海部おろし

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海部おろし(かいふ-)は1991年に政治改革関連法案を巡って海部俊樹首相を退陣させた自由民主党内の倒閣運動のこと。

経緯

1991年9月30日、政治改革法案が自民党内の意見がまとまらず衆議院政治改革特別委員長だった小此木彦三郎は審議日数の不足を理由に廃案にすることを提案し、与野党理事が合意した。政治改革法案廃案は海部の知らないところで行われ首相の権威を損ねる結果となった。

それを受け、海部は「重大な決意で望む」と発言。これは衆議院解散総選挙を匂わせる発言であった。「伝家の宝刀」の異名を持つ解散権は首相の権限と認識されていた。しかし、自民党内では方々からこの発言に反発する声が沸き起こった。特に海部を支援するはずの竹下派は明確に不支持を表明し結果的には海部の求心力は無くなった。海部は解散に踏み切ることが出来ず発言の責任を取る形で内閣総辞職した。

その他

  • 当時自民党で絶大な影響力を持っていた竹下派の会長・金丸信は「重大な決意とは何だ。重大な決意という以上、当然、解散やったらいいじゃないか」と海部に通牒した。
  • 1976年、海部の師匠格に当たる三木武夫が首相の時、倒閣運動(三木おろし)が起こった際に衆議院解散構想があったが海部は官房副長官として三木おろしと衆議院解散構想と解散断念を目の当たりにしていた。15年後、海部が首相となり、師匠の三木と同じく党内反発から解散を考える政局になったが結局三木と同じく解散できなかった。

関連項目

テンプレート:自由民主党 (日本)