ポスト団塊ジュニア
ポスト団塊ジュニア(ポストだんかいジュニア)とは、日本において団塊ジュニアの後に生まれた世代の事を指す。広義では、1975年(昭和50年度)から1982年(昭和57年度)までに生まれた世代に相当する。
目次
概説
世代名は、団塊ジュニアの後に生まれた世代という意味である。ただし、1983年生まれの大卒が就職する2006年は団塊世代の引退によって就職市場が回復し、就職氷河期は一旦終焉を迎えたため、1982年生まれと1983年生まれを区切っている。つまり、この記事においては、団塊ジュニア(1971年から1974年生まれ)の後の1975年から1982年の8年間に生まれた世代をとりあげている。
この世代は、1990年代後半から2000年代のインターネット業界の成長の時期に社会人となり、新しいネット文化の担い手の中心となった。特に1980年以降に生まれたポスト団塊ジュニアの若者は、高校生時代からネット・ケータイに親しみ、女性はコギャル文化やお姉系などの新しい文化を形成し、概ね1990年代後半から2000年代においての若者文化の担い手となる世代であった。また、従来の男らしさにとらわれない男性像が市民権を得たのも概ねこの世代以降であり、2000年代後半には「草食系男子」という言葉が流行語となった。
現在のところポスト団塊ジュニア世代に総じて言えることは「失われた20年」に翻弄された人生だったといえる。特に1970年代後半に生まれた者は就職氷河期の被害を最も受け、非正規雇用増大のリスクを最も引き受けた世代である。
成長過程
年 | 1985年 | 1990年 | 1995年 | 2000年 | 2005年 | 2010年 |
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歳 | 3-10歳 | 8-15歳 | 13-20歳 | 18-25歳 | 23-30歳 | 28-35歳 |
誕生
安定成長期に生まれた。いじめや機能不全家族などの問題に遭遇さえしなければ、親の年収も増加傾向にあり、一般的に言えば安定した少年時代をすごすことができた年代であった。なおこの世代は、学生時代のときにバブルの崩壊が起きており、特に1978年生まれ以降はバブル崩壊後に中高生になった。また、この世代は出生数が急激に減少していく世代でもあり、1975年生まれが約190万人だったのに対し、1982年生まれは約150万人にまで減少している。
学生時代
ポスト団塊ジュニアは、学生時代中に様々な教育や休日の変化に直面した人がいる世代である。その変化としては、祝日法の改正、学習指導要領の改正、1992年9月12日以降の第二土曜日の休み、1995年4月22日以降の第四土曜日の休みなどである。
1990年代前半には学習指導要領の変更や週休2日制の導入などが行われた。そのため義務教育期間中に、1977年度生まれ以降は、第二土曜日の休みを経験し、1978年度生まれ以後は、学習指導要領が変わり、ゆとり教育への過渡期を体験し、1980年度生まれ以降は、第四土曜日の休みも経験した。
また、1979年度生まれ以降は、1985年の祝日法の改正で、5月4日が国民の休日となったため、小学校入学時点で既に5月4日が休みとなっていた。さらに、1990年代には、全国の多くの中学校で男子中学生への丸刈り強制が廃止されるなど、校則や管理教育の緩和が見られるようになった。
大学受験時代
大学受験は、団塊ジュニア世代までは難関試験であったが、ポスト団塊ジュニア世代では徐々に緩和された。なぜ団塊ジュニア世代と比べて受験戦争が緩和されたのであろうか。それは出生人口と大学入学率で説明可能である。第二次ベビーブームのピークである1973年生まれの人口は約209万である。以降1974年生まれは約203万人(約6万人減)、1975年生まれは約190万人(約12万人減少)と急激に少子化が進行し、それ後、ポスト団塊ジュニア世代の最後に当たる1982年生まれは151万人にまで減少した。1976年生まれ以降、1年で約5万から8万人程度、第二次ベビーブームのピーク時である1973(昭和48)年時から1982(昭和57)年生まれと比べると実に約60万人も出生人口が減少している。同世代である1975(昭和50)年生まれと1982年生まれを比べても40万人も減少している。。この少子化に伴い、受験人口も、浪人数も急減していくのである(志願者数と入学率を見てみるとよくわかる。志願者数については1993年は121万人であったが、1998年には100万人を切り、2001年には88万人になり、入学率については1990年は62.1%であったが、1996年は70%を超え、1999年には80%を超え、2000年には81.7%にまで達する。注にある代ゼミ偏差値も1996年時と1997年以降を比べると急激に私立大学を中心に下落している。さらに、短大の大学改組に伴う大学の増加等により、大学入試はより易しくなっていくのである。。このように前世代の団塊ジュニアと比べても受験環境は全く異なると言って良いが、同世代とくらべても受験環境は全く異なると言って良い。ただし、センター試験の受験者数は私大のセンター試験導入効果によって徐々に増加していっており、1994年の受験者数は約50万人だったのに対し、2001年の受験者数は約54万人となった。
このように入学率はポスト団塊ジュニア世代の末期の方(1999年以降、1980年生まれ現役以降)にはすでに80%を超えてしまっており、さらに21世紀になったあたりから、本格的な大学全入時代やゆとり教育の弊害、AO入試や公募推薦の乱発、BFランク大学の出現などの問題が出はじめ、もはや受験戦争とは呼べる状況ではなくなった。ただし難関大学や難関学部を除けば、2001年(2005年卒、1982年生まれ現役、最後のポスト団塊ジュニア)の入試と2006年(2010年卒、1987年生まれ現役、最初のゆとり世代)の入試では2001年当時の入試の方がまだ厳しく、入学率は、2001年と2006年とを比べても、81.3%と、86.1%と若干差はある。
なお、この世代間で大学進学率が上昇していき、1994年には30.1%だったものが2001年には39.9%まで上昇した。ちなみに、大学院進学率は、理工系や心理系を中心に大学院の進学率は10%から12%に上昇した。
就職期
就職するころは高卒、専門学校卒、短大卒、大卒、大学院卒を問わず就職氷河期であった。
高卒の就職問題
労働省(現・厚生労働省)の外郭団体が2000年に行った調査によると、首都圏の高校3年生(大方1982年生まれ)のうち、10人に1人が卒業後の進路にフリーターを予定し、4人に1人が「将来フリーターになるかもしれない」と思っている、という結果が出た。
又、文部省(現・文部科学省)が2000年8月に発表した「高校生の就職問題に関する検討会議中間まとめ」によると、「応募したが採用されなかった」と答えた高校卒業者は、1997年卒業者(大方1978年生まれ)では37.2%であったが、1999年卒業者(大方1980年生まれ)では50.7%に上った。この2000年8月発表の調査では、高校卒業時点で就職も進学もしなかった・できなかった者の状況を見ると、1997年卒業者では「定職に就いている」が43.7%で、「アルバイトで働いている」が28.5%であったのに対して、1999年卒業者では「アルバイトで働いている」が47.8%に急増し、「定職に就いている」は24.9%に急減した。また、団塊ジュニア世代までは高卒女子の主な就職先であった、事務・販売系(百貨店や金融機関など)の正社員の高卒求人は、1995年以降になると皆無に近いという状況になり、高卒で就職を希望する普通科・商業科の女子らに甚大なダメージを与えた。
しかし、就職難を背景に大半は大学・短大・専門学校へと進学し、高卒で就職する者は2割程度に急減したため、高卒の就職問題はあまりクローズアップされなかった。
短大卒・大卒の就職問題
短大卒や大卒の就職状況は、団塊ジュニア以上に悲惨であった。就職活動を行う時期は就職氷河期の真っ只中であった。不況により採用を見送る企業も多く、特に1997年のアジア通貨危機以後は「超氷河期」とも言われた。他には、1997年には就職協定の廃止、1999年末には派遣の一般事務職解禁などもあった。特に、正社員の一般事務職を希望した短大生と四大女子は、正社員を派遣に切り替える企業の都合により、正社員になるのは困難であった。大学新卒者の就職率を見ると、大方1975年生まれが就職する1998年の就職率は66.6%となっている。以降、就職率は低下し、2000年には55.8%と史上2番目の低さとなった。その後はわずかながらに上昇するが再び低下し、大卒の1980年生まれの多くが就職する2003年は、55.1%と最悪の値となった。
就職難のため、大学卒業後に専門学校などの教育機関にさらに通う者も増えた(1997年3月24日朝日新聞)。
大学院卒・医歯獣医学部卒の就職問題
理系の場合、修士で就職するものは特に就職難に見舞われることは無かった。これは理系離れが深刻にも関わらず、技術職需要が活発であるためである(理工系大卒や高専卒も同様である)。ポスト団塊ジュニア世代の中で理工系大卒、理工系修士卒、高専卒だけがまともな就職活動をしたと言えるグループかもしれない(ただし、理系でも生物系などは日本のバイオ産業が不振なために就職は芳しくない)。
文系の院卒は修士・博士・博士満期退学を問わず数は多くないが深刻で「高学歴ワーキングプア」を多数生み出してしまうこととなった。理系の場合であっても博士後期へ多数進学したのが団塊ジュニア世代からの特徴であるが、彼らは不安定な任期付き研究員などで職を得るも、契約終了とともに無職となるケースが多発した。
次に6年養成の医・歯・獣医学部卒である。医師の就職は安定したままであるが、問題は歯学部卒と獣医学部卒である。歯科医や獣医が過剰のため歯科医であるにも関わらず年収が300万台という現実が多発した。獣医も同じである。歯科診療所はコンビニよりも数が多いとされ、結果的にワーキングプアに陥るものも多くなった。ペットクリニックも同様である。6年養成に移行した薬学部もおそらく似たような状況に陥る薬剤師が出る可能性が強い。
就職後・20代-30代前半
ポスト団塊ジュニア世代で正規職員になれた者は、職歴を活かして『第二新卒』『20代』を武器に、2006年 - 2008年に転職市場で「リベンジ就職活動」を行ない、年収を増やした者も多い。しかし、こうした者は幸運であり転職活動によって年収が減ったケースも少なからずあり、正社員から派遣やアルバイトに転落した者も多い。『平成17年版 労働経済白書』によれば非正規雇用→非正規雇用が39%、正規雇用→正規雇用が34%、正規雇用→非正規雇用が21%、非正規雇用→正規雇用が17%という結果となった。一旦非正規職員となった者は非正規雇用間での就職が多い事、非正規雇用から正規職員になるものよりも非正規雇用に転落する者が多いという結果となった。
若年者(15-34歳)の非正規職員の数は内閣府調査で2001年の段階で417万人(21.2%)、2006年で総務省調査で26%に達した。(この数字に関しては「希望格差社会」など労働問題や家族問題に関する本を参照の事。なお、厚生労働省の数字は派遣や契約社員の数をカウントしていないので除外することとした。)
2005年時点で25歳~29歳の未婚率は男71.4%、女59.0%で、結婚ができない者も多く、受難が続いていることが推定され。2010年時点でも30歳~34歳の未婚率は男46.5%、女33.3%、25歳~29歳の未婚率は男71.1%、女59.9%であった。前述のように将来の生活に対する不安が大きいため、結婚しても子供を作らない人も少なくない。生活防衛のために独身を選ぶもの、子を養育できるだけの経済力を得る見込みがないため独身を続ける者が増えており、親との同居壮年未婚者(35-44歳)も増大している。2008年現在で250万人、15%以上である。
1997年ごろの30代前半男性の所得分布の最頻値は500-699万円帯であったものが、2007年調べでは300-399万円帯が最頻値と、収入が激減しているという結果が出た。定昇(ベア)がほぼなくなり、給与が減らされたり、親の扶養を行っていたりすることによって独身の正社員ですら貧困に陥るケースがある。住宅を購入したものはローンの返済に苦しんでいる者もいる。
壮年期・35歳以降
2010年代以降、ポスト団塊ジュニアの先頭が30代後半の壮年期に突入した。
厚生労働省は、2011年の『労働経済白書』で、1970年代後半生まれのポスト団塊ジュニアの男性は、他世代に比べて非正規雇用から抜け出せない人の割合が高く、この世代の若者に非正規拡大のひずみが集中したと分析している。かつて森永卓郎は「年収300万」で気楽に生きる方法を提唱したが、「年収300-400万円台でサービス残業まみれとなるか、フリーターで年収100-200万円台の人生のどちらかを選べ」と社会から突きつけられているのが現状である。さらには正社員でありながら年収200万円前後の低賃金で、過酷な長時間労働を行っているものも少なくない(いわゆる「名ばかり正社員」)。
夫が正社員の場合は妻のパート収入と合わせてようやく年収が400-500万台に届くかどうかといった状況である。夫が正社員の家庭は中流層からいつ下層へ落ちるか分からない状況にある。主婦も同様である。夫が厚生年金から脱退せざるを得ない場合、特に夫が非正規職員になった場合は「第一号被保険者専業主婦」が誕生してしまうのである。
文化
1970年代後半に生まれた世代は、バブル景気の最中で小学校時代を過ごし、バブル景気末期から崩壊期(1991年 - 1993年)の頃には中学生か高校生であった。中学時代から高校時代には、ポケベルが流行し、ジュリアナ東京の開店やJリーグ開幕など、バブルの余韻が残る時期だった。また、彼らが中高生の時代は、テレビの歌番組の衰退もあり、アイドル冬の時代と呼ばれた時期でもあった。一方、1980年代前半に生まれた人々が思春期を迎えた頃には既にバブルの余熱は去っていた。また、1980年前後に生まれた人々が高校生の頃は、小室系音楽の全盛期であり、20歳前後の頃は、モーニング娘。をはじめとするハロプロ系アイドルの全盛期でもあった。
ファッション
ポスト団塊ジュニアは服飾文化の成熟化の中で育ち、日本独自の若者服の文化を生んだ世代であった。小中学生時代はバブル景気に差し掛かった時期で、DCブランドを着る小学生が現れるなど、ジュニアファッションの流れが生まれ始めた。
1990年代後半、1980年代前半生まれは高校に進学し、ギャルファッション・ストリートファッション・B系・ルーズカジュアル・裏原宿系といった新しいファッションの担い手となった。このころ生まれた日本の若者服の枠組みは、基本的にそのまま2010年代まで続いている。
2000年代に入ると、デフレ傾向からユニクロをはじめとする低価格ブランドの浸透が進み、若者の間で安価におしゃれを楽しむ習慣が普及した。こうしてファッションの多様化・成熟化が完全に定着し、この世代以降、若者全体に広がるような流行はもはや存在しなくなった。
ネット・ケータイ
携帯電話・PHSやインターネットの普及が始まった時期は1990年代中盤のころである。1970年代後半生まれは、高校卒業以後の大学時代や専門学校時代にインターネットと接触し、「つながり世代」と呼ばれ、1980年代前半生まれは、高校時代までにインターネットや携帯電話に接触した事から、「ネット娯楽世代」と呼ばれる事もある。携帯電話は、1980年生まれ以後の若者にとって、極めて重要なコミュニケーションツールとなっている。
コギャル
アムラー参照
20世紀末に高校生であり、コギャル文化を形成した女性を「コギャル」と呼び、ルーズソックスやプリクラなどを流行させた。コギャル文化は2000年から急速に衰退するが、コギャル文化を担ったこの世代の一部は大学生・OLなどによる「お姉系」として、引き続き流行の担い手として君臨し続けることとなった。
1990年代後半には、コギャル世代の一部の者が、ファッションや携帯電話代や交際費などの遊ぶ金欲しさに、テレホンクラブで主に中高年男性相手の「援助交際」と言う名の売春行為を行ったことが、メディアで盛んに取り上げられ、深刻な社会問題となった。しかし、多くのコギャルはファッションを真似ていただけで援助交際には関わっていた者は少数であった。
参考文献
- 山田昌弘 『パラサイト社会のゆくえ』 筑摩書房<ちくま新書>、2004年。
- 山田昌弘『希望格差社会-「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』筑摩書房、2004年。
- 山田昌弘 『パラサイト・シングルの時代』筑摩書房<ちくま新書>、1999年。
- 宮本みち子 『若者が《社会的弱者に転落する》』 洋泉社<洋泉社y新書>、2001年。
- 丸山俊 『フリーター亡国論』 ダイヤモンド社、2004年。
- 小杉玲子 『フリーターとニート』 勁草書房、2005年。
- 小林美希 『ルポ"正社員"の若者たち-就職氷河期世代を追う』 岩波書店、2008年。
関連項目
キーワード
その外の関連項目
- 団塊の世代(親世代)
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