓国の神を無視するのは、人倫の道に外れ、人情を無視しており、民族融和ではなく日韓両民族の乖離反日の禍根になる、とした「朝鮮神宮に関する意見書」を提出した。しかし斎藤は既に手続きは完了しており、今更仕方がない、とした。
1940年没[1]。
家族
著作物
- 葦津 (1940) 「葦津翁逸話集」葦津耕次郎(著)葦牙会(編)『あし牙』葦牙会、NDLJP 1262055
付録
関連文献
- 鶴見 (1984) 鶴見俊輔「旅行案内について」(1980年3月20日の講義)『戦後日本の大衆文化史 1945~1980年』岩波書店、JPNO 84030919
- 神社新報社 (1976) 神社新報社(編)『近代神社神道史』神社新報社、JPNO 74009730
脚注
参考文献
- 黒川 (2018) 黒川創『鶴見俊輔伝』新潮社、ISBN 978-4104444090