弥彦線

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弥彦線

弥彦線(やひこせん)とは、新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦駅から三条市東三条駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線地方交通線)である。

路線データ

  • 管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業
  • 区間(営業キロ):東三条駅 - 弥彦駅 17.4km(基本計画上の表示。線路名称上は起終点が逆転)
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:8(起終点駅含む)
    • 弥彦線所属駅に限定した場合、東三条駅(信越本線所属[1])と吉田駅(越後線所属[1])が除外され、6駅となる。
  • 複線区間:全線単線
  • 電化区間:全線(直流1500V)
  • 閉塞方式
    • 弥彦駅 - 吉田駅間:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式) ※2005年12月9日まではスタフ閉塞式
    • 吉田駅 - 東三条駅間:自動閉塞式(特殊)
  • 運転指令所:新潟総合指令室(CTC
  • 最高速度:85km/h

全線が新潟支社の管轄である。

弥彦 - 燕三条間の架線には、吉田駅周辺を除き、JRの路線としては数少ない低コストの直接吊架式が採用されている。これは電化当時、国鉄が慢性的な赤字に陥っていたため同じ1984年に電化された越後線共々コストダウンを求められていたことによるものである。残る燕三条 - 東三条間の大部分はシンプルカテナリー式で吊架されているが、最高速度は全線にわたって85km/hに制限されている。

ラインカラーは紫だが、以前は明確に定められていなかった。駅名標などには彌彦神社鳥居にちなんで赤色が使用されている。また、後述する弥彦線用の115系ワンマン運行用車両の車体は黄色となっている。

全線が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「新潟近郊区間」、およびIC乗車カードSuica」の新潟エリアに含まれている。

弥彦 - 吉田間は2005年に自動化されるまで非自動閉塞方式(スタフ閉塞式)で運行していたが、これはJRグループの電化旅客路線としては最後まで残った非自動閉塞区間であった。

運行形態

全列車が普通列車で、定期列車吉田駅 - 東三条駅間14往復、吉田駅 - 弥彦駅間12往復(1 - 2時間に1本程度)となっており、他に不定期列車の設定がある。一部は越後線と直通運転している。なお年末年始は彌彦神社への初詣列車も運行している。

全線においてワンマン運転が実施されており、2015年3月までは、弥彦線専用の黄色を主体とした塗装の(通称Y編成)115系電車2両編成が主力車両であった[注釈 1]。同月からはE127系電車(V編成)が運用を開始し、2両編成でワンマン運転を行っている。

吉田駅 - 東三条駅間は三条・両市間の通勤通学時の輸送力を確保するため、一部の列車が115系電車3 - 6両編成で運行され車掌が乗務する。弥彦駅 - 吉田駅間は臨時列車を除くすべての定期列車がワンマン運転である。なおワンマン運転時には矢作駅西燕駅燕三条駅の3駅では先頭車両の一番前のドアしか開かない。

東三条駅での信越本線との乗り継ぎは、下りの新津新潟方面、上りの長岡方面ともおおむね20分以内の乗り継ぎ時間が確保されているが、吉田駅での越後線、燕三条駅での上越新幹線との乗り継ぎは列車により大きなばらつきがある。

廃止区間の東三条駅 - 越後長沢駅間は、朝夕のみ5往復の運行で、土曜日に追加運行があった。

使用車両

現在の車両

  • E127系電車 - 新潟車両センター所属。2015年3月13日より運行開始。
  • E129系電車 - 新潟車両センター所属。2015年7月時点では、E127系の検査時などに運用される。今後は更に投入され、115系を置き換える予定。
  • 115系電車 - 新潟車両センター所属のN・L編成が使用される。

過去の車両

  • 115系電車(弥彦線専用編成)- ワンマン対応のY編成。E127・E129系使用開始に伴い、2015年3月をもって運用を終了した。

歴史

弥彦線は、越後線とともに私鉄の越後鉄道により建設された鉄道路線である。西吉田 - 弥彦間は、越後一の宮である彌彦神社への参詣鉄道として1916年に、西吉田 - 一ノ木戸(東三条)間は、現在の越後線と信越本線を連絡する目的で1922年から1925年にかけて開業し、さらに南方の越後長沢に延長された。いずれは福島県まで路線を延ばす計画の下、建設が進められたが、越後長沢駅まで開業した時点で国有化され計画は消滅した(長沢から先、南蒲原郡森町村まで免許を取得していたが1927年失効[2])。

このうち、通称「弥彦東線(やひことうせん)」と呼ばれていた東三条 - 越後長沢間は、沿線の人口密度が低かった上、終点の越後長沢駅も当時の長沢村(のちの下田村、現在の三条市)の中心地から若干離れていたこともあり、太平洋戦争以前の段階から利用客数は低迷。太平洋戦争中は不要不急線となり、軌道が撤去され営業休止に追い込まれている。戦後に営業を再開するものの同区間は、通学客以外は乗客も少なく赤字続きであり、またこの区間に並行する県道(のちの国道289号)を経由する越後交通路線バスが運行されていることもあって、1968年にいわゆる赤字83線に指定された。弥彦線のうち弥彦駅から東三条駅までの区間(弥彦西線)は1984年に電化されたものの、東線は廃線が決まっていたことから電化されず、西線の電化後は、新潟から気動車を毎日回送して運行が継続され、翌1985年に廃止された。

弥彦東線は廃止後、廃線跡が国道289号のバイパス道路として整備され、現在越後交通は旧東線に並行する形で下記の路線バスを運行している。

燕駅前 - 燕三条駅三条口 - 東三条駅前 - 大崎 - 大浦 - 長沢駅跡 - 八木ヶ鼻温泉 - 笠堀ダム(遅場)

年表

  • 1916年(大正5年)10月16日 【開業】越後鉄道 西吉田 - 弥彦 【駅新設】矢作(停留場)、弥彦[3]
  • 1922年(大正11年)4月20日 【延伸開業】西吉田 - 燕 【駅新設】燕[4]
  • 1925年(大正14年)4月10日 【延伸開業】燕 - 一ノ木戸 【駅新設】北三条、一ノ木戸(信越本線の既設駅に乗り入れ)[5]
  • 1926年(大正15年)8月15日 【駅名改称】一ノ木戸→東三条
  • 1927年(昭和2年)
    • 7月31日 【延伸開業】東三条 - 越後長沢(7.9km) 【駅新設】越後大崎、大浦、越後長沢[6]
    • 10月1日 【買収・国有化】弥彦線 弥彦 - 越後長沢(25.3km)[7]
  • 1944年(昭和19年)10月16日 【休止】東三条 - 越後長沢(-7.9km) 【駅休止】越後大崎、大浦、越後長沢[8]
  • 1946年(昭和21年)10月1日 【営業再開】東三条 - 越後長沢(7.9km) 【駅営業再開】越後大崎、大浦、越後長沢
  • 1954年(昭和29年)12月25日 【駅新設】西燕
  • 1959年(昭和34年)10月1日 【駅名改称】西吉田→吉田
  • 1960年(昭和35年)
    • 7月25日 【貨物営業廃止】弥彦 - 吉田(-4.9km)
    • 12月15日 【貨物営業廃止】東三条 - 越後長沢(-7.9km)
  • 1982年(昭和57年)11月15日 【駅新設】燕三条(上越新幹線接続駅)
  • 1984年(昭和59年)
    • 1月20日 【貨物営業廃止】吉田 - 東三条(-12.5km)
    • 4月8日 【電化】弥彦 - 東三条(17.4km) 低コストの直接吊架式架線を採用
  • 1985年(昭和60年)4月1日 【路線廃止】東三条 - 越後長沢(-7.9km)、越後交通の路線バスに転換 【駅廃止】越後大崎、大浦、越後長沢
  • 1987年(昭和62年)4月1日 【承継】東日本旅客鉄道
  • 1997年(平成9年)9月15日 燕三条 - 東三条間高架化、東三条駅付近のルートを変更(信越線下を通り駅東側ホームに入る形態をやめ、直接駅西側のホームに入る形式に変更。急カーブ解消)
  • 2008年(平成20年)3月15日 線内全駅でSuicaのサービスを開始。

駅一覧

全駅新潟県内に所在(廃止区間も同様)。

  • 全列車普通列車(全駅に停車)。
  • 線路(全線単線) … ◇:列車交換可、|:列車交換不可
駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線 線路 所在地
弥彦駅 - 0.0   西蒲原郡
弥彦村
矢作駅 2.3 2.3  
吉田駅 2.6 4.9 東日本旅客鉄道越後線(直通運転あり) 燕市
西燕駅 3.1 8.0  
燕駅 2.3 10.3  
燕三条駅 2.6 12.9 東日本旅客鉄道:上越新幹線
三条市
北三条駅 2.5 15.4  
東三条駅 2.0 17.4 東日本旅客鉄道:信越本線

廃止区間

事業者名・所在地の自治体名は廃線時点のもの。

駅名 駅間営業キロ 弥彦
からの
営業キロ
接続路線 所在地
東三条駅 - 17.4 日本国有鉄道:信越本線 三条市
越後大崎駅 2.0 19.4  
大浦駅 3.0 22.4   南蒲原郡
下田村*
越後長沢駅 2.9 25.3  
  • *:現在は市町村合併が行なわれ三条市である。

過去の接続路線

特記事項

弥彦線は1985年3月31日まで、国鉄全路線で唯一、起終点両方の駅で他路線との接続がない路線であった。私鉄ではこういう形態の路線は決して珍しくないが、日本全国に鉄道網を広げていた国鉄では特殊なケースであった。東三条 - 越後長沢間が廃止されたことで弥彦線はこのケースから外れた[注釈 2]

脚注

出典

  1. 当該列車にはトイレがなく、各駅に掲出されている時刻表に「トイレはありません」と表示されている。
  2. 1985年4月1日からは、香椎線において終点の宇美駅で接続していた勝田線が廃止になったため、「起終点両方が非接続駅」の路線になり、国鉄民営化を経て現在に至っている

注釈


関連項目

  1. 1.0 1.1 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
  2. 森村誠之著『鉄道未成線を歩く〈私鉄編〉』JTB、2001年、p.184
  3. 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1916年10月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年4月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年4月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. 「地方鉄道運輸開始」『官報』1927年4月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. 「鉄道省告示第218・219号」『官報』1927年9月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. 「運輸通信省告示第483号」『官報』1944年10月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)