旭川女子中学生集団輪姦事件

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旭川女子中学生集団輪姦事件とは1996年12月に発生した北海道旭川市の市立中学校の女子生徒に対する集団性的暴行強姦事件である。

事件の経緯

事件当時の1994~1996年は2000年代とは比べものにならない程に少年の素行が荒れていた。北教組公務員の教師は不良少年集団に怯えてまともに指導ができなかった。これが事件発生の要因である。

被害を受けた女子生徒は1994年の2学期頃から、男子生徒延べ11人により身体を服の上から触られるなどの被害にあっていた。初めのうちはスカートめくりなどの性暴力から始まった。

1996年6月、その女子生徒が担任教師に性被害を告げた。だが、担任教師は男子生徒たちに少し注意しただけであった。この事をきっかけに、性暴力はエスカレートしていった。

12月には男子生徒10人に取り囲まれ男子トイレに連れ込まれ、6名が身体を触るなどしさらに1名が女子生徒を強姦した。被害直後、友人と泣いている被害少女を見た教師が通報しこの事件は発覚した。

事件の舞台となった中学校は不良少年が荒れ狂う動物園のような状態だった。発情期の不良少年はスカートめくりや尻触りに熱中。被害者少女はクラスでも可愛い容姿であったため特に被害を受けていた。

軽いスカートめくりや尻触りが如何にして日常的な輪姦に発展したのか。事の発端は不良少年が被害少女に告白したことにある。しかし、普段からスカートめくりをしてくる猿みたいな不良少年の女になろうなどと思うわけもなく当然少女は告白を断った。そこから大勢の不良少年が少女への嫌がらせを過熱させていった。

不良少年達はそれから少女を囲いスカートの中に手を入れる、教科書を隠し代わりにエロ本を机に入れるなどのスカートめくりから一歩進んだセクハラを開始するようになった。

耐えきれなくなった少女が教師に報告したのが中一の秋頃、ここが二番目のターニングポイントだった。教師は不良少年を呼び出し女の子が嫌がるようなことをしてはいけないとやんわり注意した。パンツ越しに股間を触っても大して怒られなかったことが、不良少年達の暴走が始まることにつながった。

さて教師からの叱責を大して受けなかった不良少年達はそれから日常的に少女の身体を弄ぶようになった。中一の冬に少女を裸にし性交直前で止めた。日常的に裸にして身体を好きなようにしていたが、この時点ではまだフェラもセックスもなかった。処女が奪われたのが中二の夏と少し期間があく。

男子生徒10人は、A子が1年生の時から胸や尻を触る等を繰り返した。A子が誰にも訴えなかった為、その後行為はエスカレ-ト、中学2年生の夏に男子生徒の家に連れ込まれレイプされた。

公園や橋の下なので口淫を幾度となく強要。毎朝、呼び出され、口淫をした後「今日もおいしい牛乳を有難うございました」というセリフを言わされていた。

中学3年の5月に、公園内のトイレにて浣腸器具を用いて排泄行為を強制的にさせていた。又、女子生徒の弱みにつけこんで、同女子に下着を着用せずに学校に来させ猥褻行為をさせる等、非道な行為を繰り返した。

1995年の秋、女子生徒が放課後の教室で2人の男子生徒にわいせつな行為をされていたとき、男子教師が立ち入った。が、止めることはなく、立ち去っている。そのトイレで行われた暴行は、殴るなどの行為から始まり、男子生徒たちによる強姦にかわり、最後はトイレ個室に監禁され上から水などをかけられるなど長時間におよんだという。

中二の秋にはこのように校内の至る所でフェラを強要され、教師は黙認という異常な事態に発展していた。

また1996年4月ごろ、女子生徒が特別活動室に連れ込まれようとしたとき、そこに居た女性教師に「助けて」と叫んだ。が、この教師は男子生徒たちに「帰れ」と怒鳴られ、助けを求める女子生徒の声を無視し立ち去った。その後、女子生徒は特別活動室で男子生徒たちにわいせつ行為を受けることになった。

こうした異常事態は三年になっても続き、むしろエスカレートしていった。授業中に不良少年は少女の教室に入り、連れ出しにくるが教師は黙認していた。連れ出された少女は便所に連れて行かれ授業中にも裸にされてフェラチオを強要されていた。

その後リーダー格の少年がこっそりセックスをしていたことが仲間にばれ、フェラだけで我慢していたその他大勢が俺も俺も少女にセックスを迫るようになった。不良少年達に殴られ、代わる代わる中出しされ水をかけられた少女が廊下で泣いているところを友人の女生徒が発見。教師に事の経緯を説明し教師は少女を連れて少女の両親に報告を兼ねて家まで送り届けた。そこでようやく両親に事が伝わり警察が介入することになった。

少年2人が少年院、残りの8人が保護観察。賠償額は不良少年達から840万、学校から160万。

なぜ少女はもっと早くに解決に乗り出さなかったのか?不良少年達に家を燃やす、母親も犯すなどと脅されていたことや大の大人の教師までもがビビる不良少年の大群に心底怯えていたためであった。見て見ぬ振りをする教師の姿を見て大人を信用できなかった。事が長く続いてしまったのは決して少女に非があるからではなく、ひ弱な教師にある。

事件顛末

その後、3人が少年院送致、6人が試験観察、1人が保護観察処分を受けた。男子生徒達は他校の生徒との暴力事件や、喫煙や窃盗などの非行を繰り返し起こしていた。また、被害は被害少女だけではなく他の女子生徒にも及んでいた。

担任教師らは女子生徒から被害の相談を少なくとも3回は受けたほか、わいせつ行為を目撃したこともあった。担任は被害少女が「笑みを浮かべながら」相談した等と主張した。また、事件後教頭は事件について公表をしなかった。

1998年4月、女子生徒と両親は「学校側が不適切な対処を行っていた」として、旭川市と教師の給料を負担している北海道を相手に慰謝料などを求め、総額4430万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。

2001年1月30日、判決で少女の事件全体の慰謝料を1千万円が相当と認定し、すでに加害少年グループとの間で成立している示談金860万円を差し引いた上で、少女に対して170万円、両親に対しては30万円を支払うよう、旭川市と北海道に命じた。

関連項目

外部リンク